皇室の弥栄は皇胤の存続があってこそ

11月1日(金)6時0分 JBpress

即位礼正殿の儀:会場を後にする天皇陛下を見送る秋篠宮家

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 第126代の天皇陛下が5月践祚され、10月22日に「即位礼正殿の儀」で国際社会に向かって宣明された。

 この晴れやかな席には秋篠宮皇嗣殿下・同妃殿下とともに、十二単(じゅうにひとえ)に身を包まれた2人の内親王も参列された。

 お2人は貴人ゆえにその場においでになったわけであるが、結婚観や普段の振る舞いに於いては畏れ多いことながら自分のお立場をお忘れかあまり気にかけておられないようである。

 筆者は一介の国民でしかないので皇室関連を報じる言論紙誌や践祚・即位等に関するテレビ報道で感得した思い意外に語れない。

 この思いは、皇室が日本人の心の師表であるし、また政治という権力に左右されない権威で日本の安定に不可欠であるところから来ている。

 世上では「愛子天皇」などの言の葉も飛び交っている。

 皇室典範に明記され、男系天皇で続いてきた万世一系の伝統に、歴史家などによる根源的な議論を得た「輿論」ではなく、マスコミの煽動する男女同権・平等などの現代的感覚のみの「世論」に基づく多数決原理で、皇統の連続性に楔を打ち込もうというのである。

 皇族として息苦しいこともあり、そうしたことも学習院ではなく一般大学に進学される動機の一つになったのかもしれないし、自由奔放な生き方もある限度は許されるであろう。

 しかし、皇室の正統性維持のために、例えば婚約などでは独断によらない慎重な配慮が必要であることは言うまでもない。

 秋篠宮殿下はいまや皇嗣(皇太子)となられ、皇室の一員であられる。となれば、内親王方には従来にも増してお考えにも行動にも深い自覚が求められていよう。


世界最長の皇室

「即位礼正殿の儀」に当っては、内戦状態にあるシリアを除く世界200カ国近い国・地域と国連やEU(ヨーロッパ連合)、パレスチナなどに招待状が出され、ほとんどすべてから元首や首脳の参加を得て、皇居松の間において執り行われた。

 世界最長を誇る「皇室」という存在が築いた財産であり、古代と現在が融合した日本が2000年以上にわたって存在する姿は「平和」のシンボルとして世界の共感を得ているからこそこれほど多くの参加であったに違いない。

 皇室は何ものにも替え得ない日本の至宝であるが、これを無にしかねない喧噪が秋篠宮家から聞こえて已まない。

 新天皇の即位によって皇嗣となられた秋篠宮家の一員として参加された眞子内親王と佳子内親王はいかなる感慨を抱かれたのであろうか。

 皇室典範で規定された皇位継承第1位と第2位が明確に存在するというのに、どこからともなく「『愛子天皇』待望論」(「週刊新潮」2019年4月18日号)などが出てくる。そうした多くが立憲主義を主張しているようで矛盾も甚だしい。

 ジャーナリストの大高未貴氏はこの週刊誌記事を挙げながら、「現在大メディアを含め、さりげなく皇室解体論の流れに誘導するような動きも散見されます」と述べる(「愛子天皇待望論 次に来る危険」『WiLL』2019年7月号所収)。

 内親王方の言動は皇室の尊厳を貶め、中でも問題視されている眞子内親王の婚約内定は今でも秋篠宮家に混乱をもたらしているように仄聞するし、実際に結婚となれば大きな危惧の材料となるのではないだろうか。


貴人で「一般人」でない内親王

 5月以降、秋篠宮家は皇嗣家となられ、2人の内親王は特別な立場にあると自覚されているであろう。

 皇族男子は結婚に当っては皇室会議で議する必要があるが、女子はその限りでないとはいえ一足飛びに平民に適用される憲法の婚姻条項通り、当事者2人だけの合意でよいはずがない。

 一般社会においてさえ、この条項が核家族化に拍車をかけ親子兄弟間を断絶させていると批判されている状況であるし、旧典範では皇族女子も男子同様に勅許が必要とされていた。

 それは結婚の相手となる男性に品格が求められたからであり、現在はその規程がないとはいえ、品格を見定めるなどの必要性から全く個人として独断でいいはずはないし、近年の幾組かの皇族の結婚を見ても、取り巻きが紹介するなど身元確認などが当然ながら行われてきた。

 眞子さまは婚約相手について事前に両宮殿下に話されていなかったようであるが、一般人でなく過分の支度金も出ることから、それは非常識というものではなかっただろうか。

 今次の眞子さまの相手となる小室家については、内定後の週刊誌情報などでいろいろな問題点が指摘され、皇嗣自身も相手方の母親にまつわる金銭面のトラブルについて「しかるべき対応」の必要性に言及されている。

 佳子さまについても「姉宮の行動を支持する」旨の発言をされ、世間から批判されている。

 ヘソ出しのセクシー・ダンスなどヒップホップダンスに興じられているということであるが、品位問題もしかることながら、若さのはけ口であろうから、筆者はそれ自体を非難するものではない。

 ただ、宮内庁関係者によると「『個人の趣味としてやっていることで、誰にも迷惑をかけていないのに、なぜここまで物議を醸すのか』と思っていらっしゃるようです」とのこと(「週刊文春」2019.10.17)。

 この「誰にも迷惑をかけていない」という認識について、筆者は言語道断と言いたい。

 ダンスをされる会場には「眼光鋭く辺りを見渡す場違いな男女があちこちに。佳子さまを警護する私服警察だ」(同上誌)という状況である。

 当人は迷惑をかけていない〝つもり″かもしれないが、貴種として生まれた運命にあられ、どこに行かれ何をされようと、事件などに巻き込まれないようにと〝監視の目″が注がれているのである。

 2人の内新王の行状もさることながら、最も悩んでおられるのは皇嗣両殿下であろうし、時にはご夫妻の口論さえ聞かれると週刊誌は報じている。悠仁親王にもいい影響を与えないであろう。

 ざっくり言って、現憲法下では皇室を存続させるのは国民の意志(憲法用語では「総意」)である。

 皇室を直接的に守るのは皇族方であるが、皇族方からその意志を疑わせるような言行が見られるならば、国民意志が左右され兼ねない。

 国民が揺るぎない支持をもつためにも皇室自身とそれを支える皇族において、国民の信を得る言行をとられる必要があろう。


皇室なかりせば

 2600年超の日本の歴史で皇室が危機に直面した時代もあった。

 また、基本的に皇室は権威として存在し続けたが、権力者やその一族が横暴を極めた場合など、天皇は親政によって権力者に灸を据えられることもあった。

 儒教を流布した帰化シナ人に担がれた豪族の蘇我氏が歴代の天皇と姻戚関係を結び、権力に任せて聖徳太子の一族を滅ぼし自らが取って替わろうとした。

 太子の意志を継ぐ中大兄皇子(のちの天智天皇)が藤原鎌足と図って蘇我入鹿を弑して難を逃れ、大化の改新が行われる。

 奈良朝で仏教が異常に重視されると弓削道鏡が台頭し、重祚された女帝の称徳天皇(孝謙上皇)に接近する。天皇は和気清麻呂を宇佐八幡宮に遣わされて道鏡の神託が皇位簒奪にあることを確認され、やがて平安遷都となる。

 藤原氏、次いで台頭した平氏が皇室と姻戚関係を結び、皇威を借りて天下に号令するまでになると、源頼朝が出てくる。

 頼朝は「仙洞よりの仰せはたとえ戦争に不利なるとも、一旦は必ず之を奉じ、もし変更の止むなきに於ては、具にその理由を陳べて奏請申理すべし」(大川周明『日本二千六百年史』)としたように、皇室に対して深甚な尊崇の心を抱いていた。

 同時に治安が自分の双肩にかかっていることを自覚して「退廃を極めたる京都の政治が決して尋常一様の手段を以て廓清すべからざるを知れる彼は、万民の生命財産を保護し、天下の秩序を維持するために、有名無実なりし、あるいは有害無益なりし京都政府以外に、新たに別個の組織」の必要性を痛感する。

 そして鎌倉幕府を創建する。爾後は基本的に朝廷が権威の存在となり、幕府が権力の存在として分立し、日本の安定に資することになる。

 しかし、時代を降ると鎌倉武士(北条氏)の横暴、そして衰えも目立つようになり、英明豪快を以ってなる後醍醐天皇が即位し、権力奪回(建武中興)に動く。天皇を支えたのが足利尊氏である。

 尊氏は各地に跋扈した豪族の北条氏に対する不満を吸収・糾合して室町幕府を創立する。しかし、栄華を極める3代目義満の治世を頂点に衰微に向かい、再び群雄割拠の戦国時代となる。

 この頃の朝廷は「禁庭の右近の橘(左近の桜とともに御所のシンボル)の下に茶店が出来た。少年は宮殿の縁に上りて泥を捏ねた」(大川)という具合に、見離され荒れ果てる状況であった。

 そこに現れたのが織田信長である。

 信長は「日本国家の新しき秩序は、国民の心の奥深く根ざし、千秋万古抜くべからざる尊皇心を基礎として築き上げねばならぬ」ことを知っており、「紫宸殿・清涼殿・内侍所・昭陽殿及びその他の局(つぼね)を造営」(大川)するなどして朝廷の復興に尽力する。

 信長は光秀の謀反で不慮の死を遂げるが国家統一に向かわせた「彼(信長)の遺業は深き印象を世人に与え、天下皆なその向うところを知りたるが故に、豊臣秀吉先ず彼の志業を継いで全日本を統一し、次いで徳川家康が・・・巧みに自家の権力を確立し、幕府を江戸に置いて日本の政権を掌握」(大川)する。

 鎖国政策もあって260年余続いた江戸幕府も、武器を以って東漸してくる西欧文明に対して対処不能と見た西郷隆盛ら薩長などの雄藩は明治天皇を担ぎ出し維新を断行する。

 大東亜戦争で敗戦し未曾有の国家存亡の危機に立った日本は再び昭和天皇の聖断を仰ぎ、難局を克服する。

 以上に見るように、蘇我氏や藤原氏などの豪族も、頼朝・尊氏・信長などの権力者も皇位を簒奪しようなどとは思ってもいない。

 天皇は陰に陽に権威の存在として、ある時は群雄が招いた混乱を収拾し、また敗戦による国家の滅亡を回避する役割を果たされてきた。

 日本が世界で唯一、2600年以上にわたって国家を維持し得たのは権威と権力が分離し、現実政治の上に超然として存在できたからにほかならない。


おわりに:現代版の道鏡を許すな

 そもそも現憲法や皇室典範は、戦勝国となった連合国を手古摺らせた大きな要因は天皇を中心とした纏まりにあるとみて、二度と日本が立ち上がれないように皇室の廃絶を意図した結果の産物であった。

 今でもその流れをくむ一派が存在し、女性宮家や女系天皇肯定などを打ち出している。

 現代の普遍的価値観は男女同権やポリティカル・コレクトネス(政治的正義などと訳される)を強く打ち出している。そうした立場からは「〝女性天皇″ いいじゃない」となりやすい。

 しかし、それは国家固有の歴史や伝統を無視したものでしかない。歴史こそが国家に正統性を付与できる。

 天皇に内親王がいながら傍系の男系天皇につないでいった126代にわたる万世一系の天皇の歴史は決して疎かにできない。

 先の敗戦でも、皇室の存続さえ許されるならば、忍んで押しつけ憲法も受け入れようとの日本の決意であった。

 いまや敗戦による塗炭の苦しみに耐えて受け入れた男系天皇が、歴史を解さない「世論」によって覆されそうになっている。

 内親王方が、そうした日本の生死を分かつかもしれない動きを助長されるようなことがあってはならない。また皇位継承権1、2位を有する秋篠宮家を揺るがしてはならない。

筆者:森 清勇

JBpress

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