起業都市トロントは「コミュニティ力」で生き残りをかける!

6月15日(金)10時0分 Forbes JAPAN

伝統的に製造業で発展してきたカナダ・オンタリオ州とその州都トロント。今、その地がAIを基点に激変しつつあると聞き、カナダに飛んだ。

「カナダに帰ってきたのは2003年、シリコンバレーのドットコムバブルがクラッシュした直後でした」
 
そう語るロイ・ペレイラは、トロントに拠点を置くAI秘書サービスZoom.aiの創業者。スタートアップは6つ目、自身では3つ目の起業というベテランの連続起業家だ。白いものが混じった髭の似合う味のある語り口で、立ち会ったクラッシュ当時の話をしてくれた。

「駐車場はドライブができるほど空き、賃料は安くなり、ファンタスティックだったよ」。
 
ペレイラはカナダでいくつかのスタートアップを経験した後、1999〜2003年、ドットコムバブル全盛期にベイエリアのシスコシステムズでセキュリティ製品のプロダクトマネジャーとして働いていた。

「バブルの時は、みんなあそこにいた」とペレイラが言うように、およそ60万人のカナダ人がシリコンバレーエリアで働いていたという。

「バブルがはじけて、トロントに帰って来た時は、ちょうど街の姿が変わっている時期だった。人材の豊富さに驚きました。シリコンバレーでは多くの有能な人材を見てきましたが、カナダ人にはほとんど会わなかったし、会ったとしても同じようなアクセントで英語を話してアメリカ人とほとんど変わらないので気づかなかった」
 
その頃から多くのカナダ人がシリコンバレーや他の土地から豊富な経験を持ち帰り、テクノロジーハブをつくっていったという。

時を同じくして05年、かつて放射線治療やインスリンが発明された歴史あるトロント・ジェネラル・ホスピタルを改築し、近代的な高層ビルと接続されたイノベーション・センターで、今やトロントのランドマークとなっている「MaRS Discovery District(以下、MaRS)」が創設された。

「当時、トロントは研究科学の分野では強みを持っていましたが、うまく商業化できていなかった。数十億ドルもの研究費が科学技術につぎ込まれていたが、それを商業化につなげるため、重要なパートナーをどう集めればよいのか。起業家、投資家、法人パートナー、学術機関、政府が本当に重要なコミュニティをつくるのをサポートするのはどうすればよいのか。そういったことを考える企業家、大学教授、慈善事業家らの有識者たちが集まったのが00年のことです」
 
そう語るのはMaRSベンチャー・サービス担当社長のサリム・テジャだ。

「彼らはシンガポールのバイオポリスやボストンを見て回り、多くの時間を費やしてMaRSのコンセプトを思いつきました」。

自らの資金を含め、各方面からの資金調達でまず病院の跡地の購入が決定。その後、オンタリオ州政府、トロント大学、カナダ連邦政府からの投資と民間資金を得て2005年に設立された。
 
設立当時は7万平方メートル、14年にはさらに7万平方メートルが増設されて、現在は世界最大級の敷地面積。約100社のスタートアップに加え、VCや金融機関、そしてエアビーアンドビー、フェイスブック、オートデスクなどの海外企業、またオンタリオ州政府、カナダ連邦政府、グーグルなどが約180億円を投資して昨年3月に設立され、「ディープラーニングの祖父」と呼ばれるトロント大学のジェフリー・ヒントン教授が主任科学顧問を務めるベクター研究所など、研究機関も入居する。

「MaRSベンチャー・サービス」は無料で受けられる起業家支援プログラムで、前出の起業家、Zoom.aiのロイ・ペレイラも利用している。MaRSがサポートしているベンチャーの資金調達額は設立当初から累計35億カナダドル(約3000億円)、1年の調達額は過去5年で約2倍強の8億6700万カナダドル(約740億円)に達している。

「我々のユニークな点は、よくある大学や企業、政府からスピンアウトした機関ではなく、独立した中立の機関ということです」。しかし、今に至るまでの道筋は決して平たんではなかった。
 
まずは、大規模なセンターを建設するためのインフラ資金が課題だった。非営利で資本が少なく、大きな賃借対照表がなかったが、オンタリオ州政府がインフラ整備を可能にするローンを提供してくれた。州政府との緊密なパートナーシップがなければ実現できなかったという。また、フォーカスしたいサイエンスとテクノロジーの分野の特定ができるかどうか。

世界中で行われていることをやっても仕方がない。本当に地域の強み、トロントの強みに焦点を当てたセクター(医療、エネルギー、金融、HR)を選ぶことが必要だった。さらに、起業家の変化のニーズへの対応。MaRSの初期の段階では多くのスタート段階の企業がいたが、成長とスケールが十分ではなかった。シリーズB(約500万〜5000万円の収益を持つ企業)対象のスケール・プログラムを新たに構築した。
 
また、もう一つユニークな点は、起業家向けのプログラムしかない他の多くのイノベーション・センターと異なり、既存法人と多く仕事をしている点だ。

「大企業の中には、どこを買収すべきか、買収の方法や企業との連携方法が分からない、という人たちもいます。また、医療やエネルギー、金融のような業界の一部は規制産業です。政策が追い付かない限りイノベーションが起こらない分野もあります。MaRSでは既存法人との協業に特化したグループもあります」(テジャ)。

「飲食加工業、鉄鋼業、自動車製造業……。いくつもの工場を飛び回っています。色々な製造プロセスを見ることができるのは、仕事の中でもとても面白いことの一つです」。そう話すのは、ビッグデータとAIで製造業の作業プロセス支援サービスを提供するスタートアップ、Canvassの共同創業者、コートニー・デイナーだ。米国の通信テクノロジー企業で10年以上のキャリアを持つ、IoT分野でのエキスパートだ。米国でのビジネス経験豊富なデイナーら3人の創業者が敢えてトロントを選んだ理由は3つ。

AI技術のグローバル・ハブとして世界をリードしていること、スタートアップに必要なリソースが豊かに集積されていること、外国人起業家にも公平で手厚いベンチャー支援策があること、である。
 
Canvassのターゲット顧客は大手製造業だ。製造プロセスに関わるあらゆるデータを活用してシミュレーションを実施し、製造効率の向上あるいは製品の品質向上には製造過程のどの条件をどのようにコントロールすればよいか、最適条件を予測する。
 
オンタリオ州は製造業の集積地だ。19世紀から続く鉱業をはじめ飲食加工業や自動車製造業などが集まる。しかし、08年の不況以後、業績は思うように回復せず、05〜15年の間で業績は18%減、雇用においては28%減、食品大手ハインツがコストを理由に撤退するなど、苦境が報じられている。

「起業のリソースが集積しているからと思って選んだトロントに、実は顧客企業が集積していました」。古い製造工程を残している工場も少なからずあり、改善の可能性は大きいとデイナーは言う。ヨーロッパ、北米の顧客のほか、カナダでは鉄鋼業、自動車工場などの顧客をすでに獲得。実際、わずかな条件変更で製造工程が大きく改善され、一度に600万カナダドル(約5億円)もコストを削減した事例があったという。
 
創業3年にも満たないCanvassのようなスタートアップが、重厚長大な製造大手から製造工程の(機密)データの解析を請け負っているという事実は、日本の状況を見慣れた目にはいささか信じがたいものがある。
 
実は、この協業を可能にしているのは前出のMaRSベンチャー・サービスやオンタリオ州のイノベーション推進策である。「政府やMaRSの担当者と密につながっていて、『今、こういう企業と話した。今度会うべき』というように、顧客につながるネットワークを提供してくれます」(デイナー)。
 
積極的なベンチャー育成策の一方で、これら新規ビジネスの顧客となる既存企業群向けにイノベーション推進事業を展開しているのだ。

「キーワードはBe Patient(忍耐強くあれ)です」と話すのは、オンタリオ州政府投資オフィスでデジタルテクノロジーとライフサイエンスを担当するバス・ダグラフィだ。「これからの時代、新しいテクノロジーが次々と出てきて、一体どの技術がどの技術と組み合わさり、価値を生み出すのかは分かりません。コミュニティが培ってきた技術を絶やさないこと。新しい技術と古い技術の両方に根気よく投資を続けること。これが政府の投資事業で最も重要な点だと思います」。
 
トロントで出会ったスタートアップたちは、どこも重厚長大な企業や業界とうまく連携している。医療分野のスタートアップ、Swift Medicalは医療従事者向けの創傷ケアサービスだ。「どんなに優れた技術でも医療機器は忙しい現場のワークフローにうまく組み入れられなければ使ってもらえない」とCEOのカルロ・ペレズが言うように、まだ創業3年目ながら複数の医療機関と提携してサービスを提供している。
 
元GEエンジニアのデレク・リム・スーは、AI援用技術でピーク時の電力消費を最適化、節電するソフトウェアPeak Powerを立ち上げた。カナダの資産家、デイヴィット・トムソンが投資しており、導入先の支援もしてくれる。もともとスタートアップのメンターとしてMaRSへ通っていたが、アクセラレーション・プログラムに関わるうちアイデアが次々と湧いてきて、ついに脱サラしたというユニークな経歴だ。
 
そして、どの起業家もトロントの魅力について口を揃えて言うのが、手厚いベンチャー支援策とともに、世界をリードするAI研究と豊かな人材だ。

「今日、科学技術のイノベーションは、国内だけではなく、グローバルな闘いです。今、イギリスはAIに、イスラエルはサイバーセキュリティに、日本はロボティクスに巨額な投資をしています。熾烈な競争を戦いぬかなくてはなりません」。そのため、人材については、日に日に要望が高まっている、とMaRSのサリム・テジャは言う。

「私たちが人材について考える際、独自の戦略で考える才能プールがあります。1つ目は、大学、大学院、博士課程から出てくる才能、2つ目は企業で働いているが、起業家になることやスタートアップに関わることに興味がある人たち、3つ目は既にスタートアップエコシステムの中にいて、次の段階にいこうとしている人たち、4つ目は帰国を選択肢に入れている海外在住のカナダ人、5つ目は、アメリカに行きたいと思っていたかもしれない国際的な才能です。

それぞれのプールで戦略を開発し、企業とマッチングさせることで、企業に求められる本当のリーダーシップを発揮し、さらなるスケールが可能だと考えています」。
 
テジャらは連邦政府と連携して、特定のビジネススキルを持つ外国人にたった2週間でビザを発行できる「グローバルスキルビザ」という施策を立ち上げた。このプログラムにはカナダ内の企業が申請できる。政府やMaRS内にコンシェルジュがおり、企業が求める人材を相談できる。配偶者のビザも出るというから、魅力的だ。また、これは外的要因だが、米国がトランプ政権になり、移民に厳しい政策を取り始めてから、トロント大学への外国人志願者数が80%も増えたというから驚きだ。

「トロントに戻ってきたら、案外住みやすかった」。

ちょっとニヒルに話すのは、冒頭に紹介した03年にシリコンバレーから戻ってきた連続起業家、ロイ・ペレイラだ。「そうするうちにまた起業しようという意欲が湧いた」とも。トロント市内の起業家や女性起業家のメンターとしても積極的に活動している。
 
真の地域の強みにフォーカスし、海外からの帰国者、移住者を優しく迎え入れ、地域全体で支える。競争優位のシリコンバレーとは異なる、イノベーション競争時代の興味深いサバイバル・コミュニティを見ることができた。

西村由美子◎在米ジャーナリスト、コンサルタント。89年渡米後、スタンフォード大学で医療制度問題の比較研究に携わる。

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