「思い込みを一時停止する」というビジネス思考のすすめ

11月15日(水)16時30分 Forbes JAPAN

ビジネスで成功する最大のヒントは、「疑う力」だ、というテーマの本が目立ち始めた。

そもそも我々の生活は、常識的な習慣を疑うことで変化してきた。例えば、残業は「働き者」の象徴だったが、いまでは「仕事が遅いヤツ」である。常識とは覆されるものなのであれば、新しい常識をつくってみるのはどうだろう。

人は誰でも常識が大きく揺らぐ経験のひとつやふたつはもっていると思います。筆者の場合は高校1年生のときに、それまで生まれ育った故郷の岐阜県を離れ、いきなりカナダのトロントに家族そろって引越したことが、人生で一、二を争う衝撃体験でした。

例えば、向こうでは親愛の表現として、友人同士がギュッと抱き合う、いわゆるハグはごく日常的に行いますが、それまでごく普通の地方都市で育った日本の純朴な高校生にとって、これはかなり戸惑いました。挨拶といえばお辞儀か、せいぜい握手しかない国から来た筆者にとって、ハグはまさに(ことに女性とのそれは)常識が塗り替えられる衝撃的な体験でした。

私にとってのハグ体験同様、最近世の中のいわゆる”常識”と呼ばれてきたものが、どんどん塗り替えられ始めていると感じます。例えば、バリバリ働くよりもゆっくり休むことが推奨されたり─。

21世紀に入って15年以上が経過し、20世紀の常識が徐々に新しい常識に置き換わりつつある、そんな印象を受けます。そしてそのような時代の転換期には、これまで当たり前だと思ってきた”常識”を一旦疑ってみて、必要に応じて新しい常識を模索してみることが求められると思います。

西洋哲学に”エポケー”という言葉(概念)があります。もとは古代ギリシャ哲学の懐疑論者たちが「世の中には何一つとして確実なものはない」との立場から、「判断を控える」という意味で用いていましたが、近代に入り、現象学の創始者であるドイツ人哲学者・フッサールが、彼の提唱する現象学的還元(認識の方法論)の中で、「我々が当たり前だと考えている認識・判断をいったんカッコに入れる(思い込みを一時停止してみる)」という意味で
”エポケー”を用いました。


経営学者ピーター・ドラッカーは「過去の制度やルールは本当に必要なのか」とエポケーを推奨。

有名な例として、目の前のコップに対して、フッサールは客観的な存在としてのコップがあるという思い込みは一旦カッコに入れて(エポケーして)、「コップが客観的に存在するかどうかはわからないが、とりあえず自分にはコップが見えている(意識できている)」というふうに、物質としてのコップの絶対性は問わず(そんなことは証明できない)、自分の意識の側から、そこに現れているコップを捉え、その意味を考えようという形で、長きにわたり哲学者たちを悩ませてきた「主観と客観は果たして一致するのか?」という難問に、一つの方向性を示しました。

話が小難しくなってしまいましたが、この”エポケー”という考え方は、実生活やビジネスにもかなり応用が利くと思います。

筆者が数年前に読んでとても印象深かった本に『生き心地の良い町』(岡檀著・講談社)があります。

これは日本でも有数の自殺率の低さを誇る徳島県海部町(現・海陽町)に、当時大学でメンタルヘルス研究を行っていた著者の岡さんがフィールドワークに行き、その記録をまとめたルポルタージュですが、そこで岡さんが発見した、海部町住民が保持する自殺予防因子がとても興味深いのです。

普通「自殺率が低い」と聞くと、住民はさぞ助け合い精神に満ちた人々だろう、などとつい思いがちですが、全然そんなことはありません。住民同士の関係はきわめて淡泊で、お互いの生活に過干渉せず、それぞれのペースで生きています(けっして一人ひとりが冷淡なわけではなく、他人は他人・自分は自分と思っている)。


「病は市に出せ」「関心と監視の違い」などをルポ。同書は日本社会精神医学会優秀論文賞を受賞。

私はこれを読んで、日本の地域コミュニティはおしなべて緊密につながっている、という自分の思い込みが、必ずしも正しくないことを知りました。それ以来、仕事で地域がテーマとなるときには、先入観を排して(エポケーして)、その地域(住民)独自の特色をよく知るよう心がけています。

常識というのは非常に強固な刷り込みであり、常識に逆らった発想をするのは、そう簡単ではありません。広告業界には、常識を一旦取っ払い、斬新なアイデアを生み出す”ブレスト文化”というものが根付いています。

ブレスト(ブレインストーミング)とは、アメリカ大手広告会社BBDOのアレックス・オズボーン氏によって考案されたアイデア発想法です。ブレストは、自由な意見交換の場ですが、大きく4つの守るべきルールがあります。

1)批判禁止:自由な発想を制限するような、批判を含む判断・結論は慎む
2)自由奔放:粗削りでもよいので、奇抜な考え方やユニークなアイデアを重視する
3)質より量:じっくりよいアイデアを出すより、とにかくたくさんのアイデアを出す
4)結合と便乗:別々のアイデアをくっつけたり変化させて新たなアイデアを生む。便乗もOK

お気づきかと思いますが、ルール1には「判断・結論を慎む」という”エポケー”が位置しています。つまり「予算がない」とか「そんなのは上司(会社)が許さない」といった常識(思い込み)を一旦忘れて、ニュートラルな状態から、思い切ったアイデア出しをすることが推奨されています。

皆さんも、もし身の周りの常識に少しでも違和感を感じたら、迷わずエポケーしてみてください。今の時代、そこから素敵なイノベーションが生まれてくる可能性はきわめて高いと思います。

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中谷俊介◎電通総研Bチーム・未来予測担当。プランニング・営業セクションを経て、現在は社内ナレッジマネジメントを推進中。大学時代に学んだ(東洋)哲学がじんわり仕事に役立っている。

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