リクルート事件がなければ江副浩正氏はグーグルを作ったか

11月10日(日)16時0分 NEWSポストセブン

リクルート事件は政界を揺るがせた(写真/共同通信社)

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 日本の高度経済成長を牽引した「昭和の名経営者」と言えば、松下幸之助、本田宗一郎、小倉昌男などが思い浮かぶ。一方、彼らと肩を並べるほどの成功を収めながら、毀誉褒貶相半ばする人たちがいる。リクルート創業者の江副浩正氏もその1人だ。田原総一朗氏(ジャーナリスト)が語る。


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 新聞や雑誌を買うのは、政治・経済やスポーツ、芸能などのニュースや情報を読むためで、広告は求めてないのについてくる雑音のようなものでしかない。だが、彼は「広告こそニュースであり情報だ」と捉え、広告しか載っていない雑誌や本を作ってしまった。リクルートを創業した江副浩正による発想の転換である。


 江副は東京大学の新聞部出身。普通は編集部員を目指すのに、彼は営業部員になった。そこで新聞に就職活動用の会社説明会の告知広告を載せたところ、これが受けた。そのまま起業し成功を収めた江副は、日本で初めての“ベンチャー起業家”だった。江副はまた、「社員がすべて経営者である」という考え方で有能な社員を次々育てた。


 しかし、旧来型の産業モデルから抜け出せない日本の財界は、リクルートを「隙間産業」と蔑み、江副を「虚業家」と呼んだ。


 NTTの民営化で民間企業も通信事業に参入できるようになった際、江副は第二電電(第二種通信電気事業、後のKDDI)への参加を試みるが、稲盛和夫(京セラ創業者)にすげなく断わられた。江副はそのことに深く傷ついたという。


 それをコンプレックスとした江副は、不動産事業(リクルートコスモス)にのめり込み、その未公開株を政財官の大物たちに譲渡していった。


 これが贈賄とみなされたのが、1988年に発覚したリクルート事件だった。譲渡リストに閣僚らが名を連ねた竹下登内閣は退陣に追い込まれ、江副も贈賄容疑で逮捕された。リクルート会長の座もこのとき、追われた。


 しかし私はこれを、検察によって作られた冤罪事件だと考えている。当時、大手証券の会長は私に、「社会的信用のある人たちに公開前の株を持ってもらうのは、どの企業もやっている証券業界の常識ですよ」と言った。江副は、竹下退陣を狙った検察の思惑に巻き込まれたのだ。


「無実です。私は無実だと確信しています」


 裁判中の1992年、江副は私のインタビューにこう答えたが、有罪判決を受け、2013年、失意のなか亡くなった。


 江副の不幸は、メディアに一切味方がいなかったことだ。ニュースや情報を作ってきたメディアは、それよりも広告に価値があるという江副の考え方に強烈な拒絶反応を示した。生前、彼を擁護したのは『正義の罠』でリクルート事件を冤罪だと書いた私だけだったはずである。


 しかし彼の死後、彼を「最初のベンチャー起業家」として再評価する動きが生まれつつある。当然であろう。江副があのまま潰されずにいたら、彼はそれこそ「グーグル」を作っていたはずだ。江副の発想はそれほど飛び抜けていたし、彼がいなくなったからこそ、IT分野で日本は周回遅れになった。


 新しい発想を受け入れられない日本経済の不幸である。(談)


※週刊ポスト2019年11月8・15日号

NEWSポストセブン

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