日本の選挙は多すぎる…憲政史家が指摘「実質的な首相選びである自民党総裁選が総理任期中に行われる矛盾」
2024年9月26日(木)17時15分 プレジデント社
※本稿は倉山満『自民党はなぜここまで壊れたのか』(PHP新書)の一部を再編集したものです。
■「派閥解消」は自民党伝統のエクストリームスポーツだ
エクストリームスポーツとは、速さと過激さを争う競技のことです。令和6(2024)年夏、岸田文雄首相は派閥と政治資金の問題から「派閥解消」を唱えていました。自民党はこれまで何度「派閥解消」をしたでしょうか。わたくし、いちおう憲政史に詳しいつもりですが、その私でも今回が何回目の「派閥解消」なのか数えられないほど、これまで何度も何度も「派閥解消」が試みられてきました。思い出したように「派閥解消」しては、そのつど派閥が復活しているというのが自民党の歴史です。むしろ、派閥解消を言えば派閥抗争が激化するのが常です。
まさに今、起きているのもそれです。物を高いところから落としたら落ちる。そのぐらい自民党が派閥解消を言い出せば、派閥抗争が激化するのは自明の理です。
事実、岸田さんが「派閥を解消してきました」と記者会見すればインパクトがあったのに、「派閥解消を検討する」とか中途半端なことしか言わないので、「最後の親分」とも言われ決断力と結束力で定評があった二階俊博前幹事長が「派閥を解消する」と派閥総会で宣言。他の派閥も雪崩現象で派閥解消の動きを見せると、完全に出遅れた麻生太郎副総裁は「ウチは派閥を存続させる」と宣言。
このエクストリームスポーツ、ズルをやっていいトラック競技のようなもので、周回遅れの者がいつの間にか先頭集団の如く走っていて、私からしたらデジャブでしかありませんでした。
■平成に入り自民党が下野してからクリーンな総裁選になった
昭和時代の自民党の派閥争いが、いかにえげつなかったか。しかし、平成に入り、自民党が下野してからは変わりました。野党になっての総裁選は、利権もポストも得られないので、実にクリーンな選挙です。自民党の各国会議員が自ら考えて投票しました。
写真=iStock.com/Rawf8
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Rawf8
平成5(1993)年の総裁選では、派閥の領袖で次の総理最有力と言われた渡辺美智雄を、派閥の領袖でも何でもない河野洋平が破りました。ミッチーさんには首相になってもらいたかったし、河野洋平そのものは、まったく評価しませんが、こういう形の総裁選が行われたこと自体は高く評価したいと思います。やはり野党になると、改革は進みます。
平成7(1995)年総裁選は、竹下登が推した橋本龍太郎が「チャレンジャー」のつもりで名乗りを上げたら、他派閥が雪崩現象を起こして橋本支持に。それを見た現職総裁の河野が敵前逃亡しました。これでは無投票で総裁選が盛り上がらないと思いきや、第二派閥の三塚派から小泉純一郎が出馬しました。
■若い世代は知らない小泉純一郎総裁当選時のフィーバー
しかし、自民党のタブーである「郵政民営化」を主張し、党内の雰囲気は「あいつだけはやめてくれ」。「郵政民営化」以外にも「全国特定郵便局長会12万人に逆らえなくて創価学会250万人に逆らえるのか」「憲法九条改正は難しいから八九条から行こう」のような過激な発言もありました。
ちなみに日本国憲法八九条とは「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」です。
この時の小泉は304対87の大差で橋本に敗れています。
しかし、その6年後、平成13(2001)年には、ほとんどダブルスコアで橋本に勝利します。このときも「郵政民営化」を絶叫。選挙は非常に盛り上がり、テレビジャックしました。
あれから20年以上経っていますから若い人は知らない、あるいは、覚えていないかもしれませんが、小泉が勝利した総裁選は後にも先にもないほどの熱狂ぶりで「小泉フィーバー」と呼ばれました。
小泉純一郎首相とアメリカ合衆国国防長官ドナルド・ラムズフェルド、2004年11月14日、撮影=アメリカ空軍(写真=Andy Dunawayアメリカ空軍下士官/PD US Air Force/Wikimedia Commons)
平成時代以降、幹部だけで決めるのではなく、党員にも開かれた選挙で総理・総裁を決めるという文化が定着してきました。普通の日本国民が支持層の自民党ですから、こうした総裁選を通じてアピールできるようになったことは党のイメージアップにつながります。自民党の総裁選びに関しては、改革は相当に進んでいると言っていいでしょう。昔の総裁選は、「飲ませ食わせ抱かせ」でいつの間にか常軌を逸した買収合戦になり、それをやめようと「クリーン三木」を選んだ総裁選は密室談合の極みの椎名裁定。そんな時代よりは、はるかに健全化しました。
■小選挙区制で「選挙に勝てる」総裁を選ぶシステムになった
小選挙区制にした理由のひとつとして、選挙に勝てない総理・総裁を選べないことがあります。小選挙区制とは怖い制度で、政権与党であったカナダ進歩保守党が解散前の155議席からわずか2議席に減ったという例があります。国民の支持を得られる総理総裁でないと選挙に勝てない。だから1995年や2001年の自民党総裁選は盛り上がったのです。
かつての中選挙区制ではボス政治家は絶対に落選しませんし、自民党は基本的に負けません。だから談合で総理・総裁を決めていたのです。小選挙区制のもとでは自民党といえども下野・落選の危機があるので、緊張感が保たれます。
■森喜朗首相は総裁選なしで選ばれたから、総選挙で大敗した
小選挙区制になってから談合で総理総裁を決めたのは小渕恵三首相の病気退陣・死亡というハプニングを受けた森喜朗のみ。案の定、森内閣の総選挙は大敗北を喫します。そのため、大派閥の領袖でありながら額賀福志郎は総裁選に一度も出ていません。三塚博も中選挙区時代に一度出たきりで、小選挙区になってからは永遠の中間派です。逆に派閥の領袖でなくても首相になれます。安倍晋三首相の所属派閥は「細田派」でした。「安倍派」になったのは首相退陣後です。本人亡き後も「安倍派」なのは奇妙としか言いようがありませんが。
少し余談ではありますが、令和3(2021)年の総裁選候補者はある意味で自民党を象徴する顔ぶれでした。最終的に総裁に選ばれた岸田文雄のほか、河野太郎、高市早苗、野田聖子が立候補。高市と野田では、まったく主張が異なります。この二人がどうして同じ党に所属できるのか、誰にも理解できない。
もっとすごいのが立憲民主党で、高市より右も、野田より左もいる。包括政党にもほどがあるというのが我が国の二大政党の問題点でもあります。
■トランプにも驚かれた「選挙が多すぎる日本の政治」
昔、アメリカのドナルド・トランプ大統領が「お前の国では毎年選挙があるのか」と聞くと、安倍晋三首相が「そうだ」と答えたとか。事実です。
平成24(2012)年衆議院選挙。自民党政権返り咲き。第二次安倍内閣発足。
平成25(2013)年参議院選挙。長期政権の安定を築く。なのになぜか消費増税。
平成26(2014)年衆議院選挙。消費税再増税の延期を問う。全野党が延期に賛成なのに。
平成27(2015)年自民党総裁選。無投票再選だが、安保法制で1年が暮れた。
平成28(2016)年参議院選挙。再び増税延期の信を問う。
平成29(2017)年衆議院選挙。モリカケスキャンダルがやまず。
平成30(2018)年自民党総裁選。現職総理大臣なのにダブルスコアでしか勝てず。
平成31(2019)年参議院選挙。増税を公約に。
ドナルド・トランプ米国大統領と安倍晋三首相、2017年2月11日(写真=ドナルド・トランプ事務所/PD-USGov-POTUS/Wikimedia Commons)
平成27(2015)年は、結果的に無投票でしたが、総裁選を見据えての政局でした。こんなに選挙が忙しくて政治ができるのか。日本は選挙が多すぎます。
日本の総理大臣は、衆議院選挙のほかに総裁選と参議院選挙を気にしなければなりません。憲法上、総理大臣の権限はこれ以上強くしようがないほど強力です。ただし参議院選挙に勝って多数を得たならば。総理大臣は衆議院の首班指名で選ばれますから、衆議院の多数を得ています。しかし、参議院で野党が多数ならば、法案は通らず、総理大臣はやりたいことが何もできません。平成の総理大臣の多くは、参議院で多数を得られずに退陣に追いやられました。
■総理大臣の任期中に与党総裁選を行うのは日本ぐらい
そして、総理大臣の任期中に、与党の党首選挙を行うのは日本ぐらいではないでしょうか。イギリスでは、1回の総選挙で勝てば、次の選挙まで5年間、権力を握れるようにしています。途中で解散する必要はありません。総選挙をやれば必ず自民党が勝つ文化が定着している日本で「総理大臣の任期中は総裁選をやめよう」などと言っても、通らないでしょう。
逆に野党が言っても「政権とる可能性がないのに」で終わりかねません。この点、日本維新の会は規約第七条四項で「代表は、前項前段の公職選挙の投票日から四十五日以内に、代表選挙を実施するかどうかを議決するための臨時の党大会を開催するものとする」と定めています。前項前段の公職選挙とは、衆議院選挙・参議院選挙・統一地方選挙です。仮に政権党になった場合は、総理大臣を代表選挙で引きずりおろすことは制度上ありえません。他の党も倣ったほうがよい制度だと思いますし、日本維新の会が総理大臣を出す政権与党になった時にも変えないでいてほしい制度です。
どうしてこんなことを言うか。
昭和54(1979)年の大平正芳内閣における40日抗争は、世にも醜い政争と化しました。大平の2代前の三木武夫は249議席しかとれずに退陣。大平(と福田)は三木が衆議院を解散しようとしたのに反対、任期満了選挙の果ての自民党敗北でした。その次の福田赳夫も解散しようとしたけど、党を預かる幹事長の大平が反対。福田は断念(というより、そんなことしなくても総理大臣が総裁選で負けるはずがないと油断)し、初の党員参加の総裁選で大平に敗れました。
その大平は首相になると、福田や三木が反対するにもかかわらず、解散を断行。248議席の敗北でした。
この状況にもかかわらず、大平は居座り。最後は、首班指名選挙に自民党から大平と福田の二人が立候補、大平の野党も巻き込んだ工作により僅差で勝利して、続投しました。
■「五五年体制」で自民党総裁選が国政総選挙より重視されるように
あげく、総理大臣と自民党総裁を分離する「総理・総裁分離案」なども出てくる始末です。この「総総分離論」は、この時代の政争が激しい時に妥協案として常に飛び出していました。総選挙により国民に選ばれた第一党の総裁が国の最高責任者である総理大臣になる。これを「憲政の常道」と言います。「総総分離論」は「憲政の常道」の否定ですから、議会の自殺行為です。
写真=時事通信フォト
日本記者クラブ主催の討論会に臨む自民党総裁選の候補者=2024年9月14日、東京都千代田区 - 写真=時事通信フォト
「憲政の常道」の源流は、イギリス憲政です。「総選挙により選ばれた政党の総裁は、次の総選挙まで総理大臣として思う存分、自分のやりたいことをやってよい」との考え方です。政治家の権力欲を否定などしない。いかに公正なルールのもとで発揮させるかを考えるのが、イギリス人の発想です。
戦前日本は立憲政友会と立憲民政党が二大政党で、自民党のような政党が二つあって政権交代していました。ところが、「五五年体制」では総選挙は常に自民党が勝つので、実質的に総理大臣を決める選挙が自民党総裁選になり、国民全体が参加する総選挙より重視する倒錯が起きているのです。
■毎年選挙があるが、国の最高指導者に適した逸材は毎年出てこない
問題は選挙がありすぎることです。衆議院・参議院の選挙制度は国法で決まっていることなので変更するとなると大掛かりですが、総裁選の時期や人選びは党内で決められます。
選挙で勝てる党首を選ぶと、鈴木善幸のような「なんであの人が?」という首相が生まれにくいですが、人気だけでも困ります。総理大臣とは国を率いる人です。国の最高指導者に適した逸材など、そこらへんにゴロゴロころがっていません。毎年のように出てくるものではないのです。自民党には、そういう自覚が足りません。そんな議論すらなく今まで来てしまいました。
「三角大福中」や「安竹宮」の時代は自民党は万年与党でしたから「政策が変わらないのだから、みんなで代わりばんこにやればいい」という感覚でした。
その文化、小選挙区制の導入で大きく変わりました。小選挙区制は国民世論の影響を受けやすいので、国民が本気で怒れば一気に政権交代が起きやすいのです。だから、自民党は総裁(総理大臣である)に、国民的人気のある人しか据えなくなりました。
典型的なのが、緊急登板の森喜朗が不人気だとマスコミの寵児の小泉純一郎に代える、ワンポイントリリーフの福田康夫で総選挙をするわけにいかないから世論に人気のありそうな麻生太郎に代える、の二例です。
ちなみに、菅義偉首相は「菅では総選挙を戦えない」と燎原(りょうげん)の火の如く菅おろしが広がり引きずりおろされましたが、「相手が枝野幸男ならばわざわざ河野太郎を総理大臣にする必要はない」と岸田文雄が後継総裁になりました。これは小選挙区制の効用であり、自民党はそういう意味では改革しています。
■野党に比べれば、自民党は総裁が首相になる気があるだけマシ
なんだかんだ言っても自民党は党首選挙があるだけ、そして、党首が首相になるつもりがあるだけマシです。民主政治を行う上で問題が山積みなのは、野党のほうです。党首選挙がない党もありますし、選挙があっても党首が本当に首相になる(気がある)かどうかよくわからない党もあります。
倉山満『自民党はなぜここまで壊れたのか』(PHP新書)
自民党総裁選に勝った者だけが総理大臣になる資格があるという、他の政党を二軍扱いする文化が、自民党政治家以外にも浸透しているのは、不幸だと思います。自民党にとっても。
自民党の総裁選は改善され、前よりは格段にクリーンで透明性のあるものになったし、総理大臣になるつもりがある人しか党首選挙に立候補しません。そして、党員は党首選挙において総理を選ぶのだという自覚があります。
それに比べると、野党のほうが大いに問題です。立民・維新・国民の党首に私が強調したいのは、「主要政党の党首というのは総理大臣候補であって、野党のまとめ役じゃないんですよ」です。個人的に、泉健太・馬場伸幸・玉木雄一郎の三党首にはインターネット番組のインタビューなどで申し上げてきました。三方とも立派な方ですが、それぞれの党が、そういう体制になるには、かなりの改革が必要でしょう。
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倉山 満(くらやま・みつる)
憲政史家
1973年、香川県生まれ。中央大学大学院文学研究科日本史学専攻博士課程単位取得満期退学。在学中より国士舘大学に勤務、日本国憲法などを講じる。シンクタンク所長などをへて、現在に至る。『並べて学べば面白すぎる 世界史と日本史』(KADOKAWA)、『ウェストファリア体制』(PHP新書)、『13歳からの「くにまもり」』(扶桑社新書)など、著書多数。
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(憲政史家 倉山 満)