だから「恥を知れ! 恥を!」と発言した…安芸高田市・石丸市長があえて「議員の居眠り」を指摘した2つの理由

2024年5月27日(月)9時15分 プレジデント社

記者会見する安芸高田市の石丸伸二市長=2024年3月25日、広島県同市 - 写真=時事通信フォト

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日本の地方政治はどこに問題があるのか。広島県安芸高田市の石丸伸二市長は「首長と議会がなれ合いの状態となり、政策を二の次とするような意識でいれば、政治は道を誤る。実際、安芸高田市では、私が就任するまでの5年間で赤字を垂れ流している状況だった。それは議会がただの『追認機関』となっていたからだ」という——。

※本稿は、石丸伸二『覚悟の論理』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の一部を再編集したものです。


写真=時事通信フォト
記者会見する安芸高田市の石丸伸二市長=2024年3月25日、広島県同市 - 写真=時事通信フォト

■仲良くしていれば政策が通る議会は不健全


「議会と対立すると政策が通らないのに、そんなにぶつかって大丈夫ですか?」


このような質問を、よく受けます。


人口約2万7000人の安芸高田市ですが、今や全国メディアでもたびたび取り上げられるようになりました。特にネットで話題になり、時には炎上し、劇場型政治と揶揄されることもあります。


議会とそんなにぶつかって大丈夫? と質問されるのは、多くの人が「議会を敵に回すとマズイ」「議会に従わないと、政策に対して一方的な反対を受けるだろう」と考えている証です。逆に言えば「市長が議会に大人しく従っていれば、議会は政策を通してくれる」と思われていることになります。


でも考えてみてください。


仲良くしていれば政策が通る議会など、極めて不健全ではないでしょうか。


簡単にこれまでの経緯を説明しましょう。


発端は就任直後の2020年9月、市議会でいびきをかいて居眠りする議員の姿を目の当たりにし、X(当時はTwitter)上で投稿したことでした。この投稿をめぐる議会との応酬が、全国的に大きな話題となりました。


■全国的な話題となった「恥を知れ!」発言


2022年6月10日の市議会では、「居眠りをする、一般質問しない、説明責任を果たさない。これこそ議会軽視の最たる例です。恥を知れ! 恥を! ……という声があがっても、おかしくないと思います。どうか恥だと思ってください」と発言しました。特に「恥を知れ! 恥を!」の部分が注目され、こちらも全国的な話題となりました。


そもそも地方自治体では、首長と議会議員をともに住民が選挙で選ぶ「二元代表制」という制度をとっています。この制度下では、市長が提案した予算や条例などを実施するには、議会の議決を受ける必要があります。ともに市民の代表である市長と議会議員が、議論を重ねて自治体運営にあたることができる仕組みです。


だから市長と議会が対立することは、本来のあるべき姿と言えます。──ただし互いに正当な主張をし、対話できる関係であるならば。


当選後わずか1カ月の私にもわかるくらい、目の前の議会が機能不全に陥っていることは明白でした。主張は根拠を欠き、説明責任が果たされていない。そこに、居眠りの問題。


さすがに私の頭にも「この状態で居眠りを指摘したら、ひょっとしたら議会から感情的に反発され、これから自分の提案が通りづらくなるかもしれない」という考えがよぎりました。


■議会の不備を指摘した「2つの理由」


それでも私が迷わずSNSで投稿し、その後もひるむことなく議会の不備を指摘しているのには2つの理由があります。


1つ目は、議会の場で居眠りをしている議員がいること、ちゃんと仕事をするべきだということを市民に対して知らしめるべきだと思ったからです。


議員のみなさんは、まっとうな大人で市民の代表です。しかし、中にはこれまで議員としての不足を指摘されることなく、甘やかされて長く続けてきた人、そもそも仕事をする意識が低い人もいます。


私が「説明責任を果たしていない」と指摘しても、まったく悪気なく「なんで自分が説明しなくてはいけないの?」と言う人も。そういう人が私の説得で態度を改めるかというと、そう簡単には変わらないだろうなと思うのが本音です。


ただ、たとえ議員が変わらなくても、それを見ている市民がいます。自分たちの代表として選んだ人が、議会で居眠りをしているのです。


安芸高田市役所。石丸市長が議会で「恥を知れ!」と発言したことで全国的な話題になった(写真=アラツク/CC-BY-SA-4.0,3.0,2.5,2.0,1.0/Wikimedia Commons

■「議会なんてこんなもの」と慣れてはいけない


私の発言の狙いは、市民に「こういう状態になっている」と気づいてもらうこと、そして「なぜ?」「この人はちゃんと仕事をしているの?」と問題意識を持ってもらうことでした。


議会なんてこんなものだと慣れてしまっていては、永遠に変わらないのです。これはたとえ話ですが、有名な天道説から地動説への大転換は「世代交代」によって成されたという捉え方があります。つまり、天道説を主張していた人たちは、考えを改めることはなかった。それでも世代が変わり、新しい世代の研究者によってはじめて「やっぱり地動説って正しいよね」と認められたということです。


だから、たとえ今いる人たちが変わらなくても「やっぱりこれはおかしい」「これが正しい」と言い続けることには意味があります。市長も議員も、市民が選ぶのです。職務を果たしていない人を選び続けるかどうかは、市民が決めることができます。大事なのは、その市民の意識改革のほうです。


■「こうありたい」があるから、おかしいことはおかしいと言える


2つ目の理由は、とてもシンプルです。私が「こうあるべき」と思う政治家でいたいからです。


私の考える理想の政治家は「良いことは良い、悪いことは悪い」をちゃんと貫ける人です。


その理想をもとに考えてみると、自分のしたい政策を通すために議会を懐柔するなんて方法を選択するのは、レベルが低すぎます。おかしなことを「なあなあ」にするようなリーダーの率いるまちに、未来はありません。


それでもこれまで多くの市長が、わざわざ議会と対峙せずに、なれ合いに持ち込んできたのは、ある面で合理性があるからでしょう。なれ合いにしたほうが議論をする手間を省けて楽だから。選挙で勝ちやすいから。でも、それは本気で市民のことを考えている政治家とは言えません。


誰しも戦わざるを得ない瞬間があります。自分の尊厳を傷つける可能性がある相手や課題に対しては、逃げずにちゃんと向き合わなければいけない。


私は「自分のなりたい政治家」になると決めました。だからおかしいと思うことは、堂々と、おかしいと言っていく。これは私の尊厳に関わる重要な選択だったのです。


私が揺るぎない自信を持って議会と対峙できたのは、このように確固たる「私はこうありたい」という理想像を持っていたからと言えます。


写真=iStock.com/webphotographeer
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/webphotographeer

■対立とは、反対の立場にある人が向かい合って立つこと


意見の異なる人との対立を避けようとする人も多いでしょう。対立するのは恐い、面倒だといった感情論で避ける人もいれば、そもそも対立するのは道義的に良くないことだと思い込んでいる人もいるかもしれません。


安芸高田市の報道でも「市長と議会の対立が問題になっている」などという言葉がよく使われます。まるで対立すること自体が悪いような言い回しです。


しかし、そもそも「対立」は悪いことなのでしょうか。


対立を過剰に恐れたり問題視したりしてしまうのは、まず「対立」という言葉の意味を正しく定義できていないからです。


対立とは、反対の立場にある人が向かい合って立つこと。


このように定義すると、先の項目でも述べたように、二元代表制においては市長と議会はむしろ「対立すべき」存在だとわかります。


なぜなら議会の存在意義は、市の執行機関、またその責任者である市長を監視したり評価したりすることにあるからです。


車でたとえるなら、市長はアクセル、議会はブレーキです。市長に権力が集中し、暴走することを防ぐために、わざわざ相反する機能をつくって、互いの権力行使を抑えながら均衡をとる。これが「チェック・アンド・バランス」(抑制と均衡)の考え方です。


だから、市長と議会がなれ合って、対立構造が正しく機能しなくなると“アクセル踏みっぱなし”の状態になります。とても危険です。


実際に、市長が議会を抱え込んで市長与党を形成することで、市長の「思うがまま」にしてしまっている市もあります。「なぜこれをつくったのだろう?」と疑問に思うようなよくわからない道路や公共施設ができたり、役所がやたらと豪華になっていったりする。


チェック・アンド・バランスの欠如は、市の衰退を招きます。


■「議会ともっとうまくやれ」は間違っている


このように考えてみると「市長と議会は仲良くするべき」という意見が的外れなことはわかるでしょう。


対立しない市長と議会では、二元代表制が正しく機能していないということになります。


アクセルがブレーキと癒着してしまっては、いざというときにブレーキが踏めなくなります。水面下で根回しが行われて、政策の意思決定がされていくような構造では、市民は、本当にその政策が市民のためになっているのか、確かめようもありません。


だから、記録に残らない形での合意形成、いわゆる根回しは害悪だと私は思っています。


ときどき「もう少しバランスを取ってはいかがですか」と言われますが、その「バランス」とはチェック・アンド・バランスのことではなく「議会ともうまくやって政策を通してはどうか」の意味です。その発想が、間違っているのです。



石丸伸二『覚悟の論理』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)

議会での居眠りも見逃し、褒めておだてて機嫌を取っておけば、首長の提案が通る。


公の記録に残らないところで、事前に根回しをしておけば、議論せずとも賛成してもらえる。


多くの地方自治体でそんなことをやっているんです。そのほうが楽だから。


仲良くしておいたほうが簡単だから、なれ合いで政策を通す。そんな、政策を二の次とするような意識でいれば、政治は道を誤ります。


実際のところ安芸高田市では、私が就任するまでの5年間で赤字を垂れ流している状況でした。それは議会がただの「追認機関」となっていたからです。財政危機を把握していたのにもかかわらず、議会はただの一度も決算不認定をしませんでした。持ちつ持たれつ、なれ合いの状態になっていたことがわかります。


■あるべき対立がないことが、大きな問題


また、対立が必要なのは市長と議会の間だけではありません。政治と、それを監視する立場のメディアも対立構造であることが重要です。しかし地方紙と地方政治の間には、妙な持ちつ持たれつの関係があります。ここにも長年の関係からなれ合いが生じてしまっているのです。


メディアが監視機能を果たさないと、政治とカネの問題に再びつながる可能性があります。


二元代表制は本当に機能しているのか。地元メディアは本当に中立の立場で報道しているのか。対立という問題ではなく「本来対立すべきものが、対立していない」という問題が起きていないか。


これは安芸高田市だけではなく、多くの地方自治体で共通して起きていることです。


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石丸 伸二(いしまる・しんじ)
広島県安芸高田市長
1982年生まれ。広島県安芸高田市吉田町出身。吉田小学校、吉田中学校、広島県立祇園北高等学校を経て、京都大学経済学部を卒業。2006年に三菱UFJ銀行へ入行し、経済を分析・予測する専門家(アナリスト)として勤務。為替アナリストの初代ニューヨーク駐在となり、4年半にわたってアメリカ大陸の主要9カ国25都市で活動。2020年8月に安芸高田市長に就任。
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(広島県安芸高田市長 石丸 伸二)

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