「数え年」と「満年齢」の本当の違いを知っていますか?

1月1日(水)16時0分 NEWSポストセブン

評論家の呉智英氏

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 正月になり年神様がやってくると、ひとつ年をとる、というのが明治6(1873)年に満年齢が導入されるまで日本での年齢の数え方だった。「数え年」と呼ばれるこの年齢の数え方は、いまでは神社へ厄払いなどのお参りをするときに気にするくらいだろうか。とはいっても、最近では、日本の伝統を大切にしていることを強調するために数え年にこだわる人もいる。評論家の呉智英氏が、「数え年」と「満年齢」の本当の違いについて解説する。


 * * *

 さて、令和元年に生まれた赤ちゃんも早いものでこの正月には、えーと、まだゼロ歳だよ。満年齢だとそうなる。


 改元を目前に控えた二〇一九年三月一日付産経新聞にNHK元アナウンサー鈴木健二のインタビュー記事が載った。彼は数え年主義者だという。それはそれで一つの見識である。しかし、鈴木が数え年を使う理由は、どうか。鈴木は、こう説明する。


「私が『数え年』を使うのも、受精卵がお母さんのおなかの中で着床した瞬間から、命が始まっていると思うからです」「おへそで、お母さんと一生つながっている」「お母さんを大切にし、生まれ故郷を大切にしよう」


 生命尊重、親を大切に。これを心に刻むために、胎内の一年を加算して数え年を使うというのである。生命や親を尊ぶのはけっこうだが、それと数え年と何の関係があるのか。母の胎内にいるのは通常九ケ月余り。大晦日に生まれた赤ちゃんはその春に受胎しており、親の恩の一年加算はないはずだ。しかし、一夜明けた元日には、満ゼロ歳(というより満一日)の赤ちゃんは数え二歳になる。


 親孝行と数え年には何の関係もないはずだ。だが、産経新聞の寄稿者たる保守系の論者たちは、親孝行の論拠に数え年を持ち出したがる。もう一例挙げよう。


 サンケイリビングの編集長を務めた参議院議員山谷えり子も、二〇一一年一月八日付産経新聞で「次世代へ美しい糸を」と題し、こんなことを書いている。


「数え年と満年齢と、誰もが年齢を2つの数え方で確認し合っていたのはいつの頃までだったろうか。日本人は、母親のおなかの中に授かったときから、生命の存在を尊く考えていた。だから西洋のように誕生してから“0(ゼロ)歳”とは数えず、歳神さまとともに“1歳”と数えたのである」


 0は古代インドで発明され、西洋で広く使われるようになったのは四、五百年前からだとされる。西洋人は既に中世から「0歳」と数えていたのだろうか。真逆。また、日本で「誰もが年齢を2つの数え方で確認し合っていた」のは、義務教育が始まる明治十二年前後から昭和戦後期までの七十年間ほどだろう。江戸時代の人や平安時代の人がそんなことをしていたはずがない。そもそも数え年しかなかったのである。


◆基数詞と序数詞


 では、数え年とは何か、満年齢とは何か。


 中学の英語の授業で数詞には二種類のものがあると習ったはずだ。一つは基数詞。one two threeなどで量を表わす。もう一つは序数詞(順序数詞とも言う)。first second thirdなどで順序を表わす。


 満年齢は基数詞で、生きてきた「量」を表わす。数え年は序数詞で、生まれた「順序」を表わす。この違いなのである。


 暦年の決め方を「紀年法」というが、これも序数詞、すなわち数え年である。世界中のどの国のどの王朝の紀年法でも必ず元年は一年である。「元年」とは「元の年」であり「元の年」であり、firstの年である。oneの前ならzeroもあるだろうが、firstの前には何もない。明治も大正もゼロ年から始まったりはしない。西暦(キリスト教暦)も元年は一年、仏暦でもイスラム暦でも同じだ。


 世紀の数え方も同じである。百年単位が世紀。これも一世紀から始まり、ゼロ世紀はない。一九五〇年は頭に「一九」が付くけれど、二十世紀だ。その二十世紀が終わったのは一九九九年ではなく、二〇〇〇年である。紀元ゼロ年もゼロ世紀もないからだ。


 序数詞は順序を表わしている。母の胎内や親孝行を表わしているわけではない。序数詞は親孝行の数字、基数詞は親不幸の数字?! そんなバカな。保守系の論者の説く道徳論って、こんなのばかりである。


◆モンダイ師弟の大ボケ対談


 そう思っていたのだが、そうでもないと気づいた。この手のバカは保革・左右を問わないのだ。友人の歴史学者が面白い本を教えてくれた。二〇一二年に太田出版から出た見田宗介と大澤真幸の師弟対談集『二千年紀の社会と思想』である。


 内容は読んでいないから知らない。書名だけで読む気にならないからだ。アオリを見ると、こんなことが書かれている。


「これからの千年を人類はどう生きるべきか?」「千年の射程で人類のビジョンを示す」


 二十一世紀に入って既に十年以上すぎた。これからの千年の見通しを語ろうということらしい。いやはやである。


 世紀は前述のように百年単位。千年紀は千年単位。世紀は序数詞だからゼロ世紀はなく、一世紀から始まる。千年紀も序数詞だからゼロ千年紀なんてあるはずはなく、一千年紀から始まる。三九五年のローマ帝国の分裂や九六二年のオットー大帝戴冠が一千年紀。一七八九年のフランス革命や一九四一年の真珠湾攻撃が二千年紀。そして二十一世紀の今は三千年紀なのだ。


 本文中の誤用なら増刷時に訂正もできようが、書名そのものが誤用では訂正もできない。見田・大澤師弟は大恥を天下にさらしたことになる。しかし、不思議なことに、誰もこれに触れようとしない。


 古いスクラップ帖に見田宗介のこんな文章を見つけた。一九八五年十月二十八日付朝日新聞の「論壇時評」だ。「気に感応した胎児」と小見出しが付く。


「出産直前になっても頭を下にしていない胎児は、難産となるが、母親が気を整えて胎児に話しかけ」ると「グルッとまわって自分で位置を直すことが多い」「〔母の〕〈気〉に感応しているのだ」


 お母さん、すごい。赤ちゃん、えらい。偉大なる神秘の力。でも、基数詞と序数詞の違い、紀年法のイロハを知っていた方が、もっとえらいと、私は思う。


●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。近著に本連載をまとめた『日本衆愚社会』(小学館新書)。


※週刊ポスト2020年1月3・10日号

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