「慰安婦」炎上狙いでテロ誘引、膨大なコスト増

8月13日(火)6時0分 JBpress

展示が中止となったあいちトリエンナーレ「表現の不自由展その後」(写真:AP/アフロ)

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 あいちトリエンナーレ「表現の不自由展その後」展示の中止に関連して、「反日」あるいは「表現の自由の侵害」といった指摘がピント外れであることを指摘しています。

 愛知県の大村知事は

「多くの皆さんに不安を与え」「展覧会の円滑な運営が行えなくなった」ことに関して、早期に「検証委員会」を設置のうえ、証拠に基づいて法的に対処を検討する旨を発表、全く妥当なことだと思います。

 同時に「表現の不自由展その後」に作品を出品していた彫刻家で、文化女子大学教授の中垣克久さんさんがインタビューに応じ、事前の作家名や作品名の公開を伏せられたこと、作家として当然抗議したところ「情報が洩れると企画がつぶされるから」といった説明があったことなどに言及していました。

 もし、これらが事実であるとすれば、今回の事態は明らかに意図的な「炎上」を狙って発生したもので、運営側の責任が厳しく問われなくてはなりません。

「一番悪いのは、暴力で脅迫した人だ」という意見がありますが、そんなのは当たり前です。

 一番も何も脅迫なり放火なりというのは通常法規で禁じられる刑事事件であって、当然取り締まりを受けるべきであり、ただの犯罪です。

 今回の「あいちトリエンナーレ」の失敗に固有の本質的問題では全くありません。

 今回の「あいちトリエンナーレ」事件が問題になった直後、つまり会期2日目である8月2日の時点で私は

「事前に十分な告知はなされていたか?」「官費を使うので、必要があればパブリック・コメントを」といったポイントを本連載の緊急稿で指摘しました。

 果たして翌8月3日、企画展は中止となりました。

 その後ぼろぼろと出てきた事実から、この展示は、公的な国際トリエンナーレであるにもかかわらず本来必要な事前告知を意図的に怠り、「炎上」効果を狙った可能性が高い。

 炎上効果が予想以上の規模に広がってしまい、実際に逮捕者も複数出る事態となってしまった。

 夏休み中に開催される平和と人道の国際芸術祭であるはずが、危険を避けて来場を手控える人が出るような事態となったことは、ガバナンスそのものの問題です。

 表現の自由でもコンテンツの中身の問題でもなく、税金を使って公的な催しを行う最低限の規則が守られていなかった可能性が明るみに出てきてしまった。

 これは本質的にインターナショナルなトリエンナーレの開催であったはずなのに、日本国内の「ネット民の反響」程度しか、見ていなかったのではないかと察せられます。

 また、ここで「表現の自由」を言う人の中に「暴力に屈することなく、展示を続けるべきだ」といった意味合いの意見を目にしました。

 仮にそうだとして、「テロの脅しや暴力に屈しない」ために、どの程度のコストがかかるのでしょうか。お金の見積もりが全く抜け落ちた意見に見えました。

 それは素人の妄言であって、財務の後ろ盾のないアイデアは、夢まぼろしにすぎません。少なくとも職業的な責任で芸術事業を監督するなら、安定確実な予算のあてがなくてはできません。

 すべて元は税金なんですから、冗談にもならない。

 まして主催者側が事前から意図的に「炎上狙い」つまり暴力的な襲撃を誘引するなど、言語道断と言わざるをえません。

 意図的に炎上させるつもりなら、今回「わしらネットワーク民」を名乗った容疑者が実際に逮捕されたような事態をあらかじめ想定していなければなりません。

 テロを誘発させるなど許されることではないうえに、その際に「テロに屈しない」ために、どれほどのコストがかかるのか、2019年8月8日時点でのベルリンの実例で、お話したいと思います。


100トン単位のコンクリート塊

 まず、以下の写真を見てください。

 金網に囲まれた何かが、車道と歩道の間に長々と設置されている様子を映してみました。

 右の写真(上から2番目)で横に停められている自転車から、断面の一辺が1メートル以上の、かなり大きなものであることが分かるかと思います。

 中身は確認し切れていませんが、上部には雨水が溜まっており、その下はコンクリートであるらしいことが見て取れます。

 これらは、2016年12月にポーランドで強奪されたトレーラーが「クリスマス市」に突っ込み、11人が犠牲になったテロ現場、ベルリン市内中心部の「ヨーロッパ広場」に、昨年あたりから常設されるようになった「障害物防御壁」にほかなりません。

 左は、まさにテロで犠牲者がでた現場そのもの、右は広場の180度反対にあたる「クーダム」繁華街側ですが、エリア全体をぐるりと取り囲んでいます。

 テロ直後の2016年暮れも、明けて2017年の年初も、このヨーロッパ広場では一貫して季節ごとの市が立ち、まさに襲撃があったその場所に子供向けの遊具などが置かれて、人の賑わいが絶えることはありませんでした。

 「テロに屈せず」を、地で行ったわけですが、ベルリン当局は当初、50センチ×50センチ×1メートルほどの鉄筋コンクリート塊を会場周辺にその都度配置し、終わると撤収し、武装した多数の要員が警戒する中で、それらの作業を行っていました。

 正確な分量は知りませんが、5トンとか10トンといった量でないことは一目見ただけで分かります。

 数百トン規模の障害物が毎回投入され、万が一10トン級のトレーラーが突入してきても、必ず食い止められるよう、セキュリティを施したうえで「テロに屈せず」の旗をたかだかと掲げている。

 広く報道されている通り、欧州は各地でテロの被害が出ており、莫大な警備コストを支払いながら、「日常」の秩序を維持し続けています。

 以前は毎回、莫大な量のコンクリート塊が搬入、搬出されて2018年の後半頃からだったと思いますが、常設の防御壁が建設されるようになりました。

 しかし、現地で友人たちと話して、特に「京都アニメーション放火殺人事件」の詳細を説明すると、そうした「安価」なテロへの的確な防御策がいまだ立てられていないことに言及して、皆一様に恐ろしいことだと答えます。

 ちなみに「ドローンを使ったテロ」に対しては、一定の対策が立てられているそうです。しかし「ドローンにガソリン」など積み込まれたら、現状では防ぎようがないのではないか、ガソリン相手に火気は使えないし・・・といったところで議論は止まります。

 私の友人は音楽の仲間や映画監督、大学教授などでセキュリティの専門家ではないので、このあたりで止まってしまう。やはりプロの力が必要というところで意見は一致しました。


展示の再開コストはいくら?

 報道によれば、企画展が「中止」になった後も、あいちトリエンナーレ「表現の不自由展 その後」の展示会場は封鎖されたままで、作品が撤去などはされていない、とのことでした。

 また、「この展示を再開すべき」という署名も、多数集まっているとも伝えられます。

 こういうとき、芸術監督や主催者サイドは、何をするべきか?

 企画の内容で判断される、あらかじめ「結論ありき」は、検閲と呼ばれるもので、公的機関がこれを行うことは、憲法が禁止しています。

「税金を使って政治的な主張をしてはならない」というお寒い<意見>が開陳されていますが、選挙を考えてみてください。

 毎回何十億円という官費、つまり税金が投入されて、およそあらゆる政治的な主張が、あらゆる媒体を使って拡散していますね。これ、違法なことですか?

 そんなことがあるわけはない。

 もちろん「政治的主張」といっても法に触れるような<主義主張>であれば、それは単に犯罪であって、許容されるわけがないことは、すでに記した通りです。

 問題は、税金を使って行われる公的行事として、「きちんとペイするものかどうか?」「またそれを納税者は是とするか?」という手続きであって、<表現の自由>は第一には関係してきません。

「表現の不自由展」をもう1回見たいという人が、地元納税者の過半を占めるとすれば、再検討される価値があるでしょう。

 ただし、その場合には、すでに「ガソリン携行缶を持ってお邪魔」などと予告する者や、警官に「ガソリンだ」と称して液体をぶちまけた者など、逮捕者が出ているわけで、プロフェッショナルによるセキュリティの計画が立てられ、その見積もりが提出され、議会レベル相当で検討され、承認が得られなければならないでしょう。

 仮に多くの納税者が展示再開を望んだとしても、警備など「展示再開コスト」が、全くペイしない金額に上ってしまうなら、再開は現実問題として不可能と判断されるでしょう。

 こうした仕儀は、いったいどうして発生してしまったのか?

「県が悪い」という議論を目にしましたが、仮にそうだとすると、県に責任がかかり、最終的に納税者にツケが回ってくる可能性があります。

 2004年ギリシャ・オリンピックの赤字を想起してください。濫費は全欧州の経済を危機的状況に追い込みました。そういう判断を下すべきか否か?

 すべては本質的には納税者が判断すべきで、現実には公職選挙で選ばれたその代表、つまり議会に諮られねばなりません。

「あいちトリエンナーレ2019」は、危機管理が全くできないアマチュアを芸術監督に据えるという明確な失敗を犯しました。

 あえて国立大学法人の芸術教員として居住まいを正したうえで明記しますが、こういうことは二度と繰り返すべきではなく、失敗の原因を明らかにするとともに、厳密に再発を防止することを、関係各方面に注意喚起したいと思います。

 私は、ビエンナーレ、トリエンナーレや五輪文化行事のような公的イベントのアーティスティック・ダイレクションを、新たな切り口の人材が行うことを決して否定しません。

 また一芸術人として、表現の自由は厳密に守られるべきと思います。長年の連載読者はよくご存じのとおり、私は徹底してハト派で、リベラルなスタンスを崩しません。

 そのうえで、ですが、公金の扱いがいい加減であるとか、物理的な暴力被害を呼び込むとか、危機管理の予算見積もりができないとかいった表現以前、芸術以前の、当たり前の公務が完遂できないチームの編成は、二度と繰り返すべきではないと思います。

 本当の意味での「悪しき前例」の意味を、日本社会はきちんと理解し、学習すべきと思います。

筆者:伊東 乾

JBpress

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