東京五輪を是が非でも開催しなければならない理由

6月15日(火)6時0分 JBpress

 世論が政治を動かした事例は事欠かない。

 第2次安倍晋三政権の後半に異常なブレーキをかけたのは、週刊誌情報に扇動された世論とそれに引きずられた野党であった。

 逆に政治が世論を焚きつけたこともある。

 フランクリン・ルーズベルトによって仕組まれた真珠湾攻撃で米国民が立ち上がったのが好例である。

 どちらも冷静な中で国民多数の意志を積み上げた「輿論」ではなく、マスコミや政治家の巧みな宣伝などで一部の見解を極大化した「世論」であった点が共通している。

 2020オリンピック・パラリンピック(以下オリ・パラ、五輪などと表現)開催でも国民の多数が反対しているというが、どこまでも電話などによる無記名の〝世論″調査であって、輿論の反映ではない。

 筆者の自宅にも、時折調査にご協力くださいという電話がかかってくる。いくらでも無責任回答ができるし、どちらともいえない解答をしても、記名ではないので調査する側にとって都合いいように集計されうる。

 この期に及んでも開催か否かで、反対派が声を張り上げるスタイルの政治ショ—になっているように見える。

 五輪に政治をもちこんではならないのが鉄則だ。

 コロナの終息まではいかないが、感染増大をいかに防いで五輪を開催するかが延期されて以降の各種試行であった。

 こうして見出したのが、人数制限などであり、いまも議論になっているパブリック・ビュー(PV)の中止などではないか。

 五輪開催阻止を強調するために、敗戦した大東亜戦争を引っ張り出してきた人もいる。

 また、「賛成」を表明した人をあの手この手でやり込めようとするモグラ叩きの様相さえ見られる。


いまさら目的云々はないだろう

 極めつけは「何のためにオリンピックやパラリンピックをやるのか分からない」などと大上段から批判する人である。

 東京開催を招致する時点では、未曽有の大災害で、世界に津波の恐怖を与えた「東日本大震災からの復興の証」という明確な目的を掲げてきたし、そのために、聖火リレーも福島県からスタートした。

 しかし、開催を7か月後に控えた2020年年初(正確には2019年年末)に新型コロナの感染が明らかになり、数か月後には世界に蔓延し始めたことから止むを得ず1年延期が決まった。

 その時点で、開催目的に「コロナを克服した証」が加わった。

 大震災の復興についてはかなりの目途がついたが、新型コロナについては「克服」に至っているなどとは言えない。

 では中止しかないか。国内事情だけで簡単に決められる問題ではない。

 競技開始まで40日余りと迫ってきた今に至るも、コロナはウイルス株を変異させながらしぶとく感染し続けている。

 終息が見えにくいという考えもあるが、いつまでももたもたしていたのでは競技に参加する国やその国の選手選考などに悪影響を与えかねない。

 すでに、一部の国や地域では、特定の競技の予選会を中止し、選手の派遣を見合わせるなどもささやかれている。

 しかし、地域差などはあるが、この1年余の懸命の努力で大流行した国々の感染状況は落ち着きを見せ、並行する形で有効なワクチンの開発・増産にも注力されるようになり、普及の速度も早まっている。

 開催国の日本でも首相のリーダーシップが発揮されて、抑え込みに明るさが見えてきた。米国は日本への渡航で厳しい条件を付けていたが、1段階緩和した。

 日本は、余分のワクチンを台湾に譲渡し、ベトナムについても考慮するなど、開催国という観点もあるが、基本的には従来からの人道支援を行う余裕も出始めている。

 期を同じにして開かれたG7サミットで各首脳も開催を支援するとした。

 そうした中で、開催国がいつまでも賛否両論を戦わせている場合ではない。

 普段であれば侃々諤々の論戦は歓迎されるであろうが、競技開始の日時が指呼の間に迫っており、参加国や選手には準備が必要である。

 確かに変異したコロナ株の猛威に押されてオリンピックどころでない国も多いように見受けられ、五輪自体がボケてしまってきた観はある。そこに発言力がある人が「(開催)否」と発言すれば、混乱をもたらしかねない。


尾身氏がいうべき言葉か?

 現在、新型コロナウイルス感染症対策分科会長を務める尾身茂氏の発言がオリ・パラ開催への赤信号のように受け取られ、少なからぬ問題を醸している。氏は安倍晋三内閣時代から同様の会議などに参画してきた。

 安倍氏はオリンピックの目的を明確にしてきたし、尾身氏もそれを了解して政府につながる委員会などで活躍してきたのではないのだろうか。

 開催が1年延期されて以降は「コロナに打ち勝った証」が開催目的に加わったことを知らないはずはないであろう。そういう立場にいた人が、開催目的が不明確などと言うのはいかがなものだろうか。

 ワクチン接種においては、首相のリーダーシップによるワクチン担当大臣任命や、「1日100万人接種を目指す」「7月末までの高齢者への接種完了」などの大号令で日本医師会ばかりでなく歯科医や潜在看護師などの協力に繋がり、また地方自治体や職場接種なども加速度的に増大している。

 しかし、日本医師会(傘下には東京医師会をはじめ道府県の医師会がある)の会員が運営する民間病院はコロナ感染者受け入れなどにおいては積極的ではなかった。

 マスコミは(公的病院の)医療崩壊を報道するだけで、医療資源が世界トップクラスとされる日本においてなぜ医療崩壊が起きるかといった根本に迫ることはなかった。

 既に退任表明していた森田健作千葉県知事が2021年1月、「民間病院の協力を得る合意ができた」と顔をほころばせて会見したのが強い印象として残っている。民間病院などの協力がなかなか得られていなかったという実態があったからだ。

 尾身氏は政府に意見を提案する専門家会議の副座長や分科会の会長などの要職にあってコロナ対処で先頭に立つべき立場にありながら、自分が理事長を務める医療施設での受け入れに消極的であると週刊誌が報じていた。

 そしてオリンピックを約50日後に控えて、「今の状況で(オリンピックを)やるのは、普通はない」と、他人事のようによくも言えたものだと思う。

「何のために開催するのか明確なストーリーとリスクの最小化をパッケージで話さないと、一般の人は協力しようと思わない」とも発言した。

「何のために開催するのか」は政治の問題としても、「リスクの最小化」を政府に提示するのが尾身氏たちの任務ではないのだろうか。

 分科会では言うべき言葉が制限されていたのだろうか。それとも、俺の力は政府をも動かすことができるという姿勢を見せたいのだろうか。

 専門家は基本的に日本の安全も、経済再興も、況してや世界とオリンピック関係など考慮する必要はない。

 しかし、政府が何のために戦っているか、当然理解はしているだろうし、その方向でアドバイスし、その実現に向けてリスクを減らす努力に協力する責務がある。


政局にする場合ではない

 五輪の雰囲気が盛り上がらない大きな要因がコロナであることは確かであろうが、そのほかの要因も指摘されている。

 本来であれば開催地の都知事が声を大にして、世界に向けて前向きな発言をすべきところであるが、そうした声が聞かれない。

 6月9日の党首討論では野党党首から「首相のみが責められているが、本来は開催都市の首長ではないか」といった質問さえ飛び出した。首相も控えめながら「そうだと思う」と答弁したとおりである。

 そうした姿勢から、都知事が前向きでなく、どんでん返しのタイミングを計っているのではないかといったうわさも出てくる始末である。

 当人の政局観がどうであれ、都知事の発言の有無が各国の参加意思を左右し、主役となるべき選手の選考やモチベーションに大いに関係することを肝に銘じてもらいたい。

 もう一つは、コロナに苦しむ各国の状況と対比する形で、IOCに厳しい目が向けられていることである。五輪招致に莫大な金がかかる実態やIOC役員らの貴族体質などの暴露である。

 開催国が決まった後も施設の建設などに莫大な出費を強いられたが、IOC委員たちは我関せずの体で、最高級のホテルを利用してきたなどとの批判が出ている。

 これまでに戦争が原因で夏冬の五輪併せて5回の中止があったが、延期は今回が初めてである。今回は開催規模や経費問題も大幅な見直しを迫られた。

 同時に奉仕者であるはずのIOC(委員)の問題点が炙り出されたのは是とすべきではないだろうか。


タイミングを見計らった啐啄同時

 国民へのワクチン接種率も、加速度的に高まっている。数度の緊急事態宣言等発令で、慣れと疲れは倦怠感にもつながっている。

 十分な強制力が伴わないどこまでも日本的なやり方ではあるが、ワクチン接種の高まりなどで感染者や重症者の低減という成果につながりつつある。

 こうした状況から、選手選考も進みつつあり、他方で決定選手たちの努力も報じられている。

 開催準備に相当の資源を投入したからとか選手たちが努力してきたから開催すべきであるという主張は「コンコルド効果」*1の一種で必ずしも妥当ではない。

 オリンピック(最近では特にパラリンピック)選手の活躍がテレビなどで報じられ、ハンディキャップを克服する姿や健常者に負けないぞという意識が国民に大きな感動を与えているのは事実である。

 オリンピック開始までに40日となり、パラリンピックも70日後に迫っている。こうした時点の今は、国民が一丸となって日本人選手の活躍を期待する声こそが必要ではないだろうか。

 規模は縮小しているし、外国人の観客は受け入れないなど最善の対策も取られるが、参加する世界各国の選手たちも必死の奮闘で、勇気と感動をもたらすに違いない。

 日本にとっては半世紀に一度あるかないかの世界的イベントであり、成功させて今後のオリンピックやパラリンピックのあり方が検証され、再考される機会ともなれば有意義なことではないだろうか。

 また、国家が意図的な人権侵害などを行っているならば世界の批判を受けボイコットなどがあり得るが、日本の場合は不可抗力的なコロナの蔓延である。

 首相は英国でのG7首脳会議で世界が協力して対処する姿勢が大切であると訴え、開催決意を示した。

 鳥のひなが誕生するときに、内側のひなが殻を突くと同時に外から親鳥が殻を破ってやるタイミングは「啐啄(そったく)同時」と呼ばれる。

 今がその時で、もはや、主催国で「やる」「やらない」の議論を続けている段階ではない。

「やる」決断をしなければ、送り出そうとする国の選手選考なども進まず、参加国が少なくなりかねない。

 日本は早急に「開催意思」を世界に明確にし、世界の国々が同時に「それ!」と動き出すようにしなければならない。

*1=超音速旅客機コンコルドの研究・開発には多額の資金が投入されたため、途中で何度も続行か中止かの決断を迫られながらも、何とか就役に漕ぎ着けた。しかし、高価な機体の上に、燃費や少数の乗客などから収益性が見込めずわずか20機の生産に留まり、墜落事故もあって短命に終わった。中止決定に至る心理状況を言う。


おわりに

 オリンピック開催という世界のイベントを前に、「反対」の声には総選挙を控えて政治の駆け引きが絡んでいる。

 総選挙も近いので菅首相の政権運営にダメージを与えたいとする政局を意図しているのであろうが、それこそ東京が、そして日本がオリンピックを誘致した精神に反する。

 コロナの影響で観客は制限され、中でも外国の観客はいないかもしれないが、報道技術の進歩でカバーできるのではないだろうか。報道にかかわる技術の見せどころである。

 1964年のオリンピックで市川崑監督が撮った記録映画で、マラソン優勝者のアベベ・ビキラ選手の顔から流れ落ちる汗が忘れられない。

 優れた映像写真であったように、今日ではさらに大きな感動を与える多様な技法を繰り出した報道合戦も見られるのではないだろうか。

 世界の人々は、映像で、自分がその場にいるような臨場感を楽しむことができるかもしれない。

 また、IOCはソウル五輪時から選手たちに多数のコンドームを配布してきたと言われる。今回は三密や濃厚接触が抑制される中でそのようなことが行われれば、祭典の後に来るものはオリンピック罪悪論や無用論ではないだろうか。

 既に配布のために準備されているかもしれないコンドームは人口爆発に困っているアフリカ諸国に配布する精神こそが求められることではないだろうか。

 IOCが世界に配るべきは素晴らしい記録フィルムであろう。特に開発途上国などへはフィルムの無料配布をやるべきであろう。

 今回のコロナ禍を機に、歪んだ体質と批判されるIOCの改善が図られるならば、オリンピックについての有意義な一つの画期ともなり得よう。

筆者:森 清勇

JBpress

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