無能だった私を変えてくれた凄い人たち──クリエイティブディレクター 横尾嘉信さん(後編)

12月14日(金)15時22分 Forbes JAPAN

1995年頃、三洋電機に「時短ビデオ」というVHS録画再生機がありました。映像は2倍速で観られるのに、音声がハッキリと聞こえる画期的な商品で、売れていました。そのテレビCM制作でのことでした。(記事前編はこちら

CMでは、船着場にスーツ姿の所ジョージさんと上司が待ち構えています。そこに、犬の着ぐるみを全身にまとった大勢の人々が船から降りて来ます。

所さん:小林! あれほど遅れるなと言っただろ、小林!

上司:もう、ずいぶんと遅れちゃってるよ……。

所さん: どこにいるんだ、小林! 返事しろよ、小林!

という台詞を言いながら、所さんが近くにいる犬の着ぐるみの頭を次々とブリーフケースで叩いていくのです。全員が犬の姿なので、部下(小林)がどこにいるのか分からないという状況で、映像が2倍速で動いているため、叩いているシーンもかなりコミカルに見えて、笑えるCMでした。

編集、音入れなどのすべての制作が完了し、担当者レベルではOKが出た後に、三洋電機社内での最終試写の結果、NGが出ました。

「日本全国の小林くん、小林さんがイジメにあうかもしれない……」という声が、お偉いさんから出たとのことでした。当時、子どものイジメが社会問題として深刻に取り沙汰されていました。

しかし、名前を呼ぶのをやめると、状況設定が分からなくなってしまい、企画が成立しません。「小林」を「セバスチャン」などの外国人名に変えるのも設定として無理があるし、「日本全国のセバスチャンくん、セバスチャンさんがイジメにあうかもしれない」というロジックには対抗できません。また、CMのオンエア開始日が決まっていたので、別企画で再撮影をしていると間に合いません。

できることは、編集を変えるか、音声を変えるかの2択でした。横尾さん、先輩、私の3人で、CMの中にある要素を書き出して、因数分解しながら、あらゆる代案を出し合いました。いくつかはイジメ問題を解決できる案が見つかったのですが、CMとしての面白さがなくなってしまいました。それは、クリエイティブ職の我々としては、かなり嫌なことですから、採用には至りません。

NGの知らせを受けたのが金曜午前。夜の時点まで考えて、有効な選択肢が1つもありませんでした。このままでは、せっかく面白いCMが制作できたのに、「お蔵入り」です(業界では、制作したのにオンエアされないことを「お蔵入り」と呼びます)。しかしそれは、我々にとって絶対に嫌なことでした。

打ち合わせでも、沈黙の時間が支配するようになり、いつものように横尾さんは言いました。

「今日は、美味しいものを食べて帰ろう。各自、土日にリフレッシュして考えて、月曜に案を持ち寄ろう」

私は帰宅してからも考え続けて、土日もずっと考えました。しかし、良い案は全く浮かびませんでした。日曜の夜、晩ご飯を食べている時に、突然、「犬じゃなかったら?」という問いかけが降ってきました。そして、ブレークスルーが起きました。

所さん:なんで、犬なんだよ! オマエたち、どう見たって犬じゃないか!

上司:そんなこといいから、30分も遅れてるよ!

所さん:なんで、犬なんだよ! 頼んだのはサルだろ、サル! おサルさん!

月曜、私のこの案が採用されました。2倍速の映像なので、もともとリップシンクロ(しゃべっている言葉と唇の動きが合う)はしていません。声を吹き替えるだけで、解決できました。この時に、横尾さんに言われたこと。

「この土日に、誰よりもこの課題について考えたのは、松尾だと思う。(クリエイティブのように)正解がない仕事は、年次とか関係ない。考えた人が勝つんだよ」 

この言葉は、これまで仕事で行き詰まった時に、何度も私を蘇らせてくれました。

また、横尾さんの下に配属されてすぐに、あることが言い渡されました。

「俺が許可を出すまで、ゴルフは禁止。ゴルフはすごく面白いから、キミのように体育会系の人が始めると、のめり込んで練習をするようになる。そうなると、仕事へのエネルギーが取られてしまうから」

当時、広告会社がスポンサーを接待するゴルフ、制作会社から接待を受けるゴルフが、平日、週末を問わずに盛んに行われていました。横尾さん自身もゴルフに熱中されており、周りで仕事に身が入らずに崩れていく人たちを見ていたから、その魅力と危険性を痛感され、アドバイスではなく、禁止と言えたのだと思います。

3年前、横尾さんの退職のお祝い会で、「ゴルフの許可、まだ頂けないでしょうか?」と訊いたところ、「まだ許可してなかった!?」と驚かれ、ついに許しが出ました(笑)

「たら」「れば」の話に意味はありませんが、もし、新人の頃からゴルフを始めていたら……。人生の愉しみは、もっと増えていたかもしれません。でも、しなかったおかげで、若い頃の私が仕事に集中でき、仕事の愉しさに目覚められたのは事実です。

何かを成すためには、「しないことを決める」。身を以て学ぶことができました。

そして、横尾さんは時々、仕事とは全く関係のない、やや重い「社会問題」をテーマに論じ合う時間をつくってくれました。例えば、「夫婦別姓の是非」や「安楽死の是非」についてなど。

広告クリエイティブの仕事は、面白い企画をつくるだけでは終わりません。その企画を売って、採用してもらうことが重要です。どんなに面白い企画でも採用されないと、世の中には出られません。それまでの労苦がすべて水泡となってしまいます。面白いことを考える楽しそうな仕事に思われますが、案が採用されないことが続いて、心の病になる人が多いのも知られざる事実です。

横尾さんは、仕事から離れたところの現実を議論することで、人には年齢や立場によっていろんな考え方があること。つまり、自分の考えが受け入れられないことは当たり前にあるということ。そして、社会に起きていることと自分たちの仕事の距離感を冷静に見つめることで、柔軟な思考と心を持つ大切さを伝えてくれていたのだと思います。

雛鳥が初めて目にした生き物を親と思うように、この業界で横尾さんの言動を初めて見られたおかげで、この楽しくも厳しい世界を生き抜くための智慧を数多く身につけることができました。

横尾さん、ありがとうございます。

連載:無能だった私を変えてくれた凄い人たち
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