酒豪1位は王貞治、ギャンブラー1位は張本勲、では好色家1位は…野球解説者(90)が見たスター選手のウラの顔

2024年8月10日(土)9時15分 プレジデント社

現役時代の巨人の王貞治選手の一本足打法 - 写真=時事通信フォト

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プロ野球選手は、どんな生活をしているのか。ノンフィクションライターの長谷川晶一さんによる『プロ野球アウトロー列伝 異端の男たち』(大洋図書)より、「プロ野球ニュース」(フジテレビ系)の名物キャスターだった佐々木信也さんへのインタビューの一部を紹介する——。

■「プロ野球ニュース」名物キャスターが見た名選手


プロ野球の世界に関わるようになって、すでに60年以上が経過した。あの王貞治張本勲でさえも、佐々木からすれば後輩にあたる。人脈、知識、経験は余人をもって代えがたい存在となった。


写真=時事通信フォト
現役時代の巨人の王貞治選手の一本足打法 - 写真=時事通信フォト

「球界の酒豪ナンバーワンは王貞治。シーズン中にもかかわらずボトル1本どころか、2本は平気で呑んで、翌日の試合に平然と出ていましたからね」佐々木の述懐は続く。


「あれは確かよみうりカントリーだったと思うけど、評論家でジャイアンツOBの青田昇さんと一緒になったんです。その青田さんがものすごく酒臭かった。それで私が“昨日は相当呑んだんですか?”と尋ねると、“昨日はワンちゃんと一緒だったんだけど、かなり呑んでね”と笑っている。詳しく話を聞くと、“オレはウイスキーのボトル1本ぐらいは呑んだけど、ワンちゃんは2本空けていたよ”と笑っていました。で、その翌日の夜には試合に出てホームランを打つんだから、さすがですよ」


「酒」に続いて「博打」について尋ねると、佐々木は即答する。


■球界ナンバーワンギャンブラー


「球界ナンバーワンギャンブラーは張本勲かな? あるとき、背広の内ポケットいっぱいの札束を見せてもらったことがあったなぁ。“佐々木さん、コレ見てよ。競馬で勝ったんだ”って言ってたね。でも、張本の場合は博打もそうだけどケンカがめっぽう強かった」


あるとき、銀座でド派手なケンカがあったという。たまたま佐々木の友人が、その光景を目撃していた。


「大の男がぶん投げられて宙を舞っているぐらいの大ゲンカ。私の友人が人だかりの中に入ってよく見ると、輪の中心で大暴れしていたのは東映フライヤーズ時代の張本だったそうです。当時から、“張本を怒らせるな”という言葉は聞いていたけど、やっぱり本当にケンカは強かったんだね。銀座のど真ん中で、大の男を何人もぶん投げるなんて、今の時代では絶対に考えられない話ですよ(笑)」


では、「球界ナンバーワンの好色家は?」と尋ねると佐々木は笑う。「たくさんいますけど、本人の名誉のためにここは黙っておきましょう(笑)」


■これぞプロ…落合博満の名人芸


次に佐々木の口から飛び出したのは「オレ流」こと、落合博満との思い出だった。


「落合博満とはなぜかウマが合う関係でしたね。すでに三冠王を獲った後の、ある年のキャンプ取材のこと。2月半ばを過ぎているのに、まだバットを振っていない。理由を聞いても、“まだ早いから”と言うので、私は“お前さんのバッティングを見に来たんだから、打撃練習を見せてくれよ”と頼むと、落合は“いいですよ”と言ってケージに入っていく。さすが落合です。30球ほどスイングしてすべて真っ芯に当てていましたね」


話はここから本題に入る。「これで練習は終わりなのかな?」と佐々木が思っていると、落合は右打席から足を踏み出して、ホームベースをまたぐように、ちょうど捕手の位置でバットを構えたという。


「要はマシンに正対しているんです。“一体、何が起こるんだ?”と注目していると、身体を目がけて向かってくるボールをぶつかる直前で見事にさばいてヒット性のライナーを連発しました。私はすっかり感動して、練習後に“誰に教わったの?”と聞くと、“山さんです”とひと言。シュート打ちの名人、山内一弘(和弘)です。その目的は“ワキを固めてボールをさばくため”でした。超一流の指導者と超一流のバッターというのは、凡人では考えもしない発想を持つものなんですね。ほれぼれしましたよ」


かつて毎日聞いていた名調子が展開される。まるで、目の前で『プロ野球ニュース』が再現されているような幸せな時間は続く。


■「イチローの銀鱈事件」


同世代だけではなく、若い世代との交流の広さも佐々木の武器だ。


「2006(平成16)年8月の終わりに、私はシアトルに行きました。もちろん、目的はマリナーズのイチローを応援するためです。渡米して6年目。あれだけ奮闘しているのに、一度も見に行かないのは申し訳ないと思ったからね。このとき、私が選んだのは8月末のヤンキース戦。そこで、イチローと私の共通の知人にチケットの手配を頼みました。すると、イチロー自ら、“佐々木さんにプレゼントです”と手配をしてくれたんです」


そこで佐々木は「何か日本らしいお土産を」と考えて、当時同じくマリナーズに在籍していた城島健司の分と一緒に、デパ地下で「時鮭、メロ、銀鱈の粕漬パック」と「水ようかんセット」を買ったという。そして、シアトルで土産を手渡した翌日のことだ。


「その翌日、グラウンドで城島に会うと、“佐々木さん、さっそくいただきました。あんなにおいしいものはアメリカでは食べられません”とお礼を言われました。ところが、イチローは簡単なあいさつを交わしただけで何も言わない。さらにその翌日。試合前にイチローに会ったので、こちらから、“食べた?”と聞くと“まだです”と、そのまま奥に消えて行っちゃった(笑)。それでも私は、腹は立ちませんでしたね」


写真=iStock.com/gyro
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/gyro

■イチローと長嶋茂雄の共通点


このとき佐々木が感じていたのは「イチローと長嶋茂雄との共通点」だった。


「イチローは完全に長嶋タイプで、一方の城島は王タイプですね。王貞治に何かをしてあげると、次の日の朝には本人から感謝の電話がかかってくる。一方の長嶋は礼状もなければ電話もかかってこない。グラウンドで会っても何も言わない(笑)。ユニフォームを着ているイチローは長嶋と同様、野球のことで頭がいっぱいなんでしょう。それはプロとして悪いことではないですから。ところで……」


佐々木の口元から白い歯がこぼれた。


「……ところで、あれから何年も経ちました。イチローが銀鱈を食べたのかどうか、私は今でもわかりません(笑)。我が家ではこれを《イチローの銀鱈事件》と名づけて笑っています(笑)」


09年WBCでも、イチローとの対面を果たしている。


「WBCの国内合宿のときに、イチローと再会しました。取材初日、私がグラウンドで立っていると、イチローは私の顔を見るなり、大きな声で“あっ、プロ野球ニュースだ!”と無邪気に笑います。彼にはそういうユーモア精神があるんですね」


■スター選手たちの怖いもの


ひとしきりイチローとの思い出話が続いた後、佐々木は持参していた古びたシステム手帳を開き始めた。


「昔、いろいろな選手に“あなたの怖いものを三つ教えてよ”って聞いて回ったんだけど、これがそれぞれの個性が出ていて、とても面白いんですよ。イチローの怖いもの三つを紹介しましょうか?」


佐々木の問いに対して、イチローはしばらくの間、考え込んだという。


「イチローの怖いものは、①夏場、私服でいるときの下着の汗、②優柔不断な人、そして三つ目が毛深い女だって(笑)」


佐々木の思い出話はさらに続く。


「松井秀喜の場合は、①寒さ、②揺れる飛行機、③おばけ。ダルビッシュ有は、①グレープフルーツ、②走ること、そして③ジェットコースター。亡くなった野村克也は、①キムチ、②女房、③鶴岡(一人)さん。野村は辛いものが苦手だったのかな? 星野仙一は、①春菊、②ひがみっぽいヤツ、そして③攻めないピッチャー(笑)。みんなそれぞれの個性が出ていて面白いよね」


球界の重鎮でありながら、世代の違う若い選手とも積極的に交流できることが、佐々木の強みだ。そこには、年齢に関係なく、自分と同じ野球人としての敬意があった。


しかし、中には許せない存在もある。


■「応援団がうるさくて仕方ない」


「一人だけ顔も見たくない選手がいるんだね。名前は伏せるけど、その彼は内野を守っていた。守備に就く際、ベンチに戻る際、いずれもダラダラ歩いていく。子どもたちも見ているんだから、“ちょっとキミ、攻守交代の際には走ってくれないか”って言ったら、何も言わずにプイとその場から立ち去った。あれは今でも許せないね」


佐々木はこの一件を、当時の監督に伝えたという。


「でもその監督は、“あれ、そうですか”で終わり。ちなみに、星野にこの一件を話したら、“僕ならすぐにソイツを呼んできて、佐々木さんに謝らせます”って言っていたけどね。その辺も星野らしいよね(笑)」



長谷川晶一『プロ野球アウトロー列伝 異端の男たち』(大洋図書)

90歳を過ぎて、今では現場に顔を出すこともなくなった。それでも、日々、スポーツ新聞、スポーツニュースのチェックは欠かさないという。


「今ではもう球場に行くことはなくなりましたね。あの、のべつまくなしで大騒ぎをする応援団がうるさくて仕方ないから。コロナで応援団も自粛していたけど、アメリカのようにインプレー中は静かに球音を楽しむ文化を大切にしてほしいんだけどね」


日々の『プロ野球ニュース』を通じて、多くの日本人に野球の魅力を伝え続けた佐々木信也。この番組を通じて、視聴者は野球の魅力を知り、日本人の野球偏差値は大きく向上した。今もなお球界に対する愛情はまったく薄れていない。


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長谷川 晶一(はせがわ・しょういち)
ノンフィクションライター
1970年、東京都に生まれる。早稲田大学卒業後、出版社勤務を経て、2003年からノンフィクションライターとして、主に野球をテーマとして活動を開始。主な著書として、1992年、翌1993年の日本シリーズの死闘を描いた『詰むや、詰まざるや 森・西武vs野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)、『プロ野球語辞典シリーズ』(誠文堂新光社)、『プロ野球ヒストリー大事典』(朝日新聞出版)などがある。また、生前の野村克也氏の最晩年の肉声を記録した『弱い男』(星海社新書)の構成、『野村克也全語録』(プレジデント社)の解説も担当する。
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佐々木 信也(ささき・しんや)
野球解説者、スポーツキャスター
1933年神奈川県藤沢市生まれ。県立湘南高校1年時に夏の甲子園優勝。慶應義塾大学を経て56年高橋ユニオンズ入団、新人選手として全試合全イニング出場、リーグ最多180安打など活躍しベストナインに選出される。大映ユニオンズ、大毎オリオンズと在籍し、59年限りで現役引退。以降は野球解説者、キャスターとして活動。特技は麻雀。右投右打、身長169cm・体重76kg。
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(ノンフィクションライター 長谷川 晶一、野球解説者、スポーツキャスター 佐々木 信也)

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