退職社員のデータ盗難をきっかけに開発された「情報漏洩対策ソフト」が大ヒットした話

6月30日(日)17時0分 文春オンライン

「会社を辞めて良かった!」という40人の体験談をまとめた『 さらば! サラリーマン 』が刊行された。その中から2度の倒産を経験したがデータセキュリティ会社を起業・成功に導いた小路幸市郎さんの例を紹介する。


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35歳までパッとしないキャリアだった


 正直なところ、小路幸市郎さん(56歳)のキャリアは35歳までパッとしない。1994年、35歳になってから情報漏洩防止システムなどを手掛ける会社、サイエンスパークを設立以来、人が変わったように経営に取り組み、今では「生来、社長の器」といった余裕さえ感じさせる。若いころの何と何を足して現在地に立ったか、不思議なほどである。


 1959年、北九州市小倉北区の生まれ。地元の小・中学校に進んだが、学校は荒れ、盗んできたバイクで廊下を走り回る生徒も珍しくなかった。幸い小路さんはワル仲間にならず、授業についていけない同級生に勉強を教えたりした。この荒れた中学校で真剣に生徒に立ち向かう若い女性の先生と出会い、教師に憧れた。県立戸畑高校に進み、ここで教師から「俺は教師に向いてないけど、それでも教師をやっている。お前は根っから向いている」と教師になるよう勧められた。教えること、人を育てることが好きなことはこのころから自覚していた。



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 1977年高校を卒業し、神奈川県相模原市にある職業訓練大学校(現・職業能力開発総合大学校)に進んだ。労働省(現・厚生労働省)の所管で、職業訓練指導員を育成する学校だった。座学の他に実技が重視され、一般大学の講義が4年間で2000〜3000時間のところ、ここでは5600時間。夏休みが2週間しかなく、電気工学科で実技を叩き込まれた。小路さんは今でも自分でハンダづけできる。


 寮に入って4年間、1部屋3人の暮らしだった。周りは桑畑で、中心市街の橋本には歩いて30分も掛かった。入った硬式テニス部では、公式戦で28連敗するなど、さっぱり上達しなかったが、初・中級者の主婦などに教えることは得意だった。橋本にテニスクラブがあり、時給が1500円、小路さんが教える生徒は「継続率が高い」と買われ、月20万円ほどの収入になった。


 稼ぎで寮の仲間に酒を奢るなどしたが、一時は教育心理学の単位を取り、訓練指導法を勉強。大学校を出た後、体育大学の大学院に進んで真剣に体育の教師になることを考えた。一方、授業で小型モーターの権威、見城尚志教授の教えに触れ、新技術を世に出す起業家になりたいとも願った。どういう世界に進むべきか、まだ進路を決めかねていたのだ。



 だが、4年生のとき父親が死に、大学院に進むことは諦めた。1981年に卒業、給料をもらいながら学べる技術員制度の推薦をもらい、武蔵工業大学(現・東京都市大学)電気工学科に技術スタッフとして就職した。


 が、起業への思いは抑えがたく、まず技術の第一線を体験することだと考えた。起業するにもまず技術と現場を知らなければ話にならない。


ベンチャー企業に転職するが放漫経営で倒産


 2年後、NECのロボットチームから独立した社員3人のベンチャー企業、メカトロニクスに転身した。ここでは財務、技術、営業などすべてを見ることができた。会社も急激に成長し、数年後には社員百人規模の会社に育ったが、余裕から手を出した土地事業に失敗して経営が傾き、社員が次々に退職、会社は潰れた。


 1988年、ソフトウェア開発のベンチャー企業に再就職した。が、この会社も5年ほどで経営が悪化した。両社とも経営陣に財務や経理をチェックできる人材がいず、放漫経営の恐ろしさを痛感した。



 1994年5月、自宅をオフィスにサイエンスパークを創立した。それまでのサラリーマン生活で失敗例を嫌というほど見てきたから、要するに前車の轍を踏まなければいいと考え、経営には自信があった。仲間はリストラされた友人、プログラミングなど仕事はできるが精神を病む友人の2人だった。


 専門はソフト制作だったが、最初は「なんでもやります」のご用聞き商法に徹した。小路さん自身が上場会社を中心に約400社を営業に歩いた。歩くうち、「お宅はドライバーを作れるの?」と聞かれた。


 ちょうどウィンドウズ95が出たばかりのころだった。プリンターやスキャナーをパソコンにつなげて動かすにも、ドライバーという一種のソフトを用意しなければ動かない。が、ドライバーは機器の付属物だから、直接お金になるものではない。そのくせ作るためには、(1)アプリの知識が必要、(2)ベースになるOSの知識が不可欠、(3)パソコンのハードを熟知、(4)わずかに出ているマニュアルは英語しかなかったから英語を正確に理解、(5)経験が必要——という面倒な作業であり、大手の社員が喜んでする仕事ではなかった。


 会社に帰って仲間に聞くと、1人は「ドライバーなど聞いたこともない」といい、もう1人は「ある、ドライバー作りをやりたい」と答えた。小路さんはこれで受注を決意し、すぐレポートをまとめ、大手会社に提出した。



主要メンバーが独立、こっそりデータを持ち出した


 新製品の機器が出る度、ドライバーを用意する。OSもウィンドウズ、マック、リナックスなど、それぞれ専用のドライバーが必要だ。決して絶えることがない仕事である。事実、会社は順調に離陸できたが、2001年、会社の主要メンバーが独立して競合会社をつくった上、退職時に一部の情報を持ち出し、また消去する事件が発生した。


 最初は訴訟することも考えたが、「これからは絶対持ち出されないことだ」と考えを変え、同社のデバイスドライバー技術を核とした情報漏洩対策ソフト「フォース・アイ」を自社制作した。これは記録媒体や紙へのデータ出力を禁止し、持ち出しを防ぐソフトで、情報の閲覧記録(ログ)も保存し、万が一の際の原因究明も容易にする。フォース・アイはサーバーに組み込まれるなど確実に市場の需要に応えた。



 2007年には情報漏洩防止機能を持つ「ノンコピー」も開発した。これは事前に登録したUSBメモリー以外では外部へのデータ保存ができない機能などを持ち、情報の外部持ち出しを不可能にする。こうした技術で開発責任者がマイクロソフトから表彰され、会社としても米国空軍科学研究所から特別賞を受賞するなど、独自のセキュリティー技術で世界に通用する会社へと育ったのだ。取得した特許は日本で19件、全世界で計48件を数える。


 しかも創業以来、22年間1度も赤字に陥ったことがなく、事実上の無借金経営だ。2004年には売上高経常利益率25%を達成し、稲盛経営者賞も受賞した。現在資本金4000万円、従業員は正社員34人、パートを含めて50人と小さくまとまっている。小路社長は「レッツステップ」という書き込み式の小冊子を全社員に配っているが、そこには味読すべき言葉が記されている。


「クレームによって会社はつぶれないが、クレーム対策によっては、会社はつぶれる。クレームの発生に対して本人の責任を追及しないが、クレームの報告を怠った人へは処罰する」


「高給での人材の引き抜きは行わない。設備も人材も泥縄式対応を基本とする」


 実践的で地に足がついた経営であり、社員教育である。優れた技術力と経営力をどこで手に入れたか、キツネにつままれた気がするのは筆者ばかりではあるまい。


(初出:月刊『ウェッジ』2016年2月号)



きっかけは「店に持ち込まれた弱ったハヤブサ」 ペットショップの社員が“鷹匠”になるまで へ続く



(溝口 敦)

文春オンライン

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