豊田章男会長が掲げる「もっといいクルマ」の原点がここに…技能者250人を育てる「トヨタ工業学園」の秘密
2024年11月7日(木)6時15分 プレジデント社
撮影=プレジデントオンライン編集部
トヨタ工業学園で朝礼に臨む生徒たち。元気いっぱいの挨拶をしてから1日が始まる - 撮影=プレジデントオンライン編集部
■最先端の技術者を育てる企業内学校
本連載のテーマはトヨタの人材教育だ。実際に取材したところはトヨタ工業学園(以下、学園)とトヨタ社内の最先端現場である。なぜなら、このふたつの場所にトヨタの人材教育の根幹がある。学園には中学を出た15歳の生徒が入ってくる。トヨタが親から預かった未成年の人間を大切に育てている。もっとも基本的なことを教えている。そこにはトヨタの人材教育に対する考えた方が如実に表れている。
もうひとつの最先端現場はトヨタが変化しようとする場所だ。新しい技術を使って次世代の商品づくりをしている場所だ。そこで働いている人間たちはこれまでのトヨタの教育で得た情報と考え方で未知の世界に挑んでいる。トヨタの教育の成果が表れているのが最先端現場だ。
さて、そこでトヨタ工業学園の話から。
■広大な敷地に校舎とスポーツセンターが立ち並ぶ
わたしが初めてトヨタ工業学園のなかに入ったのは2017年だ。『トヨタ物語』(2018年日経BP刊、新潮文庫)の取材で授業を見学し、寮や食堂を見て回った。その時に「ここにはトヨタの人材教育(人づくり)の土台がある」と感じ、いつか一冊の本にしようと考えた。以来、名古屋、豊田市に行くたびに学園を訪ねて取材をした。
コロナ禍で2年は現地取材をしなかったけれど、学園の指導員、卒業生に7年かけて話を聞いた。自分なりに十分に納得したのでやっと本を出すことにした。
学園は名鉄豊田線の三好ケ丘駅から歩いて10分の場所にある。隣接というか同じ敷地にあるのがトヨタのスポーツセンターだ。スポーツセンターはトヨタの社員や家族、運動部が利用する。サッカーの名古屋グランパスエイト、ラグビーのトヨタ自動車ヴェルブリッツの練習施設もある。
施設は充実している。
サッカー、ラグビーがそれぞれできるフィールド、陸上競技用のトラック、体育館、プール……。オリンピックを開くことができるくらい充実した施設で、学園生は体育の授業やクラブ活動などで施設を使うことができる。
学園は男女共学。中学を卒業した生徒が入学する3年間の高等部、工業高校を卒業した人が入る1年間の専門部がある。定員は高等部が130名で、専門部が120名。これまでに両方を合わせて約1万数千名が卒業している。
在学中には手当として月に約17万円が支給される。その中で寮費、授業料、食事代をのぞくと月に平均5万円ほどの貯蓄ができる。
■トヨタへの就職のほか、大学進学するケースも
高等部に入学すると通信制の科学技術学園高等学校にも入学したことになる。学校教育法に定める技能連携制度により科目はそのまま科学技術学園高等学校の単位として認定される。高校の卒業資格が取得できるわけだ。
さらに技能訓練も受けることができる。手当てももらえる。そのうえ、卒業後はトヨタへ就職することができる。2年間積み立てたお金でオーストラリアでのホームステイに参加することができる。
高等部・専門部から希望する生徒は卒業後、1年間の実務経験と配属された職場からの推薦、さらに社内選抜試験を経て豊田工業大学へ進学することができる。豊田工業大学の在学中は奨学金が支給され、卒業したらトヨタに入ることができる。豊田工業大学は入るのが難しい大学だ。そこへ無償で進学できるコースもある。一般の職業高校よりも恵まれた進学先があるわけだ。
もし、わたしが東海地区で生まれていたとする。自動車に関心がある中学生で、さらに「うちの家は私立大学へ進学する余裕はないだろう」と思ったとする。その場合、トヨタ工業学園へ進んだかもしれない。お金をもらって勉強ができれば親に負担をかけることはない。車が好きで自動車会社へ入ろうと思っていたならば大学へ行かなくともトヨタに入社できる。悪くない選択だ。
■18歳から1年間学ぶ「専門部」とは
ただ、生徒たちに話を聞くと、親に負担をかけたくないということよりも、クルマが好き、モノ作りが好きということをはっきりと語る。ビジネスパーソンになりたいのではなく、クリエイター志向の人間たちだ。
専門部は高等学校(主に工業高校)を卒業した人を対象とした1年間の企業内教育のコースだ。高等部に入ってくるのは中学卒業者だから、15歳だけれど、専門部に入ってくるのは18歳である。学園構内に行って、専門部の校舎に行くと、すれ違う学生たちは高等部の生徒とは明らかに違う。立派な大人である。前述したが、専門部の最大の特徴は1年制の学校であること。同期はいるけれど、先輩、後輩はいない。
専門部が育成しようとしているのはカーエレクトロニクス、メカトロニクスなどのスペシャリストだ。実習の内容も先端技術で、シーケンス制御(あらかじめ定められた順序または手続に従って制御の各段階を逐次進めていく制御方式のこと)、ロボット、油圧制御、C言語プログラム、車載エレクトロニクスといったところだ。
専門部を卒業した学生は工場の設備保全部門、生産設備の製作部門、そして、車両や電子部品の試作・評価部門に配属される。先端技術の専門家集団だ。
■新技術を研究中の「電子実習室」、そこでは…
学園の校舎は学園棟、実習棟、共用棟の3つの建物からなる。学園棟にあるのは国語、数学などを教える一般の教室で、共用棟には講堂、食堂といった施設が配されている。実習棟はその名の通り、モノづくりの実習を行うところ。木型実習室、塗装実習室、溶接実習室といったものから、ロボット実習室、メカトロ実習室といったように工場を小さくしたような空間が並んでいる。
撮影=プレジデントオンライン編集部
3年間の高等部、1年間の専門部に分かれて自動車開発の基礎となる技術を学ぶ - 撮影=プレジデントオンライン編集部
学園の実習室をほぼすべて見たけれど、印象に残っているのは電子実習室だ。パソコンがずらりと並びモニターを見つめる学園生と指導員がいるだけ。誰ひとりとしてしゃべることはない。教師と生徒は同じモニターを見つめてきわめて小さな声でやり取りするだけだ。新車の開発と聞くと、工場や設計室で侃々諤々の議論をしているシーンが頭に浮かぶけれど、現在のさまざまな開発はパソコンのなかで行われているのだろう。
生徒は学園棟で国語、数学といった一般教養科目を学ぶ。そして実習棟ではモノづくりを習う。2年生からは各専攻科に分かれて勉強する。精密加工、塑性加工、自動車製造、自動車整備、金属塗装、鋳造、機械加工、木型の8つの専攻がある。
■社長よりも豊か?な寮の食堂
そして、2週間交代で学園と実際の工場(生産現場)を行き来する。学園では勉強、工場では実習だ。工場での勤務は各専攻科に分かれる。たとえば、鋳造を専攻している生徒は工場の鋳造現場で実習する。卒業したら、その生徒は鋳造部門への配属になる。
学園は原則全寮制だ。生徒全員が学園の近くにある平山豊和寮に入って学ぶ。居室は6畳の個室。ビジネスホテルの部屋と思えばいい。
相部屋だった時代が長かったけれど、今では完全に個室になった。洗面台、エアコン、クローゼット完備でWi-Fiも通じている。大浴場にはサウナまである。サウナーの生徒には好評だろう。朝食と夕食は寮の食堂でとる。朝食の人気メニューは「焼きたてパン」だ。トヨタの社長になったとしても毎朝、焼き立てのクロワッサンを食べることは到底、不可能だ。それを考えると、生徒たちは社長よりも豊かな食生活を楽しんでいる。
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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。旅の雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)にて「ゴッホを巡る旅」を連載中。
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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)