女子大生が「助けてほしい」と訴えても、警察は守ろうとしなかった…「ストーカー殺人」を招いた警察の大失態
2024年9月19日(木)16時15分 プレジデント社
※本稿は、甲斐竜一朗『刑事捜査の最前線』(講談社+α新書)の一部を再編集したものです。
写真=iStock.com/mapo
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mapo
■警察の怠慢でストーカーに命を奪われた女子大生
警察法は第2条で、個人の生命や身体、財産の保護のため、犯罪の予防や捜査に当たることを「警察の責務」と規定している。国民の命を守ることが最大の任務とされる。緊急時における初動捜査の的確な判断と迅速な職務執行は、被害者の救出に必要不可欠だ。初動の失態や怠慢は、取り返しがつかない事態を招きかねない。
刑法犯の認知件数が急増し、治安が危険水域に入った1999年、警察の信頼を揺るがす事件が相次いだ。同年10月初めごろ、少年3人が栃木県の会社員(19)を拉致して発生した「栃木リンチ殺人事件」。リンチを繰り返して約2カ月連れ回し、同年12月に山中で絞殺した。宇都宮地裁は栃木県警の捜査怠慢と死亡との因果関係を認めたが、のちに過失と死亡の因果関係を大幅に後退させた二審高裁判決が確定した。
「桶川ストーカー殺人事件」はストーカー規制法の契機となった。埼玉県桶川市の女子大生(21)が元交際相手の男やその兄らから中傷ビラなどの嫌がらせを受け、1999年7月、名誉毀損で上尾署に告訴したが、署員が調書を改竄(かいざん)するなどして捜査を怠った。女子大生は同年10月に刺殺され、両親が起こした民事訴訟で、さいたま地裁は捜査怠慢を認めた。
■捜査ミスで大学院生が暴力団員に撲殺される
2000年1月には新潟県柏崎市の男の自宅で約9年にわたり監禁されていた女性が保護された。保護したのは地元の保健所職員だったのに、新潟県警は警察官が保護したように虚偽の発表をしたほか、県警本部長らが保護当日の夜、温泉で、特別監察の関東管区警察局長をマージャンで接待していたことが発覚し、県警不祥事に発展した。
警察改革を議論した警察刷新会議は同年7月、警察の「民事不介入」に関する誤った認識の払拭や部内教育の充実などを求めた緊急提言をまとめるが、2002年3月には捜査の怠慢で被害者が死亡する「神戸大学院生暴行死事件」が発生した。
神戸市の大学院生が同市西区で駐車位置をめぐり暴力団組長に言いがかりを受け、組員らに車で拉致された上、暴行を受けた。大学院生はその後、河原に放置され遺体で見つかった。神戸地裁は「現場へ行った警察官が十分な捜査をしなかった」と、兵庫県警の不手際と被害者死亡との因果関係を認め、2006年に確定した。
当時の県警幹部が振り返る。「警察にとって初動は命だと痛感した。いざというときに頼りになるのが警察の基本だ」
■犯罪死の見逃しは26年間で56件発覚している
警察の捜査が問題になるのは、多くが初動の対応ミスだ。「事件性の見逃し」と、ストーカーなど「人身安全関連事案の不手際」に大別される。
事件性の見逃しで最も非難されるのが殺人事件。犯罪死を検視や捜査のミスで病死や事故死として処理してしまい、犯罪の発生が認知できない場合、第2、第3の殺人事件が起きることがある。
写真=iStock.com/Askar Karimullin
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Askar Karimullin
犯罪死の見逃しは1998年以降、全国で56件発覚している。死因究明制度の改善に取り組んだ元警察庁長官の金髙は「殺人の見逃しは警察の恥というよりは罪。殺人事件を認知できなければ、殺人犯を市民の中に放置することになり、往々にして次の殺人が起きる」と話す。
金髙は2009年からの刑事局長時代、事件性の有無を判断する検視官の臨場率や遺体の解剖率を向上させるための施策を推進した。その結果、法医解剖は従来、裁判所の令状に基づく司法解剖、遺族の承諾による承諾解剖、監察医による行政解剖の3種類しかなかったが、2012年6月に死因・身元調査法が成立し、警察署長の判断で実施できる調査法解剖が新たに加わり、解剖率の向上につながっている。
人身安全関連事案の不手際では、被害者からの再三の相談への対応が鈍かったり、事案を軽視したりする「怠慢」「失態」が原因とされる。桶川ストーカー殺人事件の後も、警察に被害相談していた女性や家族が殺害される悲劇が起きている。
■被害届の受理を先送りし、慰安旅行をしていた県警本部長
長崎県西海市で2011年12月、ストーカー被害を訴えていた女性の母と祖母が自宅で男に刺殺された。ストーカー行為の相談を受けていた千葉、三重、長崎の3県警は「危機意識が不足していた」との検証結果をまとめた。千葉県警習志野署員が被害届の受理を先送りして慰安旅行をしていたことも表面化し、県警本部長らが処分された。
写真=iStock.com/PhotoNetwork
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PhotoNetwork
2012年11月には神奈川県逗子市の女性(33)が自宅で元交際相手の男に刺殺され、男は自殺した。県警が11年に女性への脅迫容疑で男を逮捕した際、逮捕状に記載された女性の結婚後の姓や住所の一部を男に読み上げていたことが発覚。女性は12年3〜4月、男が大量のメールを送ってくると県警に相談していたが、当時のストーカー規制法で連続した電子メールの送信は適用対象外だったため摘発されなかった。事件を機に法の不備が指摘され、初の改正につながった。
2013年10月には東京都三鷹市で、高校3年生の女子生徒が刺殺され、元交際相手の男が殺人未遂容疑で逮捕された(のちに殺人などの容疑に切り替え)。女子生徒は事件当日の午前中に両親と三鷹署を訪れ、男によるストーカー被害を相談していたことから警視庁の対応が問題視され、警察庁は同年12月、全国の警察にストーカー対策を強化するよう指示した。
■「被害者の安全を確保する」という発想がなかった
警察庁で刑事局担当の官房審議官などを歴任した小野正博は「桶川のストーカー事件も、刑事訴訟法的には『殺人事件』として立件したが、『なぜ相談に来た被害者の安全を確保できなかったのか』という批判が根強く残った」と警察側の対応の不備を認め、「事案が起きれば複眼的な捜査が必要になる。事件化して公判で立証するだけではなく、被害者の救出や犯罪の抑止、被害の拡大防止も求められる。警察法がそれらを含めて警察捜査だと規定しているからだ。警察官は単なる公務員ではない。現場で一人ひとりが自分で判断しないといけない」としてより被害者サイドに立った捜査を求める。
警察庁長官の露木は背景について「事件捜査は本来、人を処罰するための手続きであり、それによって被害に遭いそうな人の人身被害を防止するという発想がそもそもなかった。桶川事件も名誉毀損が立件に値するかどうかという感覚だったと思う。そうであれば、署で他に傷害事件が発生していれば、当然、事件としてはそっちが重いのでそれを優先してしまう」と説明する。
一方で「捜査することによって対象となっている事件そのものではなく、その先にもしかしたら起きるかもしれない凶悪事件の発生を防止することが求められていると気付かされた。何か事件が起こる前に警察がそれを予防するためにもっと積極的に動いてほしいというのが国民の期待になってきていると思う」とみている。
■オウム事件で得た教訓
1995年に大阪で起きたオウム真理教信者による大学生拉致事件。宗教団体への強制捜査を巡っては、信仰や親子問題を理由に「警察の勇み足」「もっと慎重に対処すべきだった」「オウム側に『宗教弾圧だ』との口実を与えた」などと非難も出た。
それでも捜索を指揮した川本は言う。「違法と批判されても、俺はやかましいと言えた。被害者の生命というのは第一や。批判を恐れて法的な判断を重視し、二の足を踏む指揮官がいるが、被害者の救出こそが最優先。これは絶対に間違いない」
大学生は救出されなければ翌3月20日、教団拠点の山梨県上九一色村(当時)に連れて行かれることになっていた。その日、東京では中央省庁が集まる営団地下鉄(現・東京メトロ)霞ケ関駅を通る3路線5車両に猛毒のサリンがまかれ、2020年に闘病の末亡くなった女性を含め14人が死亡、6000人以上が重軽傷を負う地下鉄サリン事件が発生した。
■捜査するのが難しい「人安事案」
ストーカーやドメスティックバイオレンス(DV)などの「人身安全関連(人安)事案」を巡る捜査は、特に迅速で的確な初動が求められる。警視庁の幹部は「人安事案の大原則は被害者の命を守ること。一瞬たりとも気が抜けない」と対応の難しさを口にする。
写真=iStock.com/akiyoko
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/akiyoko
警視庁勝どき庁舎(東京都中央区)にある「人身安全関連事案総合対策本部」(2020年2月現在)。対象事案は首都・東京で起きる男女間トラブルやストーカー、DV、児童・高齢者虐待、特異行方不明者と幅広い。200人を超えるスタッフが24時間態勢で目を光らせ、被害を未然に防ぐため奔走している。
相談してくる側に危機感が低かったり、危険性を感じていなかったりすることも多く、対策本部は相談を受ける現場の各警察署に対して「とにかく命を守ること。いま発生していなくても今後発生する可能性がある危機に気付くのは警察しかいない」との基本認識を徹底させているという。
相談者によっては「(元交際相手などの加害者について)悪い人ではない。警察に知っていてもらうだけでいい」などと被害届の提出に消極的になりがちなため、暴行、傷害、脅迫の疑いがあるようなケースでは生活安全部門だけではなく刑事部門の捜査員も必ず立ち会うことになっている。事件性が濃い場合は、将来発展する恐れがある危険性を相談者に認識してもらい、被害届の提出を求めるという。
■現場の対応だけでなく、法整備も必要
対策本部には日々、102の警察署から50件前後の人安事案が報告される。事件に発展しそうな案件は、相談者が警察署にいるうちに対策本部に電話速報するのが決まりだ。「もう一回相談者連れてこい」「これダメ。レイセイ(逮捕令状請求)だ」「安否確認して」。参事官や理事官ら幹部は速報表の一つひとつに目を通し、動きが鈍い署には逐一指示を出す。そうやって警視庁全体の人安事案について見誤らないようにしている。
甲斐竜一朗『刑事捜査の最前線』(講談社+α新書)
警視庁には苦い経験がある。先述の東京都三鷹市で起きたストーカー殺人事件(2013年10月)と、小金井市の女子大生刺傷事件(16年5月)だ。被害者はいずれも署に相談していたが、結局事件に巻き込まれた。
幹部は「三鷹、小金井……。第3の事件があったら警視庁は終わりだぞという気持ちでやっている」。警視庁の18年のストーカー相談件数は1784件、DVは9042件で、いずれも全国的に見て突出している。22年はそれぞれ1207件、8389件だった。対策本部の捜査員は署に指示を出したり、出向いたりして人安事案への対応を支えている。
危機管理に精通する元警視総監の高橋清孝は「国民の命に関わるような事案が多い中、現場で警察が適切に権限行使できる根拠規定を備えるべきだ」として、法整備の必要性も訴えている。
----------
甲斐 竜一朗(かい・りゅういちろう)
共同通信編集委員
1964年3月3日生まれ。西南学院大学卒業。89年読売新聞社入社。93年共同通信社入社。95年から2000年、大阪府警捜査1課と警視庁捜査1課を連続して担当。その後も警察庁担当、警視庁サブキャップ、同キャップなどに就き、多くの事件、事故を取材。現在も編集委員兼論説委員として警察庁記者クラブを拠点に取材活動を続けている。著書に『刑事捜査の最前線』(講談社+α新書)がある。
----------
(共同通信編集委員 甲斐 竜一朗)