悠仁さまに東大以外の「有力な選択肢」が浮上…秋篠宮さまご夫妻が頑なに「学習院」を避ける裏事情

2024年12月9日(月)6時15分 プレジデント社

秋篠宮ご夫妻の長男悠仁さま、三笠宮妃百合子さま、斂葬の儀、葬儀、参列=2024(令和6)年11月26日、東京都文京区豊島岡墓地 - 写真提供=ロイター/共同通信社

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高校3年生の悠仁さまの進学先に注目が集まっている。評論家の八幡和郎さんは「これまで志望先とされてきた東大以外に、筑波大と海外留学という別の選択肢が出てきた。東大進学には国民の反発が大きいが、筑波大進学にも課題はある」という——。
写真提供=ロイター/共同通信社
秋篠宮ご夫妻の長男悠仁さま、三笠宮妃百合子さま、斂葬の儀、葬儀、参列=2024(令和6)年11月26日、東京都文京区豊島岡墓地 - 写真提供=ロイター/共同通信社

■新たに加わった「筑波大推薦」「留学」


東京大学を推薦入試されると噂されていた悠仁さまだが、二つの大きな動きがあった。11月26日に悠仁さまが筑波大学の推薦入試(12月11日合格発表)のために茨城県つくば市にあるキャンパスを訪れられたと一部の週刊誌が報道したのだ。


一方、秋篠宮皇嗣殿下ご夫妻は、トルコ訪問に先立つ11月25日の記者会見で、悠仁さまに海外留学を促された。


筑波大推薦の受験については公式の発表がないので確定情報ではないが、一連の秋篠宮家バッシングのなかで世論が好意的でないことが伝わり、東大進学は断念されたのかもしれない。


大学を卒業してから英国に留学された天皇陛下秋篠宮さまの時代と違い、もっと早い時期に海外に出る人が増えており、交換留学制度で休学することなく留学するなど、早い内に海外へ行かれる可能性も出てきた。


■学習院出身のご夫妻は別の学校を選んだ


悠仁さまの進学は、学習院でなくお茶の水女子大学付属幼稚園を選ばれたときから波乱含みだった。両親である秋篠宮ご夫妻は、いずれも学習院育ちだが、あまり校風を好まれていなかった。


秋篠宮さまは大学進学時に他大学を希望されたが、聖心女子大学出身だった母・美智子さまと旧華族社会との微妙な関係もあって渋々学習院へ進まれたといわれる。


また、紀子さまは、教職員の娘という特殊な立場から皇室入りしたことから、旧華族など名門出身のOGからの怨嗟の的であった。学費も割引料金と揶揄されていると、学習院OGの藤澤志穂子さんの『学習院女子と皇室』(新潮新書)でも紹介されている。


旧華族の中には慶應などを好む人も多い。なぜなら学習院では、家柄を基準に学友との関係が形成される傾向があるのが嫌だという。また、藤沢氏も指摘しているが、皇族に対する配慮が行き届いているあまり、規則も皇族の都合に合わせて変えると噂されることを嫌がる人は多い。


陛下のように学習院に良い思い出をお持ちで、母校愛の強い方もおられるが、眞子さんや佳子さまが他大学へ移られ、愛子さまもコロナ禍の影響でごくわずかしか通学されなかったことを考えると、秋篠宮さまご夫妻がよりリベラルで知的な校風のお茶の水や筑波大学附属を好まれたのは理に適っていた。


■そもそも皇族の人生は特権だらけ


だが、学習院の卒業生にとっては、悠仁さまが学習院に通われないということは残念で、秋篠宮家への強い反発を招いた。


学習院は法的に他の私学と同じだし、一般国民にとっては、学習院の都合などどうでもいいはずだが、「悠仁さまも学習院へ進むべきだ」という人が多いのは、日本人の老舗好き・世襲好きのなせる技だろうか。


この反発は、悠仁さまが東京大学志望だという憶測によって頂点に達した。「皇族特権」といわれたが、皇族の生活や人生は特権だらけだ。スポーツ観戦やテーマパークでの遊びでも、庶民と同じように列に並んだり、抽選に参加されるわけでない。お召し列車に乗ったり、パトカー先導で車で移動したりもする。


もし東京大学に悠仁さまが入られたら、受験生1人が落とされるといわれたが、3人の五輪出場枠ならともかく、東大には何千人も定員がある。


「東京大学だけは実力だけで入学選抜をしてほしい」という人もおり、卒業生としてはうれしい評価だが、すでに留学生枠もあるし(復帰前の沖縄も別枠だった)、女性優先枠もつくってはどうかという議論があるくらいだ。


■筑波大学進学にもいろいろ課題が多い


私は、学業に無理なくついて行けるのであれば東大進学は別に構わないと思ったし、悠仁さまは、推薦入試の基準にだいたい合致していたのである。


象徴天皇制を揺るがすとかいう批判もあったが、英国で王族がケンブリッジ大学に入って未来の指導者層になる学生たちと学ぶことを誰も反対しないだろうし、東大進学にだけ過剰に反発する日本の状況は異常だった。


進学先として浮上した筑波大学そのものはいい大学であり、全国から集まった学生との交流も意味がある。だが、お住まいの赤坂御用地からは遠いし、茨城県警が要人警護に慣れているとは思えないが大丈夫だろうか。


筑波大学・筑波キャンパス(写真=カンリカ/CC-BY-3.0/Wikimedia Commons

また、海外の大学との交換留学制度も選択肢が狭そうだ。私は早稲田大学や慶應大学のほうが選択肢が豊富でいいと思うが、悠仁さまが将来の天皇にふさわしい留学ができるように、うまく工夫してほしい。


ところで、悠仁さまは、9月6日に18歳で成年を迎えられ、昭和天皇の時代の浩宮さま(現陛下)と同じ位置づけになられた。


陛下は当時の民法に準じて20歳で成年だったが、民法改正があったので、現在は18歳で成年となる。そこで、皇太子であるがゆえに18歳で成年された上皇陛下の先例にならい、悠仁さまの大学入学後に記者会見を含む諸行事が予定されている。


■悠仁さまが幼少期から受けてきた帝王教育


神道研究家の高森明勅氏は、悠仁さまは帝王学を学んでおられないというのだが、伊勢神宮、神武陵、武蔵御陵に初めて参拝されたのは、幼稚園児のときで、愛子さまは中学校に入ってからだ。


沖縄は小学1年、長崎には4年のときにご両親と、広島にも6年生のとき紀子さまと訪問され、平和の尊さを学ばれ慰霊を行っておられる。さらに、中学生の時には上皇陛下のご指示で半藤一利氏から戦争についての講義を受けておられる。


外国の皇室との交流にも熱心で、ご両親とともにブータンを訪問され、国王ご一家と親交を深められた。


11月30日に59歳の誕生日を迎えられた秋篠宮さまの記者会見(11月25日)では、「将来皇位を継承されるお立場である悠仁さまへの期待をお聞かせください」という問いに対し、「一つ一つ自分が関わる仕事を大事に思って、取り組んでほしい」とされ、幼少期からの帝王教育を説明された。また、ご夫妻の記者会見では記事冒頭に触れたように、早い時期に海外留学をすることの重要性を話された。


上皇陛下ご夫妻とは赤坂御用地で頻繁に接触されているし、成年行事以降は、天皇陛下との接触も多くなるだろう。帝王教育の遅れなどない。スポーツにも熱心に取り組まれ身体頑健だし、学業も屈指の進学校である筑波大学附属高校で少なくとも普通のレベルだ。


■愛子さまと比べたがる人たちの“盲点”


悠仁さまが成年のとき、お祝いへの御礼として簡単なメッセージが公表されたことを、高森氏は20歳で成年したときの愛子さまのお言葉と比べて中身がないと批判する。しかし、愛子さまが成年の前月にするべき記者会見を準備ができてないと4カ月延期したのち、練りに練って出されたお言葉とは年齢も意味合いも違うので、比べるべきものでない。


一方、愛子さまが「国民のなかに」という天皇皇后両陛下のお気持ちを実践されていると高森氏は言うが、両陛下の公務の量は皇后陛下の体調を考慮し、上皇陛下の時代から激減している。国体など地方行幸啓は、原則2泊3日だったのが1泊2日になった(英国訪問でも食事のほとんどを両陛下だけでされている)。


歴代天皇にはそれぞれ哲学がある。昭和天皇は慈愛に満ちた仰ぎ見る君主だった。上皇陛下はストイックで国民の中に入って交流を重ねられた。今上陛下は家庭人としての生活も大事にする良き夫であり、父親としての模範的な姿を示され、新型コロナ禍の時もご自分に会うために人が集まっては迷惑をかけるとされた。


両陛下は愛子さまのマイペースでのご成長を尊重されているが、天皇という仕事は決められた時間に決められたことを余裕をもってすべきものだから、女帝の可能性があるなら、別の教育方針をとられていただろう。


■秋篠宮さまは自ら即位を辞退される?


高森氏は「愛子天皇」への国民の支持が高まっていると指摘する。しかし、それは愛子さまは東大に入れるほど頭脳明晰で、なんでも人並み以上にてきぱきされる方なのに対して、悠仁さまは成績が悪くひ弱いとかいう、マスコミによる事実と異なる情報を前提にしているように思える。


ちなみに、高森氏は「(秋篠宮皇嗣殿下が)自ら即位を辞退されるお考えであることは、とても分かりやすいはずだ。そもそも、ご年齢が天皇陛下よりわずかに5歳お若いだけ。なので、客観的にも即位の可能性は想定しにくい」「(悠仁さまの帝王教育が遅れているという事実誤認を前提に)秋篠宮殿下が無責任であるとか、教育に熱心でないということを意味するのではない。そうではなくて、次代の天皇に最もふさわしいのは敬宮(愛子内親王)殿下であると、正しく理解しておられるからではあるまいか」という。


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しかし、2017年の「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」で「皇位の継承に伴い皇嗣となった皇族に関しては、皇室典範に定める事項については、皇太子の例による」とわざわざ定め、2020年11月8日に「立皇嗣礼」が国事行為として行われ、平安時代の醍醐天皇の時代から皇太子のシンボルである「壺切御剣」も陛下から親授された。


■「次の天皇」が決まるのはもう少し先


天皇の弟が皇位継承順位第1位なのは、上皇陛下の誕生までの秩父宮殿下も同様だが、それとは立場が違う。もし天皇陛下に、新たに嫡出男子が誕生したらそちらが皇太子になるという論理的な可能性はあるが、立皇嗣礼を法律で創設して行ったのは、その可能性はないという宣言であり、皇太子と全く同じ立場になられたということだ。


もちろん、秋篠宮さまは陛下より5歳若いだけなので、陛下から悠仁さまへ直接継承はありうる。あるいは、陛下が少し早めに退位されて10年程度は秋篠宮さまが在位される可能性もなくはない。皇后陛下の健康状態から、陛下がそれを望まれることだってありうるが、ご兄弟の健康状態とか、悠仁さまの家族状況でも変わってくるだろう。


陛下が上皇さまが退位されたのと同じ85歳余になられるのは2045年であり、上記のような皇位継承の手順についての議論が本格化するのはもう少し先になる。それまでに悠仁さまが「将来の天皇」として知見を広げられるには、多様な人と関わりを持つ大学生活が非常に重要だ。ぜひ後悔の残らない選択をしてほしい。


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八幡 和郎(やわた・かずお)
歴史家、評論家
1951年、滋賀県生まれ。東京大学法学部卒業。通商産業省(現経済産業省)入省。フランスの国立行政学院(ENA)留学。北西アジア課長(中国・韓国・インド担当)、大臣官房情報管理課長、国土庁長官官房参事官などを歴任後、国士舘大学大学院客員教授を務め、作家、評論家としてテレビなどでも活躍中。著著に『令和太閤記 寧々の戦国日記』(ワニブックス、八幡衣代と共著)、『日本史が面白くなる47都道府県県庁所在地誕生の謎』(光文社知恵の森文庫)、『日本の総理大臣大全』(プレジデント社)、『日本の政治「解体新書」 世襲・反日・宗教・利権、与野党のアキレス腱』(小学館新書)など。
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(歴史家、評論家 八幡 和郎)

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