「胸さわぎの腰つき」の具体的意味は何か

8月13日(日)11時15分 プレジデント社

スージー鈴木『サザンオールスターズ1978-1985』(新潮新書)

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「勝手にシンドバッド」の強烈なインパクトを突破口に、日本のお茶の間に初めて「ロック」を響かせた初期サザンオールスターズ。しかしそのサウンドも、桑田佳祐のボーカルに乗せられた不思議なフレーズの数々も、よくよく考えればわからないことばかり。その謎に迫るとき、彼らの起こした「革命」の意味が見えてくる。

※以下はスージー鈴木『サザンオールスターズ1978-1985』(新潮新書)の第1章「1978年—サザンオールスターズ、世に出る。」からの抜粋です。


■日本ロックの革命記念日


1978年6月25日、日曜日。神奈川県の天気は、曇りのち雨──。


この、どこにでもあるような休日こそが、日本ロックの革命記念日だったという話をしたい。それが、本書執筆の最大の動機である。


シングル≪勝手にシンドバッド≫の発売日。


日本のポップス、のちに「Jポップ」と呼ばれるカテゴリーにおいて、キーパーソンを3人選べと言われれば、松任谷由実、山下達郎、そして桑田佳祐であると、確信を持って答える。そして、この3人は、デビューアルバムの、それもA面1曲目から、そのありあまる才能を、惜しげもなく披露している。


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荒井(松任谷)由実:≪ひこうき雲≫(アルバム『ひこうき雲』)

山下達郎(シュガー・ベイブ):≪SHOW≫(『SONGS』)

桑田佳祐(サザンオールスターズ):≪勝手にシンドバッド≫(『熱い胸さわぎ』)

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この3曲について、商業的には桑田の圧勝である。オリコンで最高位3位、50万枚を売り切った≪勝手にシンドバッド≫に対して、≪ひこうき雲≫や≪SHOW≫は、シングルカットすらされていない。



スージー鈴木『サザンオールスターズ1978-1985』(新潮新書)

しかし、その反動として、≪ひこうき雲≫や荒井由実、≪SHOW≫やシュガー・ベイブの方が、往々にして、伝説性を持って語られ、かたや≪勝手にシンドバッド≫は、あのころの大衆全員が体験した「現実」として、淡々と語られることになる。


■小さく見積もられる「桑田/サザン」


≪ひこうき雲≫については、死に直面した少女のことを表現した文学的な歌詞世界と、教会音楽に根ざした高度な音楽性を持った、天才少女の登場。


≪SHOW≫については、完成された伸びやかな歌声と、抜群の音楽知識によって、日本に垢抜けたポップスを確立する天才シンガーの登場。


などと、一般にそう語られがちで、それは間違ってはいないのだけれど、デビュー当時の荒井由実と山下達郎が、さほど売れなかったからこそ、2人が商業的成功を得たのちに、いわゆる「後付け」で、そういう文脈に「盛られた」のではないかと疑うのだ。


逆に言えば、デビュー時から売れたからと言って、桑田/サザンの存在が、低く、小さく見積もられるのだとしたら、こんなに貧乏くさい話はない。なぜならば、ポップスとは、売ることを最終目的とした音楽ジャンルなのだから。


では、≪勝手にシンドバッド≫の何が凄かったのか。何が革命だったのか。


ひと言でいえば、「日本語のロック」を確立させたことに尽きる。



今となっては信じられないが、70年代の半ばまで、「日本語はロックに乗らない」と、真面目に考えられていたのである。そんなつまらない固定観念が、≪勝手にシンドバッド≫1曲によって、ほぼ完全に抹殺された。「日本人が日本語でロックを歌う」という、今となっては至極当たり前な文化を、私たちは享受できるようになった。


■「胸さわぎの腰つき」という桑田語


例えば、「早口ボーカル」「巻き舌ボーカル」と言われるほど、日本語を、口腔内を自在に操って発声することが普通になったこと。


例えば、「胸さわぎの腰つき」という、おそらくは英語に訳せないであろう、意味から自由な新しい日本語=「桑田語」が受け入れられるようになったこと。


例えば、それまで、日本のお茶の間に、決して響いたことのない16ビートや不思議なコード進行が、ブラウン管から流れ出したこと。


これらすべてが、桑田佳祐率いるサザンによる「革命」の結果なのである。


次項より、≪勝手にシンドバッド≫の凄みを、より具体的に見ていくこととする。


■桑田ボーカルの源流


あの≪勝手にシンドバッド≫の衝撃を多面的に分解すれば、その最も大きな要素は、桑田佳祐の、あのボーカルスタイルではなかったか。


ここでは、その源流を探る。ただし、桑田という人は、音楽的知識・経験が非常に深い人で、ボーカルスタイルの源流も多岐にわたってしまい、やや複雑な話になることを、ご了解いただきたい。


ボーカルスタイルを「発声」(声の出し方)と「発音」(舌の使い方)に区分する。


桑田の「発声」。こちらは当時「しゃがれ声」「ダミ声」などと形容された。一般的には、リトル・フィートというアメリカのバンドのボーカル=ローウェル・ジョージや、エリック・クラプトンの影響が指摘されるのだが、幅広い音楽を聴いてきた桑田のこと、洋楽だけでなく、日本人からの影響も大きかったと思われる。


はっぴいえんどの大滝詠一。デビューアルバム『熱い胸さわぎ』に収録された≪いとしのフィート≫は、はっぴいえんど≪春よ来い≫へのオマージュだろう。ということは、≪春よ来い≫の、大滝のダミ声をしっかりと聴いていたはずだ。


ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの宇崎竜童。桑田は、デビューが決まった後に、宇崎を訪問し、事務所に入れてくれとお願いしたことがあるという。サザンのアルバム『タイニイ・バブルス』収録≪Hey! Ryudo!(ヘイ!リュード!)≫は、宇崎のことを歌ったもの。ボーカリスト、ひいては人間として、リスペクトしていたと思しい。


そして柳ジョージ。桑田よりもしゃがれたあの声。これは、ゴダイゴのミッキー吉野氏から私が直接聞いた話。当時ある歌番組で、ゴダイゴの楽屋を訪ねた桑田から、「柳ジョージさんを紹介してほしい」とお願いされたという(吉野と柳は、伝説のバンド=ザ・ゴールデン・カップスの出身)。


更には、のちに≪吉田拓郎の唄≫(アルバム『KAMAKURA』収録)を捧げることになる吉田拓郎の影響もありそうだ。



次に「発音」。こちらも注意深く「子音」と「母音」に区分すると、まず「子音」は、英語的に破擦音(カ行やタ行)を強調(クァ、ツァ)すること。「母音」では、ア・イ・ウ・エ・オの5音に留まらず、こちらも英語的に、たとえばアとエの間の音などで歌うこと。これらの新しい「発音」を、日本語ボーカルに取り入れたことが、桑田の大きな功績となる。


■桑田は矢沢永吉を意識していた


その源流としては、まずザ・テンプターズの萩原健一(ショーケン)。桑田へのインタビュー本『ロックの子』(講談社)では、子供のころに萩原の歌を研究していたとの発言があり、そこに添えられた、ザ・テンプターズ≪エメラルドの伝説≫の、桑田本人による物まね発音の表記が、実に示唆的である──「♪むィいずうみぬィ〜きみはむィをぬァげッつあ〜」(=湖に君は身を投げた)。


また「発音」面でも、大滝詠一の影響はあるかもしれない。しかし、それよりも何よりも、最大の存在がいるだろう。キャロル時代の矢沢永吉である。


その『ロックの子』で桑田は、キャロルの歌を「鼻についちゃったんだよね」とあからさまに否定しているが、否定しているということは意識していたということだ。そして桑田は何と、アマチュア時代にキャロルのコピーを披露している(75年7月「第2回湘南ロックンロールセンターコンサート」)。また、≪勝手にシンドバッド≫では、ラ行で舌を巻いているのだが(例えば「♪それにしても涙が止ま≪ら≫ないどうしよう」の「ら」)、このあたり、ひどく「矢沢的」である。


というように、突然変異的に見えながら、実はここに挙げたような、古今東西の様々なボーカルスタイルをガラガラポンした結果として生まれた、あの声、あの歌い方。それこそが、「革命」を推進するエンジンだったのだ。


■「勝手に」で重要な3つのフレーズ


≪勝手にシンドバッド≫の衝撃を構成する、もう1つの大きな要素は歌詞である。「桑田語」とでも言うべき、とても独創的で斬新な感覚の言葉に溢れている。


今改めて≪勝手にシンドバッド≫の歌詞を見ると、その後のサザンの歌詞とは異なり、英語のフレーズがまったく入っていないことに驚く。


デビューアルバム『熱い胸さわぎ』に収録された≪勝手にシンドバッド≫以外の曲では、英語フレーズがいくつか使われている。代表的なものは、≪別れ話は最後に≫の歌い出し=「♪Listen to the melody 寝てもさめてもMemory」。この日本語と英語をチャンポンする方法論の先達もまた、キャロルである。桑田に対する、いや日本ロック史に対するキャロルの影響の大きさを、冷静に捉えなければならない。キャロルが低く見積もられるのは、音楽ジャーナリズムにおける「はっぴいえんど中心史観」の悪影響である。


≪勝手にシンドバッド≫の歌詞に話を戻せば、重要なフレーズは3つある。


1つは何といっても「♪胸さわぎの腰つき」。この曲の中で、最も重要なフレーズ。


よく考えてほしい。「胸さわぎの腰つき」の具体的意味は何か、と。歌詞の文脈を追えば、その「腰つき」をしているのは「あんた」だから、女性だ。女性自身が「胸さわぎ」をしながらの「腰つき」なのか、もしくは「俺」に「胸さわぎ」を与えるような「腰つき」なのか。そもそも「腰つき」って何だ? 腰のかたち? 腰の動き?


つまりは、意味の連想は人によってバラバラなのである。しかし、文字列としての「胸さわぎの腰つき」が与えるイメージ連想としての、切迫感や焦燥感、卑猥さ……などは、人によっても、かなり均一だと思う。「意味が通じないから」ということで、このフレーズを、スタッフが「胸さわぎのアカツキ」や「胸さわぎのムラサキ」(!)に変えようとしたという話がある。変えてくれなくて本当に良かった。


2つ目は「♪江の島が見えてきた 俺の家も近い」


1番とはわざわざメロディを変えて強調されるこのフレーズ。曲の中では、先に述べたように、前衛的で意味不明な歌詞世界の中で、唯一、具体的な情景が広がる場面である。このフレーズの有無で、この曲の大衆性はかなり違ってくると思う。つまり、このフレーズがあったからこそ、最高位3位、売上枚数50万枚が実現したのだと、大げさではなく、そう思う。



そして3つ目は、これは歌詞カードには載っていないのだが、間奏前に桑田が叫ぶ英語フレーズである。私の聴き取りでは「Music Come On Back To Me, Yeah!」


また矢沢永吉の話で恐縮だが(それくらい、桑田と矢沢は密接な関係にある)、当時の矢沢も、このような謎な英語のシャウトをよくしていた。ただし、桑田と矢沢で違いがあって、桑田の方が、何というか、英語シャウトが「板に付いている」感じがするのだ。


■日本ロック史上初の本格的英語シャウト


おそらく洋楽を聴いた量の違いだろう。当時より圧倒的な洋楽知識を持っていた桑田に対して、矢沢永吉は、78年発売の自著『成りあがり』(角川文庫)の中で、自分で買ったレコードはたった4枚しかないと公言している。


「Music Come On Back To Me, Yeah!」は、洋楽を血肉とした日本人による、日本ロック史上初の本格的英語シャウトだと言えよう。ある意味「♪胸さわぎの腰つき」よりも、インパクトは大きい。


私が≪勝手にシンドバッド≫を初めて聴いたのは、小学6年生の分際で親しんでいた深夜ラジオだった。確か、水曜深夜の『タモリのオールナイトニッポン』ではなかったか。あの歌い方にこの歌詞。邦楽か洋楽かすら分からなかった。そもそも、「何が起こっているのかすら分からない」という感じで、とても混乱したことを憶えている。


そんなかたちで、日本に「桑田語」が撒き散らされた。文語調・七五調で意味深な歌詞世界から、「日本語のロック」が解放された。そして「桑田語」は、その17年後、95年発売≪マンピーのG☆SPOT≫にある、「♪芥川龍之介がスライを聴いて“お歌が上手”とほざいたと言う」に極まることとなる。


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スージー鈴木(すーじーすずき)

音楽評論家

1966年、大阪府東大阪市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。昭和歌謡から最新ヒット曲までを「プロ・リスナー」的に評論。著書に『【F】を3本の弦で弾くギター超カンタン奏法』『1979年の歌謡曲』『1984年の歌謡曲』がある。

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(音楽評論家 スージー鈴木)

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