新天皇皇后が若々しく見える理由は何か?

6月11日(火)6時12分 JBpress

都内のホテルで天皇、皇后両陛下と別れのあいさつをするドナルド・トランプ米大統領夫妻。宮内庁提供(2019年5月28日撮影)。(c)AFP PHOTO / IMPERIAL HOUSEHOLD AGENCY OF JAPAN〔AFPBB News〕

 天皇の代が変わり、元号も改まって1か月ほどが経ちました。その間、皆さんはどのような印象を持たれたでしょうか?

 身の回りで雑談する限りですが、新天皇は「軽やかさ」が印象的であるように思われます。この印象を出発点に、天皇制の問題を考えてみたいと思います。


生まれながらの象徴皇族

 即位した徳仁天皇は1960年2月23日に生まれているので、現在59歳、数えで言えば還暦で、かつての日本であれば隠居の年齢です。

 孫たちが庭で遊ぶのを縁側で目を細めて眺めているような年齢ですが、即位したてで「若々しい印象」があります。

 これは一面素晴らしいことで、60代はいうにおよばず、70,80代になっても生き生きと人々が活躍する社会を象徴している面もあるように思います。

 と同時に、60歳が青年に見えるという現在の日本社会の視点が、十分に高齢化しており、かつ少子化と相まって、今後の日本が直面する状況を象徴している面もあると言えるでしょう。

 父にあたる明仁上皇は昭和8年の生まれで、歴代初の「即位当初から象徴であった天皇」として、いわば初代の仕事に誠実に邁進したわけですが、その誕生の時点では、日本は大日本帝国憲法下の体制でした。

 その当時、天皇は現人神であり、その皇子たる明仁親王は「神の子」でした。

 今の日本で、明仁上皇くらい徹底してリベラルな人はいないように思うのですが、それは、生まれてから11歳まで、つまり物心は十分ついている小学校5年生の年配までは「神の子」の扱いで戦争を経験し、戦後、最も多感なティーンの時期に新憲法を迎え入れ、いわば「教科書墨塗り」ならぬ「憲法の墨塗り」を自ら行うような、強烈な経験をしているからだと言っていいでしょう。

 日本国憲法の遵守ということに、明仁上皇が皇太子時代からどれほど心を砕いてきたかは、漏れ聞くところがあり、大変な努力であったと思います。

 これに対して、徳仁天皇の場合は、昭和35年、すでに日本が、東京タワーもそびえる高度成長真っ盛りの中で生まれていますから、最初から「象徴皇族」として、つまり人間として生まれ育てられています。

 これは、市中から皇室に入った美智子上皇后の教育が決定的に影響していると考えていいでしょう。

 以前このコラムにも記しましたが、軽井沢にあった刑法の團藤重光教授の別荘に、浩宮時代の徳仁天皇が遊びに来、厨房に入って英国で習った方法でステーキを焼いて振る舞ったというようなこともありました。

 世が世であれば、皇嗣ともあろうものが、男子厨房に入って、しかも四足の生臭ものの肉に手を触れる、なぞということは・・・。

 あり得なかったはずですが、浩宮は快活で冗談を好み、手料理を振る舞って社交する明朗な人となりを持っています。

 これは、父である明仁皇太子(当時)の考えもあったと思いますが、美智子妃のイニシアティブで進められたことで、端的に言えば皇室のグローバル化への人材育成の意図がありました。

 つまり、立憲君主制への「知の技法」のトレーニングだったわけです。どういうことでしょうか?


グローバライゼーションの体現化

 欧州には、狩猟民族としての伝統文化があります。貴族が狩に出て獲物を仕留めると、最初にそれに手をつけたり、それを食したりする権利を「族長」が持つ伝統があります。

 こまかな流儀やしきたりは、国により、地方により様々ですが、賓客を遇するとき、部族のトップが自ら料理する、特に獲物の肉を焼いて供するということには、様々な浅からぬ意味があるようです。

 これは、徳仁天皇が浩宮時代に、来訪して饗応を受けた團藤先生のお話なので、どれくらい資料的に正確であるかはよく分かりません。

 ただ、浩宮自身、またその当時、東宮参与として明仁天皇一家の様々なアドバイザーを務めていた團藤教授のもとに浩宮を送った当時の美智子妃は、明確に意識し、準備していたのは間違いありません。

 今後、国の象徴として内外で公務に就くにあたって、相手が王族の場合もあれば、選挙で選ばれた大統領が国家元首としてやって来る場合もあるでしょう。

 そういうとき、日本国内向けだけに通用する「アラヒトガミ」の教育では、世界に伍してバランスの取れた友好関係を構築するマナーや人となりは養うことができません。

 これは私の想像に過ぎませんが、当時の明仁皇太子は、自分自身が受けた戦時下、幼児期の教育に、いろいろな疑問や限界を痛感していたのではないでしょうか?

 皇室のグローバル化は、こんな具合で、少年皇子の日常生活から、世界に通用するジェントルマンとして次世代人材を育成するところから始まっている。

 これは、そのアドバイザーを40年近く務めてこられた團藤先生から幾度もうかがったところで、まず間違いはありません。

 内向きで、保護主義的な「日本の天皇」ではなく、国際社会でジェントルな外交に資する「グローバルな象徴皇族」へ、というシフトは、誰もが知る通りお妃選びにも如実に現れています。

 雅子皇后は、体調その他様々なことが言われる面もありますが、内外でトップクラスの教育を受け、キャリア官僚として外務省に勤務していたエキスパートにほかなりません。

 世の中には、盤石の定評をもった美智子上皇后と、即位したての雅子皇后を比較するような論法も目にしますが、そういう「わたる世間は鬼ばかり」的ゴシップで皇室を眺めるべきではありません。下衆の勘ぐりと言わざるを得ません。

 何よりも、雅子皇后というお嫁さんを認め、迎え入れた明仁皇太子家の柱は美智子妃だったわけです。

 そのお眼鏡にかなうとともに、自分自身が一般から皇室に入って大変な苦労をした美智子上皇后は、世の中の姑的なことともっとも対極的な考え方で、お嫁さんである雅子皇后をかばい、サポートしてきた中心と言って間違いないでしょう。

 さて、徳仁天皇皇后夫妻は「若く」見えます。なぜでしょうか。実は、そこには明らかな背景を指摘できます。


高齢化日本の人口分布から見る「皇室像」

 総務省統計局、令和元年5月20日付の人口推計(https://www.stat.go.jp/data/jinsui/pdf/201905.pdf)を見てみましょう。

 人口は概算値で約1億2620万人、前年同月に比べて27万人の減とあります。平成30年12月時点での総人口は確定値で約1億2643万人、こちらの方は世代別の人口分布が出ていて、端数を端折ると

15歳未満が・・・約1500万人
15〜64歳が・・・約7500万人
65歳以上が・・・約3500万人

 となっているようです。ここで、より詳細の統計から数字を引くと

60〜64歳人口が約755万人

 とのことなので、60歳以上の日本人の人口は4250万人程度。これだけの人口が、実は新天皇よりも年上にあたることになる。

 ざっくり言えば、日本人の3人に1人は、徳仁天皇より年長ということですから、まず絶対年齢として全人口の中で大して高齢ということになっていない。

 また、15〜19歳人口が587万人、15〜30歳の人口は1850万人とのことですから、ざっくり言って、

21世紀に生まれた日本人が約2000万人
平成以降に生まれた日本人が約3350万人

 となります。これを逆に言うなら、現在の日本人は20世紀生まれの人口が1億1000万人以上、昭和生まれが9000万人以上ということになります。

 30代の人口が約1440万人程度とのことですので、これと平成以降生まれ、つまり30代以下を加えても、日本の40歳以下の人口は5000万人に届きません。

 今、40歳の人は30年前に10歳で、「昭和」が「平成」に代替わりし、小渕恵三さんが「へいせい」というお習字を手で持っている画像に記憶があると思っていいでしょう。

 ということは、大まかに言って40歳以上の人は、現在の「上皇夫妻」が「皇太子夫妻」だった時代を知っている。

 つまり平成に元号が変わってからそれが終わるまで、一つの時代の始まりから終わりまでのすべてを見ている、ということになります。

 そういう「平成の全貌」を知る40歳より年長の人口が7500万人以上あることになる。

 これは簡単のため全人口を1億2500万と考えて、ちょうど6割、実際にはそれ以上の人口の割合が、「先代」明仁天皇の30年が始まってから終わるまでを、明確な意識で見ていることになる。

 そこから「美智子皇后と雅子皇后の比較」といった、橋田寿賀子のドラマのような視点が生まれてくる可能性があるように思います。

 国民の過半が高齢化する21世紀の日本と、そこで相対的に「若年化」していく皇室、という一種の逆転状況は、うまくコントロールしていくべきいくつかの問題があると思われ、團藤先生は可能な多くの状況を仮定して、対策を考えておられました。

 今回は紙幅が尽きましたが、引き続き、少子高齢化する日本と21世紀の皇室の抱えるポテンシャル・リスクを検討してみたいと思います。

(つづく)

筆者:伊東 乾

JBpress

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