三流の営業は「今のまま」売り続ける、二流は「安さ」を武器にする。では、一流は?

2024年11月8日(金)6時0分 ダイヤモンドオンライン

三流の営業は「今のまま」売り続ける、二流は「安さ」を武器にする。では、一流は?

写真を拡大

「仕事が遅い部下がいてイライラする」「不本意な異動を命じられた」「かつての部下が上司になってしまった」——経営者、管理職、チームリーダー、アルバイトのバイトリーダーまで、組織を動かす立場の人間は、悩みが尽きない……。そんなときこそ頭がいい人は、「歴史」に解決策を求める。【人】【モノ】【お金】【情報】【目標】【健康】とテーマ別で、歴史上の人物の言葉をベースに、わかりやすく現代ビジネスの諸問題を解決する話題の書『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、伊達政宗、島津斉彬など、歴史上の人物26人の「成功と失敗の本質」を説く。「基本ストイックだが、酒だけはやめられなかった……」(上杉謙信)といったリアルな人間性にも迫りつつ、マネジメントに絶対活きる「歴史の教訓」を学ぶ。※本稿は『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。

Photo: Adobe Stock

営業形態に革新をもたらす

三井高利(1622〜94年)は、伊勢松阪(三重)に生まれた江戸時代初期の商人。若いころに江戸へ出て呉服店で働いたが、兄たちからその商才を妬まれ、松阪に戻る。その後、金融業などで成功し、江戸への再進出の機会をうかがっていた。そして、兄が亡くなった高利52歳のときに江戸へ出て、「三井越後屋呉服店」(現在の三越伊勢丹)を開業した。なお、江戸で実際に店舗を運営したのは高利の長男で、高利は手紙などで指示を出していた。越後屋は大当たりして大繁盛、高利一代で築いた財産は7万両以上(1両の現在価値が約10万円とすると、約70億円以上)とされる。この越後屋が現代につながる三井グループの礎となった。

三井高利は、呉服店の営業形態に革新をもたらしました。越後屋を開業するまでの呉服店は、次のようなものだったのです。

まず、「見世物商い」「屋敷売り」といって、店内で販売せず、お客さんの家に訪問して見本や商品を見せながら販売していました。

また、「掛売り」といって、商品代金を6月や12月にまとめて支払ってもらっていたのです。

1つの大きなデメリットとは?

お客さんにとっては店舗に出向く必要もなく、後払いなので利便性が高いものの、1つ大きなデメリットがありました。

それはコストがかかるため、どうしても商品の価格が高くなることです。

個別の訪問販売は人件費が膨らみますし、半期に一度しか現金が入らないとなると、資金繰りが悪化します。

商品代金を払わないお客さんが一定数発生する未収金リスクにも備えるとなれば、ほかのお客さんの支払いによって、全体の経営を支える仕組みが必要になります。そのためには、商品の価格を高く設定しなければならないのです。

業界に風穴を開けた施策とは?

富裕層であれば、多少値が張っても買ってくれるかもしれませんが、コストパフォーマンスが悪いぶん、一般客には手が届きにくくなります。

そこで越後屋では、一般客にとっても手が届きやすい「安さ」を実現するため、「見世物商い」「屋敷売り」「掛売り」をやめたのです。

商品は店内販売、支払いは現金のみ、そのぶん「安さ」を実現することで、越後屋には多くのお客さんが詰めかけ、大繁盛したのです。

安さだけではない“顧客視点”

三井は、安さを実現しただけではありませんでした。従来の呉服店は、着物にする織物を一反に仕上げた「反物」として販売していました。

着物ではなく、小物をつくるために購入されるケースも少なくなかったのですが、それだと反物を丸ごと買っても、布がだいぶ余ってしまいます。

お客さんが何に困りどう解決するかが商売の原点

そのため越後屋では、反物を必要なぶんだけ切り分けて販売したのです。これは当時、ほかの呉服店ではやっていなかった革新的な販売手法だったので、さらに繁盛したのです。

安さにしろ、切り分けて販売するにしろ、結局のところ「お客さんが何に困っているのか」「どうすれば困りごとを解決して喜ばれるか」を考え、そのために「何をすればいいのか」を見極めることがカギであることがわかります。

※本稿は『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。

ダイヤモンドオンライン

「営業」をもっと詳しく

「営業」のニュース

「営業」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ