国産ジェット"ホンダと重工"決定的な違い

6月15日(金)9時15分 プレジデント社

MRJ(左)とホンダジェット(右)

写真を拡大

ビジネスジェット機「ホンダジェット」(最大7人乗り)が、昨年の超小型ジェット機分野で米セスナを抜き、世界首位に立った。一方、同じ国産旅客機である三菱重工の「MRJ」(70席〜90席)は、開発が難航し、5度の納入延期を重ねている。2社の違いはどこにあるのか。法政大学大学院の真壁昭夫教授は「ホンダは個人中心、三菱重工は組織中心で開発を進めてきた」と指摘する——。


MRJ(左)とホンダジェット(右)

■新製品の創造は「組織的な力」だけでは不十分


2017年、本田技研工業の小型ジェット機「ホンダジェット」は、世界の超小型機(パイロットを含めた乗員が10人未満のビジネスジェット機)市場で世界首位に立った。2019年前半には丸紅と組んで、国内向けの出荷が開始される予定だ。ホンダは、小型ジェット機という新プロダクトを国内に導入し、より便利な移動への需要を取り込もうとしている。


ホンダジェット開発の背景には、新しい技術や最先端の理論を駆使して、従来にはないプロダクトを生み出そうとするアニマルスピリットがある。特に、自社が取り組んでこなかった新しい製品などを生み出そうとする場合、そのプロジェクトを実行する企業のコミットメントが欠かせない。パーツの生産など関連する分野での組織的な力があれば、新しい最終製品の創造が実現可能とは限らないのである。


ホンダのモノづくりは、夢を追求する情熱に支えられてきた。チャレンジする心理を引き出していくことが、同社の飛躍には欠かせない。わが国の多くの企業にも、同じことが言えるはずだ。




ホンダジェットのエクステリア(画像提供=ホンダ)

■夢を追求し成長を遂げてきたホンダ


ホンダは、常に技術力を磨き、二輪車や自動車など、より便利なプロダクトの開発に注力してきた企業だ。新しい製品を生み出して、便利な暮らしを支えたいという“夢”を追い求め、それを実現する個人のエネルギーが同社の原動力といえる。


同社の歴史を見ると、それがよくわかる。1946年、ホンダの創業者である故本田宗一郎氏は、旧陸軍の発電機を自転車に搭載し原付バイクの原型を開発した。同氏を突き動かしたのは、便利な乗り物を作りたいという情熱だった。その後、ホンダは原動機の開発と生産に進出し、二輪車の開発力を蓄積していった。


1954年に同社は、国際的なバイクレースへの参入を表明した。そこには、世界最高峰と謳われたレースに参加できるだけの技術を開発し、より良い製品の開発につなげようとするスピリットがあったはずだ。



■「ホンダの車に乗りたい」という人が増えた理由


その後、社会に自動車が普及するにつれ、ホンダは四輪車事業にも参入した。1964年には同社のF1マシンがレースにデビューし、最高峰のレースで技術を磨き、それを一般社会向けの製品に応用するという土台が整備されていった。


1980年代には、往年の名レーサーだった故アイルトン・セナがマクラーレン・ホンダのF1マシンを駆り、世界各地のサーキットを席巻するシーンに心躍らせた方も多いだろう。そうした取り組みが、「ホンダの車に乗りたい」という人々の欲望をかき立て、同社の業績拡大につながった。


1986年からホンダは小型航空機の研究に取り組み始めた。原動機、および二輪車から四輪車への流れを考えると、さらなる技術確立のために空(飛行機)を目指したのは、ある意味、必然だった。大空を自由に飛びたいという思いは、人類共通の夢でもある。それを追い求めて、ホンダジェットの開発が進められた。


ホンダは自動車で培った空力性能や燃費に関する技術、軽量化のノウハウを応用することで、小型ジェット機の機能向上に努めた。2017年、それが評価され、世界の超小型機市場でホンダジェットはトップの納入機数を記録した。


■「三菱重工が遅れている」とは言い切れない


ホンダジェットと比較されることが多いのが、三菱重工業が開発に取り組む「三菱リージョナルジェット(MRJ)」だ。MRJの納入は、5度の納入延期を重ねてきた。そのため、ホンダジェットに比べてMRJは開発が思うように進んでいない、遅れているとの報道が多い。ただ、この指摘が正しいとは言えない。




三菱重工の「MRJ」(画像提供=三菱重工)

ホンダジェットの開発も順風満帆だったわけではない。1986年にホンダが航空機の開発に取り組み始めて以来、販売にこぎつけるまで30年近い時間を要した。2003年に三菱重工は、MRJの開発プロジェクトに着手した。


両社の開発ヒストリーを見る限り、納入が遅れているというのは適切ではない。MRJに関しては、実用化に耐えうるジェット機を作るために必要な時間がかかっていると受け止めるべきだろう。


三菱重工とホンダの違いは、新しい製品である航空機の開発を、組織的に進めたか、個人中心に進めたかだ。三菱重工は、組織的な開発を重視した。その背景には、ボーイングのパーツの設計・製造を手掛けてきた組織の力を生かせば、国産ジェット機を作ることは可能との考えがあった。



■ホンダジェットの開発は個人中心だった


対して、ホンダジェットの開発は個人中心に進められた。1986年にホンダは社員5人を米国に派遣して飛行機に関する設計や技術を学ばせた。その中の一人がホンダエアクラフトカンパニーの社長である藤野道格氏だった。


藤野氏は、手作業での飛行機づくりからはじめ、ロッキード(当時)のエンジニアから航空機開発に関する技術、そのためのマネジメントも学んだ。飛行機を作りたいという思い(アニマルスピリット)に突き動かされた藤野氏が、専門家から必要なノウハウを吸収し、それを基に航空機の開発が進められた。


新しい商品などを開発する際、それを構成する要素や技術が社内にあるとは限らない。最終製品を作る場合には、パーツとパーツのすり合わせなど、繊細なバランス感覚も重要だ。そうした要素がない場合、社外の専門家から吸収したほうが効率的なこともある。MRJも自前主義へのこだわりを見直し、外部から専門家を招き開発を加速しようとしている。




ホンダジェットのインテリア(画像提供=ホンダ)

■ソウルや北京にノンストップで移動できる


6月6日、ホンダジェットの国内受注が開始された。ホンダは観光目的などで日本を訪れる海外富裕層や、国内ビジネスでの移動にホンダジェットへの需要があると考えている。国内にホンダジェットが発着できる空港は84ある。東京からソウルや北京へもノンストップで移動できる。サービスの内容によっては、発展の可能性が見込まれる分野だ。


それに加え、国内企業が生み出した飛行機が、わが国の空を飛び回るインパクトも大きい。ホンダジェットが飛び回れば、「ホンダはすごい」と、憧憬(しょうけい)を抱く人が増えるだろう。それは、企業の発展に欠かせない要素だ。



■S660やN−BOXに続くヒット商品が見当たらない


ホンダは個人のやる気や情熱を基に、ヒット商品を生み出してきた。ヒット商品とは、多くの人が憧れ、どうしても使いたい、手に入れたいと思う最終製品をいう。軽自動車スポーツカー「S660」はその一つだ。このスポーツカーは社内のコンペを勝ち抜いた入社3年目、弱冠22歳の若手エンジニアのコンセプトを実現したものだ。問題は、S660やN−BOXに続くヒット商品が見当たらないことだ。




ホンダの軽スポーツカー「S660」(画像提供=ホンダ)

ヒット商品を生み出すためには、研究開発に携わる個人が、自分が学んだ理論や、習熟してきた技術を思う存分発揮して、夢をかなえようとしている環境があったほうが良い。それがなければ、新しい製品を生み出し、より便利な社会を支えようとする動機は高まりづらい。


夢を追いかけ、実現しようとすることの大切さを、ホンダは航空機ビジネスの育成を通して社会に伝え、やる気ある人材の確保につなげようとしている。現在、国内の多くの企業が生き残りをかけてコストカットを重視している。中には、将来的な可能性があるものの、当面の採算性が立たないとの理由でリストラの対象になっているプロジェクトもあるだろう。


ホンダジェットのケースを振り返ると、最先端のテクノロジーや理論を用いて、新しい商品を生み出そうとする個人の取り組みを支えることの大切さがわかる。夢の実現をサポートし、それを通してヒット商品、新事業の育成につなげることは企業全体の活力を高めるためにも意義あることだ。その点で、ホンダの航空機事業がどのように飛躍していくかに注目したい。


----------


真壁 昭夫(まかべ・あきお)

法政大学大学院 教授

1953年神奈川県生まれ。一橋大学商学部卒業後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。ロンドン大学経営学部大学院卒業後、メリル・リンチ社ニューヨーク本社出向。みずほ総研主席研究員、信州大学経済学部教授などを経て、2017年4月から現職。

----------



(法政大学大学院 教授 真壁 昭夫)

プレジデント社

「MRJ」をもっと詳しく

このトピックスにコメントする

「MRJ」のニュース

トピックス

BIGLOBE
トップへ