もっともな矢野財務事務次官のバラマキ合戦批判、国民を侮るな

10月19日(火)6時0分 JBpress

(筆坂 秀世:元参議院議員、政治評論家)


あまりにも公約を簡単に投げ捨てすぎる

 それにしても総裁・総理当選以降の岸田首相の発言を聞いていると、この人は何のために首相を目指したのか、根本的な疑念を覚える。

 総裁選時の公約が次々投げ捨てられていくからだ。

「令和版 所得倍増計画」と銘打った格差の是正や「1億円の壁」と指摘されてきた金持ちへの優遇税制を是正する金融所得課税の見直しは、「目玉公約」だったはずだ。だがあっさりと投げ捨てられた。給与などに課せられる所得税は、収入が多いほど税率が高くなる累進課税になっている。課税所得が4000万円を超えると個人住民税を含む最高税率は55%になる。これに対して株式譲渡益など金融所得への課税は、所得税と住民税を合わせても一律20%となっている。つまり所得に占める金融所得の割合が高い富裕層ほど税率が低くなる傾向にある。その境界線が1億円と言われている。これが「1億円の壁」であり、格差是正には欠かせない改革が金融所得課税の見直しなのだ。

 もちろんこれには、銀行業界や証券業界に反対が多い。現に、岸田首相の見直し方針を受け、株価は連日下がった。そこで見直しを止めたわけである。証券業界からは、「さすがに岸田首相は、意見をよく聞いてくれる」と馬鹿にしたような声が上がっていた。

 立憲民主党の枝野幸男代表の質問に対する答弁も支離滅裂なものだった。枝野氏が、「アベノミクスをどう評価し、修正するのか」と問われた岸田首相は、「アベノミクスは旧民主党政権の経済苦境から脱し、デフレでない状況を作り出し、GDPを高め雇用を拡大した。経済成長に大きな役割を果たした」と答弁したのだ。9年も前の旧民主党政権を批判する汚い言葉は、安倍晋三元首相と同じである。

 ただ、所信表明演説で岸田首相は、真っ先に「デフレからの脱却を成し遂げます」と述べていた。ところが野党のアベノミクス追及に対しては、「デフレでない状況を作り出した」とアベノミクスを持ち上げる。だったら「新しい資本主義」などという意味不明な政策ではなく、アベノミクスを継承すればいい。


トリクルダウンの誤りからどう抜け出すのか

 岸田首相は、「小泉改革以降の新自由主義的政策を転換する」と主張した。新自由主義の最大の特徴は、「トリクルダウン理論」にある。

「トリクルダウン理論」というのは、野村證券の証券用語解説集によると、「富裕者がさらに富裕になると、経済活動が活発化することで低所得の貧困者にも富が浸透し、利益が再分配される」と主張する経済理論だ。だが「この理論は開発途上国が経済発展する過程では効果があっても、先進国では中間層を中心とした一般大衆の消費による経済市場規模が大きいので、経済成長にはさほど有効ではなく、むしろ社会格差の拡大を招くだけという批判的見方もある」とされている。

 この理論は、アベノミクスでも採用されていた。だがアベノミクスによって「トリクルダウン」は起きておらず、貧富の格差は拡大した。これを是正するというのが岸田氏の主張なのである。

 岸田氏が強調してきたことは、規制緩和や構造改革ばかりを重視する経済政策の弊害であった。だからこそ、「富める者と富まざる者、持てる者と持たざる者の格差と分断を生んできた」との認識を表明してきた。だがことは簡単ではない。岸田首相は、さかんに「成長も分配も」というが、どちらにも巨額の公的資金を投入する意向のようだ。

 選挙が近づくなかで、与野党ともバラマキ合戦のような選挙政策を打ち出している。与党の自公側からは新しいGoToキャンペーンや10万円給付などが打ち出されている。野党側からも消費税の5%への引き下げや給付金の支給が提案されている。

 私は、GoToキャンペーンが必要だとは思わない。緊急事態宣言が解除され、新規感染者数が劇的に減っているなかで、観光者数は増え始めている。なぜ経済と言えばGoToキャンペーンなのか。この間のコロナ対策で国の財政はますます厳しいものになっている。

『文藝春秋』11月号に、財務省の矢野康治事務次官による「財務次官、モノ申す 『このままでは国家財政は破綻する』」という論稿が掲載されている。

 この論稿は、「最近のバラマキ合戦のような政策論を聞いていて、やむにやまれぬ大和魂か、もうじっと黙っているわけにはいかない、ここで言うべきことを言わねば卑怯でさえある」という一文から始まる。

 続けて、「数十兆円もの大規模な経済対策が謳われ、一方では、財政収支黒字化の凍結が訴えられ、さらには消費税率の引き下げまでが提案されている。まるで国庫には、無尽蔵にお金があるかのような話ばかりが聞こえてきます」。

 私も同じように思う。矢野氏が指摘するように、本当に困っている人に手当ては必要だが、前回の10万円のように困ってもいない人に給付するなど愚の骨頂である。現に、経済の底上げにはつながらなかった。本当に困っている人には、わずか10万円程度では焼け石に水だ。国民の誰もがバラマキを歓迎し、GoToキャンペーンを喜んでいると思うのは、国民を侮っているからだ。

 矢野氏は、“ベントアップ需要(うっ積した需要)”とか、“リベンジ消費(あだ討ち消費)”という言葉が唱えられるほど、この2年間のうっ積がたまっている。「給付金など支給せずとも、感染状況がある程度抑制できるようになれば、自ずと消費活動は活発になる」と指摘している。私と同じ見立てである。

 この論稿に対して、自民党の高市早苗政調会長はNHK番組で「大変失礼な言い方だ。基礎的な財政収支にこだわって、困っている人を助けないのはばかげた話だ」と語り、公明党の山口那津男代表は党本部で記者団に「政治は国民の生活や仕事の実情、要望、声を受け止めて合意をつくり出す立場にある。役割は極めて重要だ」と指摘。財源の制約などを「考慮しながらわれわれも行っている」と反論している。

 だが矢野氏の論は失礼でも何でもない。真っ当な指摘だ。公明党の選挙政策など露骨なバラマキそのものだ。


核兵器禁止条約に署名する覚悟を示せ

 広島出身の岸田首相は、所信表明演説で「世界の偉大なリーダーたちが挑戦してきた核廃絶という松明(たいまつ)を、この手に引き継ぎます」と述べた。その覚悟を問われた岸田首相は、「唯一の戦争被爆国として、核兵器のない世界の実現に向けしっかりと取り組む。核兵器禁止条約は出口ともいえる重要な条約だ」と答えた。菅義偉前首相の「条約に署名する考えはない」という答弁とは、明らかに一線を画している。

 だが岸田首相は、「現実を変えるためには核兵器保有国の協力が必要だが、現状では1カ国も参加していない」とか、「アメリカの理解が必要」などと指摘し、核兵器禁止条約締約国会議へのオブザーバー参加も拒否している。もとより自民党は同条約への署名、参加に否定的態度をとっている。

 おかしな言い逃れに過ぎない。核兵器保有国が核兵器を保有し続けているからこそ、それを廃絶させるために核兵器禁止条約が作られた。核保有国が参加することを待っていたのでは、まったく事態は変わらないことになる。

 10月17日付朝日新聞の1面トップに、「核禁条約『米国は歓迎を』 全米市長会議 行動求める決議」という衝撃的な記事が掲載された。この記事によると米国内の人口3万人以上の1400を超える都市で構成する全米市長会議が、米政府に対し、1月の発効した核兵器禁止条約を歓迎し、核廃絶に向けた即時行動を求める決議を全会一致で採択したというのだ。

 アメリカですらこういう動きが始まっている。日本でも全国知事会など自治体団体が決議すべきである。できないとすれば、それは恥ずかしいことである。そして誰よりも岸田首相こそが、条約への参加を、勇気を持って表明すべきだ。これもできないようでは、何のために首相になったのかと問いたい。一つぐらい本気を示せと言いたい。

筆者:筆坂 秀世

JBpress

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