実績を上げて出世したとき、二流は「自由奔放に突き進む」。では一流は?

2024年6月25日(火)6時0分 ダイヤモンドオンライン

実績を上げて出世したとき、二流は「自由奔放に突き進む」。では一流は?

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「仕事が遅い部下がいてイライラする」「不本意な異動を命じられた」「かつての部下が上司になってしまった」——経営者、管理職、チームリーダー、アルバイトのバイトリーダーまで、組織を動かす立場の人間は、悩みが尽きない……。そんなときこそ頭がいい人は、「歴史」に解決策を求める。【人】【モノ】【お金】【情報】【目標】【健康】とテーマ別で、歴史上の人物の言葉をベースに、わかりやすく現代ビジネスの諸問題を解決する話題の書『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、伊達政宗、島津斉彬など、歴史上の人物26人の「成功と失敗の本質」を説く。「基本ストイックだが、酒だけはやめられなかった……」(上杉謙信)といったリアルな人間性にも迫りつつ、マネジメントに絶対活きる「歴史の教訓」を学ぶ。※本稿は『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。

Photo: Adobe Stock

若いころから天下とりを狙う

伊達政宗(1567〜1636年)は、戦国時代から江戸時代初期の大名。米沢(山形)に生まれ、青年期より周辺の大名と戦い、東北地方での勢力拡大を図る。1589年には会津の名門・蘆名氏を破り、南東北をほぼ支配下においている。しかし、その直後に天下統一を目指して小田原城を囲んでいた豊臣秀吉に臣従する。しかし豊臣政権に反する動きをしているのではないかと、秀吉に警戒されることが少なくなかった。秀吉死後の関ヶ原の戦い(1600年)では、百万石を与えることを約束した徳川家康に味方するが、功績不十分のうえに不審な動きがあったとして、その約束は守られなかった。その後も家臣をヨーロッパに派遣するなどの動きはあったものの、江戸幕府に忠誠を誓うこととなる。仙台藩の初代藩主として新田開発などを進め、東北の中心・仙台の礎を築く。

戦国時代というと、多くの大名が天下とりを狙っていた印象が強いかもしれませんが、すべての大名が狙っていたわけではありません。

とくに伊達政宗がいた東北地方は親戚関係にある大名が多く、領土拡張のために戦うにも、親戚間で調停が入ることがあったほどです。

しかし、そのような状況においても、伊達政宗は東北地方を統一し、天下とりに挑戦する意志を若いころから抱いていました。

信長や秀吉に刺激を受ける

わずか17歳で伊達家の当主を引き継いだ後、積極的な領土拡大を目指しています。

おそらく、中央で織田信長や豊臣秀吉が天下統一に向かっていたことにも、刺激を受けたのでしょう。

「いつか自分も信長や秀吉と同じように天下とりに挑戦してやる」と思っていたのではないでしょうか。

自由奔放から窮屈な環境へ

そして、21歳のときには有力大名であった蘆名氏を滅ぼし、全国的にも屈指の戦国大名となりました。政宗の名は、日本中に響きわたったのです。

ここまでは現代における自由奔放なベンチャー経営者のような伊達政宗の姿が思い浮かびます。

ところが、ここから一転、さながら現代の中間管理職のような窮屈な環境に身をおいていくのです。

上司の意に背く自由奔放な行動

蘆名氏を滅ぼした翌年、天下統一を目指して小田原城を攻めていた豊臣秀吉のもとに出向き、秀吉の家臣となりました。

その際、秀吉の許可なく勝手に領土を拡大したとして、会津などが奪われ、領土も縮小させられたのです。

その後も、豊臣政権に反発した武士たちによる葛西大崎一揆(1590年)への関与が疑われたり、秀吉の甥・秀次が反逆を疑われ、罪を負って切腹したときも、秀次と親しかった政宗が罪を問われそうになったりしました。


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