「安楽死」は日本人に希望をもたらしてくれるのか

6月17日(月)6時0分 JBpress

新刊『安楽死を遂げた日本人』の著者、ジャーナリストの宮下洋一氏(撮影:NOJYO<高木俊幸写真事務所>)

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 スイスの自殺幇助団体「ライフサークル」での安楽死に立ち会ったジャーナリストの宮下洋一氏は、前作『安楽死を遂げるまで』の中で、「この国(日本)で安楽死は必要ない。そう思わずにはいられなかった」と記した。それから1年——。ついに1人の日本人が安楽死を遂げた。多系統萎縮症(MSA)という難病に罹患した小島ミナさんだ。

 宮下氏の前作を読み、安楽死を望んで著者にメールを送ることから始まった、彼女の安楽死への旅。彼女に寄り添うように取材してきた宮下氏は、その経過を綴った新著『安楽死を遂げた日本人』を上梓した。著者の協力の下、同じく小島さんを追ったNHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」も大きな反響を呼んだ。国内での安楽死への関心が高まるが、その旅に立ち会った著者は、どう考えるのだろうか。(取材・構成:坂元希美)


安楽死にふさわしい人とは

——宮下さんは日本人が安楽死を選択することに否定的な考えをお持ちでした。実際に立ち会うことになり、その考えは変わったでしょうか。

宮下洋一氏(以下、宮下) 前作『安楽死を遂げるまで』では、安楽死を求めてスイスにやってくる外国人を取材しました。どういう価値観や死生観をもった人たちなのか、そして実際にどういう最期を遂げるのかをこの目で確かめたかったんです。彼らの考え方や背景を探るうちに、安楽死は欧米人だからこそ選択できる最期なのだろうと思いました。その後に日本での取材を加えて、日本人にはふさわしくないと感じたんです。このことについてはさまざまな意見が寄せられました。日本から長年離れているからだろうとか、最近の日本社会の変化を知らないといった批判もありましたよ。

 たしかに僕は日本を出てアメリカやヨーロッパで26年を過ごしていますが、外にいればこそ、日本らしさがわかるところもあります。相対化して考えた上で、「日本人にはふさわしくないだろう」という答えを出したんです。じゃあ、日本人に焦点を絞って見つめ直したらどうなるのか、というのが今作です。

 実際に安楽死を遂げた小島さんを追ってわかったのは、国籍はあまり関係ないのかもしれないということでした。個人の死生観と人間性、性格によるのではないか。ならば、日本人でも安楽死が認められてもおかしくない、と考えるに至りました。ただ、国内で法制化することについては、今も変わらず前向きな考えは持てません。

——小島さんは揺るぎない、確固たる死生観を持っていました。それは、欧米的な価値観だったのでしょうか。

宮下 彼女自身も僕にそう言ったことがありますが、どちらかというと欧米的な考え方だと思いましたね。小島さんのような個を貫く強い主張を持つ人は日本にもいることはいると思いますが、それが安楽死に直接結びつくことはなかなかありません。

——小島さんは、MSAに罹患した当時49歳で、独身でした。愛犬と人生の後半を歩むのだと定めていたのでしょう。パートナーや子どもがいたら、選択は違ったものになったでしょうか。

宮下 違っただろうと言っていましたね。安楽死を選ぶ人には国籍問わずに共通点があります。前作で紹介した「4W(白人、裕福、心配性、高学歴)」と、「自我が強い」ということ。人生を自分でコントロールしてきた人たちで、周りに助けられることを好まない。そのタイプが不幸にも病気によって、多くのことが1人でできなくなっていくのに、人に助けられることは嫌だと感じてしまう。自分の人生をコントロールできなくなってしまうために選ぶ最期なのかなと思います。周りに助けてもらってもいいと思う人は、安楽死を選んでいないんですよ。

——助けてもらってもいいという性格の持ち主が、助けてくれる人を持っていない場合もありますね。

宮下 たとえ安楽死が法律で認められ、制度化されていたとしても、そういう人が選択肢に入れるべきではないでしょうね。助けや支えがないということ自体が問題で、病気や医療のことではない。社会の問題です。安易に優生思想や社会保障など経済的な問題に結び付いてしまう可能性もあります。


安楽死は「幇助による自殺」

——4つの条件を満たし、自我が強くて揺るぎない死生観を持った人であれば、スイスで安楽死ができるということになるのでしょうか。

宮下 小島さんは死期が迫っていたわけではありませんが、苦痛や不自由を抱えながら調べたり、手続きをするのはかなり困難でした。特に言語の壁は高かったと思います。しかし、日本では他人がサポートすることは自殺幇助罪にあたる可能性があるため、どうしても本人がやらなければなりません。スイス国内であれば問題はないのですが、いまの日本では外国で安楽死をすることについても、法的に先例がないのです。

——しかし、実際に安楽死を遂げた人が出て、例ができてしまった。

宮下 これまでに著名人が安楽死を望んだり肯定する発言をしたり、幇助による自殺を遂げたことが話題になりましたが、それを前提として法制化の議論が始まるのは危険です。そもそも、安楽死というネーミングが安楽すぎる。スイスで行われているのは、幇助による自殺です。この本のタイトルも『幇助自殺を遂げた日本人』であれば、ぎくっとする人が多いでしょう。しかも、医師による幇助です。

 日本で安楽死を認めてもいいのでは、という医師は少なくないと聞きます。現場に立ち、苦しむ人たちを逝かせてあげてもいいじゃないかと思う人がいるのは当然でしょうが、判断し、処置をすることになるのも医師です。その行為がどんな影響を及ぼすのかは、まだ公にはわかっていません。ものすごいストレスを味わい、2度と患者の前に立てなくなってしまうかもしれない。実際、オランダやベルギーでは、病んでしまう医師が出たことは聞いています。


なぜ死を早めたい人が出てくるのか

——ピンピンコロリという言葉があるように、ぎりぎりまで元気で、死ぬ時は苦しまずにポックリ逝きたいと考える日本人が多いですが、そういった文化というか風潮も関係するのでしょうか。

宮下 余命宣告をされたり、身体の自由が効かない状態になっても、安楽死を選択する以外にいろんなことができると思うんですよ。とくに緩和ケアについては、もっと知られるべきだと思います。安楽死を認めている国は、緩和ケアに注力していないという特徴があるようなんです。でも、日本の緩和ケアは世界的に見ても、かなり進んでいると思います。要件になっている「耐えがたい苦痛」は、緩和ケアでかなり和らげることができるでしょうし、苦しみながら死を迎えたくないという場合は、鎮静(セデーション)を受けることもできます。安楽死、尊厳死、鎮静の違いが一般に知られていない状況で、一足飛びに安楽死の法制化を考えるのは、性急だと思いますね。

——現在、多くの病気を治すことができるようになり、簡単に死ねない時代になったともいえます。作品には宮下さんが「愛に飢えた人」と表現した、安楽死を望む2人のガン患者も登場します。

宮下 小島さんのように死生観が明確で、誰が何と言おうと安楽死を選ぶ人がいるいっぽうで、背景を探ってみると家族とうまくいっていない、孤独な環境にあるといったようなことが本質的な理由で、さみしさから安楽死を望んでしまうケースがあるのではないかと感じました。周りに助けてもらってもいい、という性格なのに、助けを求めてはいけないと考えてしまっている。さみしく生きてきたから、さみしく死ぬしかないと。でも、残された時間が少ないからこそ、生きてきた道を振り返ったり、思い切ってコミュニケーションを取ってみることで、安楽死とは違う人生の終い方を見付けられることもあるんです。

 僕は、日本に安楽死を望む人が出てきた背景には、出産の高齢化と少子化の影響が大きいと考えています。出産する年齢が遅くなればなるほど、子どもが手を離れた頃にはすぐ親の介護がやってくる。つまり、子どもが働き盛りの時に介護問題に直面してしまうのです。高齢者や重病の患者は、介護してくれる人たちに迷惑がかかるから安楽死をしたほうがいいと考えてしまうし、介護する方も経済的、体力的な苦痛が増してくると、相手のことをじゅうぶんに考える余裕はなくなってくるでしょう。しかし、それは社会の問題です。そのしわ寄せを安楽死に背負わせて、ブームになってしまっているのではないでしょうか。日本で安楽死を議論するなら、社会の問題をもっと考える必要があると思います。

——生きづらさ、という言葉をよく目にするようになりましたが、少子化が根底にあるとは思いもしませんでした。エマニュエル・トッド(フランスの歴史人口学者・家族人類学者)の分類によると、日本は「直系家族」の家族システムで、父系的な権威主義が強く、非婚化・少子化を招きやすい形だそうです。同じ家族システムに安楽死を認めるスイス、ベルギー、ルクセンブルグが入っているのが興味深いです。

宮下 トッドの分類は、当てはまりそうな感じがしますね。スイスでは、孤独な人は安楽死ができません。団体や医師による調査や対話が綿密で、病気以外の理由で安楽死を選択しないように、しっかりとしたストッパーになっています。また、本人に確固たる意思があればできると思われがちですが、反対する家族がいれば、まず認められません。欧米の例を見ていると、家族やパートナーもまた、意思がはっきりしていて、個人個人が尊重しあい、全員が合意できているんです。僕は、安楽死の後に家族など残された人たちがどう生きていくのかが、もっとも重要だと思いました。もし、家族の同意や理解が行き渡っていなければ、残された人の中から、家族を安楽死させたことを痛みとして背負う人が出てきてしまいます。

 たとえば地域コミュニティに根差したかかりつけ医がいて、患者と医師、家族たちも長年知っていて、信頼関係が築けていたら、お互いに求めること、施すことを理解できるでしょうし、周りの全員が納得しやすいでしょうね。自分が知っている、自分を知っている医師に終末期を委ねることができるわけですから。スイスやオランダではこういうつながりがしっかりとあり、だからこそ安楽死が成り立っているとも言えるんです。

 小島さんの場合は、安楽死という選択肢を得ることで生きる力を取り戻しました。それを見てきた姉妹の了解と合意があり、お互いに意思を認めて尊重しあえたからこそ実現できました。彼女の死後、残された姉妹がどう感じて生きていくのか・・・そこが重要になってくるだろうと思います。


安楽死が、残された家族や関わった医師に傷を残す可能性も

——今後も安楽死のテーマは追っていかれるのでしょうか?

宮下 いったん休憩しようと思っていますが、ライフワークとして継続してやっていくことになるだろうな、と。世界初の安楽死法が可決されてからまだ18年ですし、その間も状況は変わり続けています。実施しているのは現在たった7か国で世界から見ればほんの一部のことですが、今後増えていく可能性もじゅうぶんにあります。僕は、この本に出てくる人たち、当事者以外の残された人や関わった医師などの10年後を取材して、その上で安楽死を法的に認めるかどうかという議論が、ようやくできるのではないかと思っているんです。

——宮下さん自身の考えも揺らいだり、迷ったりする様子も書かれていますね。

宮下 本を書くのはゼロからスタートする旅をしているようなものです。読者と一緒に旅に出て、見たことや感じたこと、揺らぎや悩みも疑似体験してもらえたら・・・と思います。

 これだけ法制化すべきでない、と書いていても、いざ自分がガンで余命宣告されたら、日本で安楽死を遂げたい、早く法制化してくれ、と言うかもしれません。個人の性格が大きく影響するとも書きましたが、病気になって初めて自分の性格がわかるということもあるんですよね。ひどい苦痛に苛まれた時、何を言うのか、どんな性格が現れるのか・・・わかりません。そのぐらい、わからない世界なんです。だから、一般化できる問題ではないと思うんです。

 どのように人生を終えるのかは、あくまでも個人が決めることだと思います。その決定を家族関係や社会問題、制度などによって背中を押されることがないようにしてほしい。NHKスペシャルを見て関心を持った人も、ぜひこの本でテレビでは描かれなかった部分や、小島さん以外の人たちの旅も読んで、考えてもらえたらと思います。

筆者:坂元 希美

JBpress

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