英仏蘭、それぞれの命運を分けた3つのバブルの物語

6月22日(土)6時0分 JBpress

 1720年にイギリスで起こった南海泡沫事件(South Sea Bubble)は、日本でもお馴染みの「バブル経済」の元祖のような出来事で、「世界三大バブル」の1つとして数えられることもあります。イギリスの南海会社の株価が急激に上昇し、あっという間に下落してしまった事件です。経済の実態を反映しない株価の上昇は、まさに「泡(バブル)の如し」だったのですが、その泡を経済の実態だと考えて投資した人たちは、泡の消滅とともに大損を被りました。

 一般には、この事件はイギリス経済に大きなマイナス面を残したとされますが、これと同時期にフランスで起こった「ミシシッピバブル」と比べてみると、そう断言することも難しいようです。というのも、イギリスは南海泡沫事件の善後策として優れた経済システムの構築に成功するのです。逆に、ミシシッピバブルの痛手から回復できなかったフランスは、1789年にフランス革命を招き寄せ、この革命でさらに経済に甚大なダメージを与えてしまったのです。

 ここでは、この2つのバブルの物語を通じ、英仏の経済の違いを見ていきたいと思います。実はそれには、オランダという国が大きく関係していたのです。


最初のヘゲモニー国家「オランダ」

 オランダは、世界史上最初のヘゲモニー国家とされています。ここでいう「ヘゲモニー」とは、他国よりも圧倒的に経済力がある国という意味であり、特に政治的な意味はありません。

 オランダは、1568年から1648年にかけ、スペインからの独立をかけて戦いました。オランダは、1648年に国際的に独立を承認される以前からすでに国家として機能していましたが、その国家としての特徴は、非中央集権性、あるいは分裂性にありました。

 オランダは、7つの州に分かれていました。そのなかでもっとも強力だったのは、「オランダ」の語源となったホラント州です。ですが、他の諸州が連合すれば、ホラント州を抑えることは十分にできるくらいの強さしかなかったのです。連邦共和制の国家でしたが(当時のオランダはまだ王政ではありませんでした)、各州の独立性が強く、中央政府も圧倒的なパワーは持っていなかったのです。

 このような国の体制が、オランダの経済成長にとってはプラスに働きました。オランダが経済成長していた16世紀後半から17世紀前半にかけて、他国の優秀な商人がオランダ、アムステルダムにやってきて活躍したのです。それは、国家が経済にあまり干渉しなかったため、経済活動が自由にできたからでした。オランダはいくつかの商社を併合させ、オランダ東インド会社を設立し、アジアとの香辛料貿易で莫大な利益を上げていきます。当時のオランダは、世界でも指折りの経済大国でした。

 またオランダでは、各州が公債を発行していました(国が国債を発行することはありませんでした)。公債は、下層階級の人々も買い求めるほど人気があったので、売れ行きは非常に良好でした。そのためオランダの州政府は、公債の利子率を低めに抑えることができたのです。

 公債の利子率は、1600年頃には6.25%でしたが、17世紀末には3%にまで低下しています。ジェノヴァを除く他のどのヨーロッパ諸国よりも、オランダの公債の利子率は低くなりました。

 オランダの経済水準がヨーロッパで一番高くなったことで、オランダ人はヨーロッパでもっとも豊かな人々になっていたわけですが、国内の州公債は相変わらずの低金利。となれば、自国に投資するよりも外国に投資する方が大きな利益を得られる、ということになります。しかもオランダ諸州政府の力は弱かった。こうなると、オランダ人が他国に投資するのを妨げることはできません。

 ヨーロッパでもっとも金融技術が発達した国でもあったオランダは、ヨーロッパ経済の中心地となっていましたから、重要な商業情報がどんどん蓄積されていました。そのためオランダ人は、どこに投資すれば最も儲けることが出来るかを知っていたのです。そしてオランダ資金がどこに流れるかは、ヨーロッパ経済の趨勢を左右するほど重要なポイントになっていました。


南海泡沫事件

 そこで、いよいよイギリスの話です。

 他の国々と同様、イギリスでも戦争のために国家の出費が増加していきました。それをどうやって返済するかということが、イギリス政府にとって大きな悩みのタネになっていったのです。

 1711年、イギリスで南海会社が創設されました。その主な目的は、スペイン継承戦争のために急激に膨らんだイギリス政府の債務を返済することでした。南海会社は、スペイン帝国との貿易を独占することから得られる利益、そして政府の国債を購入する代わりに、年間570万ポンド近くにもなっていた政府年金を手に入れることからえられる利益を期待して設立されたのです。

 設立後、南海会社の株価は、急速に上昇しました。9年後の1720年にイギリスの公債を南海会社が引き受けることになると、ますます株価は上昇しました。1720年1月には100ポンド少々だった南海会社の株価は半年後には9〜10倍ほどに急上昇していました。株価を押し上げたのは、「どこに投資すれば一番儲かるか」を熟知していたオランダ人による投資でした。

 さらに彼らはロンドンのシティの金融業者とともに、南海会社の株を高値で売り抜け、その利益を、今度は1694年に創設されていたイングランド銀行に投資したのです。オランダ人は、イングランド銀行の株主の中で最大の外国人投資家でした。彼らはこの投資で、より多額の利益を得ることを期待したのでしょう。


バブル経験済みだったオランダ人

 ところで、なぜオランダ人は、安値で買った南海会社の株を高値で売り抜けることが出来たのでしょう? 冒頭で「世界三大バブル」に触れましたが、その三つとは南海泡沫事件、ミシシッピバブルバブル、そして残る一つはオランダの「チューリップバブル」なのです。異常なチューリップ人気でチューリップの球根が投機の対象となり、猛烈なバブルの生成と破裂が起こりました。このような経験を、オランダ人はすでに1636〜1637年の時点でしていたのです。金融の知識が豊富なオランダ人は、海千山千の投資家揃いだったのです。そのためオランダ人は、イギリスのバブルを巧みに利用して大きな利益を上げられたのではないでしょうか。

 一方、イギリス経済にとって、マイナス面ばかりが強調されがちな南海泡沫事件ですが、実は、長期的に見ればイギリスに大きな成果をもたらしています。

 イギリスは南海泡沫事件の後始末をするために、1721年、ウィッグ党のウォルポールが首相となり、議会制民主主義が始まります。そこで、中央銀行であるイングランド銀行が国債を発行し、その償還を議会が保証するという優れたファンディング・システムを整備するのです。つまり逆説的ではありますが、南海泡沫事件がなければ、イギリスの発展はなかった、とも言えるのです。

 さらに、この時点でもオランダ資金はイギリスに大量に流入していました。オランダ人はイングランド銀行に投資し、イギリスのファンディング・システム構築を資金面でサポートしていたのです。


ミシシッピバブル

 南海泡沫事件と同時期に、フランスで起こったバブル事件も見てみましょう。

 ジョン・ロー(1671-1729)は、スコットランド出身の財政家であり経済思想家でした。彼はフランスにわたり、フランス経済に自らの貨幣理論に基づく金融政策を導入します。この政策は、増大するフランスの財政赤字を解消することを目的として王立銀行が銀行券を発行し、これを特権貿易会社であるミシシッピ会社が引き受けて政府に貸付をし、政府はその資金を元手に財政支出やそれまでの債務の償還を行う、というものでした。

 ミシシッピ会社は、大量の国債を引き受けることになりました。ローは、そればかりか、不換紙幣=紙幣を発行します。これを受けてミシシッピ会社の株価は急騰するのですが、すぐに急落。このシステム自体が崩壊してしまったのです。

 不換紙幣というシステム自体は優れた仕組みでしたが、時代を先取りしすぎたのかもしれません。この時点では時期尚早だったようです。

 不換紙幣は、フランスに過度なインフレをもたらしました。兌換紙幣は金や銀の保有量に応じてしか発行できないのですが、不換紙幣は無限に発行できます。もちろん現在のように経済活動が活発になれば、兌換紙幣ではとても経済の実態に通貨供給量が追い付きませんが、近世においては通貨供給量を適切に管理するためにも、兌換紙幣が妥当だったわけです。


イギリスをヘゲモニー国家にしたオランダ人

 さてイギリスの南海泡沫事件と、フランスのミシシッピバブル。非常に似た出来事なのですが、イギリスは間もなくこのショックから立ち直ったのに対し、フランスにはそれができませんでした。フランスはその後も長期間にわたって不況から抜け出すことができず、ついにフランス革命を招き寄せる事態になってしまいます。

 英仏両国の命運が分かれた理由の一つに、イギリスではファンディング・システムにより、議会が国債の償還を保証したのに対し、絶対王政下のフランスでは、そのような保証が欠如していたことが挙げられます。少なくともイギリスに比べて、フランスは国家財政の基盤は脆弱でした。これはフランスの大きな弱点でした。

 また南海泡沫事件以降、それまでフランスにもイギリスに流れ込んでいたオランダ資金は、もっぱらイギリスに向かうようになりました。つまり、両国に起きたバブル崩壊の善後策の差異が、その後の経済発展に絶大な影響を与えたのです。

 ファンディング・システムを発展させたイギリスは大量の国債を発行し、財政基盤を整備します。外国人のなかで、その国債の最大の購入者はオランダ人でした。イギリス人をダミーとして、オランダ人がイギリス国債を購入することも珍しくなかったそうです。

 ヘゲモニー国家でありながらも、オランダの国制は地方分権的であり続けました。そのため中央政府は、オランダ国内の資金が海外に流出するのを止めさせることはできませんでした。海外に流出したオランダ資金の多くは、イギリスに向かいました。オランダ人は、オランダ国家を犠牲にし、イギリス国家の未来に投資して財を成しました。そしてそのイギリスは、やがてオランダに取って代わってヘゲモニー国家になったのですから、皮肉なものです。

筆者:玉木 俊明

JBpress

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