「バカだから仕方ない」で片付けない 教育格差のない社会を目指して #30UNDER30

8月28日(火)18時48分 Forbes JAPAN

7人に1人の子どもが貧困世帯で暮らしていると言われる日本で、教育格差を終わらせるためには「貧困の連鎖」を断ち切らなければいけない──。李炯植が代表理事を務めるNPO法人Learning for Allは、すべての子どもたちの可能性を育むための学びと育ちを支えている。彼を突き動かす原動力と、Learning for Allの目指す「学びのあるべき姿」を訊いた。

見つける、繋げる、支援する

──李さんが代表を務められているLearning For All (以下、LFA)とは、どのような活動をしている団体なのでしょうか。

LFAは一言で言うと、学習や生活面、発達に困難を抱えた子どもたちの自立のために活動している団体です。もとは認定NPO法人Teach For Japanが2010年に始めた「学習支援事業」という一事業でしたが、2014年にNPO法人として独立しました。

現在LFAで行なっている事業は、主に2つあります。1つは、Teach For Japanのころから取り組んでいる「学習支援事業」です。経済的な要因で困難を抱えている子どもたちを対象にした、無料の学習支援教室を運営しています。単に勉強を教えるだけでなく、学習指導を通して子どもたちに夢や学ぶ目的を見つけてもらって、「貧困の連鎖」に巻き込まれないよう自立していくことを支援しています。

──貧困の連鎖、というのは?

いま、日本では7人に1人の子どもが貧困世帯で暮らしていると言われています*。貧困の子どもたちほど家庭環境に恵まれず、学歴形成が難しい状況にいます。そしてそれは、将来の就職難に繋がっていくため、結果として貧困が再生産されていくサイクルが生まれているのです。

私は、彼らの学習支援をすることで、そういった貧困の連鎖を断ち切る力を育んでほしいと願い、大学生のころからLFAの活動に従事してきました。けれども、続けていくうちに「学習支援だけじゃ足りない」ということに気づいて。それで2つ目の事業として始めたのが「子どもの家事業」です。

子どもの家は、”子どもの自立する力を育む「家でも学校でもない第三の居場所」”というコンセプトの下、日本財団と共同で運営している拠点です。学童保育のような仕組みで平日の14〜21時まで、主に小学校1〜3年の児童20人程度を受け入れます。ここではケースワーカーなど専門家の協力を得ながら、学習面だけでなく生活指導や食事提供まで含めた、包括的な子どもの自立支援を展開しています。

※2015年に厚生労働省が行なった国民生活基礎調査によると、「子どもの貧困率」は13.9%。貧困率とは、所得(等価可処分所得)が国民の平均(中央値)の半分に満たない人の割合。相対的貧困率ともいう。

──これまでやられていた学習支援に比べると、かなり子どもの家庭にも入り込むような、胆力のいる事業ですね。それはやはり「そこまで包括的な支援をしないと、問題の解決に至らない」と思われてのことでしょうか?

まさにその通りです。世間ではよく「学力低下は貧困が問題だ」と言われています。だから、彼らに勉強を教えてあげれば、問題は解決するのだと。私も恥ずかしながら、最初はそう思っていました。でも、LFAの活動を通して、それがミスリードだと気づいたんです。

「子どもの貧困」という言葉がありますが、実際は子どもたちが貧困なわけではない。家庭の貧困から生まれる諸問題が、子どもたちによくない影響を与えている、という構造なんです。そこには学力以前の段階で、ごはんを満足に食べられていなかったり、親から十分な愛を注いでもらっていなかったりと、さまざまな問題があって。そういった複合的な要因が重なって、結果的に「勉強が遅れる」状況が生まれている。

だから、子ども一人ひとりの家庭にまで目を向けて、彼らが健やかに発達・成長できるような環境を整えていくことが、より本質的な支援になると考えています。いや、そうじゃないとダメだなと。

──そうした環境を整えるには、学校や行政との連携なども必要になってきそうですね。

そのために、私たちは困難な状況にある子どもたちを「見つける」、彼らの支援に必要なステークホルダーを「繋げる」、居場所や学習機会を提供して「支援する」という3つの働きかけを大切にしています。これらを各地で持続的に行ない、地域全体で子どもたちの成長と夢を見守っていけるような「子ども支援の生態系モデル」を全国に広めていくことが、今後の目標です。


「子ども支援の生態系モデル」の3つのステップ

生まれ育った街で感じた「子どもと貧困」のリアル

──経済的に豊かな日本において、自国の貧困問題をなかなか身近に感じられない人も多いかと思います。そんな中で、子どもの貧困問題に興味をもったのには、何か原体験があったのでしょうか。

私の生まれた育った街が、経済的に豊かでない人たちが多く住んでいる地区だったんですよ。小学校のクラスの同級生の半分くらいがひとり親世帯で、生活保護をもらっている家も少なくなかった。ただ、当時はそこに問題があるなんて感じていなかったし、それが普通だと思っていました。

最初に違和感をはっきりと覚えたのは、高校生になってから、小学校の同窓会に参加したときでした。そこに来ている同級生たちの現状に、びっくりしたんです。高校を中退していたり、すでにとび職に就いていたり、妊娠している子もいたりして。

私はと言うと、小学校時代の恩師に「貴方は東大に行ける素質があるから、ちゃんと勉強ができる環境にいきなさい」と助言を受けたおかげで中高一貫校に進学し、それなりに勉学に励む高校生になっていました。中高一貫といっても当時は偏差値50以下で、受験さえすれば誰でも入れるような学校でしたけど(笑)。ただ、世間的に見れば”普通の高校生”に近い立場だったと思います。

──そこで自分と同級生たちの状況に、大きな差が生まれていることを感じたと。

彼らとは数年前、同じ教室で同じ教育を受けていたんです。それなのに、どうしてここまで境遇が異なってしまうのかと、ショックを受けましたね。別に勉強ができるのが偉いとか、高校に行かなきゃいけないとか、そういう話ではなくて。ただ、学校からドロップアウトしてしまった同級生たちの話を聞いていると、進学した自分と比較して、彼らの人生の選択肢が大きく狭まっていることを感じました。

──ご自身が東大に行こうと決心したのは、恩師のアドバイスがあったから?

それも大きいですが、はっきりと決心したのは高校に入ってからでした。実は、高校2年生くらいのときから持病のアトピーがひどくなって、1年くらい夜もほとんど眠れないような日々が続いたんです。その間、勉強くらいしかできることがなくて、半ばやけくそになって問題集なんかを解きまくっていて。

それで、身体も精神もどん底まで追い詰められたときに、ポッと「よりよく生きたい」という願いが浮かび上がってきました。そして、そのために「東大に行くしかない」と思った。なぜ東大だったかというと、周りが「君は東大に行ける」と期待してくれていたので、それに応えたかったというのが最も大きな理由です。

高校卒業までに体調も治して、東大にも受かる──この節目に、すべての不安要素と決別しようと奮起しました。ここで何かを妥協したり、諦めてしまったりしたら、以降ずっとダメになる気がして。そう決意したのが、ちょうど3年生になったころですね。そこから1年間は、受験に向けての対策を綿密にプランニングして、寝食以外のほぼすべての時間を勉強に費やしました。もう、働いている感覚に近かったです。

「バカだから仕方ない」に反論するために

──弛まぬ努力の末に東大に合格し、上京もされて、それまでと環境が大きく変わったかと思います。当初の思惑通り、そこで「よりよく生きる」ための道は開けましたか。

いえ、実際はそうでもなくて。私にとって受験勉強は、定められた目標をクリアするためだけに膨大な時間を費やす、単調でつまらないゲームのような感覚でした。それが大学でも「いいサークルに入る」「いい評価をもらう」「いい企業に入る」と目標が変わっただけで、やることが同じように感じられてしまって。入学してから2年ほどは、大学が面白いと思えず、講義にもほとんど出ていませんでした。

──地元との違いに、カルチャーショックを受けたことは?

周りの同級生たちの社会階層の高さに驚かされました。総じて”いいとこの子”が多くて、小学校からずっと名門の私立校に通ってる人や、お屋敷のような家に住んでいる人、帰国子女にも初めて会いましたね。自分は血を吐くような思いでフルマラソンを走ってきたのに、彼らは汗一つかいてないように見えてしまって……やっかみなんですけど「何やコイツら、いけ好かんわ」と思ってました(笑)。

ただ、私にとって身近な現実だった貧困を、彼らの大多数は遠い世界の話のようにしか思ってないことには、やり場のない怒りのような感情を抱いていました。格差があるというよりも、自分の生まれ育った街が、社会から切り離されているように感じられることが度々あったので。

──その断絶は、たとえばどんな瞬間に強く感じられましたか。

ある時、授業が一緒になったクラスメイトたちに、私の地元の同級生の現状や、自分の抱えている問題意識を共有して「どう思う?」と聞いてみたことがあって。そしたら「それはバカだから仕方ない」と言われたんです。

私は「それは違う」と言い返したかったのですが、根拠をうまく言葉で説明できなくて、とても悔しい思いをしました。このときに感じたやるせなさや怒りが、いまの活動に至る大きな原動力になっていると感じます。

その後、3年次で哲学者の金森修先生のゼミに入ったのをきっかけに学ぶ楽しさに目覚め、ひたすら本を読み漁るようになりました。それまでは本なんて、参考書と『ハリー・ポッター』くらいしか読んだことなかったんですけど(笑)。

──どんな本を読まれましたか。

哲学や経済学、教育学についての本を中心に、広く社会の構造を理解するうえで役立ちそうなものを読みました。さまざまな視点での世界の切り取り方を学んで、貧困問題を「バカだから仕方ない」と言われたときに、ちゃんと反論できるようになるために。教育から子どもたちの貧困にアプローチしていこうと思い始めたのも、ちょうどこのころからでした。

その中で「理論の勉強ばかりでなく、現場での実践も必要だな」と感じるようになって、大学3年の終わりに、初めてTeach For Japanの活動に参加しました。そこからはもう、教育支援の現場につきっきりです。


学びと育ちの両方をサポートする「子どもの家事業」の様子。

感謝されない、当たり前にある存在になりたい

──LFAの活動で、とくにやりがいを感じる瞬間は?

未来に何の希望をもてていなかった子が、私たちのつくった教室に来て、学ぶ楽しさや意味を見つけ、将来の夢や目標について話してくれるようになったとき、ですかね。

小学校5年生の頃からうちの教室に通ってくれている女の子がいて……ちょっと、その子の話をしてもいいですか?

──ぜひ、お願いします。

彼女は生活保護を受けている家庭の子で、初めて来たときは勉強もかなり遅れ気味、自信がなくてほとんど感情を表に出さないような状態でした。でも、勉強自体が嫌いというわけではなくて、うちに通うようになってから熱心に自習して、少しずつ遅れを取り戻していきました。

中学生に上がると「英語の授業が楽しい」と教えてくれて。彼女の得意を伸ばして自信をつけてもらいたくて、英語がペラペラな大学生を講師としてつけました。

中学3年になると、彼女は自分で外国語の特進コースのある高校を見つけてきて「校区外だけど、ここに行きたい」と宣言したんです。これまで以上に勉強を頑張って、見事その高校に合格し、教室を巣立っていきました。

つい最近、大学生になった彼女に再会したんです。「来月から10カ月留学するんだ」と、楽しそうに話してくれました。とりわけ嬉しかったのは、彼女がLFAのことをあまり意識していないことでした。

──意識していない、とは?

過度に感謝されない、という感じですかね。感謝されないくらい、私たちの手がけているような支援が、社会にあって当たり前の存在になることが理想だと思っています。自転車の補助輪のように、必要な人にとって最初は用意されて当然で、ひとりで進めるようになったら外して、そのうち付けていたことなんて忘れる──そういう存在でありたいです。

すべての子どもには、無限の可能性があります。そして、幸せに生きる権利をもっている。どんなに勉強が遅れていても、どんなに救いのない環境にいても、機会と期待を与えてほんの少し支えれば、子どもたちは前向きに成長し、自力で明るい未来を切り開いていけるんです。その姿に、たくさんの希望をもらってきました。

LFAはこれからも子どもたちの支援を続け、彼らがもたらす希望の力で、この世界を変えていきたいと思います。


Forbes JAPANはアートからビジネス、 スポーツにサイエンスまで、次代を担う30歳未満の若者たちを表彰する「30 UNDER 30 JAPAN」を、8月22日からスタートしている。

「Social Enterpreneurs」カテゴリーで選出された、Learning for All代表理事の李炯植以外の受賞者のインタビューを特設サイトにて公開中。彼ら、彼女たちが歩んできた過去、現在、そして未来を語ってもらっている。



李炯植◎Learning for All代表理事。1990年兵庫県生まれ。東京大学在学中、認定非営利活動法人Teach For Japanの一事業であったLearning for Allに参画し、常勤職員として全国の学習支援事業の統括業務に従事。その後、特定非営利活動法人Learning for Allを設立、同法人代表理事に就任。「全国子どもの貧困・教育支援団体協議会」幹事。

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