六本木ヒルズから入居を断られたとき、とっさに切り返して形勢逆転した経営者の言葉とは?

2024年9月17日(火)6時0分 ダイヤモンドオンライン

六本木ヒルズから入居を断られたとき、とっさに切り返して形勢逆転した経営者の言葉とは?

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「UUUMは最先端のメディアで、個人がメディアになる時代なのです」そう語ったのは、起業家・UUUM創業者である、鎌田和樹氏だ。2003年に19歳で光通信に入社。総務を経て、当時の最年少役員になる。その後、HIKAKIN氏との大きな出会いにより、29歳でUUUMを設立。「ユーチューバー」を国民的な職業に押し上げ、「個人がメディアになる」という社会を実現させる。2023年にUUUMを卒業後、初となる著書『名前のない仕事 ── UUUMで得た全知見』では、その壮絶な人生を語り、悩めるビジネスパーソンやリーダー層、学生に向けて、歯に衣着せぬアドバイスを説いている。この記事では、本書より一部を抜粋・編集し、これからの時代の「働く意味」について問いかける。(構成/ダイヤモンド社・種岡 健)

Photo: Adobe Stock

自分を鼓舞するための言葉

 ジャフコから5億円の資金調達をして、最初に考えたのは、六本木ヒルズへの移転でした。

 なぜヒルズかというと、「競合の会社がいたから」です。 競合他社が、「来られたらイヤだな」ということをやりたかった。ちなみに、いくつか移転候補があり、原宿のドワンゴが入っているビルも候補でしたね。

 しかし、六本木ヒルズには一度、入居を断られました。「事務所は入れたくない」ということを言われました。

 そこで僕は、「うちは事務所ではありません。うちはメディアです」と説明をしました。 六本木ヒルズには、テレビ朝日もJ-WAVEも入っています。

 それに、六本木ヒルズを運営している森ビルからは、「世の中のトレンドをつかんでいる会社にいち早く入ってほしい」ということも言われました。

 だから、「UUUMは最先端のメディアで、個人がメディアになる時代なのです」

 というようにプレゼンしました。 それにより、入居が決まったのです。

 ジャフコからの5億円もあったので、家賃を1年分、前払いしました。 敷金や家賃によって、軽く1億円以上は飛んでいきました。そのときはさすがに「大丈夫かな?」と思いました。

ビッグマウスはどこへ?

 ここで、読者のあなたに質問です。 やると決めたら、自信満々に伝えていますか?

 最近、ハッタリをかます人が減っているなと感じます。 一時期に流行った「ビッグマウス」と呼ばれる人も、ほとんど見かけませんよね。

 もちろん、まったくの嘘をつくことはダメです。

 ただ、「自分を鼓舞させるための言葉」はありだと思います。 やってみないとわからないこともあります。

「不確定要素があるけど、やることは明確で自信もある」

 そんなときは、「成功します。大丈夫ですよ」と言って責任を引き受けたほうがいい。 僕の仕事の進め方として、最初に「プレスリリース」を出すこともありました。

 それを出したあとに、本当に実現できるのかを考えながら、実行していくのです。

 多用するべきではないかもしれませんが、多くの人を巻き込んで大きなことを成し遂げたいときには、有効な手段です。「ここぞ」というときに使うために持っておいてほしい手段の一つですね。

これが「六本木の夜景」か

 起業して15万円だったときの家賃は、次に30万円になり、六本木ヒルズに移転することで400万円ほどになりました。

 すると、社員の中にはそれを不安に思う人も出てきます。

「そんなとこに引っ越してやっていけるのか?」

 正直、僕の心の中にもその不安はあります。 ただ、僕がやるべきことは、社員の人たちに少しでも安心してもらうことです。

 そこで、引っ越し初日は、社員とその家族に、六本木ヒルズの34階に集まっていただきました。 夜、オフィスの中を暗くしておいて、一気にブラインドを上げていく。

 すると、ブワーっと東京の夜景が目の前に広がっていきます。

「これはもう頑張るしかない」

 そんな雰囲気に包まれて、全員のテンションが上がっていくことを感じました。

 ただ、当時は100坪以上の広いスペースに、社員は20人ほどでした。

 そこで、社員を大量に採用することにしました。 採用サイトに募集をかけると、なんと履歴書が千何百通も届いたのです。

 これは間違いなく、「勤務地・六本木ヒルズ」の力だなと思い知りました。そこから10人を採用したので、ものすごい倍率ですよね。

 2014年11月、UUUMで最初におこなった大規模なイベントは、「ユーチューバー握手会」というものでした。 恵比寿ガーデンホールで時間を区切って、クリエイターは立ったまま、次々とファンに握手をしてもらいました。

 5億円の残りを、MCN(マルチチャンネルネットワーク)向けのシステム開発などに充てていきました。

 MCNをはじめるクリエイターは100人の予定だったけど、HIKAKINと瀬戸弘司さんが、「1000人くらい来ますよ」と言い、1000人の募集に変更をした。

 すると、1年後には現金がショートするかもしれなくて、あわてて銀行から2億円を借りました。 そんな勢いで、UUUMはどんどん成長していったのです

(本稿は、『名前のない仕事 ── UUUMで得た全知見』より一部を抜粋・編集したものです)

鎌田和樹(かまだ・かずき)

起業家、UUUM創業者2003年、19歳で光通信に入社。総務を経て、店舗開発・運営など多岐にわたる分野で実績をあげ、当時の最年少役員になる。その後、孫泰蔵氏の薫陶を受け、起業を決意。ほどなくして、HIKAKINとの大きな出会いにより、2013年、29歳でUUUMを設立。「ユーチューバー」を国民的な職業に押し上げ、「個人がメディアになる」という社会を実現させる。2023年にUUUMを卒業。『名前のない仕事 ── UUUMで得た全知見』(ダイヤモンド社)が初の単著となる。2024年9月から、新事業として子どもの体験格差にスポットをあてたプロジェクト「ピペプロ」を始動。

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