「戦死」語る言葉なき日本で「特攻」が刺さる理由

8月6日(火)6時0分 JBpress

特攻機としても使われた一式戦闘機「隼」

写真を拡大

(聞き手・構成:坂元 希美)

 8月に入ると多くの地域でお盆を迎える。先祖の霊があの世から帰ってくるという時期に故郷へ帰り、家族・親族と墓参りをして故人に思いを馳せながら、生きている者同士で旧交を温める人も多いだろう。また、この頃に彼岸へ行った人たちのことも思い出されるかもしれない。太平洋戦争で戦死した人たちだ。彼らはこの季節、どこに帰ってくるのだろうか。

「戦死」の定義は軍人が戦争や戦闘で死亡することであり、命を賭けることが織り込まれた職業で想定されている死だ。その職業は今もこの国に存在している。自衛官だ。

 現在、彼らは戦争や戦闘に参加してはいないし、させないようにしているのだから「戦死」は想定外とされている。しかし、考えられなかった、ありえないことだった・・・つまり、「無いはずのこと」にしたままでよいのだろうか。「繰り返してはならぬ」とした過去の戦死についても、私たちは自分ごととして向き合っているだろうか。

「戦死」について、思考停止ではなく、向き合い方を考えようと提案している社会学者がいる。帝京大学准教授の井上義和氏だ。

 井上氏は教育社会学者として「戦跡の歴史社会学」研究プロジェクトに参加するうちに、奇妙な「戦死への向き合い方」に気付いた。2000年前後にメディア露出を始めた特攻隊ものである。小説や映画といったエンターテインメント分野だけでなく、ビジネスや生き方の自己啓発に特攻隊が取り上げられるようになっていた。特攻隊員の遺影や遺書が展示されている鹿児島県の知覧特攻平和会館には、年間60万人前後が訪れる。井上氏は過去と未来の戦死者がこれまで九段(靖国神社)と市ヶ谷(殉職自衛官慰霊碑)に引き裂かれてきたのに対して両者の橋渡しをするヒントが知覧にあるのではないかと考え、「ちょうどいい、節度ある、穏健な」戦死観を模索するたたき台として今年2月に上梓したのが『未来の戦死に向き合うためのノート』(創元社)である。

 いまの時代に戦死をどう捉え、向き合えばいいのだろうか。井上氏に聞いた。


自己啓発ツールとしての戦死

——本書は、(1)どういう戦死なら受け入れられるのか、(2)自己啓発ツールとして戦死(特攻の歴史)が使われている現状、(3)特攻×自己啓発という現象がもたらすものという3つのパートで構成されています。

 戦死について考えることは、どんな立場の人でも心を揺さぶられると思いますが、特に(2)は衝撃的でした。特攻隊を題材にした小説や映画がヒットし、そのブームでの聖地巡礼や「泣けるパワースポット」として陸軍の特攻基地があった知覧を訪れる人が多いのだと思っていましたが、まさか非行生徒の更生、企業やスポーツ選手の研修の場となっているとは知りませんでした。戦死した特攻隊員の物語や遺書が、ダメになりかけている人や頑張ろうと思っている人に「活」を入れる自己啓発に使われている。

井上義和氏(以下、井上) 知覧を訪れ、戦死した特攻隊員の物語に触れることでポジティブな力を引き出す「活入れ」は、戦争の悲惨さや指導責任とは切り離して、何のために、誰のために自分の命を使うのかを考えるという、普遍的で純化された気持ちを呼び起こすものです。「お国のために命を投げ出す」自己犠牲ではなくて、「大切な人のために命を使う」こと、つまり「使命」を見出して、誰かのために自分のできることをひたむきにやるといった利他的な意識と行動が促されるのです。


特攻隊から「命のバトン」を受け取る

——「活入れ」には2タイプがあると紹介されています。1つは、「断絶・対照関係」で、「戦争の時代を思えば、平和な時代を生きている私たちは幸せ、平和な時代に感謝」「特攻隊員のことを思えば、自分の苦労など大したことはない」というタイプで、こちらはなんとなく理解できます。もう1つの「連続・継承関係」は、大切な人の幸せと祖国の未来のために命を使った特攻隊員に感謝し、彼らから受け取った命のバトンを次世代にリレーしていこうという「感謝・利他・継承」がセットになったタイプです。どうも私には、この「命のバトンリレー」そのものと、なぜ特攻隊員からバトンを受け取るのかが、腑に落ちないのですが。

井上 自分という存在はどこからきて、どこへ行くのかを突き詰めていくと、きっとバトンリレーの考え方に行きつくと思います。学校教育の中で命について教えようとすると「命あるものは大切にしましょう」とか、「親がいて、そのまた親である祖父母がいて・・・」という個々の命の大切さや家族のつながりを教える程度で終わってしまいがちです。

 しかし、大人になり年老いていく間に、家族を持ち、子を生み育て、親を看取り、やがて自分も子や孫の世話になっていくであろうこと。企業で創業者の想いが受け継がれ、そのDNAを自分たちが守り、さらに良くして次の世代に渡すこと。いま便利に暮らしている国土が破壊の後につくられ、自分たちが維持・発展させて子や孫の時代にも不便な思いをさせないようにすることなど、まともな家庭人、まともな社会人であろうとすれば、必ず「命のバトンリレー」に思いが至ります。

 つまり、これはどんな大人にも突き刺さる話なんです。私も40代になって、自分がバトンリレーの中継者であると強く思うようになりました。

——昭和の感覚で言えば、特攻隊員は家庭人としても社会人としても志半ばでバトンを国家に奪われた存在です。だから「それが二度とあってはならない悲劇だ」とか、「自分や周りの人がそうならないように」と考えてしまうのですが。

井上 「命のバトンリレー」は直系の血でつなぐ継承だけではなく、社会の中で先人の業績を評価したり、自分の仕事が後世の礎となったり、という形での継承もありますし、赤の他人でも誰かの役に立っているということも中継者になります。本書で取り上げた自己啓発本は、ほぼ全てがこのバリエーションです。「命のバトンリレー」のロジックは過去の戦争では都合よく使われてきましたが、平和な時代でもそのパワーが失われているわけではありません。


命のメッセージは突き刺さる

——「命のバトンリレー」の中継者だと実感できない、あるいは中継者でなくなることは、苦しく、生きづらさを感じることになるわけですか?

井上 特攻隊員のバトンは私たち自身や社会に託されています。70年以上前に書かれた特攻隊の遺書を読んで、「後を託す」「未来の日本は平和になってほしい」という言葉を自分宛てのメッセージとして受け止める人たちが出てくるのです。時を超えて「ビーン!」と突き刺さるわけです。私は託された、と。それは例えば、親から大事にされていないと感じている人や社会からもつまはじきで注目されず、誰も助けてくれないと思っている人、結婚しなかったり、子どもを持たなかったりして自分の人生は孤独だと思っている人や「生きづらさ」を感じている人たちにとっても、届きうる力を持っている。

 それは、70年が経ったからこそ届くメッセージだとも言えます。70年という時間が、天皇や国家の名のもとに、無謀な戦争を戦ったとか、兵士の命を粗末に扱ったというネガティブな意味合いを削ぎ落し、シンプルに言葉とそのパワーだけを受け取ることができる状態にしているんです。そうして「孤独な自分もリレーの中継者だ」という意識を持てると、「やることがあるかもしれない。それならよく生きていこう、善きことをしよう」と思うわけですね。自己啓発書の感想やネットのレビューで「自分もちゃんとしなきゃ」という言葉がよく出てきますが、「ちゃんとする」のは特攻隊員の視線を感じられるから。自分の内側から出てくる意識ではないのです。

——しかし、遺書自体は彼らの本心ではなく、バトンリレーから降ろされることを拒否できない苦悩や思いなどを省いて、残される人たちに苦痛を与えないための、あるいは見せたいポジティブな自分だけを表現するためのメッセージです。しかも、戦闘機搭乗員に選ばれるほどの優秀な人たちですから、表現方法もたくさん持っていました。出撃までに遺す言葉を磨きあげる時間があったから、パワーのある言葉になったとも考えられるのではないですか。

井上 私も特攻隊員の遺書を読みましたが、それが本心のすべてを書いたわけではないと知っていても、そこに綴られた、研ぎ澄まされた言葉はスーッと心に入ってきて、何かとつながる不思議な感覚をおぼえました。

 彼らは究極的に、「死にたくないけれど死ななければならない」存在でした。それゆえの研ぎ澄まされた言葉が突き刺さる現代の孤独な人たちは、だからといって、突き刺さらなかった人を「日本人としておかしい」などと排除したりはしません。自分が大切な誰かや次世代のために働くだけなのです。実際、彼らに接しても排除は感じませんでした。ただ自分にできることは何かと利他的に考えています。


戦死者への共感・同情ではない

——突き刺さった人たちは、特攻隊員の「死」を見ているわけではなく、彼らの残したポジティブ・イメージをリレーしているわけですか。特攻隊員への共感や同情ではないのでしょうか。

井上 共感や同情は、こちらが相手に寄せていくものですよね。それに対して、特攻隊員から受け取ったバトンは、勝手に向こうから届く、あるいは降ってくるんです。受け取る人は能動的に何かを取りにいったわけではなくて「受け取ってしまった!」と受動的に感じるわけで、ある意味、宗教的な覚醒に近いのかもしれません。相手の気持ちをあれこれ想像して、共感や同情することとは違うと思います。

 私は特攻の自己啓発的な受け止め方に注目したのですが、世間的には、いわゆる平和教育的な受け止め方が主流です。平和教育は学校や、新聞・テレビなどのマスメディアがつくるガッチリした枠の中にあり、私たちはその内側で教育を受け、「正しい」ものの見方や考え方を身につけます。子どもたちとそれを啓蒙する知識人がいて、その両者をつなぐのが学校とマスメディアという関係です。

 でも、枠の外側には広大な世界があります。マスメディアの外側にはインターネットやSNSがあり、そこでは内側の論理が通用するとは限りません。そして学校の外側には、枠の影響を受けない企業経営者やスポーツ選手、芸能人などがいて、彼らを媒介して力のある「強い言葉」が流通しています。特攻の歴史を語るときに、戦争の悲惨を訴え責任を厳しく追及するのは内側で通用する「正しい言葉」ですが、「強い言葉」は、特攻隊員の遺書や言動からポジティブな力を引き出します。自己啓発というのは「強い言葉」です。外側の世界に触れると「学校では教えない歴史の真実を知った」「新しい気づきを得た」となるのでしょう。


誰も戦死を語る言葉を持っていない

——過去の戦死が魅力的に映ると、戦争を肯定するような考えや、自己犠牲を美徳とするような「悪魔合体」が出てくるのではないかと恐ろしくなるのですが。

井上 「悪魔合体」への懸念や嫌悪感は、枠の内側から出てくる発想で、外側の人たちを排除しかねません。

 かつても、学校とマスメディアの枠組みはありましたが、枠の内外(2つの言葉)をつなぐ「戦争体験世代」という存在がありました。とくに最も多く戦死者を出した1920年代前半生まれの人たちです。社会の中での彼らの存在感が大きかったときは、「正しい言葉」も「強い言葉」もためらいがあり、割り切れなさや遠慮のある抑制的なものでした。

 しかし2000年代になって戦争体験世代の存在が薄くなり、「正しい言葉」と「強い言葉」が分離していきます。本書の表現を用いれば、知識と感情が乖離して、歴史認識の脱文脈化が起こります。特攻にまつわる「強い言葉」がストレートに心に刺さるようになる人が増えてくるのは、1920年代前半生まれの存在が薄くなってきたことと関係があると、私は考えています。

 もはや枠の内側の「正しい言葉」で「強い言葉」を完全に抑え込むことはできません。外側の刺さった人たちは「強い言葉」が通じる者同士だけでつながりあっていこうとしますが、「強い言葉」を刺さるだけではない「つながる言葉」にして、戦死を考えてほしいですね。本書を読む枠の内外どちらの人にも「つながる言葉」を持ってほしいと願っています。

 特攻隊員から受け取った言葉や、そこから呼び起こされる感情は鋭利なナイフのようなものです。70年の時を経て複雑な感情は背景の知識といった鞘がなくなり、ナイフが、抜き身のままで、言葉でつながっていない枠の両側の人の前に置かれているのです。自己啓発本の著者に私の本を読んでもらったら「自分たちがやっていることを初めて客観的に書いてもらって、不思議な感じでした」という感想をいただきました。信念をもってやっている実践でも、自分でじゅうぶんに言語化できるとは限りません。善きことに役立てていたはずのナイフでも、別の人の手に渡れば、意図せざる用途に使われる可能性もあるわけですから、ナイフを収める鞘として「つながる言葉」が必要なんです。

——枠の内にも外にも「つながる言葉」がないということは、この本のタイトルになっている未来の戦死、つまり自衛官の戦死を誰も語ったり、考えたりすることができないということになりますね。

井上 そうです。今もし戦争が起こっても、政府は戦死を語る言葉を持っていません。ただ死者が出るだけです。先述したナイフの悪用の最たるたるものは、特攻隊員の遺書を利用して人々を戦争に動員することでしょうが、さすがにそれは考えにくい。むしろ問題なのは、「未来の戦死」を想定外にしたまま語ろうとしない、宙づりの現状のほうです。だからこそ余計に、「過去の戦死」にまつわるナイフの美しさのみに関心が集まりやすい、とも言えます。


「専守防衛なら戦死者は出ないだろう」

——自衛隊の存在は災害出動も含め、私たちの暮らしに当たり前のものになっています。しかし、「戦闘に巻き込まれて死ぬような状況は認めたくない」というのが一般市民の感情としてあります。

井上 専守防衛の枠内であれば自衛隊の戦闘行為を「やむを得ないこと」として認める人は増えてきていますが、にもかかあらず、私たちの社会は「戦死」に向き合えていません。これは集団的自衛権や憲法改正以前の問題です。「専守防衛なら戦死者は出ないだろう」と、どこかで思っているのではないでしょうか。

 しかし、現在でも訓練や任務中の事故で亡くなる自衛官はいます(警察予備隊以来の殉職者数は2018年追悼式の時点で1964柱)。彼らは、「死」がすぐそばにあることを承諾し、職に就いているのです。なのに、仕事で命を使った、まさに使命を果たしたのに偶然や不幸なこととされてしまう。日本という国家が存立するために、自衛官の命を使うことは織り込まれています。いわば、国家の「命のバトンリレー」を彼らが負っているのです。一般市民である私たちは、その事実を直視しようとすると苦しくなるでしょう。市民社会の論理では、軍隊や戦争、戦死というものはすっきりと位置付けられないし、正当化できないんです。

 亡くなった自衛官の慰霊行事は、毎年10月に市ヶ谷の防衛省敷地内で政府関係者と遺族だけが参加する閉じられた中で行われています。一方で九段にある靖国神社では、誰もがそこを訪れてお参りし、思いを馳せることができます。これは「自衛官を靖国神社に入れろ」という話ではありません。政府が自衛官の死を見えないように、国民は見ないようにしているということを知ってほしいのです。私は本書を執筆する前に、殉職自衛官慰霊碑に参拝しました。遺族でも自衛隊関係者でもない、一国民として参拝したいと連絡をしたところ、関係者でもメディアの取材でもない一般人が参拝に訪れることは記憶にないと言われました。

——軍隊や戦争、戦死を市民社会の中に位置づけるのは、日本ではファンタジーしかないでしょうね。過去の戦死はバトンとして降ってきて、未来の戦死はブラックボックスに入れられている状態は、これからどうなっていくのでしょう。

井上 命のメッセージがダイレクトに降ってくることと、いざとなったら不死身の守り人が助けてくれると想定することは、コインの表裏の関係にあると思います。軍隊や戦争や戦死を位置付けないまま、命の問題に向き合うことを避けてきた結果でもあります。「節度ある戦死観」を確立しないと、この国は「日本では戦闘で人が死ぬなどありえない」という非現実的な想定から抜け出せない。それでは何らかの事態で「戦死」が現実になった時、社会がヒステリー状態になってしまうでしょう。命の問題に向き合うためには、枠の内と外で分断された「正しい言葉」と「強い言葉」の溝を埋める「つながる言葉」を、私たち自身の言葉として鍛えていく必要があると思っています。私は、両者はきっとつながると思っています。

筆者:坂元 希美

JBpress

「言葉」をもっと詳しく

「言葉」のニュース

トピックス

BIGLOBE
トップへ