「いつお迎えがきてもいい」85歳以上が死を恐れず、自然に受け入れられる能力を備えている納得の理由

2024年8月20日(火)17時15分 プレジデント社

■55歳前後で死ぬはずのヒトが長命になったワケ


死は、他者を生かすための、最も利他的な行為とも言えるでしょう。私たちは、人類の先祖の死と引き換えに生かされてきたのであり、死ぬことによって、将来の人類に「恩送り」ができるというわけです。そう考えれば、自分の死が意味のあるものとわかり、慰めになるのではないでしょうか。


ご存じのように、ほとんどの生物は、子どもの誕生や成長を見届けると死んでしまいます。例えば、サケは、自分が生まれた川に戻ってきて産卵すると、力尽きたように息絶えます。そうした姿を、皆さんも、TVの映像などでご覧になったことがあるはず。しかし、「万物の霊長」を自称する人類は、いささか特殊と言えるでしょう。


ヒトは、陸上動物の中でも屈指の長生きです。ただし、生物学的なヒトの寿命は本来、55歳前後だったと考えられます。


根拠の1つ目は、ゲノム(生物の遺伝情報)がヒトと約99%同じであるチンパンジーやゴリラの寿命が、40〜50年だからです。


根拠の2つ目は「心臓の寿命」。ヒトだけは例外的に少し長いのですが、基本的に哺乳動物の心臓は、約20億回しか拍動できません。拍動回数の限界と1回当たりの拍動の時間から計算すると、ヒトの寿命も50年前後という結果になるのです。


3つ目の根拠は「細胞の劣化」です。細胞の分裂回数には限界があり、ヒトの細胞の場合、約50回分裂すると分裂をやめて、死んでいきます。古い細胞と「幹細胞」によってつくられる新しい細胞は、絶えず入れ替わっており、約4年で体のほぼすべての細胞が刷新されます。


ただし、心臓を動かす心筋細胞と、脳や脊髄の神経細胞は入れ替わりません。細胞が傷ついたら、それきりです。細胞のDNAは、紫外線や放射線、活性酸素などによって傷つくと、ゲノムが変異します。ゲノムの変異は分裂のたびに蓄積され、細胞増殖のコントロールに関わる遺伝子が壊れると、がん化してしまうのです。


ヒトの場合には、細胞のがん化が、55歳くらいから顕著になります。がん細胞や病原菌から体を守る免疫機能も、その頃から大幅に低下します。


それでは、なぜヒトの寿命は延びたのでしょうか? 一つの推論として挙げられるのが、人類が、長期間の「老後」を生きるという選択をして、“進化”したということです。


生物学的には、動物が子どもを産めなくなった段階、雌の閉経が「老化」、それ以降の時期が「老後」と定義されています。ところが、老後がある哺乳類は、人間以外ではシャチ、ゴンドウクジラくらいしかいません。


チンパンジーは寿命が40〜50年ですが、死ぬ直前まで生殖可能なので、“老後”はありません。それに対して、ヒトの女性の場合、50歳前後で閉経を迎えても、さらに、30年以上生きるケースが一般的です。


■シニアこそ重要という「おばあちゃん仮説」


ヒトに老後がある理由の一つとして、「おばあちゃん仮説」が提唱されています。ヒトの先祖は、全身を体毛に覆われていたと考えられていますが、進化の過程で多くの体毛を失っていきました。そのため、ヒトの赤ちゃんは、チンパンジーやゴリラの赤ちゃんのように、親にしがみついて移動することができなくなってしまったのです。


ヒトの赤ちゃんは、親が「抱っこ」をして世話をしなければならず、育児に大変な時間と労力がかかるようになりました。そこで、母の母=「おばあちゃん」の寿命が長く、若い母親の子育てをサポートしたり、母親の代わりに孫の世話をしたりできるヒトの種族が選択され、勢力を伸ばしたというわけです。ちなみに、シャチやゴンドウクジラにも、シニアが子育てを手伝う習性があります。


人間の場合、コミュニティを形成して社会生活を営むので、孫の世話は、母の父=「おじいちゃん」も担うようになったのでしょう。飢饉で困った村人が老いた母親を殺そうとする「姥捨て山」という昔話もありましたが、実は、人間のシニアには、もともと生き続けなければならない“ミッション”があったと言えるでしょう。さらに、人間のシニアは、社会をまとめるという重要な役割も果たしていました。そのおかげで、若い世代は仕事に集中できて、豊かになり乳幼児の生存率もアップし、生き延びるのに有利な集団をつくれたのではないかと、私は推察しています。


若者は、チャレンジングで社会を革新するパワーがありますが、欲望のままに暴走する危険性も持ち合わせています。それに対して、シニアは「保守的」とよく批判されますが、若者の暴走を抑え、社会基盤を安定させるのに貢献しているのです。


そうした若者とシニアの二層構造がうまく機能してきたからこそ、人間社会は生産性が高まり、発展できたとも、私は考えています。


それだけではありません。自らの手で寿命の壁を突破し、長生きできるようになった生物は、ヒトだけと言っていいでしょう。


■115歳超の人類はなぜ70人程度なのか


知能の高い人類は、医学を目覚ましく発達させ、がんなどの生死に関わる重病も治療できるようになりました。最近では、アンチエイジングの技術も進展しています。その結果、ヒトは、死までのモラトリアムが、とても長くなってしまったのです。そうした社会の背景も、死を受容しにくくしているかもしれません。


日本人の平均寿命は、直近100年間でほぼ2倍に延びました。栄養状態がよくなったことと、公衆衛生の改善によって、乳幼児の死亡率が劇的に下がったことが要因です。高齢者の寿命も徐々に延びており、いまでは我が国だけでも100歳以上の人が9万人近くもいます。ところが、115歳を超えて生きた人は、世界全体でもこれまでに、わずか70人程度しか知られていません。その辺りが、ヒトの最大寿命なのでしょう。


人類は有史以来、3つの壮大な夢を抱いていました。そのうちの2つは、「賢くなりたい」「宇宙に行きたい」ということでAIや宇宙ロケットの実用化によって、ある程度かなえられたと言えるでしょう。しかし、3つ目の「不老不死になりたい」という願望だけは、どんなに科学が発達しても、いまだに実現できていません。将来的に、再生・移植医療などで「若い臓器への更新」ができるようになれば、人類の寿命は、飛躍的に延びるかもしれません。とはいえ、神経細胞を再生する技術が確立されない限り、自我の主体である「脳の死」という壁は越えられないので、不老不死は「果たせない夢」であり続けるでしょう。


■85歳以上になると「老年的超越」が起きる


生物学的な観点から、死を受け入れる手立てについてご説明してきましたが、「頭ではわかっても、死は怖いよ」という人も多いでしょう。でも、ご安心ください。ヒトには、なんと死を自然に受け入れるようになる能力まで備わっているようなのです。死にゆく人の往生際をよくして、世代交代をスムーズにしたり、看取る若い世代の負担を軽減したりするため、進化の過程で獲得したシステムかもしれません。


専門的には「老年的超越」と呼んでいますが、85歳以上の人の多くが、死を恐れなくなると考えられています。皆さんも、超高齢の方が「もう、いつお迎えが来てもいい」とおっしゃるのを聞いたことがあると思いますが、そうした心境の変化が訪れるのです。


老年的超越の心理状態では、「自分はいいから、ほかの人にあげて」といった具合に、とても利他的になるのも特徴。また、周りへの感謝の気持ちが強くなったり、自己肯定的で後悔をしなくなったり、欲がなくなったりする傾向にあります。「人生を全うした」という人が到達できる境地、「人生のゴール」と言えるのかもしれません。


もちろん、死は本人にとって、いいことは一つもありません。「死が怖い」という人は、人生に未練や欲があるわけなので、一生懸命に生きる努力を続けるべきでしょう。健康に気をつけながら、自己実現を目指してください。「自殺」も、生物の中でヒトだけの特徴だとよく言われますが、私はそう考えていません。進んで死を選ぶ生物は、原則としているはずがないからです。ヒトの自殺は、鬱などの精神疾患が主たる原因でしょう。動物園でもストレスでエサが食べられなくなり、「餓死」する個体がいるのですが、それと似た病態と言えます。したがって、社会的には、病気の原因を取り除くことも含めて精神疾患を治療し、自殺を防ぐ取り組みをするべきなのです。


死を恐れながら、全力で人生を生き抜き、晩年には老年的超越の心理状態で、自然や宇宙とのつながりを感じながら最期を迎えるというのが、私が理想と考えるヒトの生と死です。


※本稿は、雑誌『プレジデント』(2024年8月16日号)の一部を再編集したものです。


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小林 武彦(こばやし・たけひこ)
東京大学定量生命科学研究所教授(生命動態研究センター ゲノム再生研究分野)
1963年、神奈川県生まれ。東京大学定量生命科学研究所教授、日本学術会議会員。九州大学大学院修了(理学博士)、基礎生物学研究所、米国ロシュ分子生物学研究所、米国国立衛生研究所、国立遺伝学研究所を経て現職。日本遺伝学会会長、生物科学学会連合代表を歴任。著書に『生物はなぜ死ぬのか』『なぜヒトだけが老いるのか』(ともに講談社現代新書)、『寿命はなぜ決まっているのか 長生き遺伝子のヒミツ』(岩波ジュニア新書)などがある。
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(東京大学定量生命科学研究所教授(生命動態研究センター ゲノム再生研究分野) 小林 武彦 構成=野澤正毅)

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