箱根駅伝、最下位からはじまった青山学院大学の箱根路『昭和十八年 幻の箱根駅伝』

1月2日(月)10時0分 エキサイトレビュー

『昭和十八年 幻の箱根駅伝:ゴールは靖国、そして戦地へ』(澤宮優/河出書房新社)

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今年の箱根は「青学」の話題で持ち切りだ。「箱根駅伝3連覇&大学駅伝3冠」の偉業がかかる青山学院大学。この記事が掲載される頃には既に往路もスタートを切っているわけだが、その先頭集団に青山学院大のグリーンのユニフォームがいる可能性は高いはずだ。

今年の結果がどうであれ、今の大学駅伝界が「青学時代」であることに異論を挟むことはできないだろう。といっても、青山学院大が力を伸ばしてきたのは2004年に原晋監督が就任して以降のこと。2009年に史上最大のブランクとなる33年ぶりの箱根駅伝出場を果たすと、2015年には早くも初優勝を果たした。

以降、一気に絶対王者へと登りつめた青山学院大だが、箱根駅伝初出場時をさかのぼれば、すべての区間で最下位&1位から3時間遅れ、という屈辱からの出発だったという。その「青山学院大初出場」の大会が、幻といわれた1943(昭和18)年の箱根駅伝だった。
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死ぬ前に箱根を走りたい


今年で「第93回」を数える箱根駅伝。第1回大会が開催されたのが1920年のこと。ちょうど東京オリンピックが開催される2020年に100周年、2024年には「第100回」の記念大会を迎える。

年数と大会数の符合が揃わないのは、戦争による休止期間があるからだ。1940(昭和15)年に第21回大会が開催されたあと、第二次世界大戦の余波を受け、大会そのものが中止に追いこまれてしまった。

戦後の復活大会は1947(昭和22)年のこと。だが、この空白期間にも一度だけ、東京・箱根間を走る駅伝大会が開催されたことがあった。その大会こそ、昭和18年に開催された、「紀元二千六百三年靖国神社・箱根神社間往復関東学徒鍛錬継走大会」だ。実は昭和35年の箱根駅伝のプログラムに「第22回」と記されるまで、長らく「幻の箱根駅伝」と称された大会だった。

開催の経緯、ランナーをはじめ学生たちの苦労・苦難については、昨年上梓された『昭和十八年 幻の箱根駅伝:ゴールは靖国、そして戦地へ』(澤宮優・著)に詳しい。

戦争によって東海道・箱根路の使用が禁止されたこと。また、主催団体である報知新聞社の経営難など、さまざまな理由から大会中止に追いこまれてしまった箱根駅伝。だが、戦争の時局が悪化するほど、「死ぬ前に箱根を走りたい」「箱根の伝統をつなぎたい」という学生たちの切望はより強くなっていった。

《大学生たちはいつ何時、学業生活が中断され、繰り上げ卒業になるかわからない。さらに修学年限が短縮されることは目に見えていた。選手たちの脳裏には、「兵隊に行くのなら、その前に箱根を走りたい」という願いが強くなっていった》
《箱根を走った選手たちのすべてが戦地に行かされ、露と消える運命にあるだろう。もう二年間箱根駅伝は開催されていない。箱根を走った者がこの世からいなくなってしまっては、箱根の伝統を後世に伝える者がいなくなってしまう。箱根駅伝は戦争が終わったら続けて欲しい》(『昭和十八年 幻の箱根駅伝』より)

そんな学生たちの“箱根魂”ともいうべき執念を原資に、大会開催のために帝国陸軍と交渉を重ね、知恵を絞って苦難を乗り越えていく様は、さながら「プロジェクトX」のような読み応えがある。

当初、軍部側は大会開催の陳情にも首を縦に振らなかったが、
・“戦勝祈願駅伝”という位置づけで実施し、コースも従来もの(大手町〜芦ノ湖)ではなく、靖国神社〜箱根神社往復とすること
・名称を「箱根駅伝」ではなく、「紀元二千六百三年靖国神社・箱根神社間往復関東学徒鍛錬継走大会」にすること
・走行距離はメートル法ではなく、尺貫法で計算すること
といった、軍部が許可しそうな大偽名分を考えだし、遂には開催実現にこぎつけたのだ。

八方塞がりで絶望的な状況にあっても、道は必ず開ける


もっとも、開催実施が決まったからといって、そこからの苦労も多かったという。

たとえば、各大学の陸上経験者の多くが既に召集令状を受けて兵営に去り、走れる選手が残っていなかった。そのため、他の競技部などからも選手をかき集める大学がほとんど。加えて、練習環境や設備面、栄養面もままならず、箱根路に立つだけでも簡単なことではなかった。

そんな状況において、出場した11校はどのように準備を重ね、レース当日を迎えたのか。そして、一区から十区まで、どのようなレースが展開されたのかについては、ぜひ、『昭和十八年 幻の箱根駅伝』を読んでいただきたい。

ひとつだけ紹介するならば、ゴールシーンの“異様さ”がある。非常時の箱根路だからこそ、ゴールでは従来の大会では見られなかった光景が現れたという。

箱根のゴールシーンといえば、自校のアンカーがゴールインするのをチーム全員で迎え、抱きあうシーンがお馴染みだ。だが、この「幻の箱根大会」では、自校も他校も、敵も味方も関係なしにゴール選手を迎え、涙を流しながら抱きあったという。

《もう来年は箱根駅伝はないだろう。それに自分もすぐに戦争に行くことになるだろう。そしておそらく死ぬだろう。だが今回走った者のすべてが死ぬわけじゃない。一人でも二人でも生きて還って来た者が、必ず後世にこの大会を伝え、箱根駅伝を永遠に続けてゆくだろう》

そんな大会関係者の回顧は実に重い。著者の澤宮は、そんな関係者たちへの取材を通して次のように綴っている。

《昭和十八年の第二十二回箱根駅伝大会の肝は、どんなに八方塞がりで絶望的な状況にあっても、道は必ず開けるという教訓を残した点に大きな意義がある。それは閉塞した時代である今日に生きる勇気を与えている。私たちは現代に生きるときに、希望を見いだせないことがあったら、昭和十八年の箱根駅伝を成功に導いた学生たちの姿から大きな導きを得ることができるだろう》

箱根駅伝の襷でつなぐのは、単なる一校の意地やプライドだけではない。こたつでぬくぬくのんびり箱根鑑賞も正月ならではの醍醐味だが、たまにはそんな「箱根路の歴史」に思いを馳せてもいいのではないだろうか。
(オグマナオト)

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