日本人が「本当は自社が嫌い」なのに愛社精神のあるフリをする理由

10月18日(日)9時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/AJ_Watt

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欧米の企業には「自己責任」「実力主義」「勤務企業に対してもドライ」「金のために働いている」というイメージがある。しかし、それは事実ではない。調達・購買コンサルタントの坂口孝則さんは「各種調査を見れば、むしろ日本人こそ自社への帰属意識が低く、金のために働いていることがわかる」という——。

※本稿は、坂口孝則『稼ぐ人は思い込みを捨てる。』(幻冬舎)の一部を再編集したものです。



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■課長職になるまで、同期では給料に差がつかなかった


私が以前勤めていた大企業では、課長職になるまで、同期の間で給料はほぼ1円も差がつかなかった。それが、私には不満だった。


会社の説明では、給料を安定的に払うことが従業員の安心につながるらしかった。

たとえばあるとき月給が100万円、違う月は10万円だったらとても暮らしていけない。また、間接部門のように結果に差がつきにくい仕事もあるから不公平だ。さらには、A君は拡大する市場を相手にしているが、B君は衰退産業を相手にしており、しかし、双方とも重要な事業だ、と。


ならば、と私は会社を飛び出した。自分のサービスが社会に求められるのであればおのずと売れた分だけ収入があがる。逆もまた然り。シンプルで気持ちが良い。


いま、私はコンサルタントとして企業にお邪魔する。私はトップとのみ会話するタイプではないため、一般社員の方々と対話を重ねる。面倒なことも多い。トップから指示された新たなプロジェクトをコンサルタントとはじめることに拒否感を顕にするひともいる。


■若いくせに自分自身に満足するなど、馬鹿ではないか


こういうとき、魔法の杖はない。じっくりと会話をしながら、本音や問題をあぶりだすしかない。私も仕事だから嫌々でも遂行してもらう必要がある。そして、面倒なことを重ねているうちに、やっと本音を引き出せる。たとえば飲み会の席などで「いや、正直にいえば、新しいことをやっても給料があがらないから馬鹿らしいんですよね」といった声だ。


「新しいことをやっても給料があがらない」というなら、「給料があがればやる」という可能性が高い。「え、じゃあ、月にいくらあがったらやるんですか」「数万円とかでしょうか」「数万円さえあがったらやるわけですか」といった会話の経験が多々あるため、私は日本人が実は実力主義的なのではないかと疑いをもっている。


面白い資料がある。図表1は日本と諸外国とで「自分自身に満足しているか」を調査したものだ。そこから、日本人の若者の自己肯定感の低さが指摘される。しかし、私などは、若いくせに自分自身に満足するなど、馬鹿ではないかと思ってしまう。日本人の若者のほうがまともではないか。




■「見知らぬ人を助けるランキング」で日本は144カ国中142位


さらに興味深いのは、図表2の「自分は役に立たないと強く感じる」かと質問したものだ。日本は「そう思う」「どちらかといえばそう思う」の二つを足した割合が、アメリカやイギリス以下になっている。これを見ても、たんに欧米がポジティブシンキングだとはいえない。



さらに職業選択において「収入」重視と答えたのは日本が調査国のなかでもっとも多い。



また、日本人は欧米よりも自己責任を徹底する。よく使用されるのが、団体CAFが提示しているWorld Giving Indexだ。これは社会的支援指数ともいうべき、他者への支援を定量化したものだ。この2018年版を見ると、「見知らぬ人を助けるランキング」で世界各国のうち、144カ国のうち142位となっている。


なお、この手の調査を、そのまま受け取ってはいけない。定量的な数字と異なり、言語の違いによる調査のニュアンスにも大きく左右される。しかし、私の個人的な経験からも、これらのデータを覆す実感にはいたっていない。たとえば私の妻が妊娠中に電車に乗ると、多くの男性たちは席を譲ってくれない。あるとき、席が空いたからと近寄ると、50代くらいの男性が妻をはねのけて座った。それも数度ある。マタニティマークをつけている女性が前に立っても、なかなか譲らない。


■自己責任感が強い分、他人に迷惑をかける人には冷たい


私は家族とマレーシアに住んだことがあるが、そのとき、幼い子どもに、いたるところで住民が優しくしてくれたことが印象的だ。そのいっぽうで、日本では子どもが泣くたびに、チッと聞こえるように舌打ちされたり、露骨に嫌な顔をされたりした。


もっともマレーシアの犯罪発生率と日本のそれでははるかに日本が安全とわかっている。強盗発生率もそうだ。それでもなお、中根千枝さん『タテ社会の人間関係』、土居健郎さん『「甘え」の構造』、あるいはルース・ベネディクトの『菊と刀』などなんでもいいのだが、日本人の、ムラの関係者には優しく、外部の人間には冷たい性質を私はいまだに感じてしまう。


日本人は他人に迷惑をかけないように教育が徹底しているため、犯罪等は少ない。しかし、自己責任感が強い分、他人に迷惑をかける人には冷たい。妊婦や赤ん坊にたいしても、積極的に助けようとはならない。欧米でいわれるのとは違う意味で、自己主義、自己責任主義なのだ。



■自分自身に満足していないが、役に立たないとは思っていない


さらにギャラップ社の調査によると、日本はもっとも自社に愛着を感じていない(図表4)。米国のほうがはるかに愛着をもっている。日本は中国人と同じレベルにある。まさかと思ったが、同様の国際比較を見ても、やはり日本人の愛社精神は低いとしか判断ができない。



植木等さんは高度経済成長期にモーレツサラリーマンの裏返しとして無責任男を演じた。あれは、無責任になれないからこそ成立した笑いだった。サラリーパーソンたちは愛社精神の重要性を論じた。しかし、考えるに、その重要性を誰もが理解し、そして骨身にしみているのであれば、あえて強調する必要はない。皮肉なことに、日本には愛社精神が希薄だったからこそ、それを強調する必要があった。伝統というものが必要性を失うとともに、逆説的に伝統の重要性を語らねばならない伝道師が増えてきたように。


日本人はいわゆる外資系企業で働くひとたちのほうが、「自己責任」「実力主義」「勤務企業に対してもドライ」「金のために働いている」と考えている。しかし、実際には、日本人は自分自身に満足していないが、それは上昇意識があるからで、自分が役に立たないとは思っていない。日本人は想像以上に実力主義的な志向をもっている。自己責任を強く感じている。帰属している会社への愛情は相当に低く、働く理由は収入のためである。


企業統治の欧米化が進み、雇用の流動化、外国人株主比率増加、実力主義の徹底……それらはもっと進むだろう。そのとき、愛社よりも収入を希求してきた日本こそが、教科書どおりの株式会社を実践できる国になるのではないかと、ひそかに予想している。それが喜劇なのか悲劇なのかはわからないけれども。


■マルクスは「私たちは牛丼なんだ」という説を語った


突然だが、かつてマルクスという思想家がいた。曲解すると、マルクスは、私たちは牛丼なんだという説を語った。マルクスは、すべては結局のところ、なんでも取引なんだ、と考えた。一人の労働者にしてみれば、生きていく以上は、自分という商品を売り物にして、それを誰かに買ってもらうしかない。その買い手のことをマルクスは資本家といった。正確ではないが、資本家とは株主とか会社とかと思っておけばいい。


じゃあ、その資本家は、どうやって、労働者に払う対価を決めるのだろうか。


そこで出てくるのが、私たち=牛丼の考え方だ。牛丼は、牛肉とご飯、玉ねぎ、タレなどのコストを積み上げていって、あとはお箸とか、店内の光熱費とかを計算して、380円で売ろうかなとか、やっぱり370円かな、といった価格が決まる。労働者たちが牛丼とすれば、牛丼の原材料にあたるのは、生活費だ。つまり、私たちが人間として生活できるコストを積み上げて給料が決まっている、というのだ。



■牛丼である私たちは、資本家以上にはなれない


私たちは生活するために、衣食住が必要だ。そして、通信費などもかかる。それらを加算していって、世間一般ではこれくらいあればいいという相場が決まる。いまでは各都道府県の最低生活費も、ネットで調べればすぐに出てくる。


牛肉がキロあたり1000円のタイミングもあるかもしれないし、900円のタイミングもある。でも、いちいち価格を変えていられない。「牛肉のコストはだいたいキロあたり950円で考えたら、問題ないでしょ」と設定される。


労働者一人ひとりも同じだ。私は浪費家だとか、スポーツカーを買いたいといっても、個々の事情は考慮されない。生活費の平均値を上回る部分は、諦める必要がある。しかし、社員が優秀で、ものすごい成績を残すかもしれない。それでも、その成果の大半は、雇用している側の取り分だ。同期とくらべて、すこし給料の差がつくかもしれない。ただ牛丼である私たちは、資本主義の構造上、資本家以上にはなれない。


牛丼が薄利なのは、広く知られている。私は『牛丼一杯の儲けは9円』という本まで書いた。「だって牛丼でしょ。安くて当然でしょ。コストも安いでしょ」と消費者が思っているので、1000円は払わない。牛丼が薄利で、牛丼が私たちだとすれば、私たちの労働結果である給与をもらっても、まったく預貯金がたまらないのは当然といえるかもしれない。


■構造上、会社に勤めたままでは不満を解消できない


私は新入社員のころ、お金があまりに毎月ギリギリなので「給料というのは凄いな。ちょうど、生活できるギリギリに設定されている」と感心した。




坂口孝則『稼ぐ人は思い込みを捨てる。』(幻冬舎)

なお、このマルクスの考えを「労働価値説」と呼ぶ。現代の経済学者からは否定されている。私も全面的に賛成していない。単純化したモデルだし、前の章で取り上げたとおり業界によって給与がばらつくことは知られている。しかし、「給料が上がらない、上がらない」といわれる日本ではマルクスのこの説が当てはまっているのではないだろうか。


本章で描いたとおり、日本の従業員は自分が正当に評価されていないと感じているし、収入を目当てに働いている。いまの会社にも愛情を抱いていない。しかし、構造上、会社に勤めたままでは不満を解消できないかもしれない。そうすると、第二(起業)の道も検討するべきだ。やるかどうかは別として選択肢を増やすのは価値がある。


現状以外の道を考えることで、自分の能力について客観的になれる。いま以上のスキルや能力が必要かもしれない。自分の市場価値にくらべて、所属会社からはやはり不当な評価しか得られていないのであれば飛び出すのも選択肢だし、逆に現状に満足しなければならないかもしれない。



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坂口 孝則(さかぐち・たかのり)

調達・購買コンサルタント

2001年、大阪大学経済学部卒業後、電機メーカー、自動車メーカーに勤務。原価企画、調達・購買、資材部門に従業。製造業を中心としたコンサルティングを行う。テレビやラジオのコメンテーターとしても活躍。著書に『牛丼一杯の儲けは9円』(日刊工業新聞社)、『ドン・キホーテだけが、なぜ強いのか?』(PHP研究所)、『日本人の給料はなぜこんなに安いのか』(SBクリエイティブ)などがある。

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(調達・購買コンサルタント 坂口 孝則)

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