少年Aを生んだ「ノイズのない社会」に必要な物

9月20日(金)6時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/JGalione

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1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件。児童らを襲った加害者は当時中学2年生で「少年A」と呼ばれた。文化人類学者の上田紀行氏は、「神戸の事件から4半世紀が経とうとしていますが、あの事件が起きたニュータウンの風景、ノイズのない空間はそれからの時代でますます拡大していった。ノイズのない社会になった原点は金儲けの自由化だが、競争から落ちこぼれた人のセーフティネットになるのが宗教だ」という——。

※本稿は、上田紀行『立て直す力』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。



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■機能的な新興住宅地で“あの事件”は起こった


1997年に神戸市で起きた連続児童殺傷事件。「酒鬼薔薇」を名乗る中学2年生が、小学生2人を殺し、3人に重軽傷を負わせました。彼が新聞社に送った犯行声明、「私は透明な存在である」が記憶に残っている人もいると思います。


当時、ぼくはこの事件がどんな街で起きたのだろうと、彼が住んでいたニュータウンに行きました。山を切り拓いてつくった街ということもあり、区画整理がきちんとされていて、同じような住宅が果てしなく並んでいました。住宅エリア、学校エリア、商業エリア、公園などと、機能的に街が区分されていました。


きわめて効率的なつくりで、目的がわからない無駄な空間は見当たりませんでした。


気になったのは、一般商店がほとんどなかったことです。その代わり大きなスーパーがあって、そこに行けば何でも買えるようになっていました。確かにスーパーは便利だけれども、日常の何気ない会話が果たして生まれてくるのだろうかと感じました。



■無駄話をしない「ノイズ」のない社会


たとえば、古くからある商店街であれば、何代もそこに店をかまえる人たちがいます。そこではいろいろな会話が交わされます。たとえば豆腐屋さんだったら、久しぶりにお使いで買いに来た高校生の女の子に、「この前、あなたの同級生が豆腐を買いにきたんだよ。みんな大きくなったわね」とか、「この前おたくの旦那が、私たちが仕事を始めた早朝にヘロッヘロに酔っ払って店の前を通り過ぎたけど、大丈夫だった?」とか、なにげない話が交わされるかもしれません。


目的は豆腐を買うために店に足を運んでいるのですが、こういう路面店で交わされる常連客との会話の大抵半分以上は無駄話、世間話です。でも、それが不快ではなく、息抜きになったりして、みな笑顔で帰っていきます。


しかし、神戸のその新興住宅地では、そうした無駄な場所、無駄な話をしているような風景をほとんど目にしませんでした。いわば「ノイズ」の無さを実感したのです。あのニュータウンを歩きながら、何もないところから街を作れと言われると、人間というのはこれほどノイズのない街をつくってしまうものか、と愕然(がくぜん)としたのをいまも覚えています。


■ノイズのない社会はいかに生きづらいか


これだけ無駄を排除した街で、酒鬼薔薇はいったいどうやって少年の首を切って殺してしまったのか。その場所は、区画開発され尽くしたニュータウンの中で、唯一開発されていない山中の“未開の地”だったのです。


単一機能の空間、ノイズのない社会がいかに人間にとって生きづらいかを、つくづく実感しました。


ノイズで思い出すのは、劇作家平田オリザさんの言葉です。彼は、ロボットと一緒に演劇をつくったときにこう感じたそうです。


「(ロボットに)人間の持つ逡巡(しゅんじゅん)、ノイズを入れるのが難しい」


ロボットは効率的に動くけれども、それだけでは人間らしくない。生産的な行為だけではない。目の動き、表情、手のちょっとした動きなどに、その瞬間瞬間の“感情”が表現される。そうしたノイズこそが人間らしさだということなのでしょう。


神戸の事件から4半世紀が経とうとしていますが、あの年に起きたニュータウンの風景、ノイズのない空間はそれからの時代でますます拡大していったように思います。



■いつの時代もこぼれ落ちる人はいる


こうした社会になった原点をたどると、政治経済的には新自由主義経済の導入にたどりつきます。1980年代の中曽根康弘政権のときに当時の国鉄が民営化されましたが、色合いが鮮明になったのは小泉純一郎政権になって以降です。郵政民営化がおこなわれるなど、より新自由主義的な政策が進展しました。ただ民営化というのは新自由主義のほんの一面でしかありません。新自由主義を一言でいえば、金儲けは「自由」にできるということ、国家による規制が緩和された中で、個人や法人がいかようにも業績を上げることができるという政策です。


では、新自由主義によって人は幸せになったでしょうか。民営化で成功したものも多くあり、たしかに自由に利潤の追求ができるようにはなりました。ある人にとっては利潤も上がって、会社の評価も上がったでしょう。


しかし、人には運に見放されたように絶不調のときもあります。運悪く、からだを壊してしまった人もいるでしょう。自由な競争の中では、十分に成果をだせない人は一定数いるものなのです。新自由主義はそういう人たちに不寛容です。たとえば、ノルマ達成がならなかった人は、上司から「行って(辞めて)良し」「オレの視界から消えてくれ」と言われてしまう。


■競争に負けた人のセーフティネットが宗教だった


そういう人に対して寛容な社会であれば、まだ精神的に何とか持ちこたえられるのですが、飲みながら愚痴をこぼせた日常は、古き良き時代の趣きさえあります。


お能をみると、妖怪になって夜な夜な旅人を襲うような化け物がでてきます。ところがその化け物たちはみんな不幸な境遇で傷ついた人間の変化なのです。そしてそのこころの内を旅の僧が聞いてやると、妖怪は天上に昇っていきます。誰でも突然不幸な境遇となることがあり、傷ついて妖怪となってしまう。そういうものがこころなのであって、常にピンピンしているものではありません。


時代が変わったとしても、人間のこころが強靭になるわけではありません。傷つきやすい、フラジャイルなものです。


高度経済成長の時代、経済神話、企業信仰があった時代、身分は企業という“御本尊”に守られていたので、会社に依存していればさほど問題はありませんでした。「安心」や「信頼」は、ある意味タダのようなもの、空気のようなものだと思い込んでいました。気がつかないうちに、競争からこぼれ落ちた人へのセーフティネットを、あの時代に捨て去ってしまったのです。


そのセーフティネットの一つが宗教なのです。



■「もう一本の線」があれば人生を立て直せる


そのことを痛感したエピソードを紹介したいと思います。


大学院でぼくが教えた女性が、タイに住む大学講師の男性と結婚するというので、結婚式に出席したときのことです。新婦は、タイ仏教の研究者で、上座部仏教の研究をしていました。彼女自身が慈悲に溢れた仏教者で、ホスピスで傾聴ボランティアをしていたりと、たいへん心優しい女性でした。彼女はタイで大学の講師となり、そこで新郎と知り合ったわけですが、彼は幼少時から僧侶となり、還俗して大学の講師になった人で、彼もまた優しさに溢れた素晴らしい男性でした。


結婚式で、新郎の父親が印象深いスピーチをしました。


「こんなに徳の高い女性と結婚できたうちの息子は、ほんとうに幸せ者だ。彼女はタイまでやってきて仏教の研究をしていて、瞑想をしていたりする。何て徳の高いお嫁さんなんだろう」


ぼくは、「徳の高い女性と結婚できて幸せ」という言葉を生まれて初めて聞きました。


日本人ならば、さしずめ、


「こんな可愛(かわい)らしいお嫁さんが来てくれて喜ばしい」


などと挨拶(あいさつ)する程度です。


ぼくはそのとき、「タイの人は強いな」と心底思いました。タイも日本と同じ資本主義国です。収入が得られなくなって生活をしていけなくなれば、暴動も起きる。日本と同じように、人びとは経済人としての人生も生きていますが、タイの人は“もう一本の線”をもっているのです。その線とは、仏教の中で徳を積み、在家であれば来世によき輪廻を求めながら、人間的な成長を人生において求めていくという生き方です。いわば複線的な生き方ならば、たとえ不況になって失業したとしても、もう一本の線が残っている。もちろん宗教で食べていくということではありませんが、立て直しにつなげていけるこころ、支えられている感覚が生き残っているのです。それがあれば不況になろうが失業しようが、人生のレジリエンスにつなげていけるわけです。


こういう話はタイだからではないか、新婦が結ばれた男性の家は、とりわけ宗教との結びつきが強かったのではないか、と思うかも知れません。しかし、日本も時代を少しさかのぼれば、タイのような、複線の国だったのです。


■日本人はいまこそ宗教に向かい合うべきだ


以前、哲学者の山折哲雄さんと対談したとき、彼も昭和20年頃までは日本も複線構造、山折さん流にいえば、「和魂洋才」という「二重構造」をもっていたと力説されました。




上田紀行『立て直す力』(中公新書ラクレ)

和魂が生活の基盤を成していたにもかかわらず、日本はさっさと仏教文明であることをやめた。いつやめたかといえば、明治維新のとき(『次世代に伝えたい日本人のこころ』)。


そして完全に単線化したのは、やはり昭和20年以降だと言っていました。


ぼくも山折さんの意見とほぼ同じです。


日本は経済成長とともに、宗教を手放していったのです。


日本のなかにも先ほど触れたような、息子が日本人女性と結婚したタイ人の父親のような人はいました。宗教や精神性がもっと身近にあったし、こころの中心にもあったのです。しかしそれが失われたように一見見える現代においても、その複線社会を甦(よみがえ)らせるのに遅すぎることはありません。


ぼくは、日本人はいまこそ宗教に向かい合うべきときだと思います。



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上田 紀行(うえだ・のりゆき)

文化人類学者、医学博士、東京工業大学教授、リベラルアーツ研究教育院長

1958年生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。岡山大学で博士(医学)取得。86年よりスリランカで「悪魔祓い」のフィールドワークを行い、その後「癒やし」の観点を最も早くから提示し、生きる意味を見失った現代社会への提言を続けている。日本仏教再生に向けての運動にも取り組む。代表作『生きる意味』(岩波新書)は、06年全国大学入試において40大学以上で取り上げられ、出題率第1位の著作となった。近著に『愛する意味』(光文社新書)がある。

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(文化人類学者、医学博士、東京工業大学教授、リベラルアーツ研究教育院長 上田 紀行)

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