イノベーションを起こす働き方改革の進め方

8月13日(月)6時0分 JBpress

スイスにあるフィリップモリスの研究施設「CUBE」。(撮影:榊智朗)

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 前回は、IQOSの開発によってフィリップモリスジャパン(PMJ)に押し寄せた社内変革とそれに伴う働き方見直しの経緯を紹介した。

 今回は、フィリップモリスがIQOSという革新的な製品を生みだした具体的な理由を、再び研究開発の現場の「働き方」の視点で見ていく。

 フィリップモリスはIQOSを開発するために巨額の投資をして最先端設備が整う研究開発施設「CUBE(キューブ)」(スイス・ヌーシャテル)を設立し、世界からさまざまな分野の優秀な科学者やエンジニアを集めた。

 だが、人を集めただけでは革新的なものを生み出せない。そもそもたばこ会社が人を集めることは容易ではなかったはずだ。

 キューブで働く科学者やエンジニアをはじめ、世界各国の社員が同じ方向に向かってミッションを遂行するために、もっとも重要なことは何か。フィリップモリスの事例を通じて、イノベーションを起こす働き方について考える。


働き方を決めるのは制度ではなくパッション

 フィリップモリスが社員の働き方で、もっとも重視していることとは何か。改めてPMJの副社長、井上哲氏に尋ねてみると、意外な答えが返ってきた。

 「人が働くうえでもっとも大切なのは、パッションだと私は考えています」

 「パッションというと感情的なものをイメージするかもしれませんが、本来はロジカルなもの」

 「会社が将来に向けて掲げたビジョンを正確に理解し、そこにしっかりとコミットメントを持てば、自然にパッションが生まれてくるはずです」

 パッションとは本来、人の心の中に静かに、そして強く宿るものだと井上副社長はいう。つまり働く人の心の状態が大切だと考えているようだ。

 働く人のモチベーションによって仕事の質が変わってしまうということは理解できる。ただモチベーションという点では、数ある業種・業界の中でも、たばこ会社ほど風当たりのきつい会社はないため、むしろパッションを持つことが難しいはずだ。

 「かつて松下電器の創業者、松下幸之助さんが『会社は社会の公器』だと言いました。今、フィリップモリスは、公器になるためのチャレンジをしているんです」

 「私たちが掲げているビジョンを理解して、そこにコミットしてもらえば、必ずパッションを感じてもらえるはずです」

 井上副社長が言う、フィリップモリスのビジョンとは、煙のない社会を目指す、というもの。

 健康リスクを軽減する製品を開発することで有毒物質を含む紙巻きたばこを社会からなくし、喫煙による病気をなくすことで、世界の公衆衛生に貢献する会社に生まれ変わることだ。

 そのビジョンを理解し、そこにコミットメントをすることが、PMJで働く人たちのパッションの源泉になっているという。


キーワードは「コラボレーション」

 それは、研究機関で働く科学者やエンジニアも同じなのだろうか。

 6年前からスイスのキューブでIQOSの開発に参加し、臨床研究の設計から試験の実施、データ分析のすべてに携わってきたジゼル・ベイカー博士に、その疑問をぶつけてみたところ、

 「この研究施設からIQOSという革新的な製品が生み出された最大の要因は、会社に明確なビジョンがあったからだと思います」

 と、彼女も迷うことなく答える。
 
 「フィリップモリスの経営陣は、たばこが人間の身体にとって有害であることを認めた上で、そこから離れようという強い意志を持ちました」

 「そして、それに代わる健康リスクを削減した製品を開発することで、世界の公衆衛生に貢献するというビジョンを描きました」

 「CEOがさまざまな場面でビジョンをメッセージとして私たちに伝え、同時に、そのために燃焼させない技術が必要だということをトップダウンで示しました」

 「ですから、私たち研究開発に取り組むスタッフの中で、方向性がわからない人は1人もいません」

 「イノベーションを可能にしたのは、会社がビジョンを示し、私たちが向かうべき方向を常に明確にしたことと、それが少しも揺らがなかったことです」

 トップマネジメントが変革への断固たる意志を示し続けてきたことが、IQOSの完成に繋がったという。

 では、研究開発施設「キューブ」の労働環境で、優れた点はどこにあると考えているのだろうか。

 「キーワードは、コラボレーションです。キューブではオフィスの隣にラボが並ぶ作りになっています。また噴霧ラボのすぐ近くに臨床試験のラボがある……というふうに、異分野の研究室やオフィスが互いに隣接したレイアウトになっています」

 「そのため分野の違う研究者やエンジニアたちが、オープンにコミュニケーションを取れる環境が備わっている点が優れていると思います」

 キューブでは、実に幅広い研究が行われている。

 製薬会社と同等の精密な基礎研究が行われているラボもあれば、たばこの煙とIQOSの噴霧の成分を比較するために、たばこを「吸って吐く」行為を繰り返すロボットが稼働している試験室もある。

 また、IT企業の開発現場を思い起こさせるIC制御の開発現場もあれば、時計の修理工房のような電気デバイスの試作品を手作業で作っているラボもある。

 まったくジャンルの違う研究や開発が、近接した場所で行われていて、意見や情報を交換しながら研究開発が行われてきたと、ベイカー博士はいう。

 「たとえばIQOSの電子部品が1つ変更になれば、それによって噴霧にどのような変化が起こるのか、有害性はないのか、ユーザーの使い勝手はどうか、といったことを即座に各部門が分析し、互いにフィードバックをしながら全体を調整しなければなりません」

 「その点、キューブではすべての部門がまるで1つのチームのようになって、同じゴールに向かって進んでいくことができます。ここはとても重要なところだと思います」

 もしも組織が細分化され、セクションごとに管理されていたなら、開発は困難なものになっていたに違いないということのようだ。

 あらためてキューブの施設内を見渡してみると、各研究室の壁にはそれぞれ大きなガラスの窓が設置されていて、外から内部の様子がわかる。

 4階の渡り廊下から見下ろすと、白衣の女性が実験器具を扱っている姿もうかがえるし、別の部屋では自動機械が休む間もなく動いている情景も見られる。どこで何が行われているのか、一目瞭然だ。

 また施設内の随所に設置された公園のベンチのようなオープンスペースには、どこからともなく人が来て、そこにまた数人の人が集まり、10分ほど議論をしたかと思うと、それぞれのラボに消えていく・・・といった情景が見られる。

 この施設のレイアウトが、セクションを超えた研究者やエンジニアどうしの、オープンなコミュニケーションを促す効果を生んでいることは間違いない。

 それもIQOSの研究開発には幅広い分野の専門家どうしのコラボレーションが欠かせないことを会社が理解していたからだ。


イノベーションを生む研究者の働く環境とは

 では1人の科学者として、ヌーシャテル湖が見渡せる素晴らしい環境で働けることは、研究活動を行う上で重要なことなのだろうか——遺伝子分析を行うニコラス・シエラ博士に尋ねたのと同じ質問を、ベイカー博士にも投げかけてみた。

 「たしかにこの場所の環境は素晴らしいと思います。でも、科学者にとってもっとも重要なことは、自分がどのような研究に携われるか、ということです。そしてその研究の成果がどのようなインパクトをもたらすかということです」

 「キューブで働く人たちは皆、自分たちの研究によって生み出されるものが、世界の公衆衛生に大きく貢献する可能性を持っていることを知っています」

 「それによって多くの命を救うことができ、フィリップモリスだけでなく業界全体に変革をもたらすことができると信じています。それはとてもエキサイティングなことです」

 研究活動の内容と、その成果のインパクトの大きさによって、科学者たちもまたパッションを胸に抱いているようだ。

 たばこの有害物質に関する実験が行われていると聞いて、ひんやりとした施設で厳しい顔で作業する研究者たちの姿を想像していたが、ここでは珈琲を片手に会話する声があちらこちらで響いている。

 第1回で紹介した佐藤さんの仕事ぶりも、熱意がこちらに伝わってくるかのようだった。彼の仕事への意欲は高く、語学習得などを通じて、未来のために努力する姿もはつらつとしていた。

 モチベーションも高い。それは、あるいは個人的な危機感から来るものかもしれないが、IQOSの開発現場の空気を肌で感じ、それが刺激になっているようだ。

 「こちらに来て、本部と間近に接してみると、フィリップモリスの変革にかける思いがどれほど本気かということが随所に伝わってくるんです」

 「たとえば、CEOが頻繁に語る“会社の透明性”という言葉も、本当に忠実に実践されていることに驚きます」

 「パンフレットに掲載する情報1つも、データをわかりやすくするために、少し表現を変えようとすると、そこは正確に伝えるべきだといって譲らないんですよね。そういう態度にも本気度を感じます」

 一方で、海外で仕事をしてみると、日本とのギャップに戸惑うことも多い。なるべく現地のルールや慣習に合わせることにしているというが、時には疑問に思うこともあるという。

 彼は現在、IQOSに関する科学的な説明をまとめた記事を世界各国のフィリップモリスの公式サイトに掲載するため、18か国の言語に翻訳をするプロジェクトを担当している。

 順次オープンの準備を進めていく中で、日本版の記事がいよいよ公開されるという前日、現地で契約しているホームページ運営管理業者のミスが発覚した。そのままではオープンできなくなってしまった。

 「ところがその業者はそのまま休暇に入ってしまったんです。日本の感覚だと考えられないですよね。自社のミスなら、休みを返上してでも挽回しようとするじゃないですか。ところがその会社には、休日に社員を働かせることはできないと言われました」

 「たまたまそれが日本版だったこともあり、自分の知っているPMJのスタッフが公開日に間に合うように頑張ってくれていたのを知っていましたから、その時ばかりは抗議しました」

 現地のルールに合わせる努力はするものの、日本人をはじめアジアの価値観を理解してもらう努力もしていきたいという。

 「こちらで仕事をしてみて、人への気づかいとか物事に対する丁寧さといった点では、日本人は優れているなと思います。こちらで学ぶことはたくさんありますが、逆に日本のいいところは、積極的に伝えていきたいです」

 佐藤さんの赴任期間はあと半年。「日本人はやっぱり違う」と言われるような、いい仕事を残して帰りたいと意欲を燃やしている。


働き方はオーダーメイドでつくるもの

 今回のフィリップモリスの取材を通じて改めて気づいたことは、働き方とは本来、働く個人が考え、選ぶべき問題であるということだ。

 ところが日本では働き方を考えるのは、企業の役目になっていて、議論をするうえで働く人の声が反映されていない。

 一方、企業では今、ガバナンスの強化が課題となっており、個人の裁量部分を拡大することも難しい状況だ。企業が制度を見直すことで変えていく部分と、個人の事情によってフレキシブルに変えられるよう自由裁量を認める部分と、そのバランスが問われている。

 そのバランスを調整するうえで、カギとなるのが会社のビジョンである。

 働き方とは会社のビジョンと密接に関係しており、その会社の事業内容やビジョンに適した働き方を、会社が試行錯誤しながら創り上げていくしかない。

 キューブはIQOSを開発することに成功したが、すべての研究機関がキューブを見習うべきだとは言えない。何を開発するためにどんな働き方をしてもらうのかによって、レイアウトも勤務体系も変わるはずだからだ。

 つまりイノベーションを起こすための働き方は、やはりオーダーメイドであることが原則だということである。

 その意味からもう1つ大切な観点が浮かび上がってくる。働き方を改革するということは、会社を改革することにほかならないということである。

 会社の未来像もなく、ただ社員にとって快適な働き方を提示するだけでは、社内を混乱させるだけに終わってしまう可能性が高い。

 実は、働き方改革で企業に問われているのは、自社をどのように変革していくのかという、未来へのビジョンだ。

 明確なビジョンを打ち出すことで、そのビジョンに共感した人がその会社に集まり、ビジョンに合った働き方によって彼らにパッションがもたらされ、個々の成果の積み重ねによって組織全体でビジョンを実現していく。それは会社変革のプロセスそのものである。

 その事業は何のためにあり、何を成し遂げようとしているのか、そのために会社はどう変わるべきなのか。

 イノベーションを生む働き方とは、その問いかけから導き出されるものに違いない。

筆者:大島 七々三

JBpress

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