"野党が永遠にダメな状況"を変えられるか

6月14日(木)9時15分 プレジデント社

馬淵澄夫・元民進党選挙対策委員長

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昨年10月の総選挙で落選した元民進党選挙対策委員長の馬淵澄夫氏が政治団体「一丸の会」を設立した。先の総選挙の落選者のうち、惜敗率60%以上の44人は次の総選挙で議席を奪い返す可能性があるという。新政治団体設立の狙いをノンフィクション作家の塩田潮氏が聞いた——。(前編、全2回)

■惜敗率60%以上の44人は野党躍進の当選候補者


【塩田潮】旧民進党系の前職など、昨年10月の総選挙の落選者を結集した新しい政治団体「一丸の会」を4月2日に設立して代表に就任しました。結成の狙いは。




馬淵澄夫・元民進党選挙対策委員長

【馬淵澄夫・元民進党選挙対策委員長】昨年の総選挙で落選して議席を失いましたが、11月以降、ばらばらの野党をもう一度、まとめるという思いで、希望の党と民進党の合流の手伝いをしてきました。ですが、統一会派の話も今年1月の通常国会の召集前に頓挫してしまった。そのとき、現職の議員のみなさんが一つになるのは難しいと実感した。必死に戦って当選し、それぞれの党派に分かれてしまった人たちは、一国一城の主で、メンツもある。国会対策でもぶつかり合う。恩讐を越えて、という状況になるのは簡単ではないと痛感しました。


しかし、われわれ浪々の身は、そんなことを言っていたら、次の選挙で勝てないと分かっている。浪人は危機感があるけど、現職議員にはない。あっても、乗り越えていくエネルギーがない。それを実感したとき、野党の浪人のわれわれに何ができるかと考えた。


昨年の総選挙では、55議席を取った立憲民主党は前職の15人が全員当選した。無所属で出た前職も19人が当選しています。落選者の圧倒的多数は希望の党で、民進党から転籍させられた人も含めて185人いた。この人たちの次の当落を占う一つのラインは惜敗率です。


70%以上が27人、60%以上が44人いる。私は民進党で選対委員長をやって、過去のデータの分析もやってきた。各候補の個別の事情はありますが、データだけでいえば、惜敗率70%の候補者は次の総選挙で小選挙区での当選確率は5割、惜敗率60%の候補者は比例復活する可能性が6割ある。つまり、次の総選挙で立憲民主党、国民民主党、野党の無所属が数を増やすにはこれら落選者が当選していくことしかないんです。転区を強いられた候補者もいたし、一概に惜敗率だけでは言えませんが、ざくっと捉えれば、惜敗率60%以上の44人は、次の総選挙で野党が伸びるための礎となる大きな塊です。


ところが、いろいろと調べてみると、希望の党で昨年の総選挙を戦い、落選した私たちは、法的には現在、無所属であることが判明しました。希望の党の執行部側は「党員です」と言いましたが、実際は「みなし党員」であり、「公認」という事実も法的に党籍を証明するものではないことが分かりました。また、既存の民進党も立憲民主党にしても、落選者のケアが十分かといえばそうではなかった。みんな、どうしていいか分からない。情報も入ってこないという状況が続きました。


これはいかんと思った。このままでは、心が折れて辞める人まで出てきてしまう、せっかくの「伸びしろ」がボロボロになってしまう、と感じました。つまり、「どの党」ということではなく、「野党が永遠にダメな状況」に陥るのを防がなければ、というのが私の最大の眼目でした。


そこで、まず勉強会を始めました。月に3回でも4回でも、集まれる人は集まって、情報交換しながら励まし合う。やがて「馬淵さん、旗を振ってくれ」という声が出てきました。政党要件は国会議員5人以上だから、政党にはなれない。政治団体で、広くみんなが結集できるエンジンになろうというので、「一丸の会」という名前にして、3月28日に総務省に届け出を済ませたんです。全部で42名です。4月19日に設立総会を開いた。私が代表に選任をされ、大阪の長安豊さん(元衆議院議員)が会計責任者、群馬の宮崎岳志さん(前衆議院議員)が事務局長に選ばれました。



■20年かけてつくった党を崩壊させた


【塩田】緩やかな選挙互助会ですか。政治団体とはいえ、基本方針や路線、ビジョンは。


【馬淵】政党ではなく、政治団体です。規定・規約には、理念は記していますが、基本政策や綱領などは定めない。それをやると、模擬政党になってしまう。誤解されないように、私は最初から国民民主党の共同代表の玉木雄一郎さん、大塚耕平さん、立憲民主党の枝野幸男代表にも結成の話をしてきました。「党を分断、分派する気はない」「むしろ一つにまとめてほしい。そのときに、こぼれないように浪人の仲間を束ねる」と申し上げた。外形上は緩やかな親睦団体という位置付けですが、理念の部分は、当然ながら「共生社会」を目指す。民主党、民進党でわれわれが言い続けてきたことで、そこは大きくは変わりません。


【塩田】枝野、大塚、玉木の3氏はどう反応したのですか。


【馬淵】3人とも前向きに捉えてくれました。国民民主党結党の話が出る前だったから、玉木さんや大塚さんからは、いろいろな支援の形を模索してくださるというお話もいただきました。こちらの趣旨は理解していただけたと思っています。


【塩田】昨年の総選挙の際、民進党から希望の党への転籍を決めた当時の前原誠司民進党代表の選択・決断をどう見ていますか。


【馬淵】この結果がすべてでしょう。これ以上の失敗はない。20年かけてつくってきた党を崩壊させてしまいました。


あのとき、前原さんが民進党の事実上の解党を提唱し、みんなで希望の党合流を決めました。誤った情報が広がっているので確認しておきますが、民進党の両院議員総会には全員が参加し、事実上の解党と、そして希望の党からの出馬について、全会一致で決定したのです。横路孝弘さん(元衆議院議長)や赤松広隆さん(現衆議院副議長)など異論を唱えた方もいましが、最後は全会一致でした。


だから、合流を選択したのではない。私も、ものすごい違和感はあったけど、政権交代可能な状況をつくるという、この離れ業に、ただただ自分の理解を超えている、と思いました。そして、このような判断を、受け止めよう、と。


出席者全員で決めたのです。自分もその場にいて、了とした以上、それを全うしようと思いました。政権交代が可能かもしれないという上気した議員の顔を見て、自分の判断をはるかに超える、ある種、天才的な政治行動の結果なんだと受け止めました。


正直、私には想像もつかなかった。私は政治家になる前、企業ビジネスでM&A(企業の合併と買収)をやっていましたが、企業結合、組織結合は緻密な積み上げでやるんですよ。だから、あの合併劇はマジック、イリュージョンのように見えて、違和感は大きかった。企業人として、組織結合がいかに大変か、身をもって知っている立場からいうと、政党って、そんな一瞬にしてこんなことができるのかと思った。18年、政治家をやってきて、想像もしなかったけど、最初はこれが本当の政治の世界か、自分はまだまだ半人前の素人だなと思った。この決断は、すごいことなんだな、と自分で腹に落とそうと努力しました。


ところが、翌日には小池百合子さん(東京都知事)の排除発言が出て、ご覧いただいたような流れが始まるわけです。



■希望の党に対する逆風も止まなかった


【塩田】前原さんと小池さんは「保守2大政党論者」で、日本の政治は保守2大政党による政権交代可能な政党政治で、という考えのようです。


【馬淵】日本は、中央集権的な国家像の自民党と、地方分権や地域活性化などを求める勢力、つまり「組織」対「個」、「中央」対「地方」、「生産者」対「消費者」という二つの潮流が長く存在する枠組みが続いた。保守とは「変わらないこと」、すなわち「無窮の連続性」を意味しますから、これら二つの政治勢力は、いずれも保守なのです。この二つの政治勢力が併存し続けるという考え方が保守そのものです。


ですが、実は世界はそうではない。中央集権型の国家体制の下で、片方が片方を征服し、隷属させ、完全に殲滅していった。前の政権をすべて殲滅して歴史を書き換える。


でも、日本はそうではない。大和朝廷を祖とする中央集権国家体制は、高天原の神である天照大神を祖とする天神の世界です。一方、日本の原型である葦原の中つ国には八百万の神々がいました。これらの神々が地祇と呼ばれる神であり、地祇はやがて豪族になり、武家社会を築き上げていきます。これが出雲の大国主命を祖とする地祇の世界です。天神と地祇の二つの神々を祖とする政治勢力が併存し続けてきました。そこで起きたのは、国盗りでなく、国譲りです。日本の政権交代は国譲りで、争いなしで国を譲る。武家社会となっても、徳川時代の終わりに、また大政奉還で譲る。二つの政体を殲滅することもなく、どちらも途絶えずに現存する社会。これが日本なのです。


この潮流でいえば、自民党は中央集権体制を強化する。旧民主党の結党の理念は地域の活性化です。私の感覚でいうと、「2大保守」というよりも、もともと保守とは二つの政治潮流を認め合う思想です。だから、自分は民主党側の立場の人間として、この政治潮流の中でもう一度、地域の活性化、地方分権に立った政策を出していかなければならない。それが新党の核になっていかなければ、と思っています。


【塩田】昨秋、旧民進党が希望の党への合流を決めたとき、枝野さんは。


【馬淵】排除リストなるものがマスコミに出回ったとき、枝野さんの周辺が、「もう一度、両院議員総会を招集して『否決しよう』と言っていた」と聞いています。ですが、衆議院が解散となり、みんな地元に帰っていて、東京に戻ってくるわけがない。だから、結局、「排除される」とされた側の人たちが背中を押して立憲民主党の結党に持っていったというのが実態だったと思います。


【塩田】昨年10月の総選挙で与党が大勝しました。野党敗北の要因は。


【馬淵】単純に割れたからですよ。全国の比例区の総得票で、自民党の1860万票に対して、希望の党と立憲民主党は合わせて2100万票も集めている。ばらばらにしたのは自分たちですから、責任がある。もう一度、一つにまとめるという責任を果たさなければならない。


【塩田】ご自身が落選した原因をどう受け止めていますか。


【馬淵】ああいう流れの中で、私は希望の党の公認をそのまま受けました。有権者の中には、希望の党、立憲民主党、無所属の三つの選択肢があって、その中から希望の党を選んで移ったと捉えた方も多くいて、「なぜ希望の党に移ったのか」とよく言われました。しかし、本当はそうではない。「希望の党に行くというのが党全体の合意だったのです、みんなで決めたことなんです」という説明をどこに行ってもまず初めにしなければならない選挙だったから、きつかった。


もう一つ、昨年の総選挙は定数削減による区割り変更で奈良県の小選挙区が4選挙区が3選挙区となりました。かつての奈良1区に旧2区の生駒市が新たに編入されました。生駒市を除く旧奈良1区では私は勝っていますが、新しく入ってきた生駒市が手付かずで、ここで負けました。全体で2476票差でしたが、生駒市では3462票の差だった。旧奈良2区は2012年の総選挙の後、旧民主党は候補者もいなくて、自民党の高市早苗さん(元総務相)が圧倒的強さを誇ってきた。旧民主党は県議も市議もいなくなっていた。生駒市が1区に入って、旧民主党の看板も含めインフラはほぼゼロに等しかった。隣の選挙区だったので、生駒の方々とは直接ほとんどお会いしていない。10万人の有権者の生駒市で三千数百差というのは、よく取れたほうだと思いますが、勝てなかった。


希望の党に対する逆風も止まなかった。私は変わらない自分のメッセージを出し続けましたが、それが浸透し切らなかったのは、有権者の目に希望の党は要らないと映ったことも一つの原因ではあると思います。それぐらい嫌がられていた。ただし、最終的には、それを跳ね返すだけの地力を持てていなかった自分の責任に帰結すると思っています。


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馬淵澄夫(まぶち・すみお)

前衆議院議員・一丸の会代表

1960(昭和35)年8月、奈良市生まれ(57歳)。東京都立上野高校、横浜国立大学工学部土木工学科を卒業。三井建設に入社した後、2部上場のコンピューター関連企業ゼネラル株式会社で取締役、北米法人最高経営責任者などを務める。2000年の総選挙に民主党公認で奈良1区から出馬したが、落選する。03年の総選挙で再挑戦し、43歳で初当選(以後、小選挙区で5期連続当選)。民主党政権時代、鳩山由紀夫、菅直人の両内閣で国土交通副大臣、菅内閣で国交相兼内閣府特命担当相、首相補佐官を歴任した。11年と12年の民主党代表選に出馬したが、いずれも敗退した。民主党の幹事長代理の後、野党転落後に選挙対策委員長となり、15年12月から民進党筆頭特命副幹事長の座にあった。17年10月の総選挙で落選。

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(作家・評論家 塩田 潮)

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