きっかけは「店に持ち込まれた弱ったハヤブサ」 ペットショップの社員が“鷹匠”になるまで

6月30日(日)17時0分 文春オンライン

退職社員のデータ盗難をきっかけに開発された「情報漏洩対策ソフト」が大ヒットした話 から続く


「会社を辞めて良かった!」という40人の体験談をまとめた『 さらば! サラリーマン 』が刊行された。その中から“ペットショップの社員”から“鷹匠”になった吉田剛之さんのケースを紹介する。


◆◆◆


収入はサラリーマン時代と同程度


 鷹匠は今も存在している。それは分かるが、鷹狩りは実際に稼働しているのか。せいぜい何かの催事の際、客集めで鷹を上空に飛ばしている程度ではないのか。


 現代の鷹匠である吉田剛之さん(株式会社鷹丸社長、45歳)を石川県小松市に訪ね、お話を聞く前には正直そう思っていた。だが、吉田さんの話によれば、鷹は実用に使われている。それも工業生産の第一線、工場で実際に働いているという。驚いた。


「工場は屋根が高く、冬も暖かい。出入りできる空間も多い。そのためドバトが巣づくりして工場内に入り込みやすい。出来上がった製品に糞を落とせば出荷できないし、金属を腐食させる。カラスも工場をねぐらにして糞害を引き起こすことがある。



鷹を放てば効果抜群! ©iStock.com


 で、こうした鳥は害鳥になるわけで、これを追い出すとなると難しい。目玉型バルーンを上げたり、有刺用具やネットを張ったり、薬剤を撒いたり、それぞれ工夫をこらしても効果がなく、 最後、私どものところに『どうにかならんやろか』と打診がある。もちろん喜んでやらせてもらいます。鷹を放てば効果抜群ですから」


 現在、吉田さんの会社には鷹が11羽、フクロウが3羽いる。従業員はいないが、営業的にはペイしている。収入はサラリーマン時代と同程度という。



2013年、40歳で鷹丸を起業できた理由


 鷹丸を起業したのは2013年。40歳のときだが、それにしても思い切りよく新奇な商売を始めている。成否のデータなど何もない分野だ。吉田さんはいったいどういう経歴で、何を思って鷹匠に行き着いたのか。


 生家は現在の事務所と同じ場所だった。小松市芦田町。1972年生まれで、父親は小松製作所の下請け工場で重機を扱っていた。家の周りは田やレンコンの池で、カエルやザリガニ、魚や昆虫がウジャウジャいた。地元の公立小・中学校に通い、県立寺井高校に進んだ。その後、金沢科学技術専門学校に入り、水産養殖学科を選んだ。


 ここでタイ、ヒラメなどの養殖を手ほどきされ、休みの日にはペットショップでバイトをした。犬、猫、蛇、ゾウガメなど、ペット全般を扱った。根っからの動物好きだから、ペットの面倒見は全然苦痛はなかった。



 専門学校を20歳で卒業、北陸でペットショップや遊園地を展開する大手のT社(本社・石川県能美市粟生町)に入った。以前のアルバイト先がT社の系列店だった縁からの入社だ。ペット事業部ではペットを赤ん坊のときから扱う。餌をやっているうち犬はすぐ大きくなる。と、売れ行きは落ちるのだが、熱帯魚など魚は逆に大きくなると引き取り手が増える。ペットの飼育はついかわいさが先に立ってしまうが、一般の飼い主の気持ちも分かっていないと、営業はうまく進まない。


 吉田さんは能美市の本社から金沢店、本社、福井店、本社と、ときおり異動を挟んで20年あまり勤め、最後は本社ペット事業部の課長になった。


 だが、国産の鷹はペット店で扱えない。鷹に限らずワシ、ハヤブサ、フクロウなど日本産の猛禽類は法で保護され、売買の対象にはできない。吉田さんはどのようにして猛禽類に出会ったのか。



きっかけはお客さんが持ち込んだ弱ったハヤブサ


「2005年当時は福井店に勤めていたのですが、お店にお客さんが弱ったハヤブサを保護して、持ち込んだんです。私の方も専門ではないけど、とにかく預かり、獣医師さんに診てもらって治療し、よくなったところで自然保護センターに引き渡した。保護センターが山にハヤブサを帰したんですが、この間、ずーっと面倒を見ていて、猛禽類を飼ってみたいと考えたんです。


 翌2006年、アメリカ原産の鷹、ハリスホーク(和名はモモアカノスリ)を30万円で買い、個人的に飼い始めました」


 ハリスホークは比較的飼いやすく、餌はたいていが冷凍したウズラの成鳥である。


 吉田さんは鷹を飼ううち、鷹匠になりたいと考え始めた。左手に鷹をとまらせ、鷹に指示して大空に放つ。自分も鷹になったような気分になれそうではないか。幸い知り合いに鷹匠がいた。その人に手引きしてもらい、2009年、NPO法人日本放鷹協会(岐阜県海津市) に入会した。鷹匠には流派がある。同協会は諏訪流の放鷹術を教え、鷹匠の認定試験を実施している。



 2012年、吉田さんは試験に合格し、晴れて鷹匠を名乗れるようになった。当初は起業するつもりなどなく、自分も鷹匠になって、伝統を伝えられればいいぐらいに考えていた。


 そのうち海外では飛行機などの離着陸時に鳥が衝突するバードストライクの防御に、鷹が使われていることを知った。となれば、日本でも鷹匠を生業にできる可能性があるのではないか。鷹を、鳥獣を狩るために使うのではなく、鳥獣を蹴散らして、未然に事故や被害を防ぐ。


 そうでなくとも各地の神社仏閣などではドバトの害にそうとう悩まされているらしい。日本では人気のあるところではドバトを追い払うため空気銃を使うことさえ許されていない。


 となれば、鷹の出番ではないか。鷹は自然そのものだから、環境に何一つ負荷を掛けない。これだ、と吉田さんは膝を打つ思いがした。早速、奥さんに相談すると、奥さんは意外なことに、「いいんじゃないの。鷹の本職になっていいと思うよ」と言ってくれた。



鳥害に1番苦しんでいたのは工場だった


 T社ではいつの間にか中間管理職になり、生き物から離れて、数字や人間関係の調整にばかり神経を使っていた。そういう会社勤めにも魅力を感じなくなってきていた。


 2013年、吉田さんは40歳で会社を辞め、鷹丸を起業した。当初は寺社や公園などからハトの駆除を依頼されるのではないかと踏んでいたが、いざフタを開けると、寺社や公園などからの発注はゼロ。工場からの依頼が圧倒的に多かった。鳥害に1番苦しんでいたのは稼働している工場だったのだ。


 たとえば工場で午前中3時間ほど鷹を飛ばす。料金は3万円ほどである。だが、実際には長期契約が多い。初月は5日間、各日3時間ほど鷹を飛ばす。その後は月2回ほど鷹を飛ばし、害鳥たちにここは鷹の縄張りなのだと周知徹底させる。1カ月の料金がおおよそ30万円。だいたい3カ月から6カ月もやれば、害鳥たちは寄りつかなくなるらしい。


「最初に鷹を見咎め、警戒の声を発するのはカラスです。が、鷹はカラスなどにはびびらない。自分の体重の3倍までの鳥獣なら襲えます。悠然と飛び、要所、要所に止まっては辺りを睥睨する。これで害鳥たちはここは鷹の縄張りになったと悟り、先を争って外に逃げ出していく。


 工場で鷹にとって危ないのはガラス窓への激突ですが、人一人がずーっとついていますから、そうそう事故は起こさせない」


 鷹で害鳥駆除を手掛ける業者は全国で五軒ほどらしい。数が少ないから、吉田さんも石川、富山、福井などの北陸方面と三重、愛知、新潟などをカバーしている。現場までの移動に時間がかかるが、雉ならぬ鷹を連れた桃太郎のようなもの。気楽なところがなによりいい。


(初出:月刊『ウェッジ』2018年1月号)




(溝口 敦)

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