異色の直接金融「ドーガン」のカネ、ヒト、情け

6月14日(木)11時30分 Forbes JAPAN

福岡・九州経済圏を「情」で支える、地域特化型の投資ファンド会社ドーガン。直接金融をいち早く地域に導入し、育ててきたエコシステムが花開こうとしている。

ITバブルの真っ只中、2000年夏。その後ドーガン社長となる当時31歳の森大介は、夜中12時に福岡の繁華街、中洲のクラブに呼び出された。
 
相手は地元の大物弁護士だ。当時、シティバンク、エヌ・エイの福岡オフィスを立ち上げた森は、連日会食で中洲界隈に繰り出していた。

「外資系金融のバンカーがいなかったから地元の財界人に可愛がられて。だんだん仲良くなって最大500億円ぐらい預かっていましたね」(森)
 
しかしその夜弁護士に言われた、強烈な一言が森のその後の人生を一変させた。

「森ちゃん、君の500億、すごいことだと思うけど、その金、どこ行ってんの?世の中のためになってんの?」
 
考えてみれば、森が福岡の客から預かった金は、ニューヨークの本社に吸い上げられているか、デリバティブなら会ったこともないヘッジファンドのマネジャーのところに辿りつく。

「何だ、俺がやってるのはって思ったんですよ。故郷から金を吸い上げているだけで、何の役にも立ってないって」。酔いは一気に冷めていた。

福岡に本社を構えるドーガンは04年の設立から現在までに総額約356億円(組成中を含む)の計13本のファンドを立ち上げた、異色の地域特化型、独立系投資ファンド会社だ。九州弁の「どがんですか(=お元気ですか)」からとった社名には、「地方で自立した直接金融を広げる」という森の思いが込められている。
 
出資者は地銀などの金融機関だけではない。近年目立つのが地元の新聞社、学習塾やタクシー会社、不動産会社などの事業会社。これだけ幅広い会社が名を連ねるのは全国でも珍しい。経営ノウハウを持つドーガンが接着剤となって、地元の事業会社や金融機関の金が、資金不足の中小企業やベンチャーを支える地産地消の仕組みになっているのだ。
 
地方の多くは「支店経済」で、本社機能がない。地方の金は預貯金を通じて国債に回り、年金も大企業や海外に投資されて地元に戻ってこない。

「金は社会に必要な血液。必要なところに回さないといけない。地方に蔓延する停滞感を払拭させたい」と森は力説する。

ドーガンの前身、「コア・コンピタンス九州」は森ら4人が雑居ビルの一室で始めた。最初の案件は九州の老舗企業、浦島海苔。負債総額約133億円と初めてにしては巨額の案件だ。仕事は地銀など債権者391人の協力を取り付けて、再生への道のりをつけることだった。
 
債権者は当然、殺気立っている。破綻した浦島海苔が深々と頭を下げても罵声が飛び交って収拾がつかなくなるのは目に見えていた。
 
代わりに出ていった森は頭を下げ、「必ず再生できます」と訴えた。事業が継続できなければ、地元の経済に与える影響は計り知れない。債権者も黙って再生計画に耳を傾けた。最終的に製造販売部門を分社化して製塩会社最大手の会社に承継させることができた。  

当時、中小企業相手のM&Aや企業再生のアドバイザリーを九州で手がけている会社はほぼ皆無。この案件で地銀にも便利な存在として知られるようになり、次の仕事の依頼が舞い込むようになる。

まともに眠れなかった2年間

企業再生を柱に順調に業績を伸ばしていたドーガンだが、08年のリーマンショックでターニングポイントを迎えた。
 
日本全国、順調だった会社が急に資金繰りに困るようになり、再生の相談が急増した時期だ。森は「全て引き受けてあげればいいんじゃないか」とさえ思った。これまで関わった企業の多くは業績が安定している。自分たちには会社を見る目があると過信していた。

ほどなくして現金がショートした投資先から逼迫した相談が来るようになる。「お金を出してください」と土下座する社長もいた。残高を見ると2週間後の月末はもう乗り越えられない。従業員の給料をカットし、支払いと返済を止めるか。会社を清算してしまうか。ファンドから金を出すこともできるが、投資家への責任もある。常に究極の選択に迫られた。
 
社内では明るく振る舞っていた森だが、2年近く眠れない日々を過ごした。東京のファンドなら投資先を売って、自分たちは次の案件を探すこともできるかもしれない。

「僕たちは逃げられないんです。『あいつら、結局逃げた』って言われる。経営支援のスタッフを送ってやり続けないといけなかった。地域でやるということは、働いている人もその家庭も知っている。いい加減にはできませんでした」。
 
レストランや八百屋、どんな中小企業も経営は難しい。どんなに学歴や職歴があっても歯が立たないことがある。「身の丈にあった、自分たちができることをやらないといけない」と気づくことができた。
 
リーマンショックの後処理が終わった頃、森に部下の林龍平から相談があった。「再生だけでなく、新しいことを外に向かってしたらどうか」。暗い空気を振り切るように、ベンチャー投資を本格的に始めた。

「ドーガンがあったことも福岡で会社を設立した理由の一つです」と話すのは、AIや機械学習のプラットフォーム構築などを手がけるグルーヴノーツの最首英裕社長。
 
東京でシステム開発の会社を上場させた経験もある最首は、福岡の環境に惚れ込んで移住して来た。ドーガンの出資先の企業経営者が集まる気さくな勉強会がある。最首によれば、同じ九州、という雰囲気があり、東京で聞けない本音が聞けるという。

ドーガンは17年1月にベンチャー投資を専門的に行う子会社、ドーガン・ベータを設立。林が社長に就いた。最首は「これもドーガンらしいですよね。個人の欲よりもみんなが良くなることを目指している」と指摘する。
 
林は06年にドーガンが初めて設立した投資ファンドでベンチャー企業を担当して以来、10年以上にわたって福岡のベンチャーコミュニティで人脈と情報網を築いてきた。このベンチャー投資がドーガンの苦しい時代を支え、後の事業拡大に貢献した。

例えば、訪問特化型の調剤薬局チェーンを経営するヒューガファーマシー。全国を先駆けた独自のモデルで、同社は関東に支店を広げるまで成長した。出資を検討していた14年、林は白衣を着て、薬剤師と一緒に薬の処方を待つ患者の自宅訪問に同行する。社長の黒木哲史は「うちのビジネスモデルは、実際に見てもらうのが一番わかる。とにかく丁寧に話を聞いてくれた」と林を評価する。

昨年7.4億円の調達に成功したIoT・AIソリューションのスカイディスクでは、2013年の会社設立前からビジネスモデルを作り込み、人材も紹介。地元ならではの経営者に寄り添う支援を続ける。
 
林の理想は、福岡で働きたい人が迷わず福岡で就職できる環境にすること。「東京や海外で働いていても、『福岡に戻りたい』という同級生は多い。ベンチャー企業をそういった人たちの受け皿として育てたい」と話す。
 
こういった森や林、ドーガンの「地域のために」という思いを応援するように、事業会社や個人の出資者が増えている。昨年設立した再生医療ベンチャー、サイフューズを支援する専門ファンドには個人投資家を主に1口500万円、1週間で1億3000万円が集まった。九州の人間関係は近い。森には誰が何に興味があるのかわかる。
 
目指すのは、東京の巨大ファンドによる数十億単位の案件でも、クラウドファンディングのような小口の個人を巻き込む投資でもない。一定の規模の投資家と起業家を結びつける「顔の見える直接金融」だ。

「投資家の顔が見えるから会社側も緊張感が増して、裏切れない。投資家も会社が抱えるリスクがわかる」
 
従業員約30名に成長した今、森はようやく、創業前にやりたかったことができるようになってきたと思う。

利益と地域を両立できるのか

「最初は儲け方が少ないんじゃないか、と思ったけど、今は森君の方が正しかったのかもしらんな、と思ってるんですよ」
 
その優れた洞察力と投資実績で九州の企業経営者に畏怖される元政策投資銀行九州支店長の石井歓はそう述懐する。
 
ドーガンへの出資案件を部下から相談されたのは05年。前年に設立されたばかりの会社だが、評判は聞いていた。しかし、出資を決めるまで半年間、石井は逡巡した。

「完全に資本主義でないというか、地域の志向と利益の志向、どちらに重きを置いているのか、それが疑問で。私からすると利益志向が少ない気がしたんです」。
 
石井は今、ドーガンの相談役を務める。

「投資に利益以外の指標をつけるのは間違っているという見方が一般的だったのが様変わりしましたね。社会的な正しさが真剣に問われている。
 
彼らに先見の明があったのかは知らないけど、少なくとも先をいって、うまくいったのは事実ですね。多分、彼らは好きでやってただけだと思いますが」
 
石井は自らの誤りを認めるのを喜んでいるようだった。

森 大介◎ドーガン社長。1967年生まれ。熊本市出身。中央大学法学部卒。91年に日本長期信用金庫に入行。シティバンク、エヌ・エイ福岡出張所所長を経て、独立して同社を設立。

林 龍平◎ドーガン・ベータ社長。1976年生まれ。福岡県太宰府市出身。九州大学法学部卒。住友銀行、シティバンク、エヌ・エイを経て2005年にドーガン入社。17年から現職。

Forbes JAPAN

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