「新技術がわからない」軽の守護神・鈴木修氏の引退で、自動車産業の崩壊が始まる

7月22日(木)9時15分 プレジデント社

スズキの株主総会で会長退任のあいさつを終え、会場を後にする鈴木修氏(右)。左は鈴木俊宏社長=2021年6月25日、浜松市[同社提供] - 写真=時事通信フォト

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43年にわたってスズキの経営トップを務めた鈴木修会長が、今年6月、会長を退任して相談役となり、経営の一線から退いた。「生涯現役」を公言していた鈴木氏は、なぜ退任を決断したのか。そこには自動車業界をめぐる大変革が影響している——。
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スズキの株主総会で会長退任のあいさつを終え、会場を後にする鈴木修氏(右)。左は鈴木俊宏社長=2021年6月25日、浜松市[同社提供] - 写真=時事通信フォト

■91歳のカリスマ経営者が最後に放った言葉


日本企業でカリスマ経営者として名を馳せた代表格の一人が6月25日、経営の一線から退いた。43年にわたって経営トップを務め、スズキを世界的な小型車メーカーに育て上げた鈴木修会長が、同日の定時株主総会で会長を退任したのだ。


御年91歳のカリスマ経営者が最後に放ったのは「軽自動車は芸術品。守り通して」「一にも二にも電動化」という言葉だった。


鈴木修氏が退任を決断したのは世界の自動車産業が一大転換期に突入したことと無縁でない。業界トップ、トヨタ自動車の豊田章男社長はこの事態を「100年に一度の大変革期」と形容する。世界の自動車産業は足元でコネクテッド(Connected)、自動運転(Autonomous)、シェアリング(Sharing)、電動化(Electric)の頭文字を取った「CASE」という新しい領域での技術革新が加速度を増して進む。


しかも、IT大手といった異業種やスタートアップ企業も参入をもくろみ、既存の自動車産業にとっては時計の針を戻せない異次元の世界に突入している。


■「退任」のきっかけとなった電動化


会長退任を発表した今年2月のオンライン記者会見で、鈴木修氏は、「(2020年3月に)創立100周年の峠を越えたこともあり決意した」と述べた。


常々「生涯現役」と語っていただけに、この日、静岡県浜松市のスズキ本社で開かれた臨時取締役会で鈴木修氏が「会長を退任する」と表明すると、出席した役員たちは一様に驚いたという。


実際に、修氏の長男、鈴木俊宏社長は会見で「このタイミングでの退任表明は思ってもいなかった」と述べた。


しかし、退任を前にして6月8日に複数の報道機関とのインタビューに応じた鈴木修氏は、自動車の電動化の流れが退任を決断した大きな背景にあったことを示唆した。この点を6月9日付の日本経済新聞は鈴木修氏の発言を「電動化の時代、モーターや電池など新たな技術が皆目分からなくなった。90歳を超えて新たな勉強は今更できない」と伝えている。


■不利な環境に置かれる軽自動車


脱炭素の流れに沿って名だたる欧米メーカーや中国勢が前のめりになって取り組む電動化に対する鈴木修氏の危機感は極めて強い。6月9日のインタビューで、2030年以降に自動車は電動車が中心になるとし「既存の産業ピラミッドは崩れ去る」と指摘したほどで、株主総会で「一にも二にも電動化」と語ったのを裏付ける。


とりわけ電動化に危機感を抱くのは、鈴木修氏がスズキの成長の礎を築き上げ、生命線ともいえる軽自動車が電動化で極めて不利な環境に置かれるからに他ならない。


筆者撮影

日本独自の規格である軽自動車は何といっても、排気量660cc超の登録車に比べて低価格なのが生命だ。しかし、電動車の要となる車載用電池は依然として高価格であり電動車にとってはコスト増につながる大きな要因だ。軽自動車が電動化に移行するにはその克服が大きな課題となる。


鈴木修氏がスズキの現経営陣に、軽自動車を今後の日本の自動車市場で存在感を示し存続できるように電気自動車(EV)などの開発を徹底的に進めてほしいと、退任に当たって釘を刺したのもそこに大きな意味がある。


■スズキの名を世界に知らしめた「アルト」


鈴木修氏の経営トップとしての実績は、どうしてもインド市場で5割のシェアを握り、世界的な小型車メーカーに育て上げた「中興の祖」として脚光を浴びがちだ。確かにそれは疑いのない事実だ。


しかし、スズキを世界的な小型車メーカーに押し上げた原点は軽自動車にあり、それだけ鈴木修氏の軽自動車に対するこだわりは強い。それは社長に就任した翌年の1979年に投入した新型車「アルト」の存在を抜きにしては語れない。


税制などで優遇される4ナンバーの商用車のボンネットバンとして登場したアルトは当時の自動車業界の常識を打ち破る全国統一価格を設定、しかも1グレードのみの47万円という低価格を実現した。当時の軽自動車は廉価版で60万円程度だったことを考えれば、業界に衝撃が走ったのは言うまでもない。


いまでこそ国内新車販売台数の4割程度を占め、勢いがある軽自動車も1970年代は暗黒の時代だった。1970年に125万台を販売したものの、その後はオイルショックに見舞われ、これをピークにジリ貧をたどり、1975年には58万台にまで落ち込んだ。


これに危機感を抱いた軽自動車業界は排気ガス対策、安全対策も絡めて当局に働きかけ、ボディサイズの拡大、排気量上限の550ccへの引き上げを実現し、1976年に軽自動車の新規格が決定した。


スズキで新規格への対応に当たったのが当時取締役だった鈴木修氏であり、新型車開発を陣頭指揮し、アルトの誕生につなげた。


鈴木修氏が着目したのは当時、軽乗用車なら15%超の物品税が課せられたのに対し、商用車は非課税である点で、これを逆手にとって節税効果を武器に「前席2人乗りの実質的な軽乗用車として機能する商用車」を企画した。


新規格に対応した新型車は既に商品化の域にあったとされるものの、鈴木修氏は投入を1年延期し、社長就任後初の新型車としてアルトに社運を賭けた。鈴木修氏は自ら「カン(勘)ピューター」という言葉を使い、経営の重大局面を直感で判断してきたと茶化す。スズキにとって起死回生のアルトの投入はまさにカンピューターがフルに稼働した証しになった。


価格もコンセプトも常識破りのアルトの登場は、女性層らにターゲットにボディカラーを赤としたことで新しい購買層も引き付け、大ヒットした。当初の月間販売目標の5000台は1万8000台に達し、同業他社はアルトと同様な軽商用ボンネットバンで追随する。


今年4月末でスズキの軽自動車の国内累計販売は2500万台を突破し、うちアルトは524万台を占め、スズキ史上最高のヒット作となっている。新規格への対応の成否は同業他社と違い販売のほとんどを軽自動車に頼るスズキにとっては存亡をかけた戦いであり、アルトの大ヒットによりスズキはその後、軽自動車トップの座を長らく堅持してきた。


■最後の大仕事


「逆境をバネに」がカリスマ、鈴木修氏の真骨頂であることはアルトを生み出した経緯からもうかがえる。それは、自称「中小企業」のスズキがグローバル化の進む世界の自動車産業にあって生き残りを賭けた手腕にも見いだせる。


いち早くインドの将来の市場性に着目し、1982年にインドで国営企業との合弁生産で合意し、今日の不動の地位を築いたのは言うまでもない。技術力や資本力の不足は海外大手との提携で補うという「小さな巨人」のしたたかさもあった。


当時世界最大の自動車メーカーだった米ゼネラル・モーターズ(GM)とは1981年から2008年まで資本提携関係を続け、最終的に係争にまで発展し具体的な成果につなげられなかったものの、ドイツのフォルクスワーゲン(VW)とも包括提携を結んだ。2019年にはトヨタとの資本提携を決断、「最後の大仕事」として、「100年に一度の大変革期」に臨む布石を敷いた。


■今後のカギを握るトヨタとの連携


そんなカリスマに軽自動車の存続、電動化の加速を託されたスズキの現経営陣は、この経営課題にどう答えを出そうとしているか——。鈴木俊宏社長は2月の記者会見で「軽自動車は守り抜く。会長に後ろ指をさされないよう頑張りたい」と誓った。


鈴木修氏が強力なトップダウンで引っ張ってきた経営は、鈴木俊宏社長をトップにした集団指導体制に移行する。


4月に社長を補佐する専務役員を1人から6人に増やした。この中にはトヨタとデンソーから転じた2人の外部出身者が含まれ、資本提携したトヨタとの関係を深め、集団指導体制で「100年に一度の大変革期」という難局を乗り切ることになる。


具体策は2月24日に発表した2026年3月期までの中期経営計画にうかがえる。特筆すべきは研究開発費で5年間に累計1兆円を投じる。過去5年の累計からは4割の増加で、鈴木俊宏社長は「スズキが生き残るために電動化技術を集中的に開発する」とその狙いを説明する。


設備投資も積極的に推し進める計画で、5年間で1兆2000億円と過去5年に比べ1割増やす。軽自動車のEVや高機能なハイブリッド車(HV)の開発に充てる方針だ。


事業規模としては連結売上高を4兆8000億円と2020年3月期から37%増加、世界新車販売台数も29%増やす370万台を目標に据えた。研究開発はトヨタとの提携が今後の大きなカギを握る。HVの相互供給のほか小型EVの共同開発に取り組むとしている。また、中期計画には2050年に製造時の二酸化炭素(CO2)排出量ゼロとする目標を掲げた。


しかし、足元のスズキの現状は厳しい。現在販売する軽自動車の約7割はHVとはいえ簡易型であり、EVとなると商品はまだなく、電動車投入へのアクセルを一段と踏み込む必要がある。


さらに、スズキの屋台骨を支えるインド市場での低迷を打開する必要にも迫られる。新型コロナウイルスの感染拡大で5月に3つある四輪車工場がすべて生産停止に追い込まれたほか、多目的スポーツ車(SUV)や低価格EVなどを積極投入する同業の追い上げから2021年3月期は「防衛線」とされる5割のシェアをわずかに割り込んだ。中期計画ではEVの投入やSUVの拡充を図る方針を示したのもこのためだ。


■鈴木修氏が唯一恵まれなかったもの


数々の苦難を乗り越え、スズキを世界的な小型車メーカーに育て上げたカリスマ、鈴木修氏にとって唯一恵まれなかったのは後継者だろう。鈴木修氏は2000年に代表権を持つ会長に就き、社長の座を戸田昌男氏に譲った、さらにその後任の津田紘氏も含め2代続けて社長が病に倒れ、鈴木修氏はリーマンショック後の2008年12月に兼務で社長に復帰した。


この間、後継者の本命とされていた経済産業省出身の女婿、小野浩孝専務役員も2007年に病気で他界するなど、スズキを相次いで悲劇が襲った。その意味もあり、鈴木修氏に「生涯現役」の意を決しさせたのかもしれない。


■カリスマが去った後に大切なこと


修氏が後継者に苦悩したように、カリスマ経営者にとって後継者の人選が最大の課題であることは言うまでもない。


カリスマの影響力の大きさとその抜けた後のギャップの大きさは日産自動車が代表的な例だ。会長だったカルロス・ゴーン被告は典型的なトップダウン型経営と圧倒的な求心力で日産を見事によみがえらせ、ルノー、三菱自動車の日仏3社連合でトヨタ、ドイツのフォルクスワーゲン(VW)と世界市場で覇権を争うまでの存在に育て上げた。


しかし、ゴーン被告の逮捕から2年半余りを経た日産、さらに3社連合の経営の現状はトヨタ、VWに大きく水をあけられ、日産は2022年3月期に3期連続の連結最終赤字に陥る見通しで、その低迷ぶりが際立つ。日産の場合はトップの逮捕という特異な例とはいえ、カリスマ経営とその後の落差を鮮明に印象付けた。


長くカリスマが経営を担ってきた企業は「成功体験」に陥りがちだ。しかし、カリスマが去ったあとは、新たな経営体制が求心力を持ち、成長を維持していくことが求められる。


鈴木俊宏社長の率いる集団指導体制のスズキはどうなるか。「効率経営」を軸とした「オサムイズム」を引き継ぎ、存在感のある小型車メーカーとして存続できるのか。市場の目はその一点を見つめている。


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鈴木 伸男(すずき・のぶお)
経済ジャーナリスト
早稲田大学法学部卒。専門紙記者を経て、全国紙で経済分野の記者、デスクを計34年務め、経済官庁、民間経済の幅広い分野を担当。2021年7月に独立。宮城県出身。
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(経済ジャーナリスト 鈴木 伸男)

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