家庭崩壊のうえ自己破産…世界の中心にいたはずの電通マンはなぜ「ぼろぼろの転落人生」を歩んだのか
2024年8月13日(火)11時15分 プレジデント社
写真=iStock.com/Alfons Morales
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Alfons Morales
■世界の中心にいたかもしれない元電通マンのリアル
「新生活」と誰かに断じられて放り込まれた、あるいは自ら飛び込んだ新年度。4月の否定しがたい緊張に桜色の高揚や鼓舞を無理やり混ぜて走ってみた春はあっという間に過ぎていった。俺(私)、この先どうしようかなぁ。この時期になると、そんな心の声が聞こえてきそうな顔たちと街ですれ違う。上昇する気温や長い夏の予感で自分たちをごまかすけれど、もう1年も半分が過ぎちゃったよ。筆者のそんな気分を反映してか、なんとなくキャリア論が気になった。
「就職サイトには絶対に載ることのない、巨大広告代理店の真の姿」とうたうのは、『電通マンぼろぼろ日記』(福永耕太郎/フォレスト出版)。
福永耕太郎『電通マンぼろぼろ日記』(フォレスト出版)
バブル絶頂期を含める30年間にわたって「あの時代」の広告代理店に勤め、最前線で営業職として汗をかいた、60年代生まれの著者による怒りと悲哀と笑いの記録だ。これまでにメガバンク銀行員、タクシードライバー、ディズニーキャスト、保育士、大学教授など、それぞれの職業の現実を当事者が笑いと汗と涙まじりに綴ってきた現場ドキュメント日記シリーズの最新刊。今回もすべて実話の生々しさで、しかも著者に隠す気があるのかないのか「匿名」がいまいち匿名になっておらず、有名企業やタレント、大物政治家など容易に想像がつく。読み手のほうがヒヤヒヤするほどである。
電通マンの土下座の作法、ゴルフ・料亭・ソープ接待、タクシー券の使い方、ギョーカイにおける薬物スキャンダル、高額と言われる電通の給料の現実、テレビ局や新聞社とのズブズブな関係、同業他社との首を懸けた熱戦の攻防、動く巨額の金、五輪、ジャニーズ、クライアントは神さまです……。ひとりの苦学生が、あの当時のマスコミの花形であり、もしかして表も裏も、本当に世界の中心あたりにいたのかもしれない電通という広告代理店に就職する。そうして手にしたキャリアで、普通なら決して会えない人に会い、行けない場所へ飛び、一般人には飲めない酒を飲んで、見られない風景を見るのだ。
■華麗なキャリアはなぜ「ぼろぼろ」になったのか
今でこそ広告業界とは「世界のあり方をデザインし、企む」集団であるとの認識も定着してきたが、製造業など実業優先の時代には、チャラチャラしたギョーカイ扱いをされることも少なくなかった。だが筆者は実際にその「チャラチャラ」が実業の世界を広告という側面からどれだけ支えてきたかを熱く語る。あの時代に輝いていた日本の産業がどうやってモノを売っていたか、既存の市場だけではない新しい市場をどうやって創出してきたかが、ここに綴られている。
パイの中だけで争うのではなくて、新しいパイを企画して焼く。これはゲリラ戦を仕掛けるエネルギーをまだ備えていた日本の姿でもあるのだろう。シュリンクしていくことが既定路線で、縮小や下降のスピードを減速させることだけで精一杯のその後の世代には、もう経験することのできないであろう熱さがそこにはある。
だが、華麗なはずの広告営業マン人生の行き先は、決してハッピーエンドではない。やがて見舞われる、自身のキャリアと家庭生活の途絶。そしてアルコール依存症、自己破産へ。「ぼろぼろ日記」の意味を理解して涙すら滲む。電通の早期退職と同時に熟年離婚した著者が地べたを這いつくばって得た実体験と、今だからこそタイムリーな話題の数々に、ページを繰る手が止まらない。
■本を読まない若い世代にどんどん読まれているらしい
谷川嘉浩『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』(ちくまプリマー新書)
「本当にやりたいこと」「将来の夢」「なりたい自分」こんなテンプレに惑わされないために。変化を恐れない勇気、あげます。自分を忘れるほど夢中になれる「なにか」を探すために、スマホを置いて一歩を踏み出そう。
という触れ込みの一冊が、『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』(谷川嘉浩/ちくまプリマー新書)。ちくまプリマー新書なんて地味なところ(失礼)から出ているにもかかわらず、いま若い世代にどんどん読まれているらしい。
著者の谷川嘉浩は90年生まれの気鋭の哲学者。コミックスやアニメ、文学やデザインなど、いまどきのカルチャー語彙をふんだんに引用しながら、「衝動」「熱量」「起動」という言葉を読者へ全力でプレゼンする。
■今の若者に衝動はあるのか?
衝動とは何ものなのか、どうすれば衝動が見つかるのか、どうすれば衝動が自己に取り憑くのか……。衝動、衝動の連呼。そして気づく。彼がこうまでして若者に「衝動」を説くのは、今の若者たちには、明確にヒリヒリ灼けて腹の減った、渇望に近い衝動なんてものを感じることがないからではないか。あるいは自分の中にこみ上げる得体の知れぬ何かがあっても、それを「衝動」と名づけられるとは想像もしないほどに、彼らは満たされ、あるいは手なづけられているからではないか。
先行き不透明なくせに、先細ることだけは確かな少子化の時代。若者に贈る人生論は、「人生のレールを外れろ」という衝動論だった。衝動を実装し、あらかじめ用意された物語とは別の物語にジャックイン(接続)せよという、これは不穏な精神のプロパガンダだ。
忘我の境地、非合理なくらい夢中になれる、“別の物語”に接続せよ。あのぼろぼろの電通マンだって、もしかしたらそんな衝動に突き動かされながらひたすら時代を疾走したんじゃなかったのか。たどり着いた結末は、彼の想像とは違ったのかもしれないけれど。
自分がいま身を置く物語ではない、“別の物語”。それはきっと大人にも、いいや先の長い人生に飽いた大人にこそ必要だ。
■地球に不時着した宇宙人とは何者か?
地球に不時着した宇宙人がやってきたのは、ちょっと風変わりな職業相談所。宇宙人は相談所のスタッフと一緒に、この星で生きていくこと、働くことの意味や喜びについて考えはじめる。「そもそもおしごとってなんだろう?」
ニューヨーク・タイムズ最優秀絵本賞など数々の賞に輝く絵本作家やイラストレーターとしてだけではなく、「週刊文春」の人気連載『ツチヤの口車』の挿画家としても活躍する、ヨシタケシンスケ。新刊の『おしごとそうだんセンター』(集英社)は、子どもも大人も楽しめる、仕事について考える絵本。
ヨシタケシンスケ『おしごとそうだんセンター』(集英社)
同じカタログ形式で職業を並べる『13歳のハローワーク』と根本的に違うのは、ここで紹介されるのはすべて「架空の仕事」だということ。これまであった仕事が10年後に存在するかどうかもわからない、そんなAI時代のとば口ならではの仕事論だ。
胴上げ屋、大道芸コーヒー、おひとりさまミステリーツアー、時空引越し便、インスピレーション屋、隠ぺい屋、未解決事件紹介所——。組織人には逆立ちしても出てこないであろうぶっ飛んだ発想力を持ち、人間の絶妙な表情や話し言葉を描き取るヨシタケならではの架空の仕事の数々。実際、ヨシタケ本人は組織には適応できなかったとインタビュー記事で語っている。ところがそんな架空の仕事はまるでメタファーのように現実の何かの仕事を映し、最後のコマに必ずあるオチには微量の毒やクスリとした笑いが仕込まれている。
自分の仕事だって、10年後に存在するんだかしないんだか。そう思うと肩肘張るのも阿呆らしくなり、こうあらねばと現状にしがみつく指先もふっと軽くなる。そして時折挟まる、宇宙人とお姉さんとのやりとりの漫画パートには、うっかりすると泣かされること保証。「どんな人も、おしごととそれ以外でできている」「たとえばおしごとで何かしっぱいしても、おしごとがおわったら、そのことはもう考えなくていいの」「『おしごとで一番大事なこと』と『あなたにとって一番大事なこと』は同じとはかぎらないからね」。冒頭で取り上げた「ぼろぼろ」の電通マンが現役の頃だったら、これをどう読んだだろう。
■フリーランス翻訳者、人生最大の闘い
「世界同時発売を死守せよ」。スティーブ・ジョブズ初の公認伝記、全世界同時発売までわずか4カ月。追い詰められた売れっ子フリー翻訳者は「時間と質」をどう両立させるのか?
井口耕二『「スティーブ・ジョブズ」翻訳者の仕事部屋 フリーランスが訳し、働き、食うための実務的アイデア』(講談社)
『「スティーブ・ジョブズ」翻訳者の仕事部屋 フリーランスが訳し、働き、食うための実務的アイデア』(井口耕二/講談社)は、フリーランス翻訳者が食べていくための「ビジネス書」として、出版翻訳者の仕事を知る「業界お仕事エッセイ」として、英日翻訳のコツを知る「語学ガイド」として、育児のために男性がフリーになるという「発想転換のすすめ」として、楽しみどころ満載——。
という触れ込みではあるのだけれど、要するに「フィギュアスケート全日本選手→東大工学部→4留後一流企業で激務→育児のためにフリーランス翻訳者→現在は東京と八ヶ岳の二拠点で働き、ロードレースにも挑戦」となるような、アクの強い売れっ子翻訳者のフリーランス人生論(と、案の定致し方なく漏れ出す自慢話)ではある。
ではあるのだが、ベストセラー翻訳出版のてんやわんやの舞台裏を通して、異色なフリーランス翻訳者の仕事部屋が見えてくる。仕事と人生での優先順位のつけかた、意思決定のしかた。餅は餅屋で、翻訳や文章のテクニックの話などはやはり白眉だ(しかもそれを統計化して見せたりするのが、この著者らしく過剰で苦笑)。
「訳して、働いて、食っていくためのヒント」とある通り、こういう才能あふれる変人が世捨て人で酒浸りの売れない作家などではなくて、ちゃんと世間にベストセラーを送り出して、家庭生活も子育ても楽しんで趣味にも邁進できて、いい感じに満たされた人生をドヤ顔、もとい、笑顔で送れるのが21世紀だと感じさせられる。社会も、ひとも、稼ぎかたも生きかたも、みーんな変化していくのである。これしかない、こうあらねば、と誤解した正解にしがみつく時代じゃないのである。だってあなたの(私の)その仕事、10年後に存在しているかどうか、もうわからないんだから。
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河崎 環(かわさき・たまき)
コラムニスト
1973年、京都府生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。時事、カルチャー、政治経済、子育て・教育など多くの分野で執筆中。著書に『オタク中年女子のすすめ』『女子の生き様は顔に出る』ほか。
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(コラムニスト 河崎 環)