専用切符で乗る行商列車 京成電鉄で生き残った理由

6月8日(土)7時0分 NEWSポストセブン

 今でこそ全国に行商専用列車は近鉄の鮮魚列車を残すのみとなったが、かつては全国各地に存在した。現在の首都圏では行商専用列車、専用車両ともに廃止となっている。ライターの小川裕夫氏が、行商列車の誕生から消滅まで、今も行商向けに定期手回り品切符を発行する京成電鉄を中心にレポートする。


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 6月2日、クラブツーリズムが主催する鮮魚列車ツアーが催行された。伊勢志摩魚行商組合連合会による貸し切りという形で近畿日本鉄道(近鉄)が運行している鮮魚列車に、一般客は乗車できない。


 鮮魚列車は月曜〜土曜まで運行されているが、日曜日は運休する。クラブツーリズムが鮮魚列車ツアーを催行できた背景には、鮮魚列車の運休日だったことが理由に挙げられる。


 近鉄が運行する鮮魚列車は、三重県の宇治山田駅と大阪府の大阪上本町駅とを結ぶ。現在、国内で運行されている行商人の専用列車は、この鮮魚列車を残すのみとなっている。クラブツーリズムのツアーは鮮魚列車を観光のコンテンツとして再活用するものだが、歴史として記録に残すという側面も併せ持つ。


 流通機構の確立、道路の整備が進んだことによるトラック輸送の普及などの要因もあって、行商は日常風景から消えた。


 鮮魚列車をはじめとする行商専用列車は、日本各地で盛んに運行されていた。それは首都・東京も例外ではなかった。実際、京成電鉄(京成)は2013年まで行商人専用車を運行していた。


 行商人が乗車する専用列車は、京成では“嵩高荷物(かさだかにもつ)専用列車”という正式名称がつけられている。


「京成では嵩高荷物専用列車を1935年から運行していました。当時は、1編成まるまる行商人だけが乗車する、行商専用列車としての運行です。最盛期には1日4往復が運転され、京成上野駅方面と押上駅方面に向かう2種類がありました」と説明するのは京成の広報・CSR担当者だ。


 東京の行商人たちの大半は、千葉県・茨城県から来ていた。東京で野菜を売り歩けば儲かると評判が広まり、大正末期から昭和初期には千葉県・茨城県の農家はこぞって行商で荒稼ぎするようになる。


 1930年頃から、行商人は急増。その背景には昭和恐慌があった。昭和恐慌によって、地方では働き口がなくなったからだ。農業だったら、自力で生計を立てられる。そうした事情から行商が奨励された。実際、行商人たちの稼ぎはすさまじく、納税額も突出していた。


 そのため、朝のラッシュ時には通勤電車に多くの行商人たちでごったがえすようになる。


 通勤するビジネスマンと行商人の混乗は、トラブルも頻発した。しかし、行政当局にとって行商人は優良納税者、鉄道会社にとっても優良の大口顧客だった。そうした理由から、行商人は黙認された。


 一時代を築いた行商人と行商列車だったが、京成では利用者が減少したことを理由に1982年に専用列車は廃止。その後は、一般車両の最後尾一両を"行商専用車"として運行した。そして、1998年に押上駅方面の専用車が廃止になり、2013年には京成上野駅方面の専用車両も廃止される。こうして、京成から行商列車は姿を消した。


 行商列車を運行していたのは、京成だけではない。現在はJR東日本が所管する常磐線や我孫子支線・総武本線・成田線・房総線(現・内房線および外房線)でも行商列車が運行されていた。


 しかし、民間事業者の京成と、官でもある鉄道省(現・JR東日本)とでは行商人への対応の差は歴然としていた。昭和恐慌によって行商人が増えすぎたため、鉄道省は対策として1935年に行商人が乗車できる列車を指定。乗換駅も上野駅だけに限定した。また、上野駅から都心部へと向かう乗り換え時間も指定し、行商人たちは上野駅で約2時間の待機を強制される。


 行商人に対する規制は、時間だけではなかった。ほかにも「(持ち込む)容器は竹籠とすること」「(一人あたりの)荷物は60キログラム以内とすること」「行商人組合を組織すること」などの項目が設けられていた。


 戦後も、こうした規制は暗黙のルールとして存続した。そのため、常磐線をはじめとするJR各線では、昭和50年代から行商人が減少し始めた。現在でも常磐線や我孫子支線で行商人は残っているが、行商列車は早い段階で姿を消した。


 一方、京成は持ち込める荷物に制限はなかった。そうした理由もあり、京成沿線において行商人の減少は緩やかだった。京成で行商専用車が長らく生き残った理由は、こうした点も大きい。


 電車に乗って都心へと野菜を売り歩く行商人たちは、高齢化や農家の減少といった要因から時代とともに減少している。それでも一般乗客に混じって電車に乗り、時に見知らぬ乗客に手助けしてもらいながら、昔から付き合いのある個人宅や飲食店などのお得意先を目指す行商人たちはいる。


 京成が2013年に行商専用車を廃止した後も、列車に乗って東京で野菜を売り歩く行商は、細々と続けられていた。行商専用車がなくなって久しい今、行商人たちの扱いはどうなっているのだろうか?


「規定を超える荷物を車内に持ち込む場合、京成では手回り品切符を購入していただく必要があります。行商専用車廃止後も、行商組合員限定で定期手回り品切符を販売しております。もちろん、通常の乗車券も必要になります」(同)


 鉄道会社によって、行商人への扱いは異なる。そして、行商人のスタイルも地域や組合で大きく違っている。そうした違いは、これまでに明らかにされていなかった。行商や行商列車が歴史から消えようとしている中、その多くは謎に包まれたままだった。


 それでも、千葉県立中央博物館研究員の小林裕美さん、旅の文化研究所研究員の山本志乃さんをはじめとする郷土史家や民俗学者たちの手によって調査が進められ、その一端がようやく見えようとしている。


 京成の行商専用車がまだ現役で走っていた約15年前、私は京成沿線の組合に「行商列車を取材させてほしい」と繰り返し打診をした。京成沿線の行商人組合からは、「そっとしておいてほしい」との理由から、取材を拒否された。そして、今でも組合は取材NGを貫いている。


 現役の行商人も、過去に行商をしていた経験者も少なくなりつつある。行商を記録に残す、残された時間はわずかしかない。


 大正から昭和、そして平成まで、人の暮らしに欠かせない食糧供給を陰で支えた行商人と行商列車。その歴史は、ひっそりと消えようとしている。

NEWSポストセブン

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