社会学の手法で解明した 超富裕層向けビジネスの内側 [橘玲の世界投資見聞録]

6月7日(木)21時0分 ダイヤモンドオンライン

スイス・ジュネーブ             (Photo:ⒸAlt Invest Com)

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 今回は、ブルック・ハリントン『ウェルス・マネージャー 富裕層の金庫番 世界トップ1%の資産防衛』(みすず書房)を紹介したい。原題は“Capital without Borders(国境なき資本)”で、よくある「お金持ち本」の類ではなく、著者はコペンハーゲン・ビジネス・スクール社会学准教授だ。タックスヘイヴン(オフショア金融センター)が私たちの生活にどのような(悪)影響を与えているかを大所高所から論じるのではなく、富裕層にさまざまな財産管理のサービスを提供するウェルス・マネージャーの視点から分析を試みようと考えたのだという。


 ハリントンが採用した研究手法はエスノグラフィー(参与観察/行動観察調査)で、文化人類学者が伝統的社会に長期間住み込んで文化や風習、ひとびとの生活を内側から観察することから始まったが、近年は現代社会のさまざまなマイノリティ集団(スラムやギャング、移民や性的少数者)へとその対象が拡大されている。


 秘密のベールに覆われた超富裕層の世界も格好の参与観察の対象で、そこに気づいたのはハリントンの慧眼だが、いったいどうやって社会学者が富裕層サービスの「内側」に入り込むことができたのだろうか。




プライベートバンクを名乗れるのは協会に加盟している金融機関のみ


 2007年11月、ハリントンは2年間のウェルス・マネジメント研修プログラムに参加した。このプログラムを修了するとTEPの資格証明書を得られ、専門家集団の仲間入りができる。


 STEPは1991年、ロンドンで設立された。Society of Trust and Estates Practitionersの略で、直訳すれば「“信託と財産(管理)の実務家”団体」ということになる。TEP(Trust and Estates Practitioners)は、このSTEPが認証する資格だ。


 STEPがどのように誕生したかを知るには、富裕層サービスの歴史をかんたんに振り返っておく必要がある。

 TEP以前、富裕層に財産管理サービスを提供する専門職は「プライベートバンカー」「ウェルス・マネージャー」などと呼ばれていた。


「プライベートバンカー」はもっともよく知れられているが、本来、Private Bankを名乗れるのは「スイス・プライベートバンカー協会」に加盟する無限責任の金融機関だけだ。パートナーが無限責任を負うPrivate Bankでは、株式会社のような有限責任とは異なり、会社の負債を個人資産で弁済しなくてはならない。顧客の資産に対してリスクを共有していることが、顧客(超富裕層)とパートナー(プライバートバンカー)の信頼関係を生み出すのだとされてきた。


 ところがその後、グローバルバンクなどが富裕層をターゲットとする「プライベートバンキング業務」を始めたため、Private Bankのインフレが起こった。それがスイスの金融業界などから批判されたため、徐々に「ウェルス・マネジメント」「ウェルス・マネージャー」の呼称が使われるようになった。——日本では銀行や証券会社の富裕層担当のことだ。


 UBS、クレディ・スイスはスイスを代表するプライベートバンクだが、株式会社化にともなってスイス・プライベートバンカー協会を脱会しているから、本来ならPrivate Bankを名乗ることはできない。だが歴史的な経緯もあって、どちらも富裕層担当者は「プライベートバンカー」と呼ばれている。かつてPrivate Bankだった金融機関は「特例」扱いされているようだ。


 グローバル化にともなって、中国やインドなどの新興国にも続々と億万長者が誕生すると、富裕層向けサービスの需要が大きく膨らんだ。その一方で、急速なIT化(フィンテック化)にともなって、一般顧客向けのリテール業務から利益を得ることがますます難しくなっている。こうして多くの金融機関がウェルス・マネジメントで鎬を削ることになった。


 その後、グローバル金融機関のウェルス・マネージャーが富裕層の顧客を担当し、スイスなど歴史のある銀行のプライベートバンカーが超富裕層を囲い込むという(なんとなくの)棲み分けができた。しかし、プライベートバンカー以外にも富裕層にさまざまな財務サービスを提供するひとたちがいる。彼らの多くは弁護士や会計士などの専門職で、フリーランス(個人営業)のこともあれば、資産管理会社に所属していることもある。


 彼らは自分たちをウェルス・マネージャー(という銀行員)といっしょにされたくないと思っているが、だからといって「プライベートバンカー」を名乗ることもできない。こうしてTEP(信託と財産の実務家)という新しい職業名が必要になったのだ。


 この経緯からわかるように、STEPは秘密結社でもなんでもなく、研修プログラムを受ける時間とお金さえあれば誰でもTEPになれる(もちろん試験に受かれば)。これまで「悪の巣窟」のように扱われてきた自分たちの仕事を専門職として公認させたいと考えたひとたちが、ノウハウの標準化と資格化を始めたのだ。






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