AIの時代を予見していた?意識に分け入る知的冒険の書

12月2日(日)6時0分 ダイヤモンドオンライン

『わたしは不思議の環』ダグラス・ホフスタッター著(白揚社/5000円)

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 今から30年以上前の1985年、書店では700ページを超える分厚い本が山積みになっていた。それが、ホフスタッターの『ゲーデル、エッシャー、バッハあるいは不思議の環』(略称、GEB)である。


 人工知能(AI)、アート、音楽などの話題を、さまざまなエピソードを交えて縦横無尽に語る作品で、ボリュームと内容の深さから多くの人が挫折した経験を持つのではないか。評者もその一人だ。


 そのGEBの続編は、2007年に英語版が出版された。そして今年、ようやく日本でも翻訳版が出た。これまた500ページを超える著作であり、著者は「私」とは何か、「意識」とは何かという難問に挑む。読み手には、GEBと同じくらい骨が折れる。しかし、通読すると、本書はSNSやAIの行き着く先を暗示する、とんでもない作品だと認識させられる。


 特に、読み手の心を打つのは、著者の妻キャロルが5歳と2歳の子どもを残して脳腫瘍で40代前半の若さであっけなく世を去った後の内省である。キャロルは確かに亡くなっている。だが、著者をはじめとした周囲の人々の中には、彼女の意識や心の内面が、多少なりともこの地球上に残っている。


 妻とあまりに多くのことを共有してきた著者は、娘の3歳の誕生日にキャロルもさぞかしこの場にいたかったに違いないと思い、「キャロルとして」娘を見ようとする。著者は、キャロルの記憶の多くを、出会ってからの記憶も出会う前の記憶も含めて共有していたし、彼女に影響を与えた人の多くを知っていた。彼女の愛する曲、映画、本、友人、ジョークの多くを著者も愛していたし、彼女が心の奥に秘めている願望や希望を共有していた。こうした状況下では、キャロルは亡くなっているけれども、夫である著者の脳で考え、心で感じ、魂の中で生きている。


 人の意識は、ある特定の人の脳に存在し、他の人々の脳にも存在する。主たる脳が破壊されても、生存する他の人々の脳にごく小さな断片が残る。意識は、脳の細胞ではなく、パターンの中に残っており、そのパターンは移植が可能なのだ。であれば、意識はソフトウエアであって、人体というハードウエアではない──。


 07年に英語版が出版されてから、SNSは目覚ましく普及し、AIの技術進歩も著しい。著者の仮説が正しいならば、近い将来、人の意識はSNSやAIでかなりの程度まで移植することができ、例(たと)え人が亡くなっても、ソフトウエア上には意識が残るのではないか。


 そんなSF的な未来像が嘘(うそ)ではないと思わせる一冊である。


(選・評/A.T. カーニー株式会社パートナー 吉川尚宏)

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