犠牲者名を伏せて見える「京アニ事件」本質的な罪

9月4日(水)6時0分 JBpress

放火された京都アニメーションの第一スタジオに向かって犠牲者の追悼をする人(写真:ロイター/アフロ)

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 京都アニメーション放火殺人事件の、35人に及ぶ犠牲者の実名を報道すべきか、あるいはするべきではないか、という議論を前々回取り上げました。

 警察が捜査の結果、判明した被害者の実名を「非公開」にするのは、様々な点から絶対に避けるべきです。

 しかし、公安当局が「情報公開」した内容を、何でもすぐにマスメディアが「報道」してしまうことは、それと同義では全くありません。

 特に1930〜40年代前半まで、戦時中の報道規制からの反動で「知る権利」「報道の自由」が謳歌された、いわば70年前の常識で「報道」を考えることは、グローバルネットワークが完全に普及した21世紀においては、単なる時代錯誤、勘違いでしかありません。

 いったん不特定多数に公開されてしまった情報は、「覆水盆に返らず」で、取り返しがつかず、本質的には二度と回収しきることなどできません。

 そして、回収に向けて情報の主体である側、例えば、事件の被害者や犠牲者遺族の側から、サーバー管理者に情報の削除を求める「忘れられる権利」などが2012年以降、欧州を発信源に、確実に普及し始めています。

 ただし、日本はこうした観点からは非常に遅れた停滞的な社会の現状を示しています。

 こうした内容を前々回述べました。

 さて、欧州で「忘れられる権利」が主張された2011〜12年という時期を考えてみましょう。

 一方で、これは日本にとっては、東日本大震災〜福島第一原子力発電所事故の時期に当たります。多くの犠牲者の名が報道されたことに留意すべきでしょう。

 また他方、この時期から本格化したテクノロジー、イノベーションとして、ディープラーニング〜各種のニューラルネットワークを駆使した<AI>のテクノロジーを挙げることができます。

 東日本大震災や原発事故などの<大規模災害や犯罪>、そこでの<犠牲者の実名>そして<AI>。

 この3つを並べるとき、何が見えてくるのか?

 キーワードがあります。「知識集約型社会」。

 この観点から上記の問題を考えると、物理の思想を背景として、<ビッグデータ>と統計的推測、そして<判別可能性>という多体系物理のものの見方から、非常にシンプルな、しかし重要な問題が浮かび上がってくるのです。

「知識集約型社会」とは何か?
ビッグデータの2つの顔

 突然ですが、皆さんは「ポイントカード」の類を利用していますか? 

 私は極力、そうした「ポイント」を使わないようにしています。理由は、プライバシーを拡散したくないからです。

 行きつけのコーヒー店で豆を買うたびにスタンプを押してくれるのですが、これは愛用しています。

 また私は銭湯というものが大好きで、仕事と仕事の間の頭の切り替えは、ジムで汗を流すか銭湯で汗を流すか、ともかく全身の血の巡りを変えることで区切りをつけています。

 そのため、東京とか日本とか言わず、世界各地の「銭湯」相当の施設を長年愛用しており、お風呂屋さんのスタンプも捺してもらいます。

 これらは「スタンド・アローン」のカードであるから、安心して利用することができます。

 これに対して、ネットワークで情報共有されるポイントカードの類は基本的に利用しないことにしています。

 割引があったり、特典がついたりするということは、どこかでそれ以上の儲けが企業側に出るということを意味しているからです。

 つまり、私たちの購買情報が売り買いされている事実を忘れるべきではありません。

 私はフェイスブックをほとんど利用しませんし、そこに家族や個人の情報をほとんど載せません。利用されること、転売されることが最初から分かっているからにほかなりません。

「ビッグデータ」の怖いところは、そこに2つのマイニングがあるという点にあります。

「☆☆ポイントカード」の情報は<個人情報を消去し、お客様へのサービス向上のために利用させていただく>という建前になっています。

 しかし、どの程度個人情報が消されているか、分かったものではありません。

 各種定款の類には、様々なエクスキューズが書いてあり、実は、いくつかの情報を連立させて、統計的推測の演算処理を施すことで、個人が特定できる可能性は決して少なくない。

 この「個人情報トレース」の典型を、私たちはニュースの報道でしばしば目にしています。「犯人逮捕」に関する報道です。

 先日、都内の飲食店で強盗を働こうとして店主に取り押さえられ、逃げ出そうとして怪我をした犯人が、警察関係の病院に収容され、さらにその病院から逃げ出したため、全国に手配されていた事件がありました。

「もう逃げるのに疲れました」と犯人が出頭して来て、御用になった。

 私の生まれ育ったエリアで起きた事件で、見覚えのある風景が出てきたりもしましたので、犯人のまぬけな行動と合わせて、最後はやや微笑ましく報道を目にしました。

 しかし、この事件の捜査に当たって「愛知県内で犯人と思しい人物の目撃情報がある」といった内容が報道されていました。

 1億2000万人からの人がいる日本で、東京とか、名古屋とかいった巨大都市の中で、たった1人の人物がどこで目撃されたか・・・。

 こうした情報を監視カメラその他の巨大なネットワーク・データベースの中で「網の目を絞っていく」ような方向性で特定可能であることに注意しておきましょう。

 ここで行われているのは「個体の識別が可能」な形、つまり<判別可能な情報>ビッグデータから、系統だったマイニングを進め、寿司屋から現金を奪おうとして失敗し、収監された病院から逃げ出した60代の男と「思しい」個人の<候補>を、愛知でも弁別的に<特定>できている。

 以上、犯罪捜査という特殊な例を最初に上げましたが、ビッグデータを征する者がすべてを征する、というような、今日<GAFA>と呼ばれるような勢力がパワーを集約する社会を「知識集約型社会」と呼んでおり、好むと好まざるとにかかわらず、この方向に2020年代の全人類が進んでいることは間違いありません。

 本稿では<ビッグデータ>と統計的推測、そして個体の「判別可能性」という、上に挙げた3つのキーワードがどのように関連するのかが見える一つの例として、犯罪捜査におけるAIデータマイニングの可能性を挙げてみました。

 では、ここから<大規模災害や犯罪>、そこでの<犠牲者の実名>にどのように繋がっていくのか?

 両者をつなぐのは<AI>ですが、以下ではコンパクトな、しかし現実のデータセットから、考えてみたいと思います。


類推と「尤度」

 以下に2つのデータを示します。様々な点で「分からないように」処理した後のデータです。

 A と B 2つのグループからできていますが、横軸は1から始まって61まで、数字が並んでいます。縦は、よく分かりませんが、データAはどうやら「1単位」の量と「2単位」の量が並んでいるように見える。

 これに対してBでは「1単位」「2単位」と「3単位」と3段階に「量子化」されているように見える。

 今回の連載のタイトルに記されている文字をご記憶の方は、これらが何を意味するか、ただちに「推測」がつくと思います。

 そういった「推測」が、2010年代以降のAIが実行する演算の大きな特徴になってもいるのです。その前に、データそのものの持つ特徴だけを、もう少し検討してみましょう。

 データAでは「20〜30代半ば」までに値が集中し、ほんの少し40代後半と、1データだけ60代にスコアがあります。

 データBでは「20〜30」までに、さらに著しく値が集中した後、「30代末〜40代初め」にかけて小集団があり、2単位だけ「40代末」にデータがあります。

 このように、データの数値を確認する際、その名数などに付加的な情報(「40代」など)を含ませることで、読者には、さらにこれらのデータが何を示唆するか「類推」しやすくなるかもしれません。

 しかし、因果論的に「これだ」という結論を、そこから導くことはできない。あくまで「察しがつく」という議論の進め方、「それらしいと察しがつく」<尤度(ゆうど)>という指標で測られる推測で、物事を考えていることになります。


名前を消すことで見えるもの

 上に準備した2つのデータは。お気づきと思いますが、今回の京都アニメーション事件で2019年8月27日までに亡くなられた方の、固有名詞をすべて伏せ、年齢と性別の情報だけを整理したものです。

 個人を特定する情報は、多くが消去されています。

 いわゆる「個人情報」はミニマムですが、男性であるか、女性であるか、あるいは年齢を特定して、他の公開情報と突き合わせることで、それが「誰」であるか、という「個人の特定」は可能でもあります。

 報道機関がデジタル情報ネットワークに、たった一度でも、犠牲者の個人情報を周知させてしまうと、何らかの形でそれらをデータマイニングすることは可能となり、上のように「匿名化」した情報を、個人と紐づけすることは可能になります。

 しかし、以下ではデータのもう一つの側面、いわば古典的な統計の観点から、個体の識別、個人の特定を考えずに、物事を考えてみたいと思います。

「京都アニメーション放火殺人事件」で、現在までに命を落とされた方の年齢と性別の分布から、改めて20代前半から30過ぎまでの若い人が圧倒的多数を占め、亡くなられたことが分かります。

 これと同時に A すなわち男性については「30代半ば」から「60代」までの間に大きく2つのギャップがあり、40代中後半と、60代にデータがあること。

 また B すなわち女性については、20代初めから、男性以上に多くの人数が集中しているのに加えて、最高齢の40代末のお2人まで、やはり年齢に飛びがあること。

 さらにそれをAと見比べると、男性と女性の年齢分布が分かれており、重なっていないことが分かります。

 こうした分布が示すものについては、続稿に記す念頭ですが、例えばB 女性の20代犠牲者の分布を見ると、ほぼすべての齢に1人か2人の犠牲者があることが分かります。

 京都アニメーション第一スタジオで、最も著しい被害が出たのは、社屋2階、3階の作画担当ブースで働いていた人たちであったことがすでに報道されています。スタジオがまるまる一つ、犠牲になった。

 ここに見えているのは、京都アニメーションという企業が、少なくとも過去10年単位の規模で採用し、育成してきた人材の「層」の厚さ、そのものであることです。

 毎年1人、2人と採用し、大切に育ててきた中堅、ベテランはもとより、21歳、22歳という年齢で、夢に見ていたこの業界に就職することができ、期待に胸を膨らませていた若者が、毎年大事に人材育成されてきた。

 そうした人たちが先輩、仲間たちもろとも、あり得ない被害に遭ったことを、個人の名を超えてはっきりと示しているのです。

バーンスタインが教えてくれたこと
人材育成こそ本当のクリエ—ション

 かつて私が管弦楽の指揮を学んだ作曲家・指揮者の故レナード・バーンスタイン(1918−90)は「音楽の創造には3つの別のものがある」と話してくれました。

●一つは個別の作品の創造つまり「作曲」。しかしこれは楽譜だったりして音ではない

●もう一つは、楽譜を演奏して音楽そのものを創造する「演奏」というクリエーション

●しかし、最も重要なのは、そのような「演奏」を作り出す「人」の創造、つまり人材育成こそが一番大事で、この創造が唯一、未来を切り開くうえで、最も本質的に有効なクリエーションなのだ。なぜと言って、人がいなくなってしまったら、音楽は途絶えてしまうのだから・・・

「だから、私はあなたたちに教えるのだ」と言いながら、マエストロは私たちに時間を惜しまず懇切丁寧な指導を施してくださいました。

 当時私は20代前半で、学生としてサマースクールに参加していた一方、作曲家の武満徹さんが名義監修していた音楽の雑誌の編集にも携わっており、編集部としてマエストロにインタビューを申し込んだのです。

 武満は実質なにもせず、よい意味で好きにさせてくれ、実質的には若い人間が切り盛りしていましたので、こんなことをマエストロ・バーンスタインに申し込んでみたところ、幸運にも受けてもらえ、その最初に聞かされたのが、上の話でした。

 初日最初のレッスンが終わった直後、楽屋を訪ねると「ああ、僕のレッスンに出てくれて本当にありがとう」と私は抱きしめられてしまい、当然ながら完璧に動転してしまいました。

「人材の育成が最も重要な価値の創造なんだ。だから私はあなたたちに今教えるのだ」と小一時間ほど熱っぽく語られ、3週間ほどのサマースクールは決定的な経験になりました。

 また、2か月後、マエストロの訃報を聞いたときには、訳が分からなくなりました。

 でも、彼は分かっていたんですね。余命が限られていることを。それで、残りのすべてのエネルギーをつぎ込んで私たちに教えを遺してくれていた。

 そんなことはレッスンの最中、学生だった私たちは予想だにしませんでした。


いったい何が失われたのか?

 バーンスタインが亡くなってほぼ30年、現在の私はまだ彼の年齢には達してしませんが、それなりに一人の音楽家としてその間の人生を過ごし、また30年分、若い人たちが育ってきた風景の変化も目にしながら、私なりによく分かることがあります。

人材育成こそが、本当の意味での創造であること。
人が根絶やしになったとき、その芸術は滅ぶこと。

 全くその通りです。

 そして、今回の「京都アニメーション殺人放火事件」が、どれほど罪深い犯罪であるか、単なる暴力事件を超えて、アニメーションという表現そのものに、どの程度、回復困難なダメージを与えてしまったのか。

 義援金が20億円以上集まったと報道されました。厚志は厚志で、大切なことです。

 しかし、どれだけお金を集めても、20年、30年と積み重ねてきた経験とノウハウ、人と人のつながりやチームワークを買うことはできません。

 40年かかって作ってきたものを、次の40年で再び作り直すことができるか。誰にも分からないし、そもそも、一人の指導者がいるか、いないか、といったことが決定的で、一般には二度と取り返しがつくことではありません。

 そういう観点から、個人情報を基本的に消したうえで、芸術の世代継承という観点から続稿を検討したいと思います。

(つづく)

筆者:伊東 乾

JBpress

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