寮生活が全然違う…桑田・清原のPL学園が2000年代以降に"大阪代表"の座から転げ落ち、大阪桐蔭が台頭した訳

2024年7月24日(水)10時15分 プレジデント社

PL学園高校野球部時代の清原(左)と桑田=1985年8月、甲子園 - 写真=共同通信社

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かつて桑田・清原のKKコンビを擁して全国制覇したPL学園。長くその強さを甲子園で見せつけてきたが、2000年代以降に急失速し、2016年に休部に追い込まれた。野球評論家のゴジキさんは「PLに代わって一気に台頭したのが大阪桐蔭です。両校の違いは、部員が暮らす寮生活や先輩後輩の上下関係などにあり、桐蔭はいい人材を獲得できた」という——。

※本稿は、ゴジキ(@godziki_55)『甲子園強豪校の監督術』(小学館クリエイティブ)の一部を再編集したものです。


写真=共同通信社
PL学園高校野球部時代の清原(左)と桑田=1985年8月、甲子園 - 写真=共同通信社

■没落したPL学園、勃興した大阪桐蔭…その差はどこにあったのか


1998年から現在まで大阪桐蔭の指揮を執る西谷浩一氏は、寮生活において比較的柔軟な方針を採っている。


かつてのPL学園とは異なり、寮の部屋のメンバー構成は先輩と後輩ではなく同学年で配置したり、付き人制度を廃止することで先輩の洗濯物を干したりといった必要以上の雑用に後輩が追われることはない。


また、先輩後輩の上下関係の壁をなくし、コミュニケーションを取れるような雰囲気があると、OBの廣畑実や水本弦(げん)もコメントしている※1。


その結果、2000年代以降、多くの有望な中学生が、PL学園ではなく大阪桐蔭を選ぶようになり、戦績は2000年代中盤から逆転。大阪桐蔭は、2008年夏の甲子園優勝以降、2014年には1985年のKKコンビを擁したPL学園以来25年ぶりの3年連続夏の大阪大会制覇を成し遂げ、2012年と2018年の春夏連覇、2017年から2018年の春連覇を達成し、PL学園に代わる強豪校として全国に名を轟(とどろ)かせてきた。


PL学園は2000年代以降、幾度となく暴力行為などの不祥事が取りざたされ、入部志望者が激減。2016年には休部に追い込まれている。PL学園はいわば、大阪という同じ地区の「競合他社」である大阪桐蔭にリクルーティングで負けて、強豪校の座を失ってしまったのである。


■大阪桐蔭・西谷監督がリクルートする人材の「絶対条件」


そんな大阪桐蔭の西谷氏が中学生をリクルーティングする際、マインド面で大事にしているポイントが2つある。「大阪桐蔭で野球がやりたい」ということと「三度の飯より野球が好き」いうことだ。


「色んな良い学校がある中で、どうしても大阪桐蔭でやりたいと言う選手と一緒にやりたいと思っています。基本は関西が中心ですが、最近では関東からも来たいと言ってくれる選手がいるので本当に有難く思っています※2」とコメントしている。


事実、OBや現役選手が大阪桐蔭に進みたいと思った理由には「全国制覇」や「自分を高めたい」というのが多い。



ゴジキ(@godziki_55)『甲子園強豪校の監督術』(小学館クリエイティブ)

2018年夏の甲子園優勝投手の柿木蓮(現・北海道日本ハムファイターズ)は、「自分が高校進学を決める上での基準は『自分を高められる』学校だったんです。最初から投げられる学校ではなく、一からスタートして、競争できるようなレベルが高い学校でプレーしたいと思っていました※3」と話す。


2019年に北海道から入学を決めた大型左腕・松浦慶斗(現・北海道日本ハムファイターズ)も「北海道が物足りないわけではないですが、うまい人と一緒にプレーして自分を高めたかったからです※4」とコメントしている。


また、西谷氏は「上手い子はいても、本当に野球が好きな子はそんなに多くいるとは思わないです。練習を見にいったらはっきりわかります。試合だけでは案外わかりませんが、練習を見てると取り組む姿勢とか、指導者の方の話から見えてきます。やっぱり本当に野球が好きな子と一緒にやりたいと思いますね※5」と話すように、技術の高さよりも野球に対する情熱や取り組む姿勢を重視していることがわかる。


中田翔を獲得した時は40、50回広島に通った


西谷氏は、スカウティングにおいてフットワークの軽さを見せる。選手からすると、日本一を誰よりも知る監督が直接自分に会いに来るとなると、心を動かされることは間違いない。社会科の教師でもある西谷氏がスカウト活動に充てられる時間は、基本的に週1日、土曜日の午前中だけだ。


午後からは練習があるため、ノックが始まる午後2時までにはグラウンドに戻る。「土曜日は朝6時前後に家を出れば、近場なら3、4チームは見て回れる。最初の選手は1打席目だけ見て、次のところへ行ったりする。そうして何度も顔を出すことが大事※6」と言う。


広島出身の中田翔を獲得した時は40、50回広島に通ったエピソードもある。金曜日の終電で広島へ移動し、ビジネスホテルに宿泊して、翌日は早朝から中田を見て、午前11時広島発の新幹線で大阪へ戻るスケジュールだ。


札幌ドームのオーロラビジョンに映った中田翔(画像= Ho13/CC-BY-SA-3.0,2.5,2.0,1.0/Wikimedia Commons

ただ、この西谷氏ですら、選手のもとへ頻繁に通い、最後の最後で振られたことも一度や二度ではない。「そりゃもう、がっかりっすよ。でも、それはよくあること。私は本気で好きになった選手は違う高校に行っても気になるんです。どんな選手になってるのかな、と※7」


また、近年はOBでコーチの石田寿也氏が中学校を回り、作成したおよそ200人のリストの中から、西谷氏が2〜3年後のチーム編成を想像し、選手の適性を見極め、声をかけているのだ。


この行動力があるからこそ、大阪桐蔭は毎年のようにトップクラスの選手を揃えることができるのだろう。最強のチームづくりをする前に、リクルーティングの段階から、ここまでやっているからこそ長年トップに君臨しているのは間違いない。


加えて、大阪桐蔭は退部者の少なさも有名である。一学年20人ほどの少数精鋭で、育成をしているのだ。そのため、実戦の経験も積みやすい環境でもある。


「全選手平等に、同じぐらいの打席に立たせたいと思っていて、時には2か所に分かれて対外試合をすることもある。B戦はあくまで育成の場なので、相手校の了解を得て、DHをふたりにする特別ルールを設け、10番打者までいる打線で戦ったりもします※8」とコメントするように、レギュラーメンバーが中心となるAチームの試合だけでなく、控えメンバーが中心のBチームの試合も数多く組み、野手なら打席数、投手ならイニング数に差が出ないように配慮しながら起用していくのだ。


控えメンバーまで満遍なく出場機会を与えられて、切磋琢磨する。このように、引退まで部内の競争意識が高いからこそ、離脱者が少なくかつ強い組織をつくれるのだろう。


※1「【大阪桐蔭 元主将対談#2】西谷監督に朝5時半から課された〝苦行〟とは?『寝たかった…(笑)』〝強豪校あるある〟の厳しい感じとは違う選手と監督の関係性」スポーツナビ 野球チャンネル、2022年7月21日
※2 「史上初の二度目の春夏連覇を導いた西谷監督が語る大阪桐蔭に必要な2つのマインドから見える一流選手になる条件」高校野球ドットコム、2020年1月23日
※3 同前
※4 同前
※5 同前
※6 「監督自ら50回通って選手を獲る。大阪桐蔭の土台は徹底したスカウト。」Number Web、2017年4月3日
※7 同前
※8 「【甲子園歴代最多勝】西谷浩一監督率いる大阪桐蔭野球部「退部者」が極度に少ないワケ」NEWSポストセブン、2024年3月28日


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ゴジキ(@godziki_55)
野球評論家・著作家
これまでに『戦略で読む高校野球』(集英社新書)や『巨人軍解体新書』(光文社新書)、『アンチデータベースボール』(カンゼン)などを出版。「ゴジキの巨人軍解体新書」や「データで読む高校野球 2022」、「ゴジキの新・野球論」を過去に連載。週刊プレイボーイやスポーツ報知、女性セブン、日刊SPA!などメディアの寄稿・取材も多数。Yahoo!ニュース公式コメンテーターにも選出。本書が7冊目となる。
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(野球評論家・著作家 ゴジキ(@godziki_55))

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