「上司は誰なの?」冷遇され続けたmRNAワクチンの開発者カタリン・カリコ氏がとった"最終手段"

11月19日(金)11時15分 プレジデント社

メッセンジャーRNAの研究者であるカタリン・カリコ氏は、同僚ドリュー・ワイスマンとともに、製薬会社のファイザー・ビオンテックとモデルナが製造するmRNAベースのCovid-19ワクチンの技術に関する特許を取得(=ブダペスト・2021年5月27日) - 写真=EPA/時事通信フォト

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ファイザー製やモデルナ製の新型コロナワクチンに使われる「mRNA」の技術は、かつては人体に引き起こす拒絶反応がひどく、臨床実験は不可能とされていた。40年近くもの間、多くの学者たちが挫折してきた研究だ。カタリン・カリコ氏が、この難関の研究で成果を出せた理由とは——。

※本稿は、増田ユリヤ『世界を救うmRNAワクチンの開発者 カタリン・カリコ』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。


写真=EPA/時事通信フォト
メッセンジャーRNAの研究者であるカタリン・カリコ氏は、同僚ドリュー・ワイスマンとともに、製薬会社のファイザー・ビオンテックとモデルナが製造するmRNAベースのCovid-19ワクチンの技術に関する特許を取得(=ブダペスト・2021年5月27日) - 写真=EPA/時事通信フォト

■mRNA研究に立ちはだかる“大きな壁”


新型コロナワクチン開発の救世主となったmRNAの研究は、昨日今日始まった訳ではない。カリコ氏と同様に、40年近く前の学術界でも、mRNAの性質に着目して研究をしていた人たちはいた。しかし、どうしても乗り越えられない壁があって、ほとんどの研究者は途中でmRNAの研究を断念してきた。


どうしても乗り越えられなかった壁。それが、mRNAが体内で引き起こす炎症反応である。


カリコ氏が渡米した頃、1980年代の研究者たちは、mRNAを人工的に作って細胞の中に入れれば、タンパク質を作ることができて、それが薬などを作る際に利用できることはわかっていた。しかし、人工的に作ったmRNAを体内に入れると、異物が入ってきたと身体が認識してしまって細胞がそれを拒絶し、激しい炎症反応を引き起こしてしまう。その結果、細胞も死んでしまうので、安全性の観点から見てmRNAを使って作った薬を実際にヒトに投与する臨床実験は不可能だと考えられてきた。


■ようやくmRNAが引き起こす炎症反応を克服


その不可能を可能に変えたのが、カリコ氏とワイズマン氏の共同研究だったのだ。


RNAは大きく3種類に分けられる。mRNAの他に、tRNA(トランスファーRNA)、rRNA(リボソームRNA)があって、それぞれがタンパク質を作る時の役割を担っている。mRNAは、タンパク質を作るための設計図。tRNAはタンパク質を作る時に必要なアミノ酸を設計図に応じてmRNAに届ける(運ぶもの)。rRNAは、タンパク質の合成工場であるリボソームを構成しているもの。リボソームはmRNAに届けられたアミノ酸が設計図に見合ったものかを判断し、タンパク質に合成するのがrRNAの役割ということになる。


カリコ氏とワイズマン氏のふたりは、細胞から取り出した多種類のRNAを、別の細胞に与えた時にいったい何が起きるのかという観察を続けていた。するとある時、tRNAだけが、細胞に与えた時に炎症反応を引き起こさないことに気付いた。炎症を引き起こしてしまうmRNAと、いったい何が違うのか。


「tRNAには、mRNAにはない化学修飾(かざり)がありました。それが炎症を引き起こさない理由なのではないかと考えたのです」(カリコ氏)


RNAを構成するウリジンという物質を見ると、tRNAのウリジンにはmRNAにはない化学修飾が付いていた。つまりこれが、自分のRNAと人工的に作られたRNAを見分けるカギなのではないか。mRNAのウリジンにもtRNAと同じ化学修飾を付ければ外から入ってきたと思われず、炎症を引き起こすこともないのではないか、と。


早速、mRNAのウリジンにtRNAと同じ化学修飾を施し、それを細胞に与えてみた。すると、見事に炎症反応を引き起こさなかった。


また実験では、ネズミにこれを注入しても、拒絶反応を起こしたり、死んだりすることはなかったのだ。


■やっとつかんだ達成感


「『Oh My God! これで使えるわ』と叫んだの。Wow! 夢が叶った瞬間でした。ただただ、驚くばかり。でも同時に『オッケー、これはとてもとても重要な発見だわ!』とも思いました」
「一方で、すぐには100%まで信じられなくて、実際に実験を何度も繰り返しました。何か間違えたかもしれないと思って。でも、何度繰り返しても、タンパク質は生成されました。大丈夫だとわかって、われわれはとても興奮しました。お互いにデータを見て、wow……ahって声を上げました」(カリコ氏)


写真=iStock.com/Tomwang112
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Tomwang112

「カティ(カリコ氏)と私は、初めからこのテーマに挑み、決して諦めなかった。実験の技術が下手だから研究をやめるべきだとは一度も思わなかったけれど、すべての過程が私たちにとって戦いだった。この研究に興味をもってもらうために、人、企業、製薬会社を説得し続けた。時間はかかったけれど、やっと、やっと達成できたんだ」(ワイズマン氏)


■それでも世の中には認めてもらえない


2005年、カリコ氏はワイズマン氏とともに、mRNAが人体に引き起こす拒絶反応を抑えるこの画期的な手法を、科学雑誌『Immunity』に発表した。


2006年には、ふたりでRNARxというスタートアップ会社を設立。これに対してNIH(米国国立衛生研究所)から約100万ドルのビジネス助成金(中小企業技術移転プログラム)を得て、研究を続けた。カリコ氏は「最初で最後の助成金」だったと言う。


画期的な発見にもかかわらず、大学では相変わらず冷遇され続けたし、ふたりの発表した論文が学会で注目されることもなかった。


「会議などでプレゼンをしていても、『君の上司は誰か』と聞いてきたりする人がいた。私が訛りのある英語で話す女性だから、『裏で彼女にアドバイスをする人がいるに違いない』と勝手に推測されているようでした。なかなかmRNAの本当の価値を認めてもらえなかったんです」(カリコ氏)


■不本意でも特許を出願したワケ


2008年には、さらに研究を重ね、mRNAのウリジンを「シュードウリジン」という特定の化学修飾を付けたものに発展させた。このシュードウリジンを施したmRNAを使うと、炎症が抑えられるばかりか、タンパク質の設計図であるmRNAがどんどん細胞の中に入っていき、大量のタンパク質が作られることがわかったのだ。


「驚いたと同時に、本当に嬉しかった。だって、10倍ものタンパク質ができたのですから。長年夢見てきた治療薬や遺伝子治療は、もう夢ではないんだと」(カリコ氏)


大学はふたりの手法を「Kariko-Weissman technique」と呼んで、特許を出願した。


ふたりの連名で出された最初の特許出願が認可されたのは、2012年。その後、mRNA技術に関する特許を9件取得することになる。


しかしこれは、彼女たちの本意ではなかったようだ。


■実用化のために下した苦渋の選択



増田ユリヤ『世界を救うmRNAワクチンの開発者 カタリン・カリコ』(ポプラ新書)

「私たちは、最初に作ったヌクレオシド改良型mRNA(ヌクレオシドはmRNAの鎖を構成する単位。ウリジンはヌクレオシドのひとつ)を特許にしたくなかった。私たちはすべての人にこの手法を使ってほしかったから。でも、特許をとらないと誰も開発も投資もしてくれないと言われたからやむをえずそうしたんです」
「お金のためじゃなかったんです」


これだけ大学側に冷遇されても、カリコ氏はブレることはなかった。あとは、これをどう実用化して、病に苦しむ人たちに届けるか。彼女の目標は、常にそこにあった。


誰も乗り越えられなかった壁を乗り越えたカリコ氏たちの成果は、徐々に注目を集めるようになっていった。


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増田 ユリヤ(ますだ・ゆりや)
ジャーナリスト
神奈川県生まれ。國學院大學卒業。27年にわたり、高校で世界史・日本史・現代社会を教えながら、NHKラジオ・テレビのリポーターを務めた。日本テレビ「世界一受けたい授業」に歴史や地理の先生として出演のほか、現在コメンテーターとしてテレビ朝日系列「大下容子ワイド!スクランブル」などで活躍。日本と世界のさまざまな問題の現場を幅広く取材・執筆している。著書に『新しい「教育格差」』(講談社現代新書)、『教育立国フィンランド流 教師の育て方』(岩波書店)、『揺れる移民大国フランス』(ポプラ新書)など。
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(ジャーナリスト 増田 ユリヤ)

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