なぜ官僚は嘘の見え透いた言い訳に終始するのか?

12月5日(木)6時0分 JBpress

日本の美しい桜の木

写真を拡大

「サクラ疑獄」に関する前稿、多くの方にアクセスをいただき、心からお礼申し上げます。

 とりわけ、与野党を問わず多くの永田町関係者も読んでいただいているようで、身の引き締まる思いです。さらに郷原信郎弁護士ご自身からもご連絡とアドバイスを頂戴しました。

 本稿は、その果敢な正義の取組みに敬意を表して、郷原信郎さんへのトリビュートとして記してみたいと思います。


法の素人が理解できる大切さ

 この連載シリーズの位置づけとして、社会の大半を占める私同様「法律の素人」の立場で、できるだけ正しく「サクラ疑獄」を含む、憲政の本義、その基本を確認するとともに、その有終の美をなす方途を論じてみたいと思っています。

 背景には、完全な法学の素人として40歳を過ぎてから、刑法の故・團藤重光・東京大学教授のメディア対応の秘書役として、先生名義の原稿を口述筆記・校正でお手伝いした経緯があります。

 法律の専門家でない私たち一般の人間は、玄人であれば一言で「あ!」と気づくようなポイントを容易にスルーしてしまいます。

 そこで、今回の「サクラ疑獄」が明らかにした日本国憲法にあいた「蟻の一穴」の確認から始めたいと思います。

 いまだに「サクラ疑獄」問題を何か小さなことでもあるかのように記す記事をメディアで目にします。

 しかし、それはその筆者がどういう社会経済的因果で生活しているかを示す指標にはなっても、憲政の根本問題を考える役にはおよそ立ちません。

 かつて戦前の「大日本帝国憲法」は「統帥権干犯」という、やはり蟻の一穴から、国家全体が暴走する歯止めが利かなくなってしまいました。

 それと同様の構造を指摘するところから始めたいと思います。


現職の総理大臣は訴追できない

 最大のポイントは、日本国憲法第75条にあります。

第七十五条

国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は、害されない。

 このような定めは大日本帝国憲法には存在せず、GHQが日本に「押しつけてきた」日本国憲法草案の第67条に、初めてその原型を見ることができます。

GHQ草案第67条

内閣大臣ハ総理大臣ノ承諾無クシテ在任中訴追セラルコト無カルへシ然レトモ此ノ理由ニ因リ如何ナル訴権モ害セラルコトナシ

 先週亡くなった中曽根康弘氏のような自主憲法制定を主張する人にとっては、典型的な「海外から押しつけられた条文」で、元来の欽定憲法にはこのような条項は見当たりません。

 もっとも欽定憲法もドイツ帝国からの借用に各国のフレーバーを混ぜたもので、別段日本固有の法律概念などほとんど書き込まれてはいないのですが。

 ダメ押しとして、この原文、すなわちGHQから押しつけられたそもそもの文章も引いておきます。

Constitution of Japan, 12 February 1946

Article LXVII Cabinet Ministers shall not be subject to judicial process during their tenure of office without consent of the Prime Minister, but no right of action shall be impaired by reason hereof.

 細かな法制史に踏み込むことは避けますが、合衆国憲法ないし英国法制に由来を持つこうした考え方は、政争が緊迫化した際、反対派が閣僚をみだりに投獄するような事態を避けるべく導入されたものです。

 日本国憲法へのこの記載は、戦前日本の法制不備への反省もあったものと思います。

 さて、改めて仮に「検察」が国務大臣を「訴追」しようとしても、例えば経済産業大臣なり法務大臣などが法に触れる行為を働いたとしても、内閣総理大臣が同意しない限り、彼ら彼女らを逮捕したり起訴したりすることはできません。

 ここで改めて慎重に考えてみます。国務大臣の逮捕には、首相の同意が必要である・・・。

 だとするならば、首相自体の逮捕はどうなのか? 

 内閣総理大臣もまた、国務大臣の一人であるのは間違いありません。その首相の逮捕にも、首相の同意が必要ということになります。

 自分自身の訴追に首相が同意するわけはありませんから、結果的に内閣総理大臣は、日本の法が定める、あらゆる訴追を免れることができます。

 ちなみに、田中内閣の総辞職は1975年の12月、翌76年2月に、ロッキード事件が発覚し、7月26日、田中角栄が逮捕、東京拘置所に移送された際も「前首相の犯罪」として身柄を拘束されました。

 ここに実は、日本国憲法のもつ、ほぼ唯一と言ってもいい弱点、蟻の一穴があります。

 これが、戦前の「統帥権干犯」と同様、憲政を破壊する起点になっている可能性がある。

 それを除けば、現在の日本国憲法は、取り立てて書き直す必要はない・・・團藤重光先生がご在世であれば、そのような指摘をされたように思われてなりません。


三権分立を破る力を持つ「首相」

 法律の大半は、性善説に基づいて記されているように思います。特に憲法などというものは、新国家の理想に燃えて書かれるものですから、とりわけ善意に基づいて記される傾向がある。

 戦前の日本は、歯止めの利かなくなった軍が国家を破滅的な戦争に導き「一億玉砕」つまり国民に集団自殺を強要しかけるところまで国が壊滅してしまいました。

 それが原爆を投じられてやんだ。原爆投下も人類に対する道義的犯罪と思いますが、そこまで最悪の戦線を維持し続けた日本の戦争指導部の低劣さは、どれだけ指摘してもし足りません。

 野中郁次郎さんたちの「失敗の本質」を筆頭に、防衛研究でも多々指摘されている通りと思います。

 大日本帝国憲法の「穴」もまた、見た目は地味なものでした

大日本帝国憲法11条
天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス

 これだけです。このわずか10文字の条文が、日本の帝国陸海軍を、内閣や議会など文民のコントロールから除外し、軍部が直接天皇に奏上して裁可されれば、実質的にあらゆる法の濫用が可能になって、あのような戦争が引き起こされてしまった。

 日本国憲法第75条も、もとは文民宰相や、そのスタッフたる文民の閣僚たちに対して、軍国主義を筆頭にあらゆる魔の手からその地位を守る意味合いがあった・・・そのように理解することができます。

 ここでは「内閣総理大臣が率先して法を犯し、不法行為を連発する」といった事態は想定されていません。

 あくまでフランス革命の理想に燃える志士のような宰相像に基づいており、内閣総理大臣が率先して小悪事を働くようなことは前提とされてはいないでしょう。

 さて、ここから「首相は立件されない」という事実は「首相案件は立件できない」と変化します。

 さらには「首相案件は立件してもしょせん潰される」「首相案件は関係してもろくなことにならない」となる。

 そして「首相案件に与しても、組織の中でろくなことにならないのは目に見えている」と変わる。

 そこから、「首相案件は、率先して潰すことで点を稼ぐことができる」「首相案件で事無きを得、組織内での信任を得ることで出世につながる」といった、公務員のとんでもないネジレが発生してしまいかねません。

 私だって国の仕事に関わる一員ですから、何か問題が起きれば、拡大する前に初期消火に努め、事態の収拾にベストを尽くすと思います。

 得意であるかどうかは措くとして、官僚答弁に相当するような作文も、ここ20余年、大学内外で膨大な量を書いてきました。

 幸い、首相案件などにはタッチしていませんので、パラドクシカルな事態には巻き込まれずに済んでいますが・・・。

 森友・加計事件で近畿財務局職員の方が自殺されるような、あってはならない官界での事態が現実のものとなっている一つの背景には、憲法第75条があけている小さな「憲政の穴」が存在していることは間違いありません。

 今回の「サクラ疑獄」は、その制度上の弱点と、70余年の時を経て、それが最大限、濫用されてしまっている現状を、如実に示していると言わねばならないでしょう。


もう一つの蟻地獄「内閣人事局」

 かつて、民主党政権の「行政刷新会議」によってなされた事業仕分けが連日報道されていた頃、團藤先生ご夫妻は、あまりに低劣な議論を大いに嘆いておられました。

 2009年から2010年頃にかけてのことです。

「政治主導」「政治に国民の感覚を」は結構だけれど、各々の専門できちんと確立された基礎を身に着けない議員が、にわか知識で各々の専門で確立してきた水準を破壊するなど、もってのほかである・・・と、團藤先生はおっしゃられました。

 背景には、この直前に導入された「裁判員制度」への、團藤先生のきわめて厳しい見方がありました。

 これについては私もお手伝いし、この時期に新書「ニッポンの岐路 裁判員制度」を1冊、上梓しています。

 この挿絵は、今を時めく山口晃画伯に原稿を丸ごとお渡しし、食指の動くところに絵を描いてください、とお願いしました。

 アマゾンの書評に「10年を経て今も読む価値がある」とお書きいただいているのをありがたく拝見しましたが、それはバックに團藤先生がおられ、先生のおっしゃるままに検事総長から人権派弁護士まで多くの人を訪ね、浦和地裁で会った判事は私が駒場の教養学部で教えた学生であった、といった奇縁が結んでくれたものにほかなりません。

 今思えば最晩年に当たられる團藤先生が危惧していた、もう一つの傾向が、政治主導による公務員人事の専断です。

 そして、先生がお亡くなりになった半年後に成立した第2次安倍政権以降、急ピッチで進められ、2014年に成立したのが「内閣人事局」にほかなりません。

「なぜ官僚たちは、あれだけ見え透いた、どうしようもない言い訳に終始するのか?」という問への答がここにあります。

 一人ひとり、東大とか早慶とかをはじめとする、それなりの大学を経て公務員試験に合格した本当は高い知性を持つ、30年選手のベテラン、大人のパブリック・サーバントたちです。

 そんな大人の官僚たちが、大挙してどうしてあのように支離滅裂で、子供が聴いてもしっちゃかめっちゃかの国会答弁を繰り返すのか?

 時の政権の意に反し、内閣人事局に目をつけられてしまうと、左遷、降格、その他、好き内容に人事を政治家に左右され、早い話、職を失ってしまう危惧、脅しが存在しているからにほかなりません。

「個人情報」「セキュリティ」・・・で「反社会勢力の皆さま」をスルーしてしまったりしているわけですが・・・に始まり、果ては「シュレッダー」の順番待ち、議員から請求があった1時間後のシュレッドは「いや、偶然ですなぁ・・・」子供にだって通用しません。

「官僚答弁」の限界をはるかに超えて、すでに日本語としてすら成立していない答弁を繰り返す背景には2つの穴が開いていると思います。一つは

1 憲法75条という蟻の一穴

 それに加えて

2 内閣人事局というもう一つの大きな蟻地獄の穴

 があいていることで、実質的に21世紀の日本で「統帥権干犯状態」が発生している。

 もっと言えば、三権分立の基本がすでに溶解しており、憲政の本義が成り立たない状態で、大量の公務員たちが壟断されている。

 お役人だって人間です。蟻地獄にのみ込まれて命を落としたりしないよう、必死でもがく。その姿が国会答弁などを通じて全国にオンエアされているのにほかなりません。

 そういう状態と思います。「桜を見る“怪”」の本質はそこにあり、森友、加計事件と本質においてつながる、一大疑獄として本質的な解決が、本来図られてしかるべきものであるように思われます。

 とりわけ、團藤先生がお元気であれば、内閣人事局のようなシステムは、専門性の破壊といった観点に加えて、少数の政治家・・・立法府のメンバーが、行政府を壟断しかねないものとして、厳しく批判しておられたことが目に浮かびます。

 エクスパティーズ=専門性の水準を確保しつつ、人間の主体性をもって社会とともに動く法治のダイナミックなバランスを保つこと。

 團藤説の本質は、煎じ詰めればそこにあると思います。

 こうした壟断、さらにそのような延長に予告される憲法への不用意な改変などに、アカデミックな観点から根拠をもって、また法の素人である一般の人が誰でも分かる形で、疑義を呈していくことが重要、かつ必要と思っている次第です。

 紙幅となりましたので続く議論は別論としたいと思います。

(つづく)

筆者:伊東 乾

JBpress

「官僚」をもっと詳しく

「官僚」のニュース

トピックス

BIGLOBE
トップへ