大坂なおみの「メンタル」が激変したワケ

9月24日(月)11時15分 プレジデント社

写真=Robert Deutsch-USA TODAY Sports/Sipa USA/時事通信フォト

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大坂なおみ選手が、日本生まれのテニス選手として初めて4大大会で優勝した。決勝の対戦相手は“女王”セリーナ・ウィリアムズ。これまで大坂選手は精神面の脆さを指摘されてきたが、決勝での試合運びは堂々としたものだった。憧れの選手を前に、なぜ崩れなかったのか。スイスのビジネススクールIMD北東アジア代表の高津尚志氏は「気持ちを前向きにさせる『セキュアベース』の有無が勝敗を分けたのではないか」とみる——。


写真=Robert Deutsch-USA TODAY Sports/Sipa USA/時事通信フォト

■試合後にも分かれた評価


女子テニスの大坂なおみ選手が、全米オープンで優勝した。20歳の大坂選手にとって初めてのグランドスラム(四大大会)のタイトルである。相手は、23回のグランドスラム優勝歴を持つ、元世界1位、セリーナ・ウィリアムズ。出産を経て復帰、第50回の全米オープンで、24回目のグランドスラム優勝を目指していた。


大坂選手のプレイはすばらしかった。一方、試合は、主審からウィリアムズ選手が「試合中にコーチの指示があった」として警告を受け、「ラケットを破壊した」として1ポイントのペナルティ、「審判に暴言を吐いた」として1ゲームを失う、という異例の展開になった。ウィリアムズ選手がこの間、主審や大会審判部に激しく詰め寄るシーンが再三あったこともあり、なんとも後味の悪い試合になった。


各国のメディアやSNSを見る限り、荒れた試合の中で、最後まで集中力を切らさず戦った大坂なおみ選手に対する称賛と敬意が寄せられる一方、ウィリアムズ選手の言動に対しては、極めて否定的・批判的なものも含めて、さまざまな見方がされているようだ。


改めて問い直してみたい。


2人は、何と戦い、何に勝ったのか。あるいは負けたのか。


■「勝つ」ことに集中するために「見ない」


類いまれなる才能を評価されながら、生かし切れていなかった大坂選手の最大の敵は、「自分の精神面の脆さ」だったに違いない。試合中にうまくいかなくなると、ラケットを放り投げたり、涙を流したり、またセット間にベンチでタオルを被って「もういやだ、やりたくない」と泣き言を言ったりしていたのも、つい最近までのことである。


ところが、今回の全米オープンでは、明確に「勝利を目指す(Play to win)」を貫いていた。決勝を前にしたインタビューでも、ウィリアムズ選手が子供のころからの憧れの選手であり、彼女と全米オープンの決勝で対戦することが夢であったことを語っている。一方で、「ウォームアップまでは、憧れの選手、として見ていたが、試合が始まったら、単なる1人の対戦相手、と見た」と言っている。


荒れた試合の中でも、集中力を切らさなかった。試合後の会見では、ウィリアムズ選手の試合中の審判に対する猛抗議に関して、「背中を向けていたのでわからなかった」、「観衆の声が大きくて聞こえなかった」と述べている。


私はこれをウィリアムズ選手に対する配慮を含むコメントだと捉えていたが、その後の米国の人気トークショーででは、「何が起こっているのか、本当にわからなかった」とし、「小さいころから、(試合中に)相手が怒ったりしているようなときも、それを見ないようにすることを教えられてきた。別の方向を見て、集中できるようにトライするよう教えられてきたから、そうしようとしていた。心の中では、何が起こっているのか知りたいと思っていたけれど」と語っている。意識的に目をそらすことで、「試合に勝つ」という目標に対する集中力を切らさなかったのだ。



■「地球は丸く、草は緑だ。すべてうまくいく」


テニスは過酷なスポーツである。特にシングルスは、いったんコートに出たら1人きりで、相手と対峙し、審判や観衆を味方につけなければならない。そこでは、「勝利を目指す(Play to win)」気持ちや行動を支える、安全基盤(セキュアベース)が必要になる。セキュアベースとは何か。



守られているという感覚と安心感を与え、思いやりを示すと同時に、ものごとに挑み、冒険し、リスクをとり、挑戦を求める意欲とエネルギーの源となる人物、場所、あるいは目標や目的

ジョージ・コーリーザーほか著『セキュアベース・リーダーシップ』(プレジデント社)より

大坂選手には、あの試合で少なくとも3つの大きなセキュアベースがあったと思う。1つ目のセキュアベースは、コーチだ。サーシャ・バイン氏(ドイツ出身、33歳、男性)である。


彼が専属コーチとして昨年12月に就任してからの大坂選手の戦績はすばらしい。大坂選手も決勝後のインタビューの中で、バイン氏について聞かれると、「彼に会えば、彼が本当によい人だとわかると思います。彼は前向きで、楽観的で、それが私には大切です」と笑顔で答えている。一方、バイン氏も「彼女はすごく完璧主義的で、自分自身を責めすぎるし、自分自身に厳しすぎる。だから私は真逆でなければ、と思う。『大丈夫だよ。地球は丸く、草は緑だ。すべてうまくいく』って伝えるようにしている」と語っている。


彼女にとってバイン氏は、弱気、後ろ向き、自責的になりがちな自分を、常に「勝利を目指す」マインドセットに向けてくれる存在だ。それは、セットの合間に直接アドバイスをくれるときだけではない。1人でコートにいなければならないとき。自分で自分に何かを言い聞かせるしかないとき。そのときの言葉のひな型を提供しているのが、コーチなのだ。


■高い目標というセキュアベース


2つ目のセキュアベースは、「グランドスラムを取る」という目標そのものである。


決勝前のインタビューで、「セリーナと全米の決勝で戦うことは夢だった」と語る大坂選手に対して、記者が、夢の中ではあなたは勝ったのか、と聞いた。そのときに大坂選手は、「自分が負ける夢を見ることはない」とはっきり言った。また、試合後のトークショーにインタビューでは「勝つチャンスがある、と思わずに試合をすることはない。だから心の中では、勝てると思っていた」と語った。決して、無欲の勝利などではない。


「グランドスラム全制覇、世界ナンバー1、五輪で金メダル」を目標にしている、とも言う。大きな目標が彼女を支えているのだ。ウィリアムズ選手の猛抗議に背を向け、耳をふさぎ、この試合に勝つことに自分の「心の目」を向け続けることは、簡単なことではなかったはずだが、この目標があったからこそできた選択だったと思う。



■ライバルもセキュアベースになる


3つ目のセキュアベースは、他ならぬセリーナ・ウィリアムズ選手だったのではないか。

父親に導かれ、姉とともにテニスを始めた大坂選手にとって、ウィリアムズ姉妹は常に目標であり、ロールモデルであり、手本であった。準決勝終了後のコートサイドでのインタビューでは、「Serena, I love you」とまで言っている。長年にわたり、何度とない浮沈を繰り返しながら、今なお現役の最前線で戦うウィリアムズ選手に対する愛情と敬意が、大坂選手の勇気と挑戦の源であったとしても、驚くべきことではない。


この「セキュアベース」は、欧米のビジネススクールのリーダーシップ教育でも教えられている概念で、「他者の能力を引き出す」というリーダーの役割を考えるとき、きわめて重要な示唆を与えてくれる。


リーダーがフォロワーにとって心から信頼でき、安心感を与える存在であると同時に、高い目標に挑戦するよう背中を押してくれる存在でもあるとき、桁違いのパフォーマンスが生まれることが、私も所属しているスイスのビジネススクールIMD教授のジョージ・コーリーザーらによる調査によって明らかになっている。


これは、リーダーとフォロワーだけでなく、親と子、コーチと選手でも当てはまる。詳しい説明はコーリーザーらの著書『セキュアベース・リーダーシップ』に譲るが、セキュアベース・リーダーがフォロワーの能力を極限まで引き出せるのは、守られているという安心感のなかで、「心の目」を「勝利を目指す」ことだけにフォーカスさせることができるからだ。


■二重基準との戦いに「心の目」を奪われる


次に、セリーナ・ウィリアムズ選手についても考えてみたい。彼女は何と戦ったのだろうか。彼女が目指していた勝利とは、なんだったのだろうか。彼女の試合中の言動には、批判的な声が目立つ。私自身も、それが最初の反応だった。一方、主審の采配や言動にも、賛否両論があるようだ。


今回、私は、男子選手なら大目に見られる暴言や破壊行為が、女子選手では厳しく罰せられる傾向があること、男子選手がコートサイドで着替えることは容認されていて、女子選手はそうではないことなど、テニスのルール適用における男女間の「二重基準」が現実に存在している、と考えている人が少なくないこと、また、それが問題である、と考えている人が少なくないことを学んだ。


試合の経過と結果だけ見れば、ウィリアムズ選手は主審や審判部と、試合中にこうした二重基準をめぐって戦うことで、この試合の「勝利を目指すこと」から、自らの「心の目」をそらすことになってしまった。


ただ、あれだけ実績があり、長年活躍をしてきた選手である。わかっていたのではないか。二重基準に関する戦いをここで仕掛けることで、全米オープンの記念すべき第50回大会で、出産後初のグランドスラム優勝を飾る、という大きな目標から自分が遠ざかってしまうことを。



■負の感情を呼び覚ました審判の警告


ウィリアムズ選手にとっては、この二重基準の問題(そして厳密にいえばその前の彼女の論点である、不正のない、誠実なプレイに対する疑義や、人種による二重基準)は、これまで長年にわたって自分が不当・不平等に扱われてきた(と少なくとも自分が捉えてきた)歴史を思い起こさせ、それに伴う極めて強い負の感情を呼び覚ますものだったのだ。彼女にとって、許しがたい、受け入れがたい問題であり、本質的な侮辱であった。それを甘んじて受け入れてこの試合での勝利を目指すことすら、彼女にとっては「自らに対する不誠実」と捉えられるくらいの出来事だった——そう解釈すべきではないか。


「破壊や暴言が認められるようにするような男女平等ならいらない。だからセリーナの主張には賛同できない」という女性もいる。それはそれでひとつのスタンスである。しかし、根幹は、テニスという過酷なスポーツの試合中におけるフラストレーションの表現や発散手段として、何を容認するか、という議論であり、この基準における男女差を放任しておくことは、「男性らしさ」「女性らしさ」に関するステレオタイプ、あるいは、「男性にはよいとされるが女性ではよいとされない言動(あるいはその逆)」といった社会の「無意識のバイアス」を是認し、助長することにつながると思う。


これは、長期的に見て、男性にとっても女性にとっても不幸なことだ。「破壊行為や暴言がよくない」、というのであれば、「男女どちらにとっても認められない」と定義され、運用されるべきだろう。


二重基準をめぐる戦いは、ウィリアムズ選手ひとりのものではない。それは、性や人種を問わず、すべてのテニス選手にとっての戦いであり、ひいては社会全体にとっての戦いであるべきだ。彼女が決勝戦でその十字架をひとりで背負ってしまったのは、残念だったし、悲しかったし、痛々しかった。ただ、今回のことで、二重基準に関する社会全体の知識と関心は高まったはずだ。


■「大義」を果たすためにもセキュアベースが必要


1つ。もう一度グランドスラムで優勝すること。




ジョージ・コーリーザー、スーザン・ゴールズワージー、ダンカン・クーム(著)/東方雅美(翻訳)『セキュアベース・リーダーシップ』(プレジデント社)

2つ。平等にルールが適用されるテニス界を作り、テニス界の後進だけでなく、世界のひとびとにとって、無意識のバイアスや差別からより開放された世界をつくることに貢献すること。


どちらも、ウィリアムズ選手という一個人を超えた、大きなインパクトのある「勝利」になるはずだ。特に2つ目は、「大義」といってもいいだろう。賛同、共感し、ともに歩みたい、と思う人は少なくないはずだ。


私は、その2つ目の勝利に向けた歩みの先頭に立つウィリアムズ選手を見たい。そう思う人々は世界中にたくさんいるに違いない。1人のための戦いではなく、大義に向けた歩みなのだから。


そこでは、ウィリアムズ選手にとってのセキュアベースになるような人々が必要だ。彼女の悲しみや怒りを、わがこととして捉えられる人々。「勝利を目指す」中で、事実を整理し、論理を組み立てつつ、人の善意に訴求していく。「心の目」を常に、もっとも大切なところに当て続け、そらさないようにする。そのために、ウィリアムズ選手と連帯していく人々が必要だ。


ウィリアムズ選手にも、セキュアベースとしての役割が求められていいだろう。その役割を彼女が引き受けることは、彼女にとっても、また、人々にとっても、極めて大きな、そしておそらくポジティブなインパクトを持つ。彼女にはそれができるのではないか。そのときに、その大きな歩みの輪の中に、大坂なおみ選手を見いだすことができれば、とてもすてきだ。


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高津尚志(たかつ・なおし)

IMD北東アジア代表

早稲田大学政治経済学部卒業後、1989年日本興業銀行に入行。フランスの経営大学院INSEADとESCP、桑沢デザイン研究所に学ぶ。ボストン コンサルティング グループ、リクルートを経て2010年11月より現職。IMDは企業の幹部育成に特化をした、もっともグローバルなビジネススクールとして知られており、日本企業を含む世界中にある数多くの企業のグローバルリーダー育成を支援している。主な共著書に『なぜ、日本企業は『グローバル化』でつまずくのか』『ふたたび世界で勝つために』(ともに日本経済新聞出版社)、訳書に『企業内学習入門』(シュロモ・ベンハー著)がある。

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(IMD北東アジア代表 高津 尚志 写真=Robert Deutsch-USA TODAY Sports/Sipa USA/時事通信フォト)

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