江戸時代の東京が同時代のヨーロッパより圧倒的に"美しい街"だった宗教的な理由

7月28日(水)15時15分 プレジデント社

江戸城の眼鏡橋(手前)と二重橋(奥)から伏見櫓を望む。 - 著者撮影

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江戸時代の東京は、いったいどんな街だったのか。『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)を書いた歴史評論家の香原斗志さんは「江戸は水と緑にあふれ、野鳥の天国だった。その美しさは同時代の欧州の諸都市をはるかにしのぐものだった」という——。
著者撮影
江戸城の眼鏡橋(手前)と二重橋(奥)から伏見櫓を望む。 - 著者撮影

■木々と水辺が多かった江戸


野鳥のさえずりが絶え間なく聞こえる。何種類もの水鳥が集まり、時に群れをなして飛ぶ。春から秋には多くのチョウが舞い、トンボが空を埋める。江戸はきっとそんな都市だったと想像している。


そう思う理由のひとつは、天保年間(1830〜44)に斎藤月岑(げっしん)が七巻二十冊を刊行した地誌『江戸名所図会』にある。


江戸の名所の集大成で、ことに長谷川雪旦(せったん)の挿画がすばらしい。鳥瞰(ふかん)するように描かれた写実的で精密な絵から、名所の様子が映像を観るように伝わる。


強く感じたのは、江戸は思いのほか木々に囲まれ、水辺が多いということだった。


■ヨーロッパの市街地に緑が少ないワケ


江戸が「思いのほか木々に囲まれている」と書いたが、「思いのほか」なのは、西洋の都市との違いを感じるからである。私はヨーロッパをよく訪れるが、市街地に緑が多いとはいえない。


イタリアのフィレンツェを例にとろう。旧市街は石づくりの建築がぎっしりと建ちならび、木々は中庭などに若干見られる程度である。教会や修道院の中庭には多少の樹木や花壇が見いだせるが、配置や刈り込み方が幾何学的で、日本のように自然に枝を伸ばした木々に囲まれている例は少なく、鬱蒼(うっそう)と繁っていることはまずない。


庭園はどうだろう。典型的なイタリア式庭園として世界遺産にも登録されているボーボリ庭園は、四万五千平方メートルの敷地を緑がおおっている。だが、強い軸線が敷かれ、木々も花壇も幾何学的かつシンメトリーに配置されている。


写真=SPUTNIK/時事通信フォト
フィレンツェのピッティ宮殿から見たボーボリ庭園 - 写真=SPUTNIK/時事通信フォト

池も同様で、あえて重力に逆らうように噴水が設けられ、そこかしこにルネサンス期や古代の彫像が置かれている。江戸の庭とは発想がまったく違う。


西洋の庭で主張されているのは、人間による自然の支配と管理だろう。大きく影響しているのはキリスト教である。キリスト教の教えでは、すべてのものは唯一絶対の神の被造物で、なかでも人間はほかの被造物より一段高い位置に置かれる。


旧約聖書』の「創世記」には、神は人間を創造し、「海の魚と、空の鳥と、家畜とほかのすべての獣と、地を這うすべてのものを治めさせる」ことにし、「生めよ、増えよ、地に満ちて、地を従わせよ」と命じたと書かれている。


この記述は、人間以外の被造物は神が人間のために創造したものだ、という意味に解釈されてきた。だから、人間は神意にしたがって自然を支配し、利用してこそ、最後の審判の日に永遠の生命を与えられる、と考えられたのである。


地獄に堕ちないためには、人間は自然との間に一線を引き、自然を対象化する必要がある、と。


行き着いた先のひとつが、幾何学的な構造をもつ庭である。


庭の中心に軸線が置かれているのは、造園に透視図法(線遠近法)が反映された結果だといえよう。これは、奥に伸びる平行線がひとつの消失点に収束するように描く空間の表現方法である。


フィレンツェでは十五世紀はじめに、建築家のフィリッポ・ブルネッレスキが鏡に洗礼堂の輪郭を写しとり、どんな建築物の輪郭もひとつの消失点に向かって集約することを発見してから、あらゆる画家が透視図法を利用するようになった。


これは言い換えれば、自然は数学的な構造をもつ、と気づいたということだ。


フィレンツェの芸術家にとっては、自然をそのように分析的に表現することは、すなわち神意にしたがうことだった。


キリスト教の影響はそれほど大きく、そのことは都市の構造からも実感できる。


石造建築が隙なく建ち、どんな街路もすみずみまで石で固められ、添えられた植物は幾何学的に整理されているのも、神意に沿って自然を管理した結果だろう。


■江戸は人間と自然の調和がとれていた


一方、江戸の中心には寺社がなかった。


とりわけ明暦の大火後、多くの寺社が周縁に移転させられてからは、日枝山王社や平河天満宮、大名屋敷の邸内社、それに江戸城内の将軍霊廟(れいびょう)を除けば、外堀の内側には寺社がほとんど存在しなかった。


著者撮影
麹町から日比谷を経て芝に移された増上寺 - 著者撮影

支配者の宮殿をしのぐ壮麗な教会が真ん中に鎮座し、神意に忠実であるよう人々に問いつづける西洋の都市との、なんたる違いだろうか。


代わりに、江戸は木々が自然に枝を伸ばす都市だった。緑が占める割合も、地肌が露出している面積も、フィレンツェなど西洋の都市にくらべ圧倒的に多かった。


大名屋敷内の庭園でも木々は刈り込まれたが、自然を支配した証しとして幾何学的に整える西洋とは、発想が正反対である。


江戸の庭園では自然が人工的に再現され、木々を刈り込む際も、枝がいかにも自然に伸びているように見せることに腐心する。


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大老格・柳沢吉保自ら設計した六義園庭園 - 著者撮影

時に日本各地や中国の名勝がミニチュアとして取り込まれる一方で、噴水のように自然に逆らうものや、人体を表現した彫像はない。ありのままの自然に包まれているかのような空間が、人工的につくり上げられた。


そこでは自然は対象化されず、反対に人間と調和し、一体化している。


それは絵画を見ても明らかだ。江戸城や大名屋敷の御殿を飾る襖(ふすま)絵や障壁画に描かれたのも、松や梅、竹、花鳥のほか、虎や獅子などで、人間は描かれても主役ではない。


透視図法による分析的な構図のなかに、人間に擬した神、あるいは人間そのものが描かれる西洋の壁画とはあまりにも異なる。


■宗教の違いから見る自然との関係性


江戸の遺産に即していえば、徳川家康も神になり、富士信仰では富士山そのものが神だとされた。各所に神木があるように、植物もまた神になった。


キリスト教では神と人間、自然が明確に分けられ、人間や自然が神格化されることは決してない。


ところが日本では、自然は神にさえなるのだから、自然を人間が支配し尽くすという発想も生まれないだろう。自然を使いこなすよう人間に厳しく求める神と、自然のなかに潜み、それどころか自然そのものである神。


江戸城の本丸御殿が、狩野派の画家が描いた自然で鮮やかに飾られ、江戸じゅうの大名屋敷の庭園に銘木が植えられたのは、フィレンツェの宮殿の壁面に、人間の姿をした神々の事績が描かれ、庭園の池に神々の彫像が置かれたのと、同じことなのかもしれない。


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かつては海水を引き入れていた旧芝離宮の池泉 - 著者撮影

ただし、日本の神々と西洋の絶対神とでは、人間精神への厳しい支配力が比較にならない。日本の神々は人間にやさしいとさえいえる。神道は祟(たた)る存在をなだめることにはじまりながら、次第に現世利益を請う対象になっていった。


個人の救済を担ったのは仏教だが、日本では神仏習合によって神と仏は明瞭には区別されず、少し雑駁(ざっぱく)な表現が許されるなら、神も仏も現世利益に結びつけて信仰されるきらいがあったと思う。


そのうえ、江戸時代には主としてキリシタンの取り締まりを徹底するために、だれもが家単位で寺の檀家になる寺請制度が施行され、寺院も事実上、戸籍の管理者という実務的な存在になっていた。


人はだれでも、やさしい存在には甘えがちになる。江戸幕府も寺社に甘えた結果、それらを都市の中心に置くよりは周縁に配置し、精神的にも実質的にも、江戸という都市を外敵から守ってもらおうとした。


そうした環境下では、宗教が人間精神に与える影響は知れている。江戸が自然あふれる、よい意味でゆるい都市であった背景には、そんな事情も読みとれる。


■美しくなくなった東京の街並み


建物や構築物こそ道標に江戸は山を削り、海を埋め、台地を切り裂いて造成された人工都市である。だが、ヨーロッパのように自然を対象化し、幾何学的に整備するという発想も必要性もなかったので、自然の地形を活かしながら、ことさらに人工を主張せずに町がつくられた。そして木々と水に囲まれ、人間と自然の調和のとれた美しい都市が誕生した。



香原斗志『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)

それにしては、色も様式も高さも好き勝手に建てられたビルが無秩序にならぶいまの東京に、江戸の美しさはほとんど受け継がれていない。


自然に寄り添うのは日本人の美徳であったはずだが、それがいとも簡単に忘れられたのは、自然との関係が神仏との関係と同様にゆるく、自然の中に潜む神を突き放して眺める機会がなかったことの裏返しでもある。


自然の秩序に目を向ける習慣があれば、町づくりでも、全体の調和にもっと目が向いたのではないか。庭園づくりに見られる、自然を人工的に再現するという発想も、自然のかけがえのなさに気づく邪魔になったのではないだろうか。


それでも東京にはいまなお江戸が残っている。明治政府による破壊にはじまり、関東大震災、太平洋戦争と、未曽有の厄災を重ねて被りながらも、上野東照宮、将軍家の菩提寺、根津神社、護国寺、東大赤門、随所に残る大名庭園、そして世界最大級の城郭たる江戸城……と、江戸時代の建築物や構築物は、意外にもいまに伝えられている。


繰り返すが、今日の東京は美しくない。肥大化した欲望が、あるいは道徳観の喪失が、そのまま具現化されたような街並みは、残念でならない。


しかし、いまに残る江戸の遺産は、在りし日の美しい江戸を思い描くための道標になる。それらを通して、水と緑に囲まれた美しい江戸の豊かさが再認識されれば、それを少しでも取り戻す余地が生まれるのではないだろうか。


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香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。小学校高学年から歴史に魅せられ、中学時代は中世から近世までの日本の城郭に傾倒。その後も日本各地を、歴史の痕跡を確認しながら歩いている。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。著書に『イタリアを旅する会話』(三修社)、『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)がある。
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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)

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