働き方改革のためには「消費者の意識改革」が必要だ

8月7日(火)6時0分 JBpress

労働者も消費者も、同じ一人の人間。

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 近年、学校の先生は過酷な労働環境を強いられていることが、広く知られるようになった。部活の顧問はしなきゃいけないし、PTA活動にも参加しなければならないし、地域にお祭りがあれば不良行為がないか見守りにいき、と、大変な重労働。しかも、書類仕事が多すぎて子どもの様子を見る余裕がない、という、実に皮肉な状況が生まれているらしい。

 文科省から、教育委員会から、いじめはないか、昨今の子どもの状況はどうか、といった調査やアンケートがひっきりなしに来て、いちいちそれに対応しなければならない。いじめ対策をしっかりしろ、という上からの厳しい指導に対応するために、書類に首ったけになって、子どもと向き合う時間を失うという、実に皮肉な状況となっている。

 いじめを減らしたいなら、また子どもの指導を充実させたいなら、先生たちに労力的時間的余裕を確保し、子どもとじっくり向き合える時間と体力こそを与えるべきなのに、現実にはその逆なのだというのだから、こんなに矛盾した話はない。

 しかし、こうしたことはどこの企業にも進行中の出来事のようだ。CSRだとかコンプライアンスだとか、あらかじめ対応しなければならない仕事が膨大に増えて、肝心の製品やサービスを改善し、充実させる余裕さえ失っている、というボヤキを聞くことが多くなった。

 そして、もう1つ、働く人たちを苦しめている問題がある。クレーマーの問題だ。 

 UAゼンセンによる実態調査によると、百貨店やスーパーに勤める5万人に対するアンケートで、7割以上が来店客からの迷惑行為を経験していたという*1。暴言、説教、威嚇などの対応で追われ、中には土下座を要求された事例もあるという。たった一人のクレーマーに、社員がずっと張りつくことになる労力、負担感、疲労感は大変なものだ。

*1:(速報版)悪質クレーム対策アンケート調査結果 2017.10_Part1

 こうした事態を避けようと、企業は過敏なくらいに「あらかじめ」対策を採ろうとする。その業務量の多さに働く人たちは悲鳴を上げ、「働けど働けど、我が暮らし楽にならず」という、つらさにつながっているように思う。

 冒頭で述べた学校の先生たちも、クレームに関して非常に過敏になっている。私が指導することになった子どものことについて、学校に相談しに行ったことがあるが、「親でもない人間が何しに学校まで来たのか」と言わんばかりに萎縮していて、その緊張をほぐすのに30分ほどかかった。

「この子は私が指導することになったから、きっと変わります、今まで問題児だったかもしれないけれど、どうか辛抱強くその変化を見守ってやってほしい」とお願いしに行っただけだったのだが、どんなクレームをぶつけられるのかと、恐怖していたようだ。私がクレームを言いに来たわけではないということが分かると、ホッとしたように教頭先生が、担任を残して退室したのを、今でも思い出す。


クレーマーを取り巻く時代背景の変化

「クレーム対応」は、なるべく問題を発生させないようにと、企業や学校、公務員を過敏にさせ、膨大な業務量につながる要因の1つになっている。それにしても、どうしてこうもクレームの多い国になってしまったのだろう?

 1つの原因が、よく指摘されるように「お客様は神様です」というフレーズだ。歌手の三波春夫氏がステージで述べたこのフレーズは、よほどキャッチーだったのだろう。発言した本人の意図を超えて、「そうだ、俺は客なんだから、神様同然に大切にされてしかるべきなんだ」という消費者の発生を許すきっかけとなった。

 もう1つの原因は「訴えてやる!」という、法律に関するテレビ番組の影響もあるかもしれない。日本は法律や権利をタテにして訴えるということは、どちらかというと忌避してきた文化を持っていた。たとえば80年代に「アメリカでは、雨にぬれたネコを乾かそうとして電子レンジに入れたらネコが死んでしまったとして、裁判に訴えた人がいるらしい」という話が伝わったとき、「そんなの常識で考えれば分かるだろう?」と、批判的な意見ばかりだったことを思い出す。

 しかし、エンターテインメントとして「訴えてやる!」番組が放映されるようになってしばらくすると、クレーマーの問題が随所で話題となるようになった。大阪弁で言うところの「いちゃもん」としか思えないような無理難題をぶつける消費者も増えてきた。もはや、「電子レンジにネコ」というアメリカの事例を笑えない状況になっているようだ。

 それでも実は、「クレームにどこまでもとことん付き合い、解決する」という企業の姿勢には、一定の合理性が「これまでは」あった。それが他の企業との差別化につながり、顧客を獲得する機会となり、収益を上げる要因となったからだ。特にバブルが崩壊して以降、「失われた20年(30年?)」と呼ばれる経済低迷の環境下では、クレームにどこまでも付き合うことで客離れを防ぎ、売り上げを維持することが至上命題でもあった。

 今世紀に入って、特にクレーム問題がクローズアップされるようになった背景には、「どんな理不尽なクレームであっても対応するくらいの気概がなければ、昨年度並みの売り上げを確保できない」という切実な経済環境があったからだ、という面が否めない。

 だが、ここに来てとうとう、限界が近づいているように思われる。少子高齢化で労働者不足が深刻になっているのに、今までどおりクレームにどこまでも付き合うというやり方は、続けられなくなっている。

 それが顕著に現れたのが、運送業だ。ネット企業が「即日配送」を打ち出すなど、運送業への要望がどんどん高まる中で、労働力不足がついに限界を迎え、無理のない労働環境を回復すべく、配送時間の見直しなどが進んだのは記憶に新しい。顧客の要望にどこまでもつきあう、という日本企業のこれまでの取り組み方とは、明らかに風向きが変わっている。

 興味深いのは、消費者の変化だ。運送業で働く人たちがいかに大変な業務をこなしていて、理不尽なクレームにも我慢を重ねているかを知って、「ご苦労様です」「ありがとう」と声をかける人が増え、無茶な要求をする人が減ったという。

 これは重要な示唆であるように思う。生活が楽にならないのに業務量が増えるばかりという、働き方を改革するのには、実は「働き方改革」ではなく「消費者改革」が大切なのではないか、ということだ。


消費者も、一方では労働者

 そこで提案。「お客様は神様です」ではなく、「消費者だって、どこかで働く労働者」であるという考え方を、もっと普及させてはどうか、ということだ。

 消費者が理不尽な要望をしてもかまわない、というコンセンサスを社会が持ってしまえば、それは労働者でもある自分の首を絞めてしまうことになる。実は、「お客様は神様です」というフレーズがはびこることで、「労働者は消費者の下僕です」ということになってしまったのだ。

 だが消費者も、どこかで働く労働者なのだ。ならば、働く人の意識改革というよりも、消費者である私たちの意識を変えたほうが、世の中はもっと生きやすくなるし、楽しくなるのではないだろうか。そして、きっとそれは、私たちの働き方改革に確実につながることになるだろう。

 これまで、企業と消費者は対立関係として捉えられてきた。確かに、大企業は政府と癒着し、貧しい国民が苦しむのを見過ごしている、というマルクス主義的な世界観が、あながちウソとは言えない現実が戦前にはあったのだから、そうした捉え方が必ずしも間違っていたとは言えない。

 しかし時代が変わり、消費者のことをいの一番に考える文化が企業に浸透した今となっては、「消費者もどこかで働く労働者」という捉え方に切り替えなければ、消費者を守ることがもし度を過ぎてしまうと、労働者(実は消費者でもある)を苦しめる、という、おかしな話になってしまう。

 その意味では、消費者の権利を守る消費者庁と、労働者の権利を守る労働基準監督署が連携を深めて、消費者でもあり労働者でもある国民にとってもっとも妥当な落としどころはどこか、考えていくのもよいのかもしれない。

 ツイッターで、興味深い写真が多数リツイートされていた*2。ある居酒屋が張り紙を出していたのだが、その内容というのが、従業員に乱暴な口調で注文したら高額料金、丁寧な口調で注文してくれたら低料金にする、というもの。お客様は神様ではなく、従業員は奴隷ではない、とも。

 こうした主張が多数リツイートされ、好意的に受け止められているということは、「消費者だってどこかで働く労働者なのだ」という認識が、きちんと広がっていることを示しているのだろう。

 働き方改革は案外、消費者の意識改革にポイントがあるのかもしれない。お客様を大切に考え、もてなす気持ちを失わないが、消費者も「共に働くもの同士」という感覚を持ち、あまり理不尽な要求をせず、妥当な落としどころを探るのが大切、というコンセンサスを社会に広げるのが、今後は重要なように思われる。

*2:https://twitter.com/gin_shiru/status/1020517728669405184

筆者:篠原 信

JBpress

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