ロシア兵による暴行、強姦、虐殺、略奪が日本に示唆すること
2022年9月2日(金)6時0分 JBpress
ウクライナに侵攻したロシア兵は略奪・強姦を繰り返している。
筆者はロシア軍には軍刑法も軍法会議もないのかと憤りを禁じ得ない。
戦場という極限状態において部下の規律を維持することは、任務達成はもとより戦争犯罪防止の観点からも指揮官の重要な役割である。
このため、世界の軍隊には軍刑法と軍法会議を中核とした軍司法制度が整備されている。
旧日本陸軍刑法には「掠奪および強姦の罪」が規定されていた。
それは、「戦地または帝国軍の占領地において住民の財物を掠奪したる者は一年以上の有期懲役に処す。前項の罪を犯すにあたり婦女を強姦したるときは無期または七年以上の懲役に処する(第86条)」というものであった。
ポッダム宣言により帝国陸海軍が解体されるとともに、「軍」に特有の軍司法制度もまた国家の枠組みから姿を消し、国民がその存在を認識することなく77年が過ぎた。
多くの日本人は「軍刑法」や「軍法会議」の存在はおろか名称さえ知らないであろう。
しかし、ウクライナにおけるロシア兵の規律のない行動は、多くの日本人にとって「軍刑法」や「軍法会議」について考える契機となったのではないだろうか。
さて、自衛隊は日本の国内法において軍隊ではないとされ、軍刑法も軍法会議も設置されていない。
しかも、日本国憲法第76条第2項には「特別裁判所は、これを設置することができない」と規定されている。
「特別裁判所」とは、特殊な身分の人や、特殊な事件について裁判を行うもので、通常裁判所の組織系列の外側にある裁判機関のことをいい、戦前における軍法会議などが該当する。
このような事情があるため、わが国では「軍刑法」や「軍法会議」に関する議論は全く進んでいなかった。
しかし、自衛隊は本当に軍隊ではないのか。
日本の自衛隊は、世界的軍事分析会社「グローバル・ファイヤーパワー」の2021年の世界の軍事力ランキングでは第5位である。
自衛隊の組織や装備は世界の基準に照らしても「軍隊」そのものである。また、世界もそのように見ている。
国内において、憲法上の問題から様々な見解主張があるため「軍隊ではない」と主張しているが、海外のメディアが自衛隊を表す場合に用いる言葉は「Japan Army」、「Japan Navy」、「Japan Airforce」である。
また、卑近な例で恐縮だが、筆者は自衛官として、2度ほど海外で勤務した経験があるが、いずれの場合も相手国政府機関および仕事仲間から、他国の軍人と同等の身分的扱いを受けた。
このように、自衛隊は国内法では軍隊とされていないが、世界では自衛隊は軍隊として認知されていることは疑う余地はない。
ところで、2012年4月27日に自民党は憲法改正草案を発表している。
同草案では自衛隊を「国防軍」と改め、国防軍を保持することや国防軍に審判所(軍法会議)を置くことを明記している。
そして、2021年10月の衆議院選挙で、いわゆる「改憲勢力」は衆議院で3分の2を超える議席を獲得した。
今年7月の参議院選挙でも、いわゆる「改憲勢力」は参議院で3分の2以上の議席を占めることとなり、憲法改正が現実味を帯びてきた。
さて、本稿は近い将来議論の俎上に載せられる可能性の出てきた軍司法制度を理解するために必要な基本的事項を取りまとめたものである。
以下、初めに、陸軍刑法と陸軍軍法会議法の沿革について述べ、次に軍刑法と軍法会議の必要性について述べる。
1.陸軍刑法と陸軍軍法会議の沿革
本稿は、拓殖大学大学院国際協力学研究科 石橋早苗氏著『日本陸軍の軍事司法制度の全体像』を参考にしている。
(1)全般
多くの国では現在でも、通常の刑事裁判とは別に、原則として軍人により構成され、もっぱら軍人を裁く軍法会議を有している。
ところで、軍法会議制度は、それに関連する制度や法令と組み合わさって機能している。
すなわち、主として軍の構成員に適用され、軍事的な犯罪などを規定した軍刑法(軍法とも呼ぶ)、被疑者の捜査や捕縛などを担う憲兵制度、懲役刑や禁固刑を宣告された受刑者が刑に服する軍刑務所である。
これらの一連の制度は、「軍事司法制度」と呼ばれる。軍司法制度の中核をなすのが、軍刑法と軍法会議である。
以下、陸軍刑法と陸軍軍法会議の変革について述べる。
(2)陸軍刑法の変革
ア.海陸軍刑律:1871(明治4)年制定
参考までに、帝国軍隊創設初期では明治維新以前からの海防重視の観点から「海陸軍」と呼んでいた。
さて、1871(明治4)年、オランダの軍律に倣ったといわれる「海陸軍刑律」が制定され、翌年に施行された。
全11編204条からなり、罪については、「謀叛律」、「対捍(たいかん)徒党律」(逆らって徒党を組むこと)、「奔敵律」(自ら進んで敵軍に向け逃げ去り捕虜になること)、「戦時逃亡律」、「平時逃亡律」、「狂暴劫掠律(きょうぼうごうりゃく)律)」、「盗賊律」、「錯事(そじ)律」、「詐欺律」が規定されていた。
刑については、将校については、自裁、奪官、回籍(原籍地にかえること)、退職、降官、閉門、下士については、死刑、徒刑、放逐、降等、禁錮、兵卒水兵については死刑、徒刑、放逐、杖(つえ打ち)、笞(むち打ち)を定めていた。
この海陸軍刑律の特徴としては、軍人・軍属に対して軍事犯と常時犯とを区別せず、軍事とは関係のない窃盗や賭博などの罪を含めていたことが挙げられる。
イ.陸軍刑法:1881(明治14)年制定
1880(明治13)年に一般刑法が公布されたのに伴い、軍刑法も改定が必要になった。
また、1877(明治10)年の西南戦争の後に発生した近衛兵の反乱「竹橋事件」(1878年)は、政府に軍紀確立の必要性を痛感させるとともに、高まりを見せていた自由民権運動の軍隊への影響も懸念された。
これらのことを背景にして、「陸軍治罪法」(1880年)、「憲兵条例」(1881年)、「陸軍懲罰令」(1881年)、「陸軍刑法」(1881年)が制定されることで陸軍司法制度の骨格が形成された。
次に、「陸軍刑法」(1881年)制定の経緯について簡単に述べる。
すでに兵武省が改編されて陸海軍両省に分かれていたので、軍刑法も個別のものとして、1881年(明治14年)に陸軍刑法と海軍刑法が制定され、1882年(明治15年)1月1日に施行された。
フランスの軍律に倣ったこの陸軍刑法(以下、「明治14年陸軍刑法」と呼ぶ)は、全2編126条からなり、罪として、反乱、抗命、擅権、辱職、暴行、侮辱、違令、逃亡、結党を規定していた。
刑としては、重罪の主刑として死刑、無期徒刑、有期徒刑、無期流刑、有期流刑、重懲役、軽懲役を、軽罪の主刑には重禁錮、軽禁錮を、付加刑に剥奪公権、剥官、停止公権、禁治産、監視、没収を規定していた。
ウ.陸軍刑法:1908(明治41)年制定
「明治14年陸軍刑法」が施行されて20数年経過する間に見られた軍制改革等の発展や日清・日露両戦争の経験を踏まえ、また、折しも進められていた一般刑法の改正作業に合わせて、陸軍刑法・海軍刑法も改定の必要に迫られた。
1908(明治41)年、陸軍刑法は改定され、同年、改正海軍刑法とともに公布された。この「明治41年陸軍刑法」は、全2編、104条からなる。
罪としては「叛乱ノ罪」、「擅権ノ罪」、「辱職ノ罪」、「抗命ノ罪」、「暴行脅迫ノ罪」、「侮辱ノ罪」、「逃亡ノ罪」、「軍用物損壊ノ罪」、「掠奪ノ罪」、「俘虜ニ関スル罪」、「違令ノ罪」が規定されていた。
これらは軍隊固有の罪であり、そこには軍紀と軍の安全を保持するためにはどのような行為を防止する必要があったかが現れている。そこで、主要なものを見てみる。
最初に取り上げるのが「叛乱罪」である。
叛乱罪とは、徒党を組み兵器を使用して叛乱を行う行為(第25条)と、叛乱を行う目的で徒党を組み兵器、爆弾、その他軍用に供するものを劫掠(おどして奪い取ること)する行為(第26条)である。
「擅権(せんけん)の罪」とは、司令官が、擅(ほしいまま)に自分の職域を逸脱し、職権を濫用する罪である。そのような行為は、綱紀の紊乱をもたらし、軍の統帥を混乱させる。
具体的には、司令官が理由なくして外国に対して戦闘を開始する罪(第35条)、司令官が休戦や講和の告知を受けた後に理由なく戦闘を継続する罪(第36条)、司令官が権限外のことについてやむを得ない理由がなく軍隊を進退させる罪(第37条)、命令を待たずに理由なく戦闘を行う罪(第38条)がある。
「抗命の罪」には、上官の命令に反抗する、あるいは服従しない罪(第57条)、徒党を組んで前条の罪を犯す罪(第58条)、暴力をなすに当たり上官の制止に従わない罪(第59条)などがある。
「俘虜に関する罪」には、看守護送する者が俘虜を逃走させる罪(第90条)、俘虜を逃走させる罪(第91条第1項)、俘虜を逃走させる目的で器具を与えるなど幇助する罪(第91条第2項)、俘虜を逃走させる目的で暴行または脅迫する罪(第91条第3稿)、俘虜を奪取する罪(第92条)、俘虜をかくまい又はその他の方法で発見・逮捕を免れさせる罪(第93条)がある。
なお、上記のとおり捕虜の逃亡に関する規定はあるが、捕虜への加害行為の禁止など、国際法の定めに沿った捕虜の取り扱いに関する規定はない。
ただし、捕虜への虐待行為には、職権を濫用して陵辱行為を行う罪(第71条)を適用することが可能であった。
(3)陸軍軍法会議法の沿革
陸軍軍法会議法はその原型が明治初年に制定され、「海陸軍糺問司—陸軍裁判所—陸軍裁判所条例—陸軍治罪法—陸軍軍法会議法」と変遷した。
ア.海陸軍糺問司
1869(明治2)年、兵部省の一部局として糺問司(きゅうもんし)が設置され、軍内犯罪の処理を司った。
兵部省の糺問司は、1871(明治4)年の兵部省職員令改正によって海陸軍糺問司に改められ、海陸軍の犯罪を糺し処断する役割が規定された。
1872(明治5)年2月、兵部省が廃止されて陸軍省と海軍省に分かれたのに伴い、陸軍省が糺問司を所管し、海軍省には「糺問掛」が設置された。
1872年3月、糺問司に仮軍法会議を設けて軍人の犯罪を審理し、犯人所管部隊に出張して同部隊の将校や、その他の部隊を所管する鎮台等の将校と会同して判決することとした(陸軍省達第15号)。
なお、上記の陸軍省達第15号において「軍法会議」という用語が初めて使われた。
イ.陸軍裁判所
1872(明治5)年、糺問司が廃止され、陸軍省に陸軍裁判所が設置された。陸軍裁判所には、長官、評事、主理、録事、捕部、管獄といった職員が配置された。
さらに同年、東京・仙台・名古屋・大坂・広島・熊本の各鎮台の本営および分営(以下、本分営)に軍事会議所を置き、犯罪があったときには本分営の大中佐および副官と主理(後の法務官に相当)、録事が会議を行って審判することとした(陸軍省達第80号)。
また、軍人の犯罪に関する取り扱いについて規定した「鎮台本分営犯罪処理条例」も定められた(陸軍省令第110号)。
この時期の軍法会議法制は、陸軍省の陸軍裁判所と、各鎮台の軍法会議所の2本立てであった。
さらに、1875(明治8)年に「鎮台本分営犯罪処理条例」が廃止されるとともに、新たに「鎮台営所(兵営のこと)犯罪処理条例」(陸軍省達第140号)が制定され、さらに詳細な規則が定められた。
ウ.陸軍治罪法
1882(明治15)年、陸軍裁判所が廃止され、軍法会議法制は一本化された。
翌1883(明治16)年には「陸軍治罪法」が制定され、これにより各鎮台軍法会議所は、鎮台軍法会議となった。
「陸軍治罪法」は、次の点において、1880(明治13)年に制定された一般法の治罪法(後の刑事訴訟法)とは異なっていた。
①傍聴は禁止。(第2条)
②司令官(軍団長・師団長・旅団長・軍管司令官・合囲地司令官)が、犯罪捜査の結果により審問(予審)・判決・軍法会議の開催を命令。(第36条、第55条)
③司令官が、軍法会議から上申された判決書の宣言を命令。(第65‐66条、第69条)
④弁護人制度はない
⑤上訴、再審の制度はない。司令官の再議命令のみ。(第67条)
このように、徹底した糺問主義(裁判所が、起訴を待たずに職権で直接に、犯人を逮捕、審理、裁判するやり方)であり、さらに司令官が裁判の開始や判決の宣言を命じる「司令官主義」であった。
軍人・軍属の犯罪は、戦時平時を問わず、また軍刑法の罪に限定せず、すべて軍法会議において裁判する制度が確立したのは、陸軍治罪法の制定によるものと言える。
ところで、陸軍治罪法に規定する軍法会議の構成の要点は次のとおりである。
①軍法会議は、各軍管区に1箇あるいは数箇を置く。
陣中においては、軍団、師団、旅団に軍法会議を設け、合囲地(敵の包囲もしくは攻撃を受けるような切迫した事態にある地域)にも軍法会議を置く。(第7条)
②軍法会議には、判士長・判士・理事・理事補・審事・審事補・録事を置く。(第8条)
③佐官1名を判士長とし、尉官3名と理事・理事補の内の1名を判士とする。ただし、被告人が准士官以上の場合には、その階級に応じて判士長・判士を変更する。(第9条)
④軍団長および独立師団長は、部下の将校に軍法会議の判士長・判士を命じることができる。また、理事・審事が欠員のときは部下の将校に、録事が欠員のときは下士官に、それぞれ命じてその職務を行わせることができる。(第11条)
エ.陸軍治罪法の全面改正
1888(明治21)年に「陸軍治罪法」の全面的改正が行われた。旧法との主要な相違点は次のとおりである。
①審判の対象を陸軍軍人に限定した。(第1条)
②旧法の「司令官」を「長官」に変更した。(第4条)
③将官にかかわる犯罪と再審の審理を行うため「高等軍法会議」を設置した。(第9条第2項、第20条)
④判士長・判士・理事について除斥制度を設定した。(第15条、第16条)
⑤再審、復権、特赦の規定を設置した。(第7章〜第9章)
一方、傍聴禁止、弁護制度なし、一審性は旧法のままで、引き続き糺問主義、長官全権主義的であった。
オ.陸軍軍法会議法:1921(大正10)年制定
1890(明治22)年に刑事手続法の一般法である治罪法に替わり刑事訴訟法(明治23年法律第96号)が制定され、また1908(明治41)年に陸軍刑法が制定されたことから、刑訴法に倣って訴訟手続を改正する必要が生じ、1921(大正10)年に「陸軍軍法会議法」が制定された。
これに伴い陸軍治罪法は1922年(大正11)に廃止された。
これにより日本の軍法会議制度の基本的骨格が形成されたとされる。
言い換えるなら、糺問主義の色彩を残す旧態依然とした裁判制度から、少なくとも形式的には、裁判所以外の者の請求によって訴訟を開始する弾劾主義に基づいた近代的裁判制度に移行したと言える。
以下、「陸軍軍法会議法」の仕組みについて述べる。
(ア)裁判権
軍法会議は次の者の犯罪について裁判権を有していた。(第1条)
①陸軍の現役にある者
②招集中の在郷軍人
③陸軍用船の船員
④上記の①、②以外で陸軍の部隊に属し、あるいは従う者
⑤俘虜など(以下略)
戒厳が敷かれた場合、戒厳令に定めた特別裁判権を行使することができた(第5条)。
また、戦時・事変においては、軍の安寧を保持するため必要があるときは、軍人・軍属等以外の者、即ち一般人の犯罪についても裁判権を行使することができた(第6条)。
(イ)種類と管轄権
軍法会議には、常設のものと特設のものがあった(第9条)。
常設のものには、高等軍法会議、軍軍法会議、師団軍法会議が、また特設のものには、合囲地軍法会議(戒厳の宣告があったときに合囲地に特設する)、臨時軍法会議(戦時・事変に際して編成した陸軍部隊に必要により特設する)があった(第8条)。
高等軍法会議は陸軍大臣、軍軍法会議は軍司令官、師団軍法会議は師団長が、特設軍法会議は軍法会議を設置した部隊あるいは地域の司令官をもって各軍法会議の「長官」とした(第10条)。
各軍法会議の管轄権について見ると、高等軍法会議は、①陸海軍の将官・勅任文官・勅任文官待遇者に対する被告事件、②上告、③非常上告について管轄権を有した(第11条)。
その他の軍法会議は、例えば師団軍法会議は、師団長の部下に属する者や監督を受ける者に対する被告事件に管轄権を有してほか、師管(軍の警備のために設けた地域区分をいう)内にある陸軍部隊に属する者および部隊長の監督を受ける者に対する被告事件や、師管内にいる、あるいは師管内で罪を犯した軍人・軍属等に対する被告事件に対しても管轄することができるとされた(第13条)。
もしも軍人・軍属等に対する被告事件について管轄軍法会議がない場合には、被告人の現在地や犯罪地の付近にある軍法会議が管轄した(第17条)。
(ウ)職員構成
参考までに、戦前の官吏は、高等官(親任官、勅任官、奏任官)と判任官に区分された。
さて、軍法会議には、判士、陸軍法務官、陸軍録事、陸軍警査を置いた(第31条)。
このうち判士には、陸軍の兵科将校が充てられた(第32条)。
法務官は勅任官または奏任官であり、さらに終身官であって刑事事件または懲戒処分によらなければその意に反して免官・転官されることはないとされた(第35条・第37条)。
録事は判任官であった(第42条)。警査は長官が任命した(第43条)。
特設軍法会議では准士官または下士官に録事の職務を行わせ、あるいは下士官または兵に警査の職務を行わせることができた(第44条)。
合囲地軍法会議では、合囲地にいる判任文官に録事の職務を行わせることができた(第45条)。
(エ)訴訟手続
被告人は、公訴提起後はいつでも弁護人を被告人1人につき2人まで選任することができた(第87条)。
弁護人は、①陸軍の将校又は将校相当官、②陸軍高等文官又は同試補、③陸軍大臣の指定したる弁護士の中から選任しなければならなかった(第88条)。
裁判は定数の裁判官が非公開の評議を行い、過半数の意見によった(第95条・第96条・第98条)。
判決は原則として口頭弁論に基づいて行わなければならなかった。「決定」は公判廷において訴訟関係者の陳述を聞いて行わなければならなかった(第100条)。
軍法会議が公訴を受けた場合、召喚状を発して被告人を召還した(第140条・第141条)。
さらに、①軍紀を保護するために必要なとき、②被告人が逃走したとき、あるいはそのおそれがあるとき、③証拠湮滅のおそれがあるとき、④被告人が住所不定のときは、勾引状を発して、被告人を勾引することができた(第143条・第144条)。
勾引した被告人は、軍法会議に勾引した時から48時間以内に訊問しなければならず、その時間内に拘留状を発しないときは釈放しなければならなかった(第145条)。
軍法会議は、原則として誰でも証人として訊問することができた(第234条)。
しかし、証言することによって刑事上の訴追を受けるおそれがあるときは、証言を拒むことができた(第238条)。
死刑の執行は、陸軍大臣の命令により、命令から5日以内において、監獄において執行された。(第502条・第504・第505条)
2.軍刑法と軍法会議の必要性
軍刑法や軍法会議の必要性としては次の5つが考えられる。
第1に、軍紀を維持し、実戦における部隊の行動を有効ならしめるために必要である。
厳正な規律は軍隊の命である。複雑困難な戦場において、よく既定方針に従い、軍隊を一致した行動に就かしめるのは規律の力である。
また、法的根拠となる軍刑法は、指揮官の統率のよりどころとなるものである。
第2に、信賞必罰のため、違法行為に対して迅速果断な処理をする機構が必要である。
軍に特有の犯罪などの違法行為が生じた場合、できるだけ速やかに処断しないと、証拠が散逸し、被疑者、証人が拘束される関係で、的確な法的判断が阻害されるとともに、進行中の作戦行動への妨げになるおそれが生ずる。
また、違法行為に対して迅速果断な処理がなされないと、部隊の士気が阻害される。
第3に、軍事犯罪の裁判には一般の司法官のほかに軍事の専門家が必要である。
軍事犯罪の事実関係の把握と犯罪の認定、量刑の決定には、法律の知識に加えて軍事事象についての特殊性を理解しうるだけの軍事知識を有することが求められる。
防衛研究所主任研究員の奥平穣治氏は「危害許容要件の判断など、軍事事件には専門性が必要になる。軍事的素養がない裁判官が判断できるのか」と疑問を呈している(出典:産経ニュース『76条の壁・軍法会議なき自衛隊』2017/8/22)。
筆者も奥平氏と同意見である。
所見の一端を述べれば、不幸にも民間機と自衛隊機との空中衝突が発生する場合がある。その時の裁判は、航空法に基づき行われる。
航空法は航空機に対して急激な進路変更等を危険行為として禁じている。他方、訓練中の自衛隊機は常に急激な進路変更を行っているのが普通である。
このような専門性・特殊性を理解している裁判官とそうでない裁判官とでは判決に差が出る可能性がある。
第4に、部隊が海外に駐留した場合、現地で裁判を行うために必要である。
軍隊は自国の一般司法裁判所の所管外である外国に駐留する可能性がある。
本国から離れた戦地などで違法行為が発生した場合、本国の裁判所が現地に進出することは通常考えられないので、現地で軍事裁判を行うことになるであろう。
第5に、戦争犯罪を防止する、あるいは戦争犯罪を犯した個人を裁判にかけるために必要である。
国際人道法は、国家とその他の武力紛争の当事者(例えば武装集団)を第一義的な対象としているが、その条項の多くは個人によっても遵守されなければならない。
国家は、これらの規範を遵守し、あらゆる違反を中止させ、そして国際人道法上の重大な違反(戦争犯罪)を犯した個人を自国で裁判にかけるか、あるいは常設の国際刑事裁判所または特設の国際特別法廷に引渡しを行う義務を負っている。
おわりに
イラク人道復興支援活動や海賊対処活動など、これまで自衛隊が初めてとなる活動を行う際、軍法会議の必要性は一部の政府関係者の間で意識されてきたが、実際に設置に向けた動きが具体化したことはない。
とはいえ、政府・与党内では自衛隊による海外での活動が増えることを見越し、自衛官による規律違反を取り締まる制度の必要性は意識されてきた。
2015年3月に施行された安全保障関連法では自衛隊法122条を改正し、国外で上官の職務上の命令に反抗した自衛官らを罰する規定が盛り込まれた。
ちなみに、同安全保障関連法で「武力攻撃事態及び存立危機事態における捕虜等の取扱いに関する法律」が制定されている。
さて、筆者は、拙稿『自衛隊の日報問題、責任はすべて政府にあり』(2017.8.21、https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/50814)で、“隊員の犠牲を覚悟せずにPKOに自衛隊を派遣すべきでない”と主張した。
その理由は、従来のPKOは停戦監視や復興・復旧援助であったが、近年のPKOのマンデートに文民保護の任務が加えられるようになってきた。
その結果、PKO要員の安全確保など様々な問題が生じることとなったからである。
そして、国連も「平和維持活動要員には、プロとしてそのマンデートを完遂する能力」を有する隊員を選定すべきことを推奨している。
すなわち後方支援業務を任務とする施設部隊でなく戦闘を任務とする普通科部隊を派遣せよと言っているのである。
南スーダンからの(施設)部隊の撤退により、国連PKOに対する日本の部隊派遣は「ゼロ」になった。
今後、国連からPKO部隊の派遣を要請されたとき、日本はどのように対応するのであろうか。
また、ロシアのウクライナ侵攻は、どの国でも侵攻される可能性があることを多くの日本人に気づかせてくれた。
そして、多くの日本人は「ウクライナは明日の日本」という危機感を持つようになった。
わが国は、核使用をちらつかせながら軍事侵攻するロシア、台湾への武力行使を公言する中国、核兵器の使用を示唆する北朝鮮に囲まれており、いつ戦争に巻き込まれるか分からない状況にある。
将来、国を守るために、自衛官あるいは国防軍軍人が戦場で戦うという事態が起こるかもしれない。
そのときのために、今から軍法会議の要否を含み日本の軍事司法制度の在り方を議論することが必要であると筆者は考える。
筆者:横山 恭三