進化する「大地震予測システム」は日本を守り切れるのか

6月8日(金)6時0分 ダイヤモンドオンライン

南海トラフ地震や関東直下型地震の不安が募る日本列島。そのリスクを回避することは、果たしてできるのか。「地震予知ビジネス」の最新動向に迫る

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前回は、今後日本で危惧される地震や、日本で起きる地震の特徴を紹介した。後編では、日本が取り組む地震予知の歴史に触れながら、「地震予知ビジネス」の最新動向とその展望を紹介しよう。(日本総合研究所 リサーチ・コンサルティング部門 都市・地域経営戦略グループ マネジャー 齊田興哉)


明治時代から続いていた

日本の地震予知の試行錯誤


 まず、日本の地震予知はいつ頃始まったかご存じだろうか。実は、明治時代まで遡る。そのきっかけは、1880年(明治13年)に発生したマグニチュード5.8の横浜地震だと言われている。横浜地震の規模は大きくなかったが、当時多くの人を驚かせたようで、それをきっかけに同年、日本地震学会が設立されている。


 日本が国として地震研究に取り組み始めたのは、日本地震学会設立から約10年後となる1891年(明治24年)に発生した濃尾地震がきっかけと言われている。濃尾地震は、岐阜県南西部を震源とするマグニチュード8.0の大規模な地震だ。死者は7000人あまり、全壊家屋は14万棟と、その被害は甚大であったという。この事態を深刻に受け止めた明治政府は、地震予知と災害の軽減を研究するために、震災予防調査会を設立した。


 1923年(大正12年)には、相模湾を震源とするマグニチュード7.9の関東地震が発生し、死者10万人以上という大きな被害をもたらした。この地震をきっかけとして、政府は震災予防調査会を発展させ、東京帝国大学に地震研究所を設置する方針を打ち出した。


 その後、太平洋戦争末期には鳥取地震、東南海地震、三河地震、南海地震、福井地震などの大地震が発生し、大きな被害をもたらしていたが、戦時中ということもあり、日本には地震対策のための予算や体制といった十分な備えがなかったのが正直なところだ。


 戦後、状況を打破すべく、1962年には地震研究者の有志により『地震予知—その現状と推進計画』が発表された。これは通称「地震予知ブループリント」とよばれているもので、地震予知の実現性を明らかにするためにはどのような観測が必要であるかを示したものだ。このブループリントをきっかけとして、国の測地学審議会が「地震予知計画」に関する提案を出し、国としての地震予知の研究が開始された。


 測地学審議会の建議に基づく地震予知計画は1965年から始まり、国民の地震予知に対する期待を受けて30年間計画が継続された。しかしながらこの計画は、十分な地震前兆観測例を得ることができず、研究計画としての行き詰まりを迎えてしまったのだ。阪神淡路大震災後、地震予知に対する国民の期待が高かったことがわかり、地震予知計画の見直しを迫られた。





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