「食品知財の黒船」花王はいかにして他社を寄せ付けない“鉄壁の特許網”を築いていったのか?

2024年12月6日(金)4時0分 JBpress

「特許」には企業の過去から現在に至るまでの発明・イノベーションの歴史が記されている。いずれも専門的な情報が多く、読み解くのは容易ではない。しかし、そこには企業や事業の価値、ひいては「未来」をも予測する貴重な情報が数多く示されている。本連載では『Patent Information For Victory 〜「知財」から、企業の“未来”を手に入れる!〜』(楠浦崇央著/プレジデント社)から、内容の一部を抜粋・再編集。知財力に優れた国内2社の事例を元に、特許戦略の最新事情を解説する。

 本連載の前半では、ヘルスケア商品における知財戦略のパイオニア「花王」の事例を紹介。第1回は、効果的に他社の参入障壁を構築する花王の「パラメータ特許」について取り上げる。

花王 ①
食品業界の「黒船」。 ヘルスケア商品の特許戦略とは?

■ 花王は食品業界に「知財革命」を起こした

 花王についてお話しする上で、花王の特許戦略の巧みさ、特に特許の出し方と取り方についての紹介は、やはり外すことができません。食品や化学の分野で、ここまで分割出願を駆使して執拗に特許を取ってくる企業は、なかなか見当たりません。他の業界ではいくつか例はあるのですが、花王の例は非常にわかりやすいので、知財に関心がある方にはぜひ参考にしていただきたいと思っています。

 あとは、やはり新規事業の話ですね。花王は「Another Kao(アナザー花王)」というキャッチフレーズを使っています。新規事業で、これまでの延長線ではない、もう一つの花王を生み出すぞ! という意思表示ですね。今後の花王はどうなるか、非常に気になります。この辺を、特許と知財から少し見ていきたいと思います。

 では、花王の知財戦略、特許戦略の概要と特徴を紹介します。

 実は花王は、ヘルスケア食品における知財戦略のパイオニア企業です。僕は「食品知財の黒船」と言っているのですが、新規事業という視点でも知財という視点でも、かなり業界にインパクトを与えた企業なんです。どのくらいのインパクトかというと、飲料大手のサントリーが花王の特許網に阻まれて市場参入を断念したぐらいだ、と言えばわかっていただけるでしょう。

 そして、花王の特許に衝撃を受けたサントリーもその後、特許で飲料業界に大きなインパクトを与える、という連鎖反応が起きました。これは、改革が起きる典型的なパターンです。業界で誰か一人、知財のレベルが上がったら、ドミノ倒しのように業界全体の知財のレベルが上がっていく。食品業界はそんな感じで知財のレベルが上がっていったんです。その起点になったのが花王です。まさに黒船です。

 花王のヘルスケア食品といえば「ヘルシア」と「エコナ」シリーズです。ヘルシアにはいくつかの製品ラインナップがありますが、いずれも特定保健用食品(トクホ)や機能性表示食品で、まさにヘルスケア食品そのもの、のブランドなんですね。花王について調べていたときに、調査の参考にするためヘルシア緑茶をしばらく飲んでいましたが、結構苦みがありました。でも、健康的な苦みというんでしょうか、飲めない苦みではないんです。後で説明しますが、このあたりの「味付け」が上手なんでしょうね。

 特許を読んで、そんなふうにいろいろ勘繰りながら飲んでいました。仕事バカですね(笑)。

※ 茶カテキン飲料「ヘルシア」については、2024年2月1日にキリンビバレッジ株式会社への事業譲渡が発表されています。

 花王はもともと食品素材の会社でもあるので、ヘルシアシリーズに用いているポリフェノールを、2021年から食品素材として販売開始しています。

 販売しているポリフェノールは、「茶カテキン」と「コーヒー豆由来クロロゲン酸類」の2種類なのですが、食品にするときのアドバイスもしますよ、と言っています。単に材料を売るだけでなくて、材料を食品に適用する上での課題も自分たちで解決して技術として持っていて、それも提供するんですね。いわゆる、ソリューションビジネスです。

 僕たちは「イネーブラー」と呼んでいますが、カテキンという素材を世界中の食品にビルトインするために必要な知財と技術を持っていて、一括で提供することでカテキンを普及させ、顧客課題と社会課題をスピーディーに解決する、というビジネスモデルですね。

 また、ヘルスケア食品の先駆けである「エコナ」シリーズは、ジアシルグリセロール(DAG)という特殊な成分を主成分にした油とその派生商品で、食用油として初のトクホ認定されたものです(現在は製造・販売を中止)。関連特許には、なかなか読みごたえがあるものがいくつもあり、特許からも先駆者としての気迫を感じることができます。

 花王は食品知財の黒船であり、食品業界に知財革命を起こした企業だと言いましたが、まさに「知財革命」と呼べる大きなインパクトを食品業界に与えたんですね。先ほど軽く触れましたが、サントリーがある市場に参入するために先行特許の調査を行ったところ、花王の「パラメータ特許」によって関連特許がすべて取得されているとわかり、市場参入を断念したとされています。

 当時のサントリーの知財責任者曰く、花王の特許網に衝撃を受けて、どうやってこんなにたくさんの強い特許を取得しているのか、かなり研究したそうです。そして、それがとても役に立っているとも言っていましたね。皆さんにもぜひ、食品業界を変えた花王の知財戦略について、具体的な事例で理解を深めていただきたいと思います。

■サントリーの市場参入を阻んだ、花王の特許戦略

 サントリーの市場参入を阻んだとされる花王の「パラメータ特許」を駆使した戦略とは、いったいどういうものなんでしょうか。誤解を恐れず、できるだけわかりやすい言葉で説明すると、パラメータ特許とは「数式と数値の範囲を組み合わせた特許」のことです。言葉で説明するより具体例を見るほうがわかりやすいので、後で具体例を紹介します。

 特許による参入障壁の構築は、一つひとつの特許が強いことも大事ですが、数も大事という部分があります。質と量を組み合わせ、さまざまなテクニックを駆使して隙のない特許網をどうつくり上げるか、という世界なんですね。花王は、それが非常に上手いんです。

 論より証拠ということで、まずはヘルシア緑茶関連の特許である、特許3329799を見てみましょう。請求項1を以下に引用しておきます。

【特許3329799の請求項より】
【請求項1】

次の非重合体成分(A)及び(B):
(A)非エピ体カテキン類
(B)エピ体カテキン類のカテキン類を溶解して含有し、それらの含有重量が容器詰めされた飲料500mL当り、
(イ)(A)+(B)=460〜2500mg
(ロ)(A)=160〜2250mg
(ハ)(A)/(B)=0.67〜5.67
であり、pHが3〜7である容器詰飲料。

 エピ体カテキン、という専門用語が出てきますが、それは一旦置いておきます。ざっくりいうと、この特許は、AとBという2種類のカテキンについて、その含有量を権利にした特許ですね。含有量の範囲を、A+BだのA÷B(A/B)だのという数式を使って規定するものを「パラメータ特許」と呼びます。ちなみに知財業界の専門家の定義では、例えば「A」という成分の含有量を数値で規定した場合は、「数値限定特許」と呼ぶようです。数式を使うか使わないか、の違いですね。本書では、数値の範囲を限定する特許の中で、特に数式をつかうものがパラメータ特許なんだ、という定義でいきます。

 くどいかもしれませんが、一つ目の特許が例外ではないことを示すために、特許3742094も紹介します。こちらも請求項1を引用します。

【特許3742094の請求項より】
【請求項1】

固形分中に非重合体カテキン類を含有し、シュウ酸(B)と非重合体カテキン類(A)との含有重量比[(B)/(A)]が0〜0.002の範囲である緑茶抽出物の精製物を配合してなり、次の成分(A)〜(C);
(A)非重合体カテキン類0.03〜0.6重量%、
(B)シュウ酸又はその塩成分(B)/成分(A)(重量比)=0〜0.02、
(C)カフェイン成分(C)/成分(A)(重量比)=0〜0.16
(D)酸味料0.03〜1.0重量%
を含有し、pHが2〜6である非茶系容器詰飲料。

 この特許では成分の「重量比」と言っていますが、要するに割り算ですね。わかりますよね。

 こんなふうに、割り算とか足し算と引き算とか掛け算とかシンプルなものでよいので、何か数式を使う。そして、その計算結果の範囲を規定する。これが「パラメータ特許」です。細かい話は後でしますので、まずはこれだけ覚えておいてください。

 このように、足し算や割り算のパラメータ特許が一つであれば、ちょっと面倒くさいですが、まだ理解できます。でも、これが例えば数百件出てくると、読み解くのが大変になりますし、数式が足し算や割り算ではなく、もっと複雑な関数を使われるとかなり面倒です。実際、第3章で紹介した3Mの「気泡が残らない保護フィルム」の特許には「三角関数」が出てくるものがあります。サイン、コサイン、ってやつですね。

 この時点でちょっと頭が痛くなる人も多いでしょうか。3Mの特許網に関するセミナーで、この三角関数の特許をいつも紹介するのですが、権利範囲が具体的にどういうフィルムを指すのか、セミナー参加者は誰一人わからないんですね(笑)。つまり、こういう数学的な表現をうまく駆使すると、もはやそれが具体的に何を指すのか、専門家であっても読み解くことができなくなるんです。

 セミナーで紹介している3Mの特許に関しては、恐らく審査官も正確にはわかってなかったんじゃないかなと思うくらい難解で、僕も読んで最初の数分間はその特許で3Mが何を言っているのかまったくわかりませんでした。ちょっと難しい数式が出てくると、数件でも大変です。いろいろな数式の特許が数百件、となると、もう手に負えないわけです。つまり、「参入障壁」「排他性」という意味では、パラメータ特許をうまく使えば、ものすごく強い特許になる可能性があるんですよね。

<連載ラインアップ>
■第1回 「食品知財の黒船」花王はいかにして他社を寄せ付けない“鉄壁の特許網”を築いていったのか?(本稿)
■第2回 食品業界を震撼させた花王の「減塩醤油特許」、他社に大きな影響を与える緻密な特許戦略とは?
■第3回 ヘルスケア・メディカルに特化した「Another Kao」なぜ花王はソリューション領域を目指すのか?(12月20日公開)
■第4回 世界に先駆けてIoT分野を開拓したコマツ、建設機械の在り方を変えた特許戦略「Komtrax」とは?(12月27日公開)
■第5回 「盗難防止」が目的ではなかった? 特許出願から読み解ける、コマツ「Komtrax」発明の真の狙いとは?(1月10日公開)
■第6回 部品の破損を事前に察知「Komtrax」の次の一手とコマツが20年かけて育てる「リマン事業」とは?(1月17日公開)

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筆者:楠浦 崇央

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