研究の現場から日本人の姿が消える日はそう遠くない

5月27日(月)6時0分 JBpress

学会発表を巡る変化が、研究環境の行く末を映し出している。

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(篠原 信:農業研究者)

 私は3〜4つの学会に参加している。今年の春は2つの学会に参加した。昨年も気づいていたが、今年はどちらにも共通して気になることがあった。

「学生の数が少ない」

 生物系では最大級の学会、日本農芸化学会の様子を見てみよう。たまに一般講演の数が2000を割ることがあっても、おしなべて2000題以上をキープする、マンモス学会だ。ところが2018年度大会では、1996年以来初めて1900を割り込み、今年度は、講演要旨集から独自に集計してみると、1676題と激減した。

【参考】過去の大会一覧(日本農芸化学会)
http://www.jsbba.or.jp/event/annual/event_annual_list.html


好景気の「先」が不安な大学生

 先生方に伺うと、大学院(修士課程)に進む学生の数が減っているという。学生が研究室に配属されるのは、大学にもよるが、4回生になってから。たった1年の卒業研究では、学会発表するだけのデータを出すのは難しいし、プレゼンの技術も追いつかない。このため、学会発表の中心はどうしても、大学院にまで進んだ修士課程、博士課程の学生となる。

 博士課程の学生が減ったのは、ずいぶん前からだ。私が博士号をもらう頃には、まだ指導教授の強い後押しがあればどこかの大学で職を得ることができたが、後輩たちの多くは定職を得られない「ポスドク」(博士号を持っているが、大学教員などの定職がない状態)となって、全国、あるいは世界を渡り歩き、なんとか食いつなぐ(場合によってはまったく食いつなげない)状態となっていた。その様子を見ていたさらにその下の世代、つまり現在40歳未満の人たちは、よほどのことがない限り、博士課程に進もうとはしなかった。博士号をもらったところで、就職先がないことを知っていたからだ。

 ただ、博士課程が閑散とする中でも修士課程は比較的最近まで人気があった。就職氷河期が20年も続く中、理系の就職は比較的堅調で、大学院で2年余分に研究に取り組み、センスと技能を磨いた修士の人間は企業からも評価が高く、就職先も恵まれたところに比較的進めた。

 そんなわけで、理系の研究室は、修士課程の学生は確保できていた。もちろん、就職活動で非常に長期間、ときには1年くらいまともに実験できないという学生もいるが、人数を確保することでなんとか研究業務を回すことができていた。

 ところがここにきて、修士課程に進む学生が減ってしまった。筆者はここ15年ほど、修士の学生を対象とした旧帝大の講義を受け持ってきた。最初の頃は10人近くいた修士の学生が、近年は2〜3人。

 修士課程の学生が減ってしまったのはなぜだろうか。原因は「好景気」だ。ただし、いつ不景気が始まるか分からないという不安を抱きつつ、の。

 学部4回生の学生に「君は修士課程に進まないの?」と聞くと、就職する、という学生が多い。理由を聞くと、「修士課程を終えた2年後には、景気が悪くなって就職できないかもしれないから」。

 長く続いた就職氷河期とは打って変わって、ここ数年、学生にとって売り手市場。次々打たれる景気対策でお金が社会をめぐり、就職戦線は大幅に改善された。

 ただ、この好景気が始まった頃から、学生は、いつまでこの好景気(これには議論があるという人もいるだろう)が続くか、ずっと不安に思っている。特に不安なのは、オリンピック後だという。「好景気はオリンピックまでは続くかもしれないが、その先は分からない」と答える。

 もし今年就職せずに修士課程に進むと、修了はオリンピックの終わった2021年。もちろん、大阪万博など、イベントがまだ続くらしいが、学生は甘い見方をとらない。

 果たして学生の心配が当たるのか、外れるのかは分からない。ひとつだけ言えるのは、学生の多くが将来を楽観視せず、むしろ悲観的にみており、そのために修士課程に進む学生がずいぶん減っているらしい、ということだ。2019(令和元)年度の統計はまだ公表されていないようだが、今年度の修士課程への進学者数は、かなり減っているのではないか、というのが筆者の感触だ。


学生がいなければ研究は回らない

 これは、大変深刻な状況でもある。大学の研究開発力が深刻な打撃を受けると思われるからだ。そうでなくても博士課程に学生が来なくなって研究開発力が衰えている上に、修士課程の学生までいなくなったら、戦力はほぼゼロになる。学部生はあまりに未熟すぎて、ほとんど戦力にならない。

【参考】「大学における工学系教育の在り方について(中間まとめ)」参考資料
http://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2017/06/27/1387312_03.pdf
http://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2017/06/27/1387312_04.pdf

 つまり、これまで研究室の戦力となってきた修士課程の学生がいなくなると、「誰も実験する者がいない」ことになる。

 現在の大学の教員は、事務仕事でおおわらわ。私が学生の頃の大学教授は、気が向かなければ講義を休むことも多かった。「この先生、ほとんど休講だなあ」と呆れながらも、学生だった私は、そうして空いた時間に本屋めぐりをしたり、学食で60円の紙コップのコーヒーをすすりながら読書をしていたものだ。

 そんなおおらかな時代はとうに終焉し、いまでは大学の先生がきちんと講義しているか職員が監視し、学生からの評判が悪いと注意を受ける。学会運営や政府からの委託を受けた出張で休講にしようとすると、「必要な数の講義はこなしてくださいね」とクギを刺される。

 まあ、講義は学生のためになるのだからよいとしても、むやみに事務仕事が多すぎる。大学運営の事務や、科研費などの研究費の申請、あるいは報告書、会議につぐ会議。研究する時間が取れない。

 修士課程の学生さえいれば、業務の隙間を縫って実験室に顔を出し、学生に実験の近況を聞き、課題を一緒に突き止め、次なる実験を策定することも可能だ。だが、その修士課程の学生がいない。実行部隊がいない。それでは研究が進むはずがない。

 激減したかに見える学会発表の数も、大学の先生方は「発表しないわけにはいかない」と、必死になって時間を捻出し、実験をしたのに違いない。だから、激減しながらも先生方の顔ぶれは比較的変わらなかった。しかし、学生の姿が大幅に減ったこの状況が続けば、先生方の踏ん張りも限界が来るだろう。

 現在の大学の研究室は、科研費などの競争的資金を獲得しなければ、実験器具を買うこともできない。外部資金を獲得するには、学会発表や論文発表を積極的に行い、成果を出し続けなければならない。

 だが、成果を出すための実験する時間がない。自分の代わりに実験してくれる学生もいなくなって、実行部隊がいない状態。研究したくても、大学の先生は「雑務して一日が終わる」状態となっている。


日本人が研究の世界に入れなくなる

 それでも大学の先生方は、なんとか研究する体制を維持しようと、必死。それを象徴する場面があった。

 筆者の研究グループは今回、3つの学会発表を行った。その発表を行ったのは、タイ人のポスドク、台湾人のポスドク、ドイツ人のポスドク。発表を見合わせた大学でも、実験に従事するのは中国人。そう。外国人ばかりなのだ。

 外国籍の学生は、日本人が激減した修士課程、博士課程の穴を埋めるように増えている。彼らは、本国に帰れば日本の博士号を引っさげて、ポストを得ることができるから、日本に留学するのはまだまだメリットがあるのだ。

 これだけ日本人の学生が修士課程に進まなくなると、数年後には、大学教員の募集(とても少ない数だが)をしても、応募するのは外国籍の人ばかり、となる予感。さらに未来を見通せば、大学の先生の構成は、かなり多国籍になり、講義が英語で行われるのはごく普通の光景になっていくだろう。

 これは、結果として、日本人による研究開発力を低下させる結果となるだろう。日本ほど、理系の言葉が日常用語になっている国はまずないように思う。タンパク質、遺伝子、細胞。研究者でなくても専門用語を聞いたことがある人が多いのは、日本語だからだ。

 ところが教育の場で英語ばかりになると、言葉のバイアスのせいで、科学に興味をもつ人口が減るだろう。

 たとえば「乳鉢」という、サンプルをすりつぶす、すりこぎのような道具がある。これを外国籍のポスドクに英語で伝えるのに、筆者は往生した。「mortar」なのだそうだが、つづりを見せても、ポスドクも分からない。なにせ、コンクリートやセメントと同類の「モルタル」の意味もある。ポスドクは英語に堪能だが、複数の意味があるこの言葉ではどれのことだか分からなかった。

 結局、「すりつぶすヤツ(grinder)」と呼ぶことにしよう、と2人の間で決めた。しかしこの言葉も研磨機などの意味があって、なんか違う。

 まあ、外国人とのやりとりで苦労するのは、言葉の壁があるから仕方ない。しかし日本人同士なら、「乳鉢」というだけで簡単に伝わる。乳鉢ごときで時間を取られるロスを節約できるのだ。

 だが、大学教員の多くが外国籍に変わっていけば、そのメリットを生かす機会は失われていくだろう。外国籍の先生が「grinder」とか「mortar」とか言ったら、日本の学生の側が、それが研磨機のことなのか、モルタルのことなのか、はたまた乳鉢のことなのか、見当をつけなければならない。

 その苦労の中で、理系の道から脱落していく若者が、これからは増えるだろう。英語の世界になることで、日本人は研究の世界に入れなくなり、外国籍の人たちの独壇場になっていく。

 たぶん、研究開発という分野に、日本人が携わることが難しい時代が、もうすぐそこに来ている。

筆者:篠原 信

JBpress

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